2016年03月16日

今日は9冊 (その3)。

 引き続き、東京創元社の文庫新作から3冊。

  暁の死線.jpeg 暁の死線【新版】/ウィリアム・アイリッシュ
 『幻の女』の興奮もさめやらぬうちに(?)、長らく品切れだった本書が新カバー&新解説で登場(新訳版ではありません)。 そうか、死線って“dead line”なんだなぁ、と妙なところで感心(というか、直訳だったんだね!)。
 こちらもまた、タイムリミット・サスペンスのようです。 展開を想像するだけでドキドキだ!

  愚者たちの棺.jpg 愚者たちの棺/コリン・ワトスン
 1940年・50年代に出版された作品が、最近相次いで復刻もしくは初邦訳という流れ、多いです。 この著者コリン・ワトスンも過去に短編が3つ翻訳されただけ(アンソロジー収録?)、今回初めての長編邦訳(今後は長編を順次邦訳してもらえるようです)。
 <D・M・ディヴァインに匹敵する巧者の第一長編にして代表作>なんてコピーつけられちゃったら、素通りなんてできません。
 この時代のミステリは(知名度や安定性という意味ではどうしてもクリスティやクイーンの時期よりも後だから地味目ではありますが)、それでもやはり面白い!と思う。 現代ではもう後戻りできない時代のことだから。

  マロリー08ウィンター家の少女.jpeg ウィンター家の少女/キャロル・オコンネル
 “氷の天使”こと美貌の天才女刑事キャシー・マロリーシリーズ8作目。 うむ、邦訳、順調順調。
 ここは一応<現代枠>なのですが(とはいえ原著は2004年刊)。
 キャロル・オコンネル作品全体に言えることかもしれませんが、あまりはっきりと時代がわからないのが特徴というか(何十年か前の事件や出来事が絡んでくるせいもあるかも)、だからこそ独特の雰囲気なのかなぁ、と。
 はまったらどっぷり、なのですが、それ故に足を踏み入れるのにまずちょっとした覚悟が必要。 しかしその覚悟もまた楽し!

ラベル:新刊
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2016年03月15日

今日は9冊 (その2)。

 引き続き、文庫本です。

  ブロントメク!.jpg ブロントメク!/マイクル・コーニー
 『ハローサマー、グッドバイ』の著者によるもうひとつの代表作(というか、どうも読んだ人は『ハローサマー』派と『ブロントメク!』派に分かれるらしい。 あたしはどっちだろ?!)。
 今回、大森望さんが新訳を担当ということで・・・なんか訳者としてのお仕事が増えているじゃないですか。

  スキャナーに生きがいはない.jpg スキャナーに生きがいはない<人類補完機構全短編1>/コードウェイナー・スミス
 コードウェイナー・スミスといえば、『ノーストリリア』ですが(それ以外読んだことがない)、<人類補完計画未来史>を短編で実は山程(?)書いていたということを今回初めて知りました。 <全短編>企画は3巻まで続くようです。 しかも年代順に並べているという親切さ。 一部新訳・初訳が混じっているようですが、2016年3月の新刊に浅倉久志さんの名前があるっていうのはなんだかうれしかったりします。

  最初の刑事文庫版.jpg 最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件/ケイト・サマースケイル
 こちらはノンフィクション。 1860年にイギリスの片田舎で起きた幼児惨殺事件を、創設まもないスコットランド・ヤードが起用した初めての刑事のうちの一人、ウィッチャー警部が追う・・・というリアル警察小説的でありながら探偵小説の原点ともなった事件について振り返る力作。 ハードカバー時に図書館で一度読んでいるんですが、捜査そのものが手探りだった時代の雰囲気がなんとも言えず、文庫になったので買ってみました。 最近、レトロ時代の推理小説なども読んでいるためもあります。
 科学捜査の概念が乏しく、そして階級制度もまた捜査の邪魔をする時代に、それでもあきらめない刑事の執念。 これは仕事の歴史でもあるのだなぁ。

ラベル:SF 新刊
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2016年03月14日

今日は9冊 (その1)。

 週明けから雨だったり、阪急神戸線が信号故障でダイヤが乱れまくっていたりと波乱の幕開け。 あたしはかろうじて遅刻しなくて済みましたが、遅れてきた方々も結構いた。
 そして久し振りのあたしの仕事場、机・・・いろんなモノであふれていた。
 様々な書類が挟まっているクリアファイルがいくつも。 しかしそれを覆い隠すように、お菓子の袋や箱の数々。 「あ、ホワイトデーでしたね」と気づくのでありました。
 営業の方は「14日にお会いできるかわからないので」的なメモを残して。 あと、今日は朝から直行で何時に戻ってこられるかわからない方々からも。 最終的に、「これ、全部持って帰れますか?」というくらいいただいたのであった。
 ありがとうございます。 全部食べ終わるのはいつになるかしら・・・。
 とりあえずいちばん大きい紙袋に全部まとめたらなんとかなったので、持ち帰ることに。
 なのになんで本屋に寄っちゃうかな、あたし!
 でも、これがあたしの社会復帰第一歩です。
 まずはマンガから。

  ちはやふる31.jpg ちはやふる 31/末次由紀
 31巻まで来てますが、まだまだ話は終わらない、シーンとしての盛り上がりも途中でございます。 3巻分ぐらいでやっと昔のマンガの1巻分ぐらいに当たるんじゃないか・・・的なことを、昔のマンガの多くないページに詰め込まれた大河ドラマ感をたまに見返したりすると、つい考えてしまったりするのですが、きっと比較対象としては違うんだろうなぁ。
 若者たちの言動より(正直、このキャラにそこまで描写を割く必要はあるのか?、という感じがすることもあるし)、出番の少ないながらも大人たちのちょっとした気配りのほうにジーンときちゃったりするから。 そういうディテール(脇役もおろそかにしない)を大切にしてたら、そりゃ話が進むものも進みませんわな。

  猫嬢ムーム1.jpg 猫嬢ムーム 1/今日マチ子
 今日マチ子はきっとネコ派・・・となんとなく思っていましたところ、ネコと飼い主だけど下男と化した一匹と一人の半エッセイ・半フィクションの不思議なマンガが出来上がっていました(でも女性のマンガ家さんはネコ派の人が多いけど)。 今日マチ子の独特路線はこういった題材でも健在。
 桑田乃梨子『ねこしつじ』ともまったく違った味わいで。 いや、そこはやはり作者の志向の違いも出るから(で、あたしは『ねこしつじ』のほうが好きだったりする・・・)。

  なのはな新装版.jpg 【新装版】なのはな/萩尾望都
 以前出たハードカバーの【特装版】『なのはな』に、『福島ドライブ』を追加収録したフラワーコミック版。
 すみません、今はまだちょっと読めません・・・。
 でも表紙の少女のまなざしに、胸をつかれました(多分、表紙は書き下ろし?)。

ラベル:マンガ 新刊
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2016年03月13日

予兆なしのフラッシュバックと、その余波

 しばしのご無沙汰、申し訳ございませんでした。
 仕事がバタバタしているのと、急激な温度変化にいまいち身体がついていけてないのとで不定期更新となっておりまして、先日「あぁ、もう少しで追いつきそうだなぁ」というところまできていたのですが。

 10日の夜、突然、3.11のフラッシュバックに襲われました。
 これまでそんなことは全然なかったのに。 でもきっかけは、「確か、“あの日”も金曜日だったのではなかったか」と気づいてしまったためと思われます(それでスイッチが入ってしまったようで)。
 手足が震えだし、頭の中はぐるぐる。 これは眠らないとダメだ!、と精神安定剤・睡眠導入剤をのむものの効かず(効かないので一回の服用量のほぼ限界までのんだ)、朝までそのまま。 毛布にくるまってガタガタ震えてました。
 しかし立ち上がるとよろつくので、薬は効いているはずなのです。 しかしその効き目はあたしに届いてこない。 この状態で仕事に行くのはとても危険(もしかしたら駅の階段で足を踏み外して転げ落ちるかもしれないし、ホームでふらついて電車に接触などするかもしれない。 どこであたしの緊張が切れて眠り込んでしまうかもわからないし)。
 事情を簡単に上役にメールで説明し、お休みをもらうことに(指先が震えて何度もキーを打ち間違えるが、喋るより楽だった)。
 今気がついたけど、あれ以来あたし、声を出してないかも。
 神戸にいたくせに、あの地震を経験していないのに何故?、と思われることでしょう。
 実は、あの年の3月末に、あたしは一度東北に行きました。
 ボランティアできるほどの余裕も経験もないので、飛行機日帰りで(仙台空港が再開してすぐだったかな?)。 そこで見た光景や体験はとても言葉にできるものではなく。
 でも神戸に戻ってくればそこにはあたしの変わらぬ日常があって、まるで別世界を行き来したような感覚。
 家に帰ってきてまずしたのはシャワーを浴びたこと。 あたしの習慣ですが、こんなにも罪悪感の伴ったことはなかった。
 あまりに壮絶すぎたあの時間を、あたしはいつしか映画の中の出来事のように距離を置いて見るようになっていた。 その方が、あまりダメージを受けないから。
 でも人には話せなかった。 具体的なことだけではなく、あの3月に東北に行ったこと自体も。 2年くらい前か、いつものドクターには話したけれど。
 「それ、なんで話せないというか話さないんだと思います?」
 「うーん、相手が聞きたいのかどうかわからないから、ですかね。 仮に聞きたいとしてもどこまでのレベルなのか。 自分が話した方が楽になるのはわかるんですけど、何を話して何を話さないかという整理ができていなくて、そもそも整理しちゃっていいのか、というのもあって。 でもだんだん、記憶は曖昧になっていってるんです。 ショッキングすぎることは鮮明なんですけど、鮮明すぎて写真や映像みたいに思えます」
 と、すっかり<他人事>のように語っていたはずだった。
 なのに今回、“3月11日の金曜日”というスイッチが、全部の箱を開けてしまった。
 関連するニュースなどは少し前からあまり見ないようにしてたけど、自分の記憶に呑み込まれてしまった。
 仕事を休むことになって、何か食べたら気がまぎれたり眠くなったりするのではないかと思ったが、何を食べていいのかもわからない。 とりあえず体温を上げるため(寒さで震えているわけではないのであまり意味がないかもしれないが)ホットココアをつくり、飲む。 マグカップは指先にとても熱く感じられたので、実は冷えていたのかもしれない。
 TVはそれ関係の番組ばかりなので『銀河英雄伝説』のDVDを流しっぱなしにして横になる(頭には入ってこないが、見・聞き慣れているもののほうが安心できる気がしたから。 それに長いからいつまでも終わらないしね)。
 それが功を奏したのか、だんだん話がどこらへんなのかわかってきて、夕方近くに一時間ぐらいウトウトできた。 それで、震えはおさまった。
 かといってそれですべてがなかったことになるわけじゃなく。
 脱力のうちに土曜日は過ぎ、気がつけばもう日曜日である。
 家から一歩も出てはいないが、シャワーを浴びていないので気持ち悪い。
 でもシャワーを浴びることもまた少し怖いのだ、また思い出してしまう気がして。
 しかしシャワーを浴びないことには月曜からの仕事に行けない。
 今日の目標は、お風呂に入ることです。

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2016年03月09日

その言葉の意味は強すぎる

 ある日の電車の中で、「おじいさん」と呼ばれるであろう年代の方が、自分のリュックに白いプラスティック状のプレートがついたストラップをジッパー金具につけているのが目に入った。 前にも見たことがあるから、同じ人かもしれない、と思った。
 そのプレートには、黒文字で「アベ政治を許さない」と彫り込まれている。
 だから記憶に残っていた。 それをわざわざ自分の持ち物(しかも人から見える場所に)つける、ということは、それがその人の主義主張なんだろうと思うし。
 だけど・・・「許さない」とは、なんて恐ろしい言葉だろう。
 そこには猶予の余地がまったくない、全否定。
 「アベ政治の何が許せないのですか?」という質問すら拒絶される、全否定である。
 安保法案の進め方が気に食わない、とか、この発言はいかがなものか、ならば対話の糸口にもなるけれど、全否定している人には何を言ったものやら・・・と思ってしまいます(とはいえ、あたしは最近しっかりニュースを見ていないんで、仮にそういう人と話す機会があったとしても何も言えないとは思いますが)。
 でも、意見の違う人同士の対話が成立し、その結果よりよい選択をしていくのが民主主義というやつではないのだろうか。 勿論、自分の意見をどのように表明することも自由ですが、他者との会話を拒絶している(同じ意見の人としか話さない)かのように見えてしまうのは、なんかもったいないというか、だから民間・個人レベルであっても政治方面の活動をしている人はちょっとあぶなく見えてしまうのではないだろうか。
 三宮あたりでもたまにデモやってるみたいですが、正直あまり近づきたくないなぁ、って空気を発しているとあたしは感じてしまう。
 あと、「保育園落ちた日本死ね」。
 これ、最初は意味がわからなかった。 あたしの中で「日本=死ぬ」という言葉がまったく結び付かなかったから(というか普段使う言葉としてそういう例がないから)。
 ご本人は「認可保育園に子供を入れたかったが、それができなかったショックと動揺のあまり感情のおもむくままに打ち込んでしまった」的なことを答えておられたようだが・・・いくら動揺していたとしても普段から似たような言葉を遣っていなければそういう言葉は出てこない、と思う。
 あたしはどうも、“言霊”という概念が染みついてしまっているみたいなので、マイナスの意味合いが強すぎる言葉はめったに使わない(意識して使わないようにしているのではなく、無意識のうちに使うことを避けている)。
 だから使うとなったらほんとに意識して使うことになるわけで、相当怒っているか強く憤っているかということでしょう(あたしが怒ると「すごく怖い」と言われるのはそのせいかもしれないなぁ)。
 “保育園落ちた”の人は「こんなに大きな騒ぎになるとは思わなかった」そうだけど、よくも悪くも意味の強すぎる言葉は人を引き付ける。 そして、ときには本来の意味とは違うように利用されてしまう。
 使う言葉には、感情的であればあるときほど、注意を払わねば。

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2016年03月08日

またも過敏症

 この日・月と気温が上がり、もうあたしが耐えられないレベルの湿気になっております。
 おまけに昼ぐらいから急激に頭が痛くなる。
 明日、絶対、雨だ。
 低気圧帯に入ったのか、しばらくしたら頭痛は治まりましたが・・・今度は気温が下がってくるという。 あぁ、もう、なに着たらいいんだ!、と悩む。
 あぁ、洗濯したいよぉ。 掃除機かけたいよぉ。 1リットル紙パックを回収用に切り分けたいよぉ、等々。 日常の雑事が、たまってきております。

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2016年03月07日

ケンブリッジ・シックス/チャールズ・カミング

 調子に乗ってまたスパイ小説を読んでしまいました。
 しかも<ケンブリッジ・ファイブ>という事実(ケンブリッジ大学の卒業生のうちでもかなりのエリート5人が、洗脳されソ連のスパイであったことが発覚した事件)がベース。
 実はスパイは5人ではなくもう1人いたら?、というのが本作のメインストーリーである。 諜報業界(?)には「歴史にIFは通用しない」が通用しないから恐ろしい。

  ケンブリッジシックス.jpg 読んだきっかけは、この表紙がかっこいいなぁ、と思ったからなのですが。

 ソ連・ロシア史が専門の歴史学者サム・ギャディスはUCLの講師をしているが、離婚した元妻から幼い娘の養育費と教育費を請求されており、そのうえ税金も滞納していた。
 早急に金が欲しい彼は、旧知のジャーナリストシャーロット・バーグが持ち込んだネタ(6人目のスパイ)で本を書くとエージェントに交渉。 出版の約束を取り付けるが、その矢先にシャーロットが心臓発作で突然死亡する。 仕方なくサムは一人でネタを追うことになるが、行く先々でおかしなことが起こり・・・もしやシャーロットはひそかに殺されたのでは、と気づいたときにはもう遅く、サムはSIS・FSBからしっかり監視されており・・・という話。
 イギリスと旧ソ連(現ロシア)との長く続いている複雑な関係を丁寧に解説してもらって、「うわっ、ヨーロッパはやはりめんどくさい」としみじみする。 しかしサムの言動があまりにおバカすぎて(素人なんだからそれで普通、と言われたらそれまでですが)、なんだか心からハラハラできないのであった。 イギリス人ってもっと実直で融通がきかない人が多いんじゃなかったの?!、と言いたくなるくらい、魅力的な女性を見ればふらふらするサムは「イタリア人か!」というくらい情けない(多分、同じことしててもイタリア人男性のほうがもっとチャーミングに見えたりするんだろう)。
 そんなわけですごく長く感じてしまった印象(550ページもないんですけどね、サムはダメな割にいろいろな面を間一髪の幸運ですり抜けたりするのがどうも取ってつけたようで、ノンフィクションばりに書き込まれた部分とのバランスがあまりよろしくない)。
 いや、多分サムが最後まで好きになれなかったので、そのせいかも。
 大変地味な作品ですが、その地味さ加減が逆によかった。
 引退したスパイは扱いづらい、ということがとてもよくわかった・・・引退したスパイたちを集めて村をつくってそこで生活してもらう、というアイディアに信憑性を感じました(一人で事実上の軟禁状態にでもしてたら、ろくなことになりませんよ、ほんと)。

ラベル:海外ミステリ
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2016年03月06日

ディーン、君がいた瞬間(とき)/LIFE

 アメリカにおいて雑誌『LIFE』とはどういう位置づけなのか?
 よくありすぎる原題とともにちょっと悩んでしまいました。 勿論ジェームズ・ディーンはあたしにはリアルタイムのスターではないのでよくわからないのですが(むしろ親世代のスター)、若くして突然亡くなったという伝説を知っている程度。 よくわからないながらも、あたしら世代にとってはリバー・フェニックスだと置き換えれば当時の人々の衝撃は想像がつく(勿論、単純に比較できない・してはいけないことは承知の上でちょっと乱暴に関連付けています)。 たった3本の映画にしか出演していない、世界が彼を知った頃にはもう飛び立ってしまっていたという“伝説”はそう簡単に更新できやしない。
 アントン・コービン監督は前作『誰よりも狙われた男』がとても素晴らしかったので。 しかし彼は映画を撮る前から人物を撮る写真家として活躍していたのですね。 この映画は<ジェームズ・ディーン没後60年記念作品>とありますが、監督にとっては個人的な思い入れもある題材だったのでは。

  ディーンP.jpg 彼の<今>を永遠に――それが僕の使命だった。

 1955年、ハリウッド。 芸術写真家への野望を抱えた若きカメラマンのデニス・ストック(ロバート・パティンソン)は、今日も映画スターのピンナップやレッドカーペットに張り付く仕事に甘んじていた。 ある日、映画監督のニコラス・レイ(ピーター・ルーカス)主催のパーティーで、ジミーと名乗る青年に出会う。 どこかけだるげな彼から、「エリア・カザンの新作に出たんだ。 これから試写があるから観ていかないか」と声をかけられる。
 その新作とは『エデンの東』、ジミーと名乗った彼こそは主演俳優のジェームズ・ディーン(デイン・デハーン)だった。 その演技に大きな衝撃を受けたデニスは、「彼は近い将来絶対スターになる」と確信、彼のプライベート写真を企画してLIFE誌に売り込むことにし、ジミーにもフォトエッセイ企画に同意を求める。 ハリウッドのやり方に辟易していたジミーはまったく乗り気ではなかったが、デニスもまたハリウッド社会に反感を持っていることを知り、少しづつお互いの距離が縮まり始める・・・という話。

   ディーン1.jpg 絵になる二人。 かつての美青年ぶりが過去のものになりつつあるロバート・パティンソンだが、彼はきちんと自分の立ち位置をよくわかって役選びをしているような気がする。

 ジミーとデニスの、もっと強い<魂の交流>が焼き付けられているのかと期待していたのだけれども、予想ほどではなく(意外にも、その過程には退屈ささえ感じさせる)。 でも、実際はそんなものなのかも。 さりげない、思い返すこともない日常の会話。 あとから思い返せば「もっとこうしておけば」と思うとしたら、それはその先に何かがあったから。
 ジミーの帰郷に同行できるなんて、突然の展開ではあったけど驚くほど幸運なこと。
 そこで様々な写真が撮られる。 写真を撮る人を撮る、という二重の構図から、観客はどんな写真が撮られたのか想像できるのがちょっと楽しい(その写真の“本物”はエンドロールで見ることができるので、答え合わせ可)。

  ディーン2.jpg 映画のショットほぼ全部がそのまま写真として通用しそうな出来栄え。
 デニスには監督の分身的役割が振られているのだろうか? 本物のデニスはその後、写真家として成功することになるけれども、この時点では離婚した元妻と息子との関係に悩み、仕事もなかなか思い通りにいかない葛藤を抱え込み、とにかく“普通の人”の持つであろう苦悩を一身に背負ってもがいている感じ。
 その一方で、ジミーのなんともいえない痛々しさが目にしみるよう。 いい芝居をしたいだけなのにスターとして祭り上げられ、自由を奪われることの苦痛。 でもそれもいい役を演じるための代償と割り切ろうと考えながらも、どうしても我慢ができない。 それを我儘と決め付けることは簡単だけれども、純粋さを持ち続けている人物だからこそ虚栄に満ちたハリウッドに耐えられない、という様子が説明的な表現なしで、彼の言動だけで十分見て取れる。 確かにちょっと常識はずれな部分も見受けられるけれど、それよりもジミーが受けたダメージの方がずっと大きいと感じさせられて、彼を責めることなんてできない。

  ディーン3.jpg それもまた、冠する者の孤独なのか。
 マスコミのマナーがかつてと今とどっちがましなのかはわからないけど、それを利用する映画会社のあくどさもあるのでどっちもどっち。 演技の技術や実力ではなく社長に気に入られているかどうかで大作(や、いい映画)に参加できるかどうか決まるなんて、ジミーじゃなくたって腹立たしいよ。
 デイン・デハーンくんは『キル・ユア・ダーリン』でラドクリフくんを追いこんでいたりといった悪役キャラ的なイメージが強かったですが、ナイーブを演じてもちゃんとはまることを実証。 顔はジミー本人にはあえて似せてない作戦のようですが、ぼさぼさ髪にメガネの童顔から、メガネをはずしてリーゼントっぽい髪形にした時の別人のような変容、よかったです!

  ディーン5.jpg こっちの姿はこっちで、すごくかわいいんですけどね。 こんな感じで出た映画もあったらよかったのに。
 フォトエッセイ旅行のあと、ジミーは次の旅にデニスを誘いに来る(それはハリウッド的な縛りから逃げる為でもあったけど)。 けれどデニスは断る。 デニスの断り方ときたら、まるで彼を利用しただけだとのちに思われかねないぐらいそっけない(実際、あたしはそう思ってしまった)。 仕事は終わったからもう付き合う必要はない、まるでそんな風だった。 けれどジミーは一緒にすごした“あの時間”が真実の友情だと感じたから、またデニスを誘いに来たのだろうに・・・。 そこからの一連のシークエンスはジミーの純粋さがいっそう際立ったシーンだった。 どちらにせよ、彼はきっとこの世界では長生きできなかったんだろうな、ということを確信させられる場面でもあった。
 エンディングで、彼の自動車事故はそれから数カ月後のことであるというテロップが出て、驚愕する。 そんなにも彼に残された時間は短かったのか!
 彼の映画(特に『理由なき反抗』)を、観たくなってしまった。
 多分この映画の目的は、ジミーを知らない世代にジミーの作品を観てもらいたい、ということだと思うので、それは十分に果たしていると思う。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年03月05日

ユダの窓/カーター・ディクスン

 トリックだけは子供の頃から知っている『ユダの窓』
 トリック・パズラー大全集みたいなもので小学生ぐらいのときに読んだような(出典は記されていたが、今思えばミステリ古典のネタばれ事典のようなもので罪つくりな存在だったのでは・・・)。 30年近い時を経て、初めて原典に触れる!
 婚約者メアリの父であるエイヴォリー・ヒュームを訪ねたジェームズ・アンズウェルは、勧められたウィスキーソーダを飲んだ後意識を失い、気がつけばヒューム氏は死体となって倒れていた。 現場はすべて内側から鍵がかかった密室。 彼以外に犯人はいないものと思われたが・・・。

  ユダの窓.jpeg H・M卿モノなのでカーター・ディクスン名義。
    この静謐さを感じさせる表紙絵、いいなぁ。

 そういわれればH・M卿の職業は弁護士だったなぁ、と実感する法廷劇。 まさに、はじめから最後まで裁判所で事件が振り返られるという裁判を傍聴しているような感じ。
 で、メイントリックを知っているからといって楽しめないということは全然なくて、むしろトリックは結構どうでもいいというか(いや、どうでもよくはないんだけど)、あまり重要ではない。 裁判の過程で現れる関係者の人となり、意外な過去、そして駆け引きという名の心理戦のほうがずっと面白い。
 ・・・なんというか、やっぱり推理小説(探偵小説)の醍醐味ってこういうのよねぇ。
 制約のある中での情報収集、そこから現れる人間の意外な本性、理路整然とした解決策。 勿論、現代のミステリが面白くないってことはないんだけど、どうしても社会派だったり時代を先取りする要素を入れていかないといけないから<広義のミステリ>の幅がどんどん広くなるばかり。 それはそれでジャンル小説と純文学との垣根も低くなるわけだから結果的にはよろこばしいことですが。
 そんなわけで、今更ですが古典に触れるって大事、ということを改めて実感したのでありました。
 でもまさか、『ユダの窓』本編が読める日が来るなんて、小学生だったあたしには想像もできなかったな・・・時間が解決してくれることも確かにある、ということですね。

ラベル:海外ミステリ
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2016年03月04日

部屋/エマ・ドナヒュー

 映画『ルーム』のチラシに、原作本の邦訳がある旨の記述があったので急いで探した。
 ハードカバーは2011年(原著は2010年)、文庫は2014年1月とある。
 全然気づいてなかったよ!

  部屋1インサイド.jpg部屋2アウトサイド.jpg 文庫版では上・インサイド下・アウトサイド と副題つき。

 5歳になった“ぼく”・ジャックはママと二人で≪へや≫に住んでいる。 そもそも部屋で生まれたジャックは≪へや≫の外の世界が現実として存在するのか理解できない。
 ジャックの語りで紡がれる『インサイド』は≪へや≫の中での毎日の暮らしぶりから怒濤の脱出劇までを、『アウトサイド』では≪そと≫に出てからの様子が綴られる。
 知能の高いママによって一般的な5歳よりもはるかに進んだ知能と言語能力を持つジャックだが、生まれてから直接日光を浴びたことがない・広いところを走ったり動いたりしたことがない(狭い部屋に監禁されていたわけだから、いくらママが運動させようとしても限界がある。 階段ののぼりおりもしたことがない)ため体力的には“普通の”日常生活を送れるぎりぎりで、それをもどかしく思っているのが余計に切ない。
 作者は実際のオーストリアで発覚した事件がインスピレーションのもとになったことを認めつつ、直接特定の事件をモデルにはしていないこと、世界中で起こった同様の事件を参考にしたこと(そこには日本も含まれている)、描きたかったのはそのような犯罪についてではなく、困難な状況の中で生き抜く母と子の姿である、的なことを言っている。
 確かにジャックの一人称故、犯人である“オールド・ニック”の姿は最小限にしか出てこない(それはママがジャックを犯人から守り通したからだ)。 そして、せっかく脱出してもそれで終わりではなくて、新しい世界との対応、マスコミや人々の好奇の目からいかにして逃げるかが焦点になってくる。
 ジャック視点なのですべてにやんわりとしたフィルターが掛けられているけれど、それ故にその状況を想像するだけで胸が痛んで泣きそうになる(たまたま上巻を読み終わったあたりで『ルーム』の予告編を見たが、涙腺が決壊しそうになった)。
 世界は確かに美しいが、醜いものも確実に存在して思わぬところに隠れている。
 賢くてかわいいが、限度や落としどころをまだ十分学べていないジャックの未来に幸あらんことを。
 つくづく、子供がどう育つかって手間と愛情を惜しまないことなのかなぁって感じてしまう(ママは否応なくジャックと24時間一緒にいたからすべての愛情を注げたし、ジャックの存在があったから監禁生活にも耐えられた。 でもそれは結果的にであって、犯人や犯行を許し認めることには絶対ならない)。
 今も世界中のどこかで、人知れず監禁されている人たちはいるのだろう。 一刻も早く救出されてほしいと願わずにはいられない。

ラベル:海外ミステリ
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2016年03月03日

俳優 亀岡拓次

 同じく横浜聡子監督作品『ウルトラミラクルラブストーリー』をその当時、同じくシネ・リーブル神戸のシネマ1であたしは観ましたが・・・帰りがけのあたし以外の観客の「なんなのこれ、全然意味わかんない」的怒りの空気、今でも忘れることができません(ちなみにあたしは横浜監督と同郷なので・・・ということが関係しているかどうかよくわかりませんが、映画はそれなりに楽しめたのでしたが)。
 今回は原作もあるし、<大ヒット御礼!>とか出てるし、大丈夫だろうと思いながら、それでもなんだかドキドキしながら観に行く。
 チームナックスで誰がいちばん好き?、と訊かれたらためらいなく「ヤスケン!」と答えるあたし。 安田顕映画初主演作と言われれば、観に行かずにはいられようか。

  俳優亀岡拓次P.jpg すんません。不器用に恋してます。
    カメタク37歳、独身。職業は脇役、趣味はお酒。人呼んで“奇跡を呼ぶ男”。

 37歳独身亀岡拓次(安田顕)は俳優を生業にしているが、実際は脇役メイン。
 “最強の脇役”として主に映画業界には重宝され、仕事が途切れることはない(まして、基本仕事は断らない)。 とはいえ一般人からの認知度は低く、「なんかどこかで会ったことあります?」みたいなことをよく聞かれる毎日。 そんな彼のプライベートは地元でもロケ先でも安い居酒屋で一人飲む地味な生活の繰り返し。
 そんな彼がロケ先の地方都市の飲み屋の女将・安曇(麻生久美子)にころっと一目惚れ。 そして世界的巨匠からもオーディションの声がかかるなど、彼の人生の転機がやってきたかに見えた・・・という話。
 カメタクの日常なのか映画やドラマのワンシーンなのか、説明なく切り替わってもすぐにわかるのは素晴らしい(逆に、TVドラマ演出がいかに日常からかけ離れたものであるかがよくわかって面白い)。 横浜聡子監督独特の幻想演出が前半は抑えられていたので、中盤から後半へ向かってのカメタクの酔っぱらい視点とも相まってそれほど浮いていなくて見えてほっと胸をなでおろす(あたしはなにを心配しているのか?!)。
 原作が連作短編なのでエピソードの羅列にならないか不安もありましたが、次の撮影現場に行けばすべて新しく切り替わるわけで、そういう不連続性も役者という俳優の日常という面白さにつながっていると思う(勿論、そういう日常に適応できているからこそその仕事を続けられるのでしょうけれど)。

  俳優亀岡拓次5.jpg ときには脇役俳優仲間とも呑む。
 というわけでヤスケンファンとしてはほぼ出ずっぱりで、ヤクザからホームレス、泥棒、ヤクザから脅される旅館の番頭、よくわからない謎の人物などなど、脇役ジャンルを網羅しまくる彼と、カメタクとして毎日を酒とともにとろーんと過ごす彼を見ることができて、大変お得感があるかと。 でも<奇跡を呼ぶ男>という部分に過度に期待してしまうと、とても肩すかしにあうのでご注意ください。
 ときどき思うのだけれども、世の中には二種類のダメ男がいて、自分はダメだと自覚のあるタイプとそうじゃないやつ(自覚があるほうが「なんだか憎めないやつ」って感じがする)。 彼は自覚があるほうなんだけれど、そのために何か具体的な行動を起こすかといえばそうでもなく、何か深く考えているかといえばそうでもなさそう(途中まで考えていても、お酒をのんだら忘れちゃうんだな、これが)。 そういうところにイラっときてしまう人もいるだろうし、「しょうがないなぁ」と笑ってしまう人もいるだろうし、なるほど、<新時代の“寅さん”>と言われる所以がなんとなくわかる。 ヤスケン好きならば笑って許せるだろうし、またカメタクを笑って見ていられる人はヤスケンを好きになる、そんな続編をも期待できそうな感じ。

  俳優亀岡拓次3.jpg 登場シーンは少なくとも豪華ゲスト多し!
 俳優なのに撮影のない日は昼間っから飲んだくれて、筋トレとかしなくて大丈夫なの!、と心配もしくは叱咤してしまうような方にはこの映画はお薦めできません(そういうのはハリウッドの一部の方々で、日本の主役級の方々でも仕事が決まってから身体づくりを必要ならします)。
 だからってカメタクは勉強してないわけじゃないのよ。 どんなマイナーな映画も観るし、世界的巨匠の名前もすぐに出てくるんだよ!( ← と擁護してしまうあたり、あたしはカメタク好き派です)
 原作者の戌井さんもそれこそ脇役で登場し(なにやってんだこの人、と一瞬あたしは思った)、ノリはほぼ小劇場テイストです。 沢山のちょい役豪華ゲストもあなたはどこまでわかりますか?!、で、好みのマイナー度合いも測れそう。
 ある意味、逆『バードマン』。 でもそれが日本映画だなって気がする。

ラベル:映画館 日本映画
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2016年03月02日

今日は7冊。

 仕事のバタバタは現在進行形でございます。
 買おうと思っていた本が発売したことはわかっていても(ときどき今日が何日か忘れることがあるけれど)、本屋に行けるとは限らない。 結局ため込んで買う!、のでありました。

  嘘解きレトリック06.jpg 嘘解きレトリック 6/都戸利津
 順調に巻を重ねるこの作品、設定も昭和元年から昭和初年という表記になりました。 作品中でも時間は流れています。 でもこの作品のいいところは、大正ロマンをいい意味でひきずりつつ、けれど露骨に戦争の足音が聞こえてこないところ。 となると時間は限られてくるのか・・・そこにどう決着をつけるのか、ドキドキしつつも楽しみです。

  明智五郎1.jpg 美食探偵 明智五郎 1/東村アキコ
 これは平台に並んでいるのを見て「は?」とつい声が出てしまった。
 ここに来るか・・・と思いつつ、明智さんらしき人の髪型に正しきパロディ路線を見る。

  貴婦人として死す.jpg 貴婦人として死す/カーター・ディクスン
 引き続きカー新訳。 この崖と荒波の表紙がなんとも言えず素敵!

  ヴァイキングヴァイキング.jpg ヴァイキング・ヴァイキング【新版】/シャーロット・マクラウド
 シャンディ教授シリーズ第3弾。 この楽しげな表紙もコージーミステリの代表作とも言われるこのシリーズの見事な具現化。 相変わらず東京創元社は装丁に力を入れてくれているなぁ!

  月の夜は暗く.jpg 月の夜は暗く/アンドレアス・グルーバー
 『夏を殺す少女』の作者の新作。 とはいえあたしはまだ読んでいる途中で(というか途中まで読んで止まったままというか)、もはやこうなったら酒寄さんへの信頼、ということになるでしょうか。

  さようならロビンソンクルーソー.jpg さようなら、ロビンソン・クルーソー/ジョン・ヴァーリイ
 <八世界>全短編2、とサブタイトルが。 1を買った身としては2も当然買うでしょう。

  あまたの星.jpg あまたの星、宝冠のごとく/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
 おぉ、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの新刊の発売を見ることができるなんて!、という驚き(なんでも最後の作品集だそうである)と、この表紙の絵って『ダスト』三部作の人じゃん!、という二重の驚きに手に取れば、予想以上の厚さだった。
 彼女の死を知っている身としては、晩年の作品と言われると「なにかあの決断に至る過程が作品のどこかに・・・」とつい思わずにはいられないが、そういう読み方があまりよろしくないということもわかっています。 できるだけタブラ・ラサで読みたいところです(とはいえ、ときどき忘れてるんですけどね)。

ラベル:マンガ 新刊
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2016年03月01日

第88回アカデミー賞授賞式@WOWOW

 仕事を休めないので衛星生中継はあきらめるとしても、午後9時からの再編集字幕版放送には間に合うだろうと思っていた。 が、間に合わなかったのである!
 急いで家に帰った上にダッシュでシャワーを浴び、簡単な夕食をこしらえてお茶を多めにつくり(終わるまで席を立たなくていいように)、追っかけ再生で見ていくことに。
 帰りの電車内で、携帯電話ニュースに「5度目の正直」という文言が流れたのが見えたので、「あぁ、ディカプリオ」とわかってしまっていたが、それ以外はまったくの白紙。 結果がわからないで見られるって、いいなぁ。
 今回のアカデミー賞、ディカプリオも話題だったけれど、「黒人無視・白人優先」問題も事前に物議を醸していた。 しかし司会はクリス・ロック。 勿論生放送だし、事前準備もできたし、結果的にその問題にも十分切り込んで、かえって話題になってよかったんじゃないの、ぐらいの勢い。 「黒人は差別というか区別というか、確かにちょっと違う扱いをされてますよ!」みたいなことをジョークのネタにも、合間のVTRの小ネタにも使いまくりで、それがガンガン受けている。 それがタブーではない、というところにも、そういうネタにしてしまうあたりにも黒人側の余裕を感じるんだけど、どうなんだろう。
 勿論、すごく頭の固いお年寄りとか、差別主義者は存在するけれどそれを別にすれば、かなり黒人の地位は向上していると思われるのですが(そしてそのあとにはヒスパニックの差別があり、それが問題になると今度はアジア系が差別の対象になってたと聞く。 人種のるつぼもといサラダボールであるアメリカでは差別の階層ができている。 黒人はすでに最上位だ)。 クリス・ロックはうまいこと言っていた。 ハリウッドにおける黒人の扱いは、大学の女子寮みたいなものだと。 「あなたがいい人なのはわかってるわよ、でもなんか、ちょっと雰囲気違うのよね〜」的な。
 あたしは見た目で何人(なにじん)とか区別のつかないやつなので(何故に向こうの人は一目でたとえばユダヤ人だとわかるのか不思議)、そういうことは意識したことがあまりないのですが、それは意識しなくても生きていける場所に住んでいたからに過ぎなくて(というか田舎者だという自覚があるので、いつ差別される側に立つかわからない、という気持ちはあるかも)。
 まぁ、ともかく、そんなわけで今年のアカデミー賞。 受賞者のスピーチは例年になくメッセージ性が強かったというか、はっきりした主張が織り込まれたものが目立った気がする。 みんな、クリス・ロックにつられたのか。 それとも、「物を言うハリウッド」が時代の流れということか。

 前半は、『マッドマックス』祭り。 だいたい初ノミネート・初受賞のパターンが多いのも特徴。 このような賞に縁のなかった人たちが称えられるのは大変よろこばしい。 ヘアメイクで受賞した女性に「このままだ遠くない未来に、この地球は『マッドマックス』みたいな世界になっちゃうわよ!」と言われたのが印象的だった。 あんなイカれた世界を作り出しながら、ただの作り事ではなく現実に直結していることをわかっている。 不思議で面白いけど大変な仕事だろうなぁ、と改めて感じる(日本アカデミー賞の授賞式ではこんな裏方の発言が聞けないので面白くないよな、とも思う。 それ以外にも面白くない要因はあるけどですが)。
 まぁ、残念ながら技術系の賞を多くとればとるほど作品賞など主要部門から遠ざかるってことはありますね(『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』は唯一例外かもですが、俳優部門ではまったく賞をとっていないし)。
 ひとまず、主要部門の結果です。 ( ← やっと!?)

<作品賞>  『スポットライト 世紀のスクープ』/Spotlight
 カトリック教会の神父における性的虐待を世に訴えたジャーナリストたちの実話がベース。
 受賞スピーチではバティカンやローマ教皇に現在進行形で解決していないこの問題に対して早く手を打つようにという提言としての告発が。 映画のテーマにぶれないエピソードです(それに対してバティカン側がどう答えるかは不明だが)。 マーク・ラファロをはじめとした実力派アンサンブルキャスト、というところもあたしの大好きな要素。 絶対観に行くぞ!

<主演男優賞>  レオナルド・ディカプリオ(『レヴェナント:蘇えりし者』)
 そろそろあげておこうか、ということなのかこれまでとイメージがまったく違う力技なのか、確かめたい気もしますが映画的にはあたしの好みとはちょっと違いそうな気がするのが・・・復讐譚は大好きなはずなのですが。 でもオールバックでスーツもしくはタキシード姿より、乱れた長髪でちょっと薄汚い感じのほうが若かりし頃のイメージと繋がり、ビジュアル的にはこの映画の彼、ちょっと好きです。
 また、スピーチも満を持したという感じでしたねぇ。
 映画関係者への感謝と自らの謙虚さを忘れず、環境問題のこともしっかり折り込み、全世界に発信されることを十分に意識して吟味されたのであろう言葉。 そこにあるのは、スターとして生きていく重圧を引き受けた人の姿でしたよ。

<主演女優賞>  ブリー・ラーソン(『ルーム』)
 新星と紹介されていましたが、落ち着き払った態度はただ者とは思えませんでした(まぁ本命視されていたし、これまでいくつもの主演女優賞をこの役でとってきたという自信が積み重なったものかも)。 彼女も今後が期待される実力派になりそうです。

<助演男優賞>  マーク・ライランス(『ブリッジ・オブ・スパイ』)
 ノミニーとして座る彼は映画よりずっと若くて温厚そうで、「あぁ、この人も役によって化けるタイプか!」と。 スタローンが本命視されていたのは承知の上だったのでしょう、他の候補者の方々への賛辞をまず表現するところが大人(そして自分に対する謙虚さには嫌味がまったくなく、結構苦労人だったのかと感じさせられた)。

<助演女優賞>  アリシア・ヴィカンダー(『リリーのすべて』)
 なにかの役作りなのか、ひげをたくわえたプレゼンターのJ・K・シモンズがやたら渋くてかっこいい!、とおじさん好きの血が騒いだ(すみません・・・)。
 彼女も演技経験はかなり少ないと聞いておりますが、『リリーのすべて』の予告編を見る限りエディ・レッドメインもすごいんだけど、彼を引きたてているのはまぎれもなく彼女、というのがすぐわかります。

<監督賞>  アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(『レヴェナント:蘇えりし者』)
 ここは是非ジョージ・ミラー監督(『マッドマックス 怒りのデス・ロード』)にとってほしかったけど・・・二年連続監督賞ってのも珍しいような気がするんだけど、今回あまり話題になってないような気がするのは何故?
 まぁ、二回目ということもあってかレオナルド・ディカプリオへの賛辞がすごく(監督賞のほうが発表が先だった)、映画の内容にも関連し、「肌の色はまったく意味がなく、髪の長さと同じくらい無意味なもの」だと人種差別意識をしっかり批判。 彼もメキシコからハリウッドに進出してきた人だし、去年『バードマン』でアカデミー賞を席巻したときに「(文化も食われるから)メキシコ系移民を規制した方がいいんじゃないか」とジョークのネタにされてましたしね。

<脚本賞>  『スポットライト 世紀のスクープ』
 基本的には脚本賞か脚色賞をとった方が作品賞をとる、というのがお約束。
 字幕には出なかったけど『エクス・マキナ(原題)』はアレックス・ガーランドって聞こえたよ!(『ザ・ビーチ』『四次元立方体』の作者)。
 そりゃ期待しちゃいますなぁ! 是非日本(神戸)で公開してほしい!

<脚色賞> 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
 なので作品賞はこのどっちかなんだろうな、と予想していました(『レヴェナント』ではないんだな、と)。
 これまた『ブルックリン』はニック・ホーンビィ(『ハイ・フィディリティ』『アバウト・ア・ボーイ』等の原作者)って聞こえたけど・・・イメージと全然違うじゃん!(調べてみたら『17歳の肖像』も脚本は彼でした・・・そういえば当時それで驚いたことを思い出した)
 表現者として彼は枠をどんどん越えていっているのでした。

<外国語映画賞>  『サウルの息子』(ハンガリー)
 これまた大本命。 ノミネート発表前に日本公開が早々に決まっていた、というのも作品の質の高さを物語る。 『悪童日記』もハンガリー映画だし、あまりなじみのない国の作品が気軽にどんどん公開されるようになるのは大変よろこばしい。

<長編アニメ映画賞>  『インサイド・ヘッド』
 ここも予想どおりでしたが・・・個人的には『ひつじのショーン』も捨てがたいと思っていましたよ。

 こう見返してみれば、どれか一強というわけではなく、いくつかの作品で順当に賞を分け合った、という感じか。 それだけすべて一定基準をクリアした良作ばかりだったのか、ただ決め手に欠けたからだったのか、こればっかりは観てみないとわからないぜ。
 授賞式翌日の仕事場で、朝の情報番組で紹介された結果を見たという方々から、『スポットライト』について「あの映画、かしこんさん好きだろうなぁ、絶対観に行くだろうなぁって思ったよ」と言われました・・・はい、その通りです。

ラベル:アカデミー賞
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