2016年02月22日

捏造の科学者 STAP細胞事件/須田桃子

 こういう本って読むタイミングってのがあるよな、ということをしみじみと思う。
 何カ月も前に図書館に予約していたのがようやく来たのだが(勿論、今も待っている方多数)、現在進行形な内容はすぐ読むか、ある程度内容が確定してから、それこそ数年後ぐらいに、「あの時点ではこうだったのか」と確認するのがいいくらいかも。 なんとも中途半端な時期に読んじゃったかな・・・という印象。
 まぁ、かつてのお祭り騒ぎ的記者会見も、その後のネット発の疑義の数々が出てきて、の流れなどあたし自身も興味があって追いかけていたことでもあるし、それを詳細に時系列にまとめてもらった、というところかな。

  捏造の科学者.jpeg いちばん輝いていたときの写真を表紙に使う、というのもなんだか複雑・・・。

 著者は毎日新聞科学環境部所属の記者ということで・・・、“ジャーナリスト”と“記者”の違いについても考えさせられる。 科学記者とはいえ科学者と同様、一番乗り(スクープ)を目指すのだな、ということと、「・・・と報じた」と書いてもそれが正しかったのかどうなのかの検証はしないのだな、ということ。 <STAP細胞事件>という副題ではあるが、内容は取材日記であり、真相の究明のために自説を掲げることもない。
 記事は客観的に書く、というのが記者の鉄則なのかもしれないが、「マスコミは」と自分もそのマスコミのひとりなのにどこか他人事的表現もあって(これはこの著者だけに限らずマスコミ人全般に言えることだが)、“同じマスコミとして責任を痛感する”みたいな記述があっても自分は違うみたいに感じちゃうのはなんでなんでしょうね!
 そう思うとタイトルにも悪意を感じるというか・・・今更ですがOさんは「科学者」といえるレベルの人ではないわけですよね。 なのにタイトルに科学者という言葉を入れることが精一杯やっている他の科学者みなさんに対して失礼、という感じがする(そういう気がしてしまうのも、中途半端な時期に読んでしまったせいであろう)。
 「STAP細胞現象とはなんだったのか」というのを科学的側面からわかりやすくまとめている、という点では評価できるものの、これ一冊で終わらす気ならそれこそ科学ジャーナリズムの敗北では、という気もする。 S博士がなくなってしまったからもうわからない、ではない。 この問題を生みだしてしまった<科学とカネ>の問題について、今後も追いかけ続けてもらいたいなぁと願うわけで。
 それにしても、STAP問題におけるネット世論(匿名・無名の方含む)の勢いはすごかった。
 しめきりや紙面スペースという制約がある新聞記者としてネットの後追いばかりになっていた悔しさが行間からにじみ出ているぐらい、やはり新聞の現場は「ネットには勝てない」という気持ちになっているのかな、と思うとちょっと面白い。 新聞側としてはネタの裏取りをし、校正・校閲もやってます!、というのが売りなんだろうけど誤報もやっちまってるし、結局問われるのは読み手の力、ということなのでしょうか。
 400ページ弱もあるのにいまいち食い足りない印象なのは、やっぱり中途半端な時期に読んだからかなぁ。 これ以上のことをもっと知りたいんですけどね、こっちは。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする