2016年02月15日

霜の降りる前に/ヘニング・マンケル

 ヘニング・マンケル現時点での邦訳最新刊。
 いくら柳沢由実子さんが他の作品を鋭意翻訳中と言ったって、そうすぐに出るわけじゃない。 読み終わりたくなかったが・・・読み終わってしまった。
 帯によると<刑事ヴァランダーシリーズ最新刊>ということになっておりますが、主役はヴァランダーの娘・リンダなので“特別編”という位置づけだろうか。 ヴァランダーをはじめレギュラーメンバーがほとんど登場するし(そもそも30歳になったリンダは新米警官としてイースタ署で働く予定である)、シリーズ“番外編”たる『タンゴステップ』の主役ステファン・リンドマンもイースタ署に転任してくるというサービスぶりについニヤリとしてしまう。

  霜の降りる前に1.jpg霜の降りる前に2.jpg しかし起こる事件はシリーズ屈指の恐ろしさである。

 リンダの幼馴染アンナが不意に失踪する。 白鳥に火をつけて焼き殺した者がいる。
 まったく関連のないように見えた出来事が実は恐るべき力によってつながっている・・・という話。
 事件も恐ろしいのであるが、リンダが改めてアンナのことを思うとき、自分はどれだけ彼女のことを知っているのか?、と自問する場面。 知っているはずの人がまったく知らない人に思える恐怖。 そして従来のヴァランダーシリーズは三人称なので特に気にしていなかったんだけど、その描写はヴァランダーの見方が多分に入っていること。 今回、リンダからの視点がいつも以上に強調されて書きこまれてあるので、レギュラーメンバーに対してこちらが抱いていたイメージをことごとくリンダによって破壊された(つまりリンダにはそう見えるということなのだが)。 それもまた、怖かった。
 自分が信じているものを、粉々にされる恐怖。
 くしくもそれはテーマと繋がっていて・・・ヘニング・マンケル、どんだけ構成うまいんだよと泣きたくなる。
 が、リンダも大概である。 不安定な関係の両親の間に育ったことは同情に値するが、もう30歳なんだからいい加減ふっきろうぜ! しかも父への怒りの大半は、せっかちで短気で怒りっぽい父親に自分が似てるから、ということに起因する。 ヴァランダーが怒りの発作を抑えられないように、リンダもまた瞬間的に沸騰する自分の感情を抑えることができないし、他人を気遣う言葉がいえない(そんな自分を肯定する手段として恋人を欲しがるっていうのがなんとも・・・父親とは違う意味で「大丈夫か、リンダ」と思ってしまう)。
 ・・・家族って、大変。
 そして内容や背景について多く割かれるはずの<訳者あとがき>は、ほぼ柳沢由実子さんによる「ヘニング・マンケルへの追悼文」になっており・・・淡々と事実を述べられているのだが読んでいて涙を禁じえない。 死を前にした彼の最後のエッセイ集『流砂』が今秋発売予定とのことなので、今はただそれを待ちたい、と思う。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビッグ・アイズ/BIG EYES

 ファンタジー的ティム・バートン世界に最近食傷気味だったのであるが、これは実話ベースだというし、エイミー・アダムス&クリストフ・ヴァルツ共演ということに惹かれて。
 自分で描いた絵を夫の名前で売り出された女性画家の悲劇と苦悩と、ポップアートという芸術と大衆化が合致した時代の物語。
 舞台は1950年代、アメリカ。 まだまだ女性の社会的権利は弱い、とテロップで出るのだが、出れば出るほどなんだか違和感がある。 確かに現在、女性の社会的権利は向上したが、まったくの平等は成り立っているのだろうか。 個人差という自由もまた、弊害を生んでいないか、などつい考えてしまうので。
 どちらにせよ、エイミー・アダムスは“ちょっと昔”の衣装や髪型が似合うので、顔立ちが古風ということかしら。

  ビッグアイズP.jpg 大きな瞳だけが、知っている。

 暴力夫の元から逃げ出す決意をしたマーガレット(エイミー・アダムス)はまだ小さな一人娘とともに車で逃走、カリフォルニアで新生活を始める。 絵を描くことが好きなマーガレットは、逆にいえばそれしか特技がない。 家具メーカーでベビーベッドに絵を描く仕事をしながら、休日は公園で似顔絵描きをする日々。 そんな中、同じく似顔絵描きのウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)と知り合ったマーガレットは、新しい土地での寂しさもあって彼と急速に親しくなり、元夫からの娘の養育権剥奪通知が来たこともあり、ウォルターのプロポーズを受け入れてしまう。 そうして、のちに美術界を揺るがすスキャンダル<BIG EYES事件>は始まった・・・という話。
 実話であるし、モデルであるマーガレットはまだご存命だし、ということで映画は彼女寄りの語り口になってはいるが(ナレーションはのちにウォルターと親しくなった新聞記者ディック・ノーラン(ダニー・ヒューストン)が過去を振り返る形で務めており、ウォルターを単純に悪役としても描いてはいない)、マーガレット自身が数字が持つ意味や運命にのめり込みがちだったり、のちのち宗教の人たちに引き込まれたりと、なにかと<誰かの影響を受けやすい人物>であることを、マーガレットに非がない程度にさらっと描いている。
 ウォルターはある種、天才的に口がうまくて人を取り込むのが上手い(なにしろ演じているのがクリストフ・ヴァルツだから)、と印象付けることで、マーガレットは逆らえなかったのだ、と擁護している感が強いのは、やはり女性の社会的権利が弱い時代だから、と現代の視点で見ないようにしてほしいという制作側の気持ちだろうか。

   ビッグアイズ1.jpg 彼の監視の下、毎日16時間キャンバスに向かわされる。
 と、そんなことがやたら気になってしまうくらい、映画としてのつくりはすごくフツー。
 クリストフ・ヴァルツの怪演ぶりに「え、どこまで本気? どこまでギャグ?」と思わされるけれど(一部、『シャイニング』のジャック・ニコルソン化するし)。 まったく、自由すぎる。
 ウォルターは絵を描く才能はまったくなかったが、原画をポスターやポストカードにして売る、というアイディアを形にして大儲けするなど商売人としての才覚はあった。 けれどそれは「人気だから・話題だから」というだけで飛びついてしまう大衆がいたから成り立ったわけで、そういうアート業界を巡る批評と商売をやんわりと皮肉ることがこの映画の目的だったのかな、という気もする(そのあたり、早い時期からゲテモノ呼ばわりされていたティム・バートンの気持ちが反映されているのかな)。
 「BIG EYESなどアートではない」と言い切る厳密な美術批評家を、出番が少ないながらもテレンス・スタンプがやっていたのも印象深い。
 絵画も音楽も文学も、映画もそうだが、高尚なものを追い求めてそれ以外はカスである、と言い切ることは容易い。 でも、カスの中にもいいところはあるし、他人の評価は気にしないで自分が好きならそれでいい、と言う権利は誰にでもあるし、本来はそれでいいはずなんだけれど、権威が生まれればそれにつられてしまうのも人間の弱さなのですね(アートに対する感情は、他人に対する印象にも似ているかも)。
 やはりあたしは、これからも好きなものは好きって言い続けよう。 それがいちばんの価値基準だし、あたし自身の生きる理由でもあるのだから。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする