2016年02月29日

やっと追い付いた・・・

 やっと記事がリアルタイムに追い付きました。
 しかし今週も仕事が立て込んでいる気配なのでまた遅れるかも・・・あ、でも夜にはアカデミー賞の記事は書きます。
 (結局仕事は休めなかったので、生中継を録画セット。 でも帰ってきたら夜の字幕版放送にそのまま突入かもしれない)
 WOWOWメンバーズオンデマンドでリアルタイム配信するというが、仕事場のPCで視聴設定しても、きっと見てる余裕なんかない・・・(あったらあったで問題だが)。
 中途半端にちらりと見たって意味ないんじゃ〜。
 あぁ、なんで今年はうるう年で、29日がよりによって月曜日なの!
 こういうとき、「あぁ、もう働きたくないよ〜」と思ってしまいます。

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2016年02月28日

リスペクトという言葉の意味、知ってる?

 懐古庵さまにギョッとすることをお教えいただき、「うわっ、イヤだけどすごいもやもやする!」と思って、ついでに怖いもの見たさも手伝って、ニュース検索してしまいました・・・。

> SMAPの香取慎吾さんが、萩尾望都さんのマンガ「ポーの一族」をモチーフにした
> スペシャルドラマ「ストレンジャー〜バケモノが事件を暴く〜」に主演する。
> テレビ朝日系3月27日21時から放送。
                        <ねとらぼ2/26記事より一部転載>

 香取くんが悪いんじゃないのはわかってる。 企画して実現させちゃったスタッフの問題。
 まず、萩尾望都作品を実写映像化してはいけない! 許されるとしたら舞台だけ。
 しかも「モチーフに」ってなんですか。 吸血鬼が出てくる作品は『ポーの一族』だけじゃないぞ。 他から使ってよ。 それでも原作は無理だから原案にとどめたというのが作り手側の誠意ですか?(黙っててあとからパクリと言われるのがイヤだから?)
 だからといって、ヘンな作品に萩尾望都の名前が載るだけでもファンは許せないのだ!
 しかもドラマのサブタイトルに“バケモノ”って・・・このどうしようもないセンスで、『ポーの一族』を理解できているとは到底思えない。 だって、連作短編集と言える『ポーの一族』のいくつものサブタイトルが今でも語り草というか、それを言えば「あぁ」とイメージが喚起されるものなんですよ!
 確かに『ポーの一族』は不朽の名作ですが、発表年代は確かに古い。 これがきっかけで若い読者が増えるというならばそれは一つの利点にはなりうるかも。 でもあたし、数年前に高校3年の男子に『ポーの一族』を読ませたことあるけど(その子はおかあさんと宝塚歌劇を観に行くようなタイプだったのだが)、「時代がどんどん飛ぶから難しい」と言っていた・・・あのー、それをあたしは小・中学生で読んでいたんです(勿論、今でも読むたびなにかに気づきますけどね)。
 すでに昨年中に完成していて、SMAPの解散問題がどうにかなっていたらお蔵入りだったかもしれない作品だったとのこと。 もう、そのままお蔵入りにしとけよ・・・と言いたくなった。
 つくり手の方々には常々リスペクトを覚えているあたしですが、ほんとに原作物を扱うときには注意してほしい。 「原作とは別物」として別方向に(映像化なら、映像でしかできないことをやって)優れたものをつくってほしい、という気持ちはあるんですよ。
 あるんですが、世の中には「絶対触ってほしくない」と多くの人が思っている原作もある、ということに気づいてください(それなのに萩尾作品からよりによって『ポーの一族』を引っ張ってくるなんて・・・『バルバラ異界』なら本気でやったらできるかもしれない、という気がしないでもないけど、でも相当に本気じゃないと無理ですよ)。 お願いします。

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2016年02月27日

オデッセイ【3D・字幕版】/THE MARTIAN

 わーい、アカデミー賞授賞式前に観られたぞ! 原作も読了済みだし、準備万端!
 火星での有人探査ミッション中、突然起こった砂嵐に撤退を余儀なくされるNASAの<アレス3>クルーたち。 しかしマーク・ワトニー(マット・デイモン)が突然猛烈な風にさらわれ、連絡も取れず。 彼を探し出そうとするものの、クルーたちは危機的状況にあり、瞬時の判断が求められて船長(ジェシカ・チャステイン)は火星離脱を決意。 クルーたちはワトニーが死亡したと思い、ヒューストンにもそう報告。 地球ではワトニーを悼む儀式も行われたが、どっこい彼は生きていた。
 <火星ひとりぼっち>の状態からいかにして地球と連絡を取るか、いかにして生き残るか、そして無事に帰還できるのか?! マークの孤独な戦いが始まった・・・という話。

  オデッセイP.jpg 70億人が、彼の還りを待っている。

 個人的に久し振りの3D映画ですが、冒頭の砂嵐、自分もまたその砂塵に巻き込まれている感じはすごくした。 あとは火星の荒れ地の広さというか、3D効果はそれくらいかなぁ。 2Dでもよかったかもしれない(でも時間的に3Dしかなかったのだ・・・)。
 映画は基本的には原作に忠実なつくりですが、やはり「文章で面白い」ところと「映像として面白い」ところは違うんだなぁ、ということを実感。 原作で際立っていたマークのユーモア精神は若干弱まり、その分、前半の彼の絶望というか落ち込むシーンが際立っていた(まぁそれが普通だろうしわかりやすいんだけど、それをしないところが原作のマークの特異なところだったのに)。 だから突風に巻き込まれた時に突き刺さったアンテナを身体から抜くシーンの痛々しさときたら!
 そういうリアル感はやはり映像の力でしょうね。

  オデッセイ1.jpg 宇宙服の説明も、「百聞は一見に如かず」ですかね。 火星の一日“ソル”の説明もアッサリだったし。
 が、時間的制約があるから仕方ないのはわかるけど・・・最大のスペクタクルだと思った場面をあっさり丸ごと削られ、でもそのエピソードは使うの?!、という意外性にいちいち反応してしまった。 だからマット・デイモンのワトニーくんは科学オタク度が少々低めの普通の人に見えるし、植物学者の割に筋肉隆々じゃん!、ということにちょっとびっくり(しかしそれはのちのち、食料を減らしていく過程で否応なくスリムになってしまった彼の姿への変化をわかりやすくするためかも)。
 あと、原作を読んでいてよかったと思うのは、登場人物の把握がすんなりできたということでしょうかね。 NASA長官役のジェフ・ダニエルズはほぼドラマ『ニュースルーム』に近い役っぽかったし(予告を見た限りでは『スティーヴ・ジョブズ』でも同じような感じの役で出ているっぽい)、<アレス3>のクルーのひとりにマイケル・ペーニャがいたりと、キャスティングもなかなかツボ! でもいちばんニヤリとしたのは、秘密会議という意味で『指輪物語』から名前をとって呼ぶ場面(技術者たちはみんなわかるのに、広報担当の女性だけ意味がわからない。 技術者もみんなオタクということです)に、ショーン・ビーンがいること(あなたボロミアとしてその場にいたじゃん)! なんて粋なキャスティングなの!
 いやいや、あの『エイリアン』のリドリー・スコットが(さらに『プロメテウス』というそれこそ壮大なるいかれた叙事詩をもブチ上げている彼が)、宇宙を舞台にしてこんなコメディ映画をつくっちゃうとはね!、というのがいちばんの驚きかも。

  オデッセイ4.jpg 火星初の有機栽培じゃがいも。 やはり人類の飢餓を救う手っ取り早い作物はイモ類なのか?!
 ここぞ、という場面にぴったりのBGMが流れるのもまた楽し(近未来設定のはずなのに、流れるのは70〜80年代ディスコソング中心なのもまた笑える)。
 「科学の前では政治も経費もこの際無視」というのは理系の人間にとっては夢のような話だし、まさに夢物語でもあるので「ばかばかしい、こんなのありえない」と思う人も絶対いるでしょう。 しかしその“夢物語”を本気でやるような人たちばっかりだったら世界は平和だと思いませんか。
 そう、これは「これというひとりを助けるために他の犠牲が出る可能性もやむなし」というアメリカ的価値観(例:『プライベート・ライアン』)ではなく、地球上で全人類が共存共栄するために提示された道なのだ!
 でもローバーがすっ転ぶシーンは必要だったと思うけどな・・・。

ラベル:外国映画 映画館
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2016年02月26日

猫なんかよんでもこない。

 原作未読。 だいぶ前に本屋さんで平台に積まれているのを見た記憶はありますが、「え〜っ、杉作J太郎ってこんなのも描くの?」と大勘違いをしたままだったあたし・・・(原作者はただの「杉作」さんです)。

  猫なんかP2.jpg いつからか、コイツらとオレは家族になった。
   30万人が泣いた!感動実話コミックス“奇跡”の映画化!

 プロボクサーを目指して日々練習ばかりの日々を送っているミツオ(風間俊介)は、走り込みの帰り道、段ボールに入れられて捨てられた2匹の子猫を見かける。 心がちょっと動いたものの、「オレにはそんなヒマはない」と走って逃げ帰るミツオ。 ところが同居しているマンガ家のミツオの兄(つるの剛士)が、銭湯帰りにその猫たちを拾ってきてしまう。
 「オレは犬派だ!」の叫びもむなしく、クロとチンと名付けられたその子猫たちの世話係に、定職についていないミツオがいつしかなっていき・・・という話。
 正直、現代の視点から見ると「それはネコの飼い方としてやばい」という部分がいろいろ出てきてハラハラする(携帯電話がなかったり、黒電話だったりとところどころ時代を感じさせるものが登場するので、「あ、これは結構前の話なんだな」と観ている側も次第に理解していけるが、はっきりとした言及はない)。
 というか、そもそもミツオくんが飼い主としてあまりにふがいなさすぎ。 知らないのは仕方ないけど、なりゆき上でも一緒に住むからにはもっと勉強しろ!、ちゃんと調べて!、と言いたくて言いたくて。 ま、それだけ<ボクシング・バカ>ということなんでしょうけど・・・。

  猫なんか3.jpg 大家さん(市川実和子)がいなかったら一体どうなっていたことか。 それにしても市川姉妹はネコ映画に欠かせない存在?

 なにも知らない主人公が、ネコたちと一緒に暮らすことで様々なことを知らず知らず学んでいき、飼い主として成長する・・・という物語的には王道の展開ではありますが、あまりにもダメすぎる主人公がそんなに憎めないのは、風間俊介がほんとにダメな人(というか自覚のないバカというか)をナチュラルに演じているからでしょうか。
 後半、まわりの観客からすすり泣きが結構聞こえてきたんですが、「こんなバカな飼い主じゃしょうがないよね、気づくの遅いもん」と突き放して見ていられたせいか、あたしは涙腺がまったく緩むことなく(それはそれでひどいやつです)。

  猫なんか5.jpg とりあえず「ネコがかわいい」だけの映画ではないのが救い。
 飼い主としての責任、かわりのきかない“いのち”というもの、異種なのだから気持ちなんか通じないことが前提でも生まれてしまう信頼、そして絶対的ともいえる小さき者への“愛”。
 それを説教くさくなく、全部主人公のダメさ加減に詰め込んで観客に語りかけてくるのは、制作陣にほんとにネコ愛があるからだなぁ、と感じました。
 そう、だからあたしは好きなんだけど、動物を飼うのがコワい。
 「飼ってしまえばなんとでもなるよ」と飼っているみなさんはおっしゃいますが、そこまでの覚悟ができません。 目の前で行き倒れそうなやつに出会ったら助けてしまうと思うけど・・・そういう“運命の出会い”があったら、踏み込みますが。
 だからミツオくんは幸せなヤツなのだと思う。

ラベル:映画館 日本映画
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2016年02月25日

愛しき人生のつくりかた/LES SOUVENIRS

 予告を見て、「フランス映画にもこんなふうに観ている間はほのぼのっぽくて、更にあとには特に残らなそうな映画ってあるんだ!」という印象を受け・・・言い方は失礼な感じですがこれはいい意味で。 どうもフランス映画って手触りがざらっとしているというか、ハッピーエンドっぽく見えてもどこか後味の悪さが気にかかる、そういうのが多い気がして(それはあくまで日本で公開されるもの・もしくはあたしが目にするのがそういうものが多い、ということかもですが)。

  愛しき人生のつくりかたP.jpeg 季節は巡りゆく。想い出だけを残して――。

 SOUVENIRは受験英語的にはフランス語からきて英語に定着した“お土産”、転じて“思い出”という意味もある。 こっちでは元々の意味“思い出”のほうでしょう。
 パリのアパルトマンで暮らしていたマドレーヌ(アニー・コルディ)とその夫との間には3人の息子に恵まれ、孫もおり、幸せな人生だと思っていた。 だがクリスマス目前に夫はこの世を去り、マドレーヌはふと自分の人生とは何だったのか立ち止まってしまう。
 長男のミシェル(ミシェル・ブラン)は母を一人でアパルトマンに置いておくのは心配だと老人ホームを手配するが、ある日突然マドレーヌは失踪。 夢見がちのぼんやりとした孫のロマン(マチュー・スピノジ)ではあるが祖母とは親友のように仲がよく、彼女の思い出の品からその行方を探そうとする・・・という話。

  愛しき人生のつくりかた1.jpg こういう祖母と孫息子の関係ってキュート。
    ロマンくんは「運命の恋の相手はいつか現れる」と真剣に思っている(だけ)のちょっと困ったくんではあるが、純朴なキャラクターである。

 三世代にわたる家族の姿を描きつつも、やはり物語の中心にいるのは(たとえ不在だとしても)マドレーヌ。 彼女がとてもキュートで、「こんなふうに歳をとりたい」と思わせてくれる愛らしさ(息子からなんと言われても自分の意志を曲げない頑固さすらも説得力あり)。 彼女の幼少時には当然のように戦争の暗い影が落ちているのだけれど、それに踏み込み過ぎないところも家族映画としてバランスがよかった。
 でもそんなふうに描けるのも此頃の時期がギリギリなんだろうな、というのも感じた。
 で、意外に笑いどころも多くて。 脇役の方々が呟く金言の数々!

  愛しき人生のつくりかた2.jpg 3人の息子の特徴がそっくりすぎる。
    ミシェル・ブランって『仕立屋の恋』の人じゃないか!、とその変わりように愕然としたり。

 息子たちは母の誕生日のために張り切ってレストランを予約するも、母には「どうせまたあの店で、あの料理よ」とお見通しだったりして(それでもよろこんでみせてあげてしまうので、息子たちは今後も気が利かないままであろう)。
 これって、ある種の男たちはそういうところがほんとにダメであるということなのか、そういう男たちを育ててしまった女がいさぎよくあきらめなければならないのか、「卵が先か鶏が先か論争」になりそうである。 変化はしてくれないのだろうか。
 そしてなにより、ポスターの絵のようなノルマンディー地方の海岸風景の美しさときたら!
 シャルル・トレネの名曲“残されし恋には”にのせてフランソワ・トリュフォーに捧げられたオマージュ、とのことでしたが、どっちもよく知らないあたしにもこの曲がぴったりなことはよくわかり。
 笑って、ほのぼの・しんみり・ちょっと憤り・そして穏やかな気持ちに。 いろんな感情を激しすぎることなくやんわりと浮かび上がらせる、全方向ビタミン剤みたいな映画。
 いろんな意味で疲れておりましたあたしですが、ちょっとそれを忘れました。

ラベル:外国映画 映画館
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2016年02月24日

気圧の変化に敏感です。

 このところ、どうも調子が悪い。
 気圧の変化が著しいためと思われる。
 「なんか頭が痛いから、明日雨降るかも」的な役立つ天気予報的役割ならばまだかわいい(と言えるかもの)範囲だが、頭痛だけではなくて普段からの低体温がよりひどくなったり、貧血気味の更に加速したり、薬をのんでも効き目がいつもより悪い、というすべてがよろしくない方向へ繋がっております。
 お風呂に入ると、身体のいろんなところに細かい青あざがいくつも見つかるので、多分気付かないうちにいろんなところにぶつけているのであろう。 そして、普段はそんなことないのにやたらとモノを落とす(落としてなくすという意味ではなく、持っていたコップを落とすとか、手に持っている書類が何故か床に滑り落ちるとか)。
 だから大事な仕事はあまりしたくない時期でもある。
 「気圧の変化に敏感で」というと繊細そうなイメージかもしれないが、単に住んでいる地域・季節に適応できていないだけ、ということで・・・結構情けない。
 早いとこ気圧には安定していただきたいところですが、そうなると花粉が絶好調の季節になるし・・・(もう気配は感じてるけど)。
 結局あたしは適応できる時期が少ない、ということになるのだ。
 ・・・あぁ、家から出たくない。

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2016年02月23日

白鯨との闘い/IN THE HEART OF THE SEA

 『白鯨との闘い』というタイトル、予告編での(CGだとはわかっていても)巨大クジラのスペクタクルな動き、海洋生物好きとしては心躍らずにいられようか!、ということで、どうにかこうにか行ってきました。
 しかし原題にはクジラの文字はない! ちょっとイヤな予感もしてはいたのだよな・・・。

  白鯨との闘いP.jpeg 名著『白鯨』の、隠され続けた衝撃の実話。
    伝説の白鯨との死闘。 生き延びる為に、男たちが下した“究極の決断”とは――

 1890年、デビューしたばかりのメルヴィル(ベン・ウィショー)は次回作の構想のため、伝説の捕鯨船エセックス号のクルー最後のひとりにどうしてもインタビューがしたいと苦労の末、どうにか面会にこぎつける。 口の重い彼から1819年の航海の様子を聞く・・・という二重構造の映画。
 当時13歳だった若き見習いトーマス(トム・ホランド)の視点から語られる<エセックス号の悲劇>は、海の男たちの尊敬の念を一身に受ける一等航海士オーウェン・チェイス(クリス・ヘムズワース)と、ただ名家の出であるというだけでエリート育ちだがキャリアのないポラード船長(ベンジャミン・ウォーカー)の二人の物語であるという。 鯨油をどれだけ持ち帰るかという結果が問われる航海でありながら、この二人の関係がそれを左右する。
 そしてクジラの群れを追い求めて長い航海の果てに到達した南氷洋で、ついに“怪物”・白い巨大クジラに遭遇する・・・という話。
 エセックス号が出航するのはマサチューセッツ州のナンタケット島で、捕鯨の歴史を辿ると必ず出てくる重要な場所である。 昨今は反捕鯨の一翼を担うアメリカも、ついに自国の過去に向き合う時が来たか!、と思うと日本人として感慨深い(しかし、ナンタケット島で名家と呼ばれる出とか、たかだか三代続いたぐらいでなんでそんなに大きな顔ができるのか理解不能な面もあり。 海に出ればいざというとき役に立つのは経験と腕しかないことは、一度でも海に出たことがある人間ならばわかるはず)。 そんなわけでロン・ハワード監督の前作『ラッシュ/プライドと友情』では挫折知らずの天才レーサーだったクリス・ヘムズワースが、今回は理不尽さを身を持って押しつけさせられる役。

  白鯨との闘い1.jpg とはいえ、これまでのどの役以上になんかかっこいいぞ! ポスタービジュアルで損してる!
 そして期待のクジラですが・・・普通のクジラや、その手前で出会うイルカたちの動き、海の美しさなど大変心が洗われます。 その分、船員たちにいいかっこして見せたいポラード船長の浅はかさとか、出航前の捕鯨業界を牛耳る老獪なジジイどもの図々しさとか、人間のあさましさを見ちゃっているから余計にね!
 そして捕鯨(というか、鯨油取りというか)の過程も大変リアルで、「大丈夫? アメリカでヒットしなかったんじゃないの?!」と心配になるくらい時代考証に忠実。 やはり<歴史モノ>というバイアスがかかるからなんとかなるだろ、という期待があったから企画が通ったのかなぁ(実際、アカデミー賞にひとつもかすってないし、まだアメリカはこの事実を受け入れる準備ができていないのか)。
 で、肝心の“白鯨”ですが・・・巨大な尾びれが海中から盛り上がってくる感じ、それがたてる華々しい水しぶき(というか、波)のダイナミックさは素晴らしいですよ!
 ・・・でも、闘ってはいない(明らかに、負けている)。
 そもそもこの白鯨の存在が事実なのか、漂流の末に衰弱した彼らが見た幻覚なのかどうなのか、という点についてこの映画ではまったく追求していないし、ストーリー上都合のいいときに現れる存在になってしまっており、神秘性にどんどん欠けていくのがさみしい。

  白鯨との闘い3.jpg トーマスくんにとっては自分が見たものすべてが真実だということなのだろうけど。
 でも、そんな人間の太刀打ちできない存在が現れることによって、つまらないエゴで対立していた人間たちもそのむなしさに気づく・・・というのはやっぱり王道なんですかね(そうならないと気づかないのね・・・)。
 で、どうやらこの映画最大のテーマはいちばん最後まで伏せられているのだけれど・・・あの時代で船が大破して小さな救命ボートで長期間漂流となれば“問題・タブー”は当然推測できる内容だし、21世紀の現代においては倫理的な決着も一応ついています(勿論、個人の信条の自由はありますが)。 だからそこまで引っ張られても・・・困るんだけど、という印象に。 捕鯨・怪物と漂流・禁忌、という三本柱がうまくかみ合わなかったかなぁ。
 逆にきっちりかみ合っていれば、ものすごい傑作になったのでは。 惜しい。
 オーウェンの盟友、という役柄のキリアン・マーフィが妙に年齢不詳だったり中性的な美しさを漂わせていたりと、男ばかりの船の上の描写でも意外にも男臭さは皆無。
 海の男たちの美しさを前面に押し出しているので飽きずに観ていられたのかしら、という効用もあり。 なによりメルヴィルがベン・ウィショーだしね!
 残念だな、と思う部分もあるものの、ダメ映画と切って捨てることももったいない。
 なんとも不思議なポジションにある映画だった。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年02月22日

捏造の科学者 STAP細胞事件/須田桃子

 こういう本って読むタイミングってのがあるよな、ということをしみじみと思う。
 何カ月も前に図書館に予約していたのがようやく来たのだが(勿論、今も待っている方多数)、現在進行形な内容はすぐ読むか、ある程度内容が確定してから、それこそ数年後ぐらいに、「あの時点ではこうだったのか」と確認するのがいいくらいかも。 なんとも中途半端な時期に読んじゃったかな・・・という印象。
 まぁ、かつてのお祭り騒ぎ的記者会見も、その後のネット発の疑義の数々が出てきて、の流れなどあたし自身も興味があって追いかけていたことでもあるし、それを詳細に時系列にまとめてもらった、というところかな。

  捏造の科学者.jpeg いちばん輝いていたときの写真を表紙に使う、というのもなんだか複雑・・・。

 著者は毎日新聞科学環境部所属の記者ということで・・・、“ジャーナリスト”と“記者”の違いについても考えさせられる。 科学記者とはいえ科学者と同様、一番乗り(スクープ)を目指すのだな、ということと、「・・・と報じた」と書いてもそれが正しかったのかどうなのかの検証はしないのだな、ということ。 <STAP細胞事件>という副題ではあるが、内容は取材日記であり、真相の究明のために自説を掲げることもない。
 記事は客観的に書く、というのが記者の鉄則なのかもしれないが、「マスコミは」と自分もそのマスコミのひとりなのにどこか他人事的表現もあって(これはこの著者だけに限らずマスコミ人全般に言えることだが)、“同じマスコミとして責任を痛感する”みたいな記述があっても自分は違うみたいに感じちゃうのはなんでなんでしょうね!
 そう思うとタイトルにも悪意を感じるというか・・・今更ですがOさんは「科学者」といえるレベルの人ではないわけですよね。 なのにタイトルに科学者という言葉を入れることが精一杯やっている他の科学者みなさんに対して失礼、という感じがする(そういう気がしてしまうのも、中途半端な時期に読んでしまったせいであろう)。
 「STAP細胞現象とはなんだったのか」というのを科学的側面からわかりやすくまとめている、という点では評価できるものの、これ一冊で終わらす気ならそれこそ科学ジャーナリズムの敗北では、という気もする。 S博士がなくなってしまったからもうわからない、ではない。 この問題を生みだしてしまった<科学とカネ>の問題について、今後も追いかけ続けてもらいたいなぁと願うわけで。
 それにしても、STAP問題におけるネット世論(匿名・無名の方含む)の勢いはすごかった。
 しめきりや紙面スペースという制約がある新聞記者としてネットの後追いばかりになっていた悔しさが行間からにじみ出ているぐらい、やはり新聞の現場は「ネットには勝てない」という気持ちになっているのかな、と思うとちょっと面白い。 新聞側としてはネタの裏取りをし、校正・校閲もやってます!、というのが売りなんだろうけど誤報もやっちまってるし、結局問われるのは読み手の力、ということなのでしょうか。
 400ページ弱もあるのにいまいち食い足りない印象なのは、やっぱり中途半端な時期に読んだからかなぁ。 これ以上のことをもっと知りたいんですけどね、こっちは。

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2016年02月21日

ブリッジ・オブ・スパイ/BRIDGE OF SPIES

 あ、またスピルバーグがアカデミー賞獲りの映画をつくってる!、というのが予告を観たときの正直な感想。 でも最近、あたしはスパイ小説を読むようになってきているし、東西冷戦下の地味ながら実は白熱しているスパイ合戦に興味はある。 おまけに例によって実話ベースだという。 この際スピルバーグ作品であることは無視、純粋にその時代に踏み込むつもりで観てみよう、と思った。

  ブリッジオブスパイP.jpg その橋を踏み外せば世界が終わる。
    冷たい戦争を止めたのは、ひとりの男のやさしさだった。

 とはいえ、実は観たのはだいぶ前なので、細かいところ忘れています(今回、記事を書くために写真を集めていて、思い出してきました)。
 米ソ冷戦真っただ中の1950〜60年代。 ソ連のスパイと目されたルドルフ・アベル(マーク・ライランス)はアメリカ当局に捕えられるが、ソ連とは違うことをアピールするために裁判にかけられることになるが、弁護士が見つからない。 そこで白羽の矢が立ったのが敏腕弁護士と名高いジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)。 しかし彼の専門は保険関係で、そんな仕事は引き受けられないと断るものの、弁護士倫理に負けて引き受けることに(そもそもスパイ弁護の専門家も経験者もいないのだ)。 敵国ソ連のスパイを弁護する彼もまた国民の敵と見なされ、ドノヴァンの家族も肩身の狭い思いをすることになる(それがわかっていたから家族ははじめから反対していた)。
 が、被告人には弁護士を立てる権利があり、弁護人を引き受けたならば被告人に誠実に対応するのが務め。 いつしかドノヴァンとアベルの間には信頼関係が芽生えていた・・・という話。

  ブリッジオブスパイ3.jpg 真ん中がアベル。
    失礼ですが、こんな人が有能なスパイだと信じられるか?

 5年後、今度はアメリカがソ連に送り込んだ偵察機が撃墜され、乗組員がソ連に拘束される事態が起こる(いわゆる“U−2撃墜事件”)。 CIAは拘束されているアメリカ側のスパイ・パワーズ(オースティン・ストウェル)とアベルとを交換しようと画策、その交渉をドノヴァンに一任すると言い出す・・・という話。
 冒頭、鏡に映る自分を見ながら、更に反転させた自分をキャンバスに描いているアベルの姿に「あぁ、この人は最終的な目的のためにはどんな地道で時間のかかる方法でも音を上げずに最後までやり遂げる人だ」というのがわかる。 そして画家というのがあくまで隠れ蓑であったとしても、絵を描くことに彼の許される範囲で愛着を持っている。 なんともいえない、「フツーの、むしろちょっとしょぼくれたおじさん」的風貌が、まさにリアルなスパイ、という感じ。
 対するドノヴァンは、久し振りにやってきたトム・ハンクスらしいトム・ハンクス−人情味にあふれ、常に正義と信条に生きる男。 ともに愛国者であり自分の職業に忠実という意味で、この二人はよく似ている。 そりゃ、友情も生まれますよね。

  ブリッジオブスパイ1.jpg 全体的にグレーのトーン。
    それがこの時代の色ということか。

 人質交換のため舞台がベルリンに移ってから、画面はますますダークに、そして雪も相まって寒々しくなるのだけれど、それがなんかすごくいい雰囲気だったなぁ。 結構えげつないことが展開されているのだが、どこか乾いたユーモアが全体を包んでいるようで、とてもスピルバーグらしくなかった(エンドロールで脚本がコーエン兄弟になっていたので納得。 というか、コーエン兄弟が監督したらどうなっていただろうか、というのにも興味ある)。 ユーモアがありつつも、ときどき<その先>に待っているかもしれない恐ろしい予感でそれをぶった切るあたり、まさにコーエン兄弟っぽい(あたしは何度、心の中で「ひえーっ」となっただろうか)。
 でも最悪の予感は、エンディングの“その後”コメントに救われた。 あぁ、よかった。
 国境が陸続きの場合、そこが橋になっているというのは『エロイカより愛をこめて』でもおなじみのイメージ。
 そこでスパイたちの橋渡しをする、というタイトルはダブルミーニングでしょうか。

  ブリッジオブスパイ2.jpg あぁ、ベルリンの壁。

 何度か繰り返されるドノヴァンとアベルの会話、
 「不安じゃないか?」
 「なってどうする?」
 は、最後のほうは合言葉というか、掛け合い漫才のようになっている面白さ。 それが、互いを理解していく過程の象徴であるように見えた。
 それにしても・・・冷戦って、実は当事者たちにとっては実際の戦争以上に厳しいものだったのではないか?、という疑念が消えない。 国と国(現代においては必ずしも国という体裁ではない場合もあるが)が覇権を争う限り、そういうものは消えないのだ・・・あぁ、恐ろしい。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年02月20日

わが愛する“知の巨人”

 携帯電話のニュースで、ウンベルト・エーコの死を知る。
 ――うっ、と、言葉に詰まる。
 ここのところ、「巨星、落つ」の知らせが多すぎる。
 しかも日本語版としての新刊(『プラハの墓』のこと)、出たばっかりじゃないか!
 ご多分にもれず、あたしもエーコには『薔薇の名前』から入った口ですが、そりゃーもー当時は衝撃でしたよ!
 “知の巨人”というのは歴史上の人物だけではなく現存する、ということを初めて知ったというか思い知らされたのが、彼だった。
 どんなにいろんな本を読もうと、まわりの人に「いろんなことよく知ってるねぇ」と言われることがあっても、「いや、どんなにがんばってもあたしは彼らにはかなわない」と思っていた。
 まぁ、比較すること自体図々しいことではあるのですけれども(レベルが違いますからね)。
 でもそうやって上を見て、自分がまだまだと思うことであたしはいろいろ手を広げられたこともあったような気がする。
 人はいつか死ぬのだと、わかっているけれど、死なないような気がする人たちもほんとうに死んでしまうんだ。
 また、“知の巨人”に教わる。

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2016年02月19日

ブラック・スキャンダル/BLACK MASS

 予告編は何回か映画館で観ていて・・・でもどこにもチラシが置いていない!
 上映予定のある映画館3つ回ったのに置いてないってどういうこと!? というわけで前情報はいつも以上になく、予告編からのイメージは「スラム街で育った3人の幼馴染がそれぞれ別々の道を歩み、大人になったところで再会。 ギャングのボス・FBI捜査官・上院議員となった3人はそれぞれの地位をうまく利用して協力し合えればなんでもできると考え・・・」といういささかダークなピカレスクロマンぽいものだった。
 が、実際は全然違った。
 久々に遭遇してしまった予告編詐欺。
 ていうか、サウスボストン暗黒史じゃん! そうだとわかっていれば心構えが違って、また別にちゃんと楽しめたものを・・・。

  ブラックスキャンダルP.jpg 暴かれる! FBI史上もっとも黒い闇

 舞台は1970年代のサウスボストン。 アイルランド系マフィアのボスとしてこの地区を牛耳るジェームズ・“ホワイティ”・バルジャー(ジョニー・デップ)に、かつての幼馴染であり現在はFBI捜査官であるジョン・コナリー(ジョエル・エドガートン)が連絡してくる。
 コナリーはバルジャーにFBIの協力者になることを提案し、サウスボストンにじわじわと手を広げてくるイタリア系マフィアを壊滅させようと目論んでいた。 目的は同じでFBIのお墨付きを得たバルジャーはますます残忍かつ強引な手法でサウスボストンを裏で支配、得た莫大な利益でIRAを支援するまでに。 上院議員でバルジャーの弟(ベネディクト・カンバーバッチ)は兄の仕事は知っているが、家族として付き合いはあっても、それ以上のことには首を突っ込まないようにしていた。 彼には彼の目標があったから。

  ブラックスキャンダル4.jpg 老いた母親を心配する兄弟、という立場を崩さず、この二人のシーンでは兄は唯一普通っぽいのであった。
 そんなわけで、ベネカンさんは別にあくどい意図など全然持っていないし(むしろサウスボストンのために頑張っている)、コナリーくんに至ってはスタンドプレーではなくてFBIの上層部にきちんと許可を取っている(最後まで反対した上司がケヴィン・ベーコンだったのでちょっと笑ってしまった)。 全然「3人だけの悪だくみ」じゃないし!
 だからこっちの予測よりもベネディクト・カンバーバッチの出番はずっと少ないし(残念!)、とりあえずジェームズ・バルジャーの底冷えのするような残忍さがひたすら浮き彫りとなる映画であった。

  ブラックスキャンダル1.jpg その頭はヅラなのか抜いたのか。 突然激昂するかと思えば、前振りもなくいきなり表情も変えずに人を殺したり。 奥さん(ダコタ・ジョンソン)ですら彼が恐ろしくて泣く、という場面にも説得力が。
 「ジョニー・デップ、最高の演技!」とか何かに書かれていたような気がするが、同じく実録ギャングものだった『パブリック・エネミーズ』に比べたら義賊っぽさもないし、そもそも若々しくないし、悪の道(と本人がどこまで思っているかどうかわからないけど)を進んで進んで、後戻りする気などなし!、という決意が淡々としみ出ているというか・・・彼にとってはもしかしたら人生に選択肢などなかったのかも、と思わされたり。

  ブラックスキャンダル3.jpg 強面のみなさん、お揃いで。
 そして、どうやらギャングの方々やFBI末端の捜査官役の俳優さんは「実在の方々」に似ていることが前提でキャスティングされたみたいで・・・(エンドロールで当時の証拠写真が次々流れるので、誰が誰なのかなんとなくわかる)、脇役・おじさん好きなあたしとしては見覚えのある方多数のニヤニヤキャスティングでしたが、ジョニー・デップ目当てで来た方々には肩すかしにもほどがある華のない地味キャスト揃いと思われたかも(汗)。
 日本語だと“スキャンダル”という言葉にもなんだか華やかさが伴うけど、全然そういう内容じゃないからな・・・。 ある意味、リアルな『仁義なき戦い』でしたよ。

ラベル:外国映画 映画館
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2016年02月18日

神々の山嶺/谷口ジロー

 最近よくやっている映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の予告やCMを見ていて・・・、「あれ、こんな話だったっけ・・・?」と疑惑が湧き起ってきたのだが、夢枕獏の原作をまたいちから読むのは時間がない。 と、そんなときに、マンガ版が新装版で(しかも3冊でまとまって)発売されるというではないか。 一回読むのを悩んだやつだし(そのときは文庫版で、冊数ももっと多かった)、これはいいチャンスでは!
 サイズも大きめだし、山とか風景が描かれている内容なら文庫サイズよりはこちらの方がいいよね、という判断もあり。

  マンガ神々の1.jpg そしたら、一冊がすごく分厚いんだよね・・・。
 持ってみたらその分厚さに比べると思ったよりも軽いのが救いなのだけれど。
 マンガ読むのは結構早いあたしですが、これはなかなか進まなかったよ・・・それだけ一冊が厚いということですが。 でも、小説版を読んだ時のことをつぶさに思い出しました(ということはかなり原作に忠実ということか)。

  マンガ神々の2.jpg 勿論、“絵”ならではの表現・構成はありますが。
 で、すぐに予告編での違和感の正体に気づいたのですが・・・「そうか、映像に長谷恒男がいないからか!」。 羽生(阿部寛)と深町(岡田准一)しか出てきてなかったからでした。
 でも彼のことまで描くと一本の映画として常識的な時間では終わらないであろうし・・・そこをカットするとなるとこっちもカットしなきゃいけなくなるし、じゃあ一体どこをメインとして使うのか?、と思わず脚本家のような視点で途中から読んでしまいました(そして羽生の少年〜青年時代は誰がやるのか、とかもね)。
 あと、予告編で気になっていたのが「世界的ベストセラー、山岳小説の金字塔、ついに映画化!」ってところ。 世界的ベストセラーって、その“世界”が指しているのはどこ?

  マンガ神々の3.jpg 夢枕獏と谷口ジローの対談が巻末についていたのでわかったのですが、<世界的ベストセラー>なのはマンガ版の方でした。
 フランスで大ヒットして、そこからヨーロッパ各国に翻訳され、最終的に英語版も出たとか。 予告の佐々木蔵之介のワンカット、このマンガのカット割りと構図が同じなんだけど?、と気づいたことに合点がいくが、そうなると、原作(というか映画が参考にしたの)はどっちなんじゃ!、という気持ちになってくる。
 ま、映画についてはともかく・・・。
 作中でも語られていることだけれど、「山に自分のすべてをかける」という生き方がもう古いというか、それが許される時代ではもうない、ということが2016年現在しみじみとわかります(劇中設定は1970年代ですが)。 未開の地、というものがほとんど存在しない以上(人間が実際に入ったことがない場所でも、衛星写真でだいたいわかる、という点で)、そしてフロンティア精神が必ずしも褒め称えられる状況ばかりではない、という世の中になってしまった以上、いたしかたのないことかと。
 単に「昔はよかった」ではなくて、「そういう時代があったんだ・・・」とある種の戦慄を感じさせる、という部分が、この作品の優れたところではないかと思います。
 ただ、「何故山に登るのか」という問いに対する答えはなく、そんな問い自体が無意味であると言わんばかりの生きざまには、門外漢にはもう黙って見ていることしかできないです。

ラベル:マンガ
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2016年02月16日

大変申し訳ございません

 えーと、今週はとても仕事が立て込んでおりまして、記事を書く余裕がございません。
 ネタはあるんです!
 あるんですが、書く時間がほんとにない・・・。
 後日まとめて更新いたしますので、立ち寄ってくださっている方には申し訳ないですが、土日までお待ちいただけたらさいわいです。
 よろしくお願いいたします。

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2016年02月15日

霜の降りる前に/ヘニング・マンケル

 ヘニング・マンケル現時点での邦訳最新刊。
 いくら柳沢由実子さんが他の作品を鋭意翻訳中と言ったって、そうすぐに出るわけじゃない。 読み終わりたくなかったが・・・読み終わってしまった。
 帯によると<刑事ヴァランダーシリーズ最新刊>ということになっておりますが、主役はヴァランダーの娘・リンダなので“特別編”という位置づけだろうか。 ヴァランダーをはじめレギュラーメンバーがほとんど登場するし(そもそも30歳になったリンダは新米警官としてイースタ署で働く予定である)、シリーズ“番外編”たる『タンゴステップ』の主役ステファン・リンドマンもイースタ署に転任してくるというサービスぶりについニヤリとしてしまう。

  霜の降りる前に1.jpg霜の降りる前に2.jpg しかし起こる事件はシリーズ屈指の恐ろしさである。

 リンダの幼馴染アンナが不意に失踪する。 白鳥に火をつけて焼き殺した者がいる。
 まったく関連のないように見えた出来事が実は恐るべき力によってつながっている・・・という話。
 事件も恐ろしいのであるが、リンダが改めてアンナのことを思うとき、自分はどれだけ彼女のことを知っているのか?、と自問する場面。 知っているはずの人がまったく知らない人に思える恐怖。 そして従来のヴァランダーシリーズは三人称なので特に気にしていなかったんだけど、その描写はヴァランダーの見方が多分に入っていること。 今回、リンダからの視点がいつも以上に強調されて書きこまれてあるので、レギュラーメンバーに対してこちらが抱いていたイメージをことごとくリンダによって破壊された(つまりリンダにはそう見えるということなのだが)。 それもまた、怖かった。
 自分が信じているものを、粉々にされる恐怖。
 くしくもそれはテーマと繋がっていて・・・ヘニング・マンケル、どんだけ構成うまいんだよと泣きたくなる。
 が、リンダも大概である。 不安定な関係の両親の間に育ったことは同情に値するが、もう30歳なんだからいい加減ふっきろうぜ! しかも父への怒りの大半は、せっかちで短気で怒りっぽい父親に自分が似てるから、ということに起因する。 ヴァランダーが怒りの発作を抑えられないように、リンダもまた瞬間的に沸騰する自分の感情を抑えることができないし、他人を気遣う言葉がいえない(そんな自分を肯定する手段として恋人を欲しがるっていうのがなんとも・・・父親とは違う意味で「大丈夫か、リンダ」と思ってしまう)。
 ・・・家族って、大変。
 そして内容や背景について多く割かれるはずの<訳者あとがき>は、ほぼ柳沢由実子さんによる「ヘニング・マンケルへの追悼文」になっており・・・淡々と事実を述べられているのだが読んでいて涙を禁じえない。 死を前にした彼の最後のエッセイ集『流砂』が今秋発売予定とのことなので、今はただそれを待ちたい、と思う。

ラベル:海外ミステリ
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ビッグ・アイズ/BIG EYES

 ファンタジー的ティム・バートン世界に最近食傷気味だったのであるが、これは実話ベースだというし、エイミー・アダムス&クリストフ・ヴァルツ共演ということに惹かれて。
 自分で描いた絵を夫の名前で売り出された女性画家の悲劇と苦悩と、ポップアートという芸術と大衆化が合致した時代の物語。
 舞台は1950年代、アメリカ。 まだまだ女性の社会的権利は弱い、とテロップで出るのだが、出れば出るほどなんだか違和感がある。 確かに現在、女性の社会的権利は向上したが、まったくの平等は成り立っているのだろうか。 個人差という自由もまた、弊害を生んでいないか、などつい考えてしまうので。
 どちらにせよ、エイミー・アダムスは“ちょっと昔”の衣装や髪型が似合うので、顔立ちが古風ということかしら。

  ビッグアイズP.jpg 大きな瞳だけが、知っている。

 暴力夫の元から逃げ出す決意をしたマーガレット(エイミー・アダムス)はまだ小さな一人娘とともに車で逃走、カリフォルニアで新生活を始める。 絵を描くことが好きなマーガレットは、逆にいえばそれしか特技がない。 家具メーカーでベビーベッドに絵を描く仕事をしながら、休日は公園で似顔絵描きをする日々。 そんな中、同じく似顔絵描きのウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)と知り合ったマーガレットは、新しい土地での寂しさもあって彼と急速に親しくなり、元夫からの娘の養育権剥奪通知が来たこともあり、ウォルターのプロポーズを受け入れてしまう。 そうして、のちに美術界を揺るがすスキャンダル<BIG EYES事件>は始まった・・・という話。
 実話であるし、モデルであるマーガレットはまだご存命だし、ということで映画は彼女寄りの語り口になってはいるが(ナレーションはのちにウォルターと親しくなった新聞記者ディック・ノーラン(ダニー・ヒューストン)が過去を振り返る形で務めており、ウォルターを単純に悪役としても描いてはいない)、マーガレット自身が数字が持つ意味や運命にのめり込みがちだったり、のちのち宗教の人たちに引き込まれたりと、なにかと<誰かの影響を受けやすい人物>であることを、マーガレットに非がない程度にさらっと描いている。
 ウォルターはある種、天才的に口がうまくて人を取り込むのが上手い(なにしろ演じているのがクリストフ・ヴァルツだから)、と印象付けることで、マーガレットは逆らえなかったのだ、と擁護している感が強いのは、やはり女性の社会的権利が弱い時代だから、と現代の視点で見ないようにしてほしいという制作側の気持ちだろうか。

   ビッグアイズ1.jpg 彼の監視の下、毎日16時間キャンバスに向かわされる。
 と、そんなことがやたら気になってしまうくらい、映画としてのつくりはすごくフツー。
 クリストフ・ヴァルツの怪演ぶりに「え、どこまで本気? どこまでギャグ?」と思わされるけれど(一部、『シャイニング』のジャック・ニコルソン化するし)。 まったく、自由すぎる。
 ウォルターは絵を描く才能はまったくなかったが、原画をポスターやポストカードにして売る、というアイディアを形にして大儲けするなど商売人としての才覚はあった。 けれどそれは「人気だから・話題だから」というだけで飛びついてしまう大衆がいたから成り立ったわけで、そういうアート業界を巡る批評と商売をやんわりと皮肉ることがこの映画の目的だったのかな、という気もする(そのあたり、早い時期からゲテモノ呼ばわりされていたティム・バートンの気持ちが反映されているのかな)。
 「BIG EYESなどアートではない」と言い切る厳密な美術批評家を、出番が少ないながらもテレンス・スタンプがやっていたのも印象深い。
 絵画も音楽も文学も、映画もそうだが、高尚なものを追い求めてそれ以外はカスである、と言い切ることは容易い。 でも、カスの中にもいいところはあるし、他人の評価は気にしないで自分が好きならそれでいい、と言う権利は誰にでもあるし、本来はそれでいいはずなんだけれど、権威が生まれればそれにつられてしまうのも人間の弱さなのですね(アートに対する感情は、他人に対する印象にも似ているかも)。
 やはりあたしは、これからも好きなものは好きって言い続けよう。 それがいちばんの価値基準だし、あたし自身の生きる理由でもあるのだから。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする