2016年01月13日

犬に名前をつける日

 小林聡美が演じるTVディレクターの存在はフィクションだが、それ以外は事実。
 というわけで<ドキュメンタリー映画>のカテゴリーにも入れておきます(正確には“セミ・ドキュメンタリー”という感じか)。
 普通に動物好きの人であれば、保健所の現状というものに近寄りたくない、と思うのは当たり前だろう。 ただ主人公の職業柄、今までそこに踏み込んでこなかったというのはどうかな、とは思いつつ、愛犬の死をきっかけに、というあたりが一般客を同じ視点で内容に近寄らせるための工夫なんだろうな、と感じる。

  犬に名前をつける日P.jpg 犬の幸せはどんな人と出会うかで決まる。

 愛犬・ナツを突然の病気で亡くした傷心のテレビディレクターの久野かなみ(小林聡美)は、しばらく仕事を離れ、入院中の敬愛するドキュメンタリー映画監督に会いに行く。 そこで、今の気持ちを大事に映画を撮ってみたら、とすすめられ、犬の命をテーマに映画を撮り始めることに。 手探りで取材を続けるうちに、動物保護センターや福島第一原発20キロ圏内から犬たちを救う活動をしている人たちに出会う。 動物たちをめぐる現状にショックを受けるかなみだが、それでも一匹でも多くの命を救おうと保護活動をする人たちの姿に心を動かされて・・・という話。

  犬に名前をつける日1.jpg 取材の合間にお手伝いもします。
 かなみは現実を知って心を痛める、という設定ではあるが、特別どぎついシーンがあるわけではないので(だったら『ひまわりと子犬の約束』のほうが現実的に厳しい描写があった)、ドラマ場面に中途半端さを感じるのは否めない(全体的な息抜き、という意味合いはあるかもしれないが)。 それだけ、ドキュメンタリー、現実のシーンのパワーがすさまじいからだ。
 森絵都の『君と一緒に生きよう』を読んだことがある方やそれ以前の時代の保健所の殺処分の現状をご存知の方からしてみたら、この映画で描かれる<数字>や状況はかなりマシになっていると感じられるのではないかと思う(それでも多いは多いんだけども。そして絶対数では猫のほうが多いのに、この映画では犬をメインに据える‐猫については必要最小限の説明と描写しかない、という若干の矛盾も感じなくはないが、最近猫映画が多いからかな、と思うことにする)。 そう、もっとひどいのかな、と覚悟していったら、意外にも希望のある内容になっていたのだ。

  犬に名前をつける日3.jpg 保健所から助け出された猫たち。 しかし「命の期限を切られる場所」ではないというだけで、ペットとして愛情を注がれる、という環境ではない。 これでせいいっぱいだということはわかるけど。

 とはいえ、その<希望>は数少ない人々の人生をかけたエネルギーとボランティアスタッフによって支えられているだけで、その人たちがいなくなったら海辺の砂の城のようにあっさりと崩れ去るだけ、という危険性も同時にはらんでいるのだと伝えてくれる。
 結局、「飼っていた犬がいなくなっちゃったから、別の犬を飼ったので、今更見つかってもいりません」と答えるような飼い主が、劣悪な環境で流行の犬を数だけ増やそうとする悪徳ブリーダーがいなくならないかぎり決して変わることはない、という我々の良識が問われているだけなのだ。
 『ホワイト・ゴッド』でもそうだったが・・・「人間ですみません」と何度も思ってしまう。
 もはや野生の生き物ではなくなったイヌ・ネコは家畜のように人間に依存しなければ生きていけない存在になってしまっているのに、そしてそれは子が親を選べないように彼らが望んだことではないのに、人間はそのことを忘れてしまったかのようだ。
 人間が追い込んだ結果、絶滅しそうな動植物の保護には熱心になったとしても、イヌ・ネコは種としては存続するから大丈夫だろう、ということではない。 純潔種であろうと雑種だろうと、そこにいる一匹(一頭)は取り換えのきかない一匹(一頭)なのだ。
 なんでそんな簡単なことがわからないんだろう・・・だから、人間同士でも容易く殺しに発展してしまうのだろうな。
 命の大切さ、などという当たり前のことはあまり声高に言わない。
 <犬に名前をつける日>とは、その命に責任を持つ、と自覚するときなのだ。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする