2016年01月06日

ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)/Feher Isten

 今年初の映画はこれにしました。 ハンガリー映画でございます(正確にはハンガリー・ドイツ・スウェーデン合作)。 たとえそれを知っていても、言葉の響きからはどこの国かわからない。 街並みも東欧か北欧かな?、というくらいで具体的にはわからない。 携帯電話が使われている、というくらいしか時代のヒントもわからない。 どこの国のことでもなく、けれどどの国で起こってもおかしくない、そんな寓話性を強く感じました。

   ホワイトゴッドP.jpg 目醒めた野生、崩れ出す均衡。
    最愛の友から、身勝手な人類たちへ  この争いを止めるのは 少女の愛と勇気。

 雑種犬を飼う場合、役所に届け出をしなければならず、更に重税がかかる、という法律が制定されたある町で。 13歳の少女リリ(ジョーフィア・プソッタ)は雑種犬のハーゲンをかわいがっているが、母親が恋人とともに短期留学(かもしくは仕事がらみ)で3ヶ月ほど国を離れることになり、離婚した父親ダニエル(シャンドール・ジョーテール)のもとにリリは預けられることになる。 しかし父親は離婚以来ずっと一人暮らしで、リリとも会うのは久し振りらしく思春期の娘に対してどうしていいかわからない。 しかも犬を飼っていることも知らなかったダニエルは近所の人に雑種犬を飼っていることを通報され、ハーゲンを捨てるようリリに言う。 当然従うリリではないが、「大人にはなにを言ってもわからない」症候群真っ最中の彼女はハーゲンのために言葉を尽くさない。
 結局、ハイウェイの真っただ中においてけぼりにされたハーゲンをリリは助け出すことができず、二人は離ればなれになってしまう・・・という話。

  ホワイトゴッド3.jpg 二人で幸せな時間もあったのに。
 映画では語られないが、雑種犬を飼っているのならそういう法律が制定されそうだと意識していなければいけないはずの母親がまったく何の対策もとっていない(ダニエルに説明さえしない)、ということに大変腹が立つ。 それがすべてのきっかけではないか、と思うくらいに(しかしそれで話にならないので仕方ないのかもしれないが・・・)。
 更に、思春期だからといってリリも父親に対してすぐにあきらめるのではなく、ハーゲンが大切ならば「通じるかわからなくとも言いたいことはすべて言わなければ」と思わなければダメじゃないか!、と腹が立ちっぱなしなのである。
 看板に偽りありで、これは“少女と犬の物語”ではなく、主役はハーゲンに代表される雑種犬たちなのであった。

  ホワイトゴッド4.jpg 町をさまよい、いろいろなひどい目に遭い続けるハーゲン。 途中で出会う他の雑種犬たちもキュートだけど、ひどい目に遭わされるのはみな同じ。
 雑種犬だけに規制が、というあたりは様々な移民問題を抱えるヨーロッパにおける問題提起の比喩であるかもしれず(なにしろタイトルが『ホワイト・ゴッド』ですし)、でもそのあたりは日本人には実感としてわかりにくいので、そこはやはり“人”と“犬”という目で見てしまいますが・・・とにかく雑種犬への扱いがひどい(純血種の犬は登場しないので、その扱いの違いはわからないが)。 「人間、死ね!」と思う場面がいっぱいあるので、ついに捕まって収容施設に送られてしまったハーゲンが、犬たちのリーダーとなって人間たちに反旗を翻すシーンになってようやくこっちはほっとするが、全然爽快感にあふれていないのだ・・・。 犬たちが、ひたすらけなげです。

  ホワイトゴッド2.jpg 犬たちの大疾走を、人間は銃で応戦するし。
 「犬は人類最古の友」とよく言われますが、その忠誠心はもうDNAレベルに組み込まれてしまっているのだろうか。 ハーゲンがずっとつらい目に遭っているときでも、リリは途中であきらめてただ父親に反抗していることを示すためだけにあやしげなパーティーに参加してお酒飲んだりしちゃってるもんね、ハーゲンがまだ逃げていると知ってから改心しても遅いのだ(むしろ娘のためにハーゲンを助け出そうとするダニエルのほうが行動に移すのが早いくらいで)。
 いくら犬が忠誠心を示してくれたって、人間なんてほんとに勝手なんですよ!
 ――つらすぎる。
 想定内なれど、静謐で美しいラストシーンですが、そのあとに起こるであろうことを思うとやはり滅びるべきは人間なのではないか、と考えざるをえなかったりして。
 そんなことを思ってしまった新年一本目の映画でございました。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする