2015年12月30日

SAINT LAURENT サンローラン/Saint Laurent

 シネリーブルでタイムスケジュールを見て愕然とした(自分の計算間違いかと思った)。
 確認したところ、本編上映時間151分って、マジか!
 去年、『イヴ・サンローラン』というサンローラン財団公認の伝記映画を観ているので予習・復習はいらないよなー、と思いつつ、こう短期間に企画がかぶるのはどうしてなのだろうな、とつい考える。 しかもこっちの映画はサンローランの終生のパートナー、ピエール・ベルジェが協力を拒否したそうなので、もっともひどい時期を中心に描いているのかな、と予想する。

  サンローランP.jpg 時代が創った、美しき怪物

 1967年のパリ。 ディオールから独立したイヴ・サンローラン(ギャスパー・ウリエル)は次々とセンセーショナルなコレクションを発表し、時代のカルチャーアイコンとしてその名をとどろかせていた。 が、同時に多忙な毎日と新作へのプレッシャーから、片腕のピエール・ベルジェ(ジェレミー・レニエ)の忠告も聞かずサンローランは次第にアルコールやクスリに自ら身をゆだねるように依存していく・・・という話。
 独立後、プレタポルテ・ラインを開始した翌年の1967年以降の10年間に主に焦点を絞って描かれた本作は、イヴ・サンローランの伝記という線をはじめから放棄し、説明もしないし時間軸もバラバラ。 予備知識がなければ「一体何のことやら」となってしまうが、描きたいのは物語ではなくサンローランが見た栄光と悪夢の螺旋階段なのかも・・・、と考えれば納得がいく。 素晴らしきかな退廃!

  サンローラン1.jpg 数少ないアトリエシーンはとても静謐。

 アトリエでは白衣に身を包み、お針子さんとともに美しい服をミリ単位の正確さでつくりあげるのに、そこを一歩出ればカール・ラガーフェルドの愛人ジャックにのめりこみ、ピエールのことはないがしろ。 創作の苦悩は勿論常にあるが、サンローランはもともと精神的に病んだ過去があり、彼の幻覚と妄想と現実がまじりあう退廃美的映像!
 70年代ってそういう時代だったのか・・・と思わされる。
 レア・セドゥら若手スターを脇に配しながらも、どこかとってつけたよう。 ジェレミー・レニエもがっかりなほど出番が少ない。
 ただひたすらサンローランを体現するギャスパー・ウリエルのあやうさを焼きつけたい、とでもいうような執念がそこにあるような(イヴ・サンローランのヌード写真の撮影風景も押さえてあるし)。 だから晩年のサンローランとしてヘルムート・バーガーが登場したときには「うぉお、退廃美ここに極まれり!」みたいな気持ちに。

  サンローラン4.jpg <神々の黄昏>ですか!

 イヴ・サンローランというブランドは今も存在する。
 しかし、デザイナー、アーティストとしてのサンローランの輝きは鮮烈であるが故にあまりにも短かった。 そのことに、自分が耐えられなくなるほどに。
 天才の域まで達する才能は、まるで呪いだ。
 きらびやかに見えてとてもしんどい151分だった。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしはマララ/HE NAMED ME MALALA

 これをドキュメンタリー“映画”として公開するのがいいことなのか、それこそEテレで放送して学校教育に取り入れたほうがいいんじゃないか、と公開前の並んだチラシの中にこれを見つけて考え込んだ。 でもこれを映画として公開し、興行成績から世界の子供たちのための学校づくりの資金にすることを条件に本人が承諾したという契約だそうなので・・・とりあえず観てみようと思った。 個人的にひとつ気になっていたこと、彼女の顔が年齢の割に老けているように感じるのはやはりあのせいなのか?、に対する答えももらえるかと思って(こういうことってなんか人には聞きづらいし、かといって改めて調べることでもない気もして)。

  わたしはマララP.jpg “ふつう”の女の子が、世界を変えようとしている。

 邦題は『わたしはマララ』ですが、原題を訳せば『マララと名付けられたわたし』。 つまり名付けたお父さんという存在にクローズアップした内容でした。
 パキスタンの奥地、緑豊かなスワート渓谷で育った彼女は詩人で学校の教師であり経営者である父親と教育を受けていないが美しい母親との間に生まれた第一子長女。 パキスタンの伝説でジャンヌ・ダルクのような働きをした少女マラライから名をもらい、マララとつけたのはその父である。 家が学校であったマララにとっては高い教育を受けることが当たり前の意識だが、それはムスリム社会ではあまり一般的ではないことで、タリバンが周辺を支配下において以降は更にその傾向が強まる。 しかしBBCのドキュメンタリー番組に出演し、女子教育の必要性を訴えたことでタリバンの標的となり、2012年、15歳のマララは下校途中のスクールバスを襲撃される・・・その周辺からは、あたしも知っている世界ニュースとリンクする。

  わたしはマララ2.jpg 自分のせいで娘を失った、と一度思った父は、その後の人生をすべて娘のために捧げようと誓っているかのように見える。

 少女マラライのエピソードは素朴なアニメーションで紹介される(他にも回想シーンは主にアニメーションで、ここぞというところのみ実写)。 抵抗運動に疲弊した兵士たちの前に立ちあがったマラライは「100年間を羊として生きるよりも、ライオンとして一日を生きよ」、と旗を振り、再び兵士たちを鼓舞させ、その戦いの中、銃弾に倒れるというまさにジャンヌ・ダルクそのもの。 伝説としては美しいんだけど、現在の観点で見るとそれも“テロ”につながるよなぁ・・・と思ってしまうこの複雑な心境。 なんでもかんでもテロリズムと呼ばれてしまう状況に対して、あたし自身の思考も袋小路に入ってしまっているようです。
 でもあの襲撃のあと、彼女がイギリスに住んでいることは知らなかった。 BBCのドキュメンタリーに出る前に、匿名でBBCのブログに記事を書いていたことも。 そういうきっかけがあるからこそ西欧諸国のマスメディアに大きく取り上げられたんだな、ということも。 彼女のように脚光を浴びていないだけでそういう気持ちがある子たちは現地には沢山いるんだろう、と思うことは希望ではあるが、銃撃後はマララに同情的だったり応援していたパキスタン世論(といっても大概答えているのは男性だ)が、彼女がイギリス移住後は「有名になりすぎていい気になっている」という論調が目立っていくあたり(とはいえこの映画をつくっているのはアメリカだから恣意的な編集がないとも言えないのだが)、ムスリム的価値観と自由主義的価値観の相入れなさの根深さを物語っているなぁ・・・とこれまた絶望的な気持ちに。 2014年にノーベル平和賞を受賞したことも、火に油を注ぐことになっているんだろうな(実際、帰国したら殺す、とタリバンから殺害予告を受けている)。
 女性にこそ教育が必要、と考える父親がいたからこそ彼女は近い入口にいた。 やはり子供には親が選べないからこそ、環境って大事という話。 そしてもちろんその整った環境を無駄にしない気持ちが彼女にあったからこそ、今の彼女があるわけですが。
 女の子たちは学校行かなくていいよ、勉強しなくていいよ、と言われたら、日本の少年少女たちはどう答えるだろう。 「不公平だ!」と男の子たちも勉強しないと言い出すんじゃないだろうか・・・。 あることが幸せだと気づくためには、それがない人たちが存在することを知らないとわからない、というのが不幸だ。

  わたしはマララ1.jpg そのために彼女は「宿題終わらないんだけど」と言いながら世界各国で求められれば講演をする。

 そしてあたしが知りたかったこと・・・彼女は左頭部を銃撃された。 頭蓋骨の内側まで銃弾が入り込み、そのかけらは今も脳の中に残っていて神経を圧迫し、彼女は左耳が聴こえないし表情筋もうまく動かない。 あたしの感じた老けて見える様子はそのせいであるらしい。
 あぁ、なんともいたましい。
 タリバン兵にももっと広い視野で勉強してもらいたいものだが・・・いや、それはすべての原理主義の方々にも言いたいことですが。
 あぁ、世界平和ってどうしたら成り立つんだろう。
 悩んでも答えの出ないことに、悩んでしまいました。

posted by かしこん at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする