2015年12月16日

わたしが眠りにつく前に/SJ・ワトソン

 ニコール・キッドマン主演の映画を観そびれたので(いつかは忘れたが、今年)、原作本のほうを読んでみることに。 しかし図書館で結構予約がつまっていて、最近やってきた。 まだ予約がぐんぐん残っているみたいなので、とっとと返さねば! 年末年始に残したくないしね。
 そして本書は2011年のCWA(英国推理作家協会)賞最優秀新人賞などを獲っているようである。 しかし翻訳ミステリをよく知らない人に「CWA賞ってどれくらいすごいの?」と聞かれてもうまく答えられない。 日本にそれと等価の賞がないから、かな(日本推理作家協会賞ってCWAほど賞が細分化されていないよね・・・)。

  わたしが眠りにつく前に.jpeg この写真、すごくいい。

 “わたし”はある日、目覚めるとなにひとつ心当たりのないものに囲まれていることに気づいて悲鳴を上げる。 鏡に映る自分が、自分が思っているよりずっと年上であることにも。 自分は大学生のつもりなのに、夫だと名乗る男が自分は事故に遭い、記憶を失っているのだと説明される。 一日の間は記憶は保持できるが、眠ってしまうとそれまでの記憶はすべてなくなってしまうらしい。 今日は大学生のつもりで目が覚めたが、もっと年が若いつもりで目覚める日もあるらしい。 バスルームの鏡の横に何枚も写真が貼ってあり、夫と名乗る人物と一緒に写っている写真もあるがどれひとつ記憶にない。 愕然とする“わたし”を家に残して夫は仕事に出かけた。 しばらくすると部屋で何かの音が鳴りやまない。 カバンの中に見つけた音の原因は、夫に渡されたのとは違う携帯電話。 おそるおそる電話に出ると、相手は“わたし”のことをよく知っているようで、夫に内緒で一緒に記憶を回復させる治療に取り組んでいる医師であるという。 何故、治療を夫に秘密にしているのか? そもそもこの医師と名乗る男は信用できるのか?
 ついこっちは“わたし”をニコール・キッドマンに置き換えて読んでしまったのだが、途中から「あ、無理」となってしまった。 鏡に映る自分、干からびた自分の手などに対する執拗な失望の繰り返し描写に「いや、ニコール・キッドマンはそうじゃないだろ」と思って。 作中の“わたし”は40代半ばから後半という感じっぽいのでニコール・キッドマンで大きく間違いではないはずなのだが・・・。
 彼女は毎朝記憶がリセットされるため、その失望も毎日の繰り返しなのでしつこいほどに感じてしまうのだが、時折過去の記憶らしきものが数秒フラッシュバックすることもあるので、同じく<一瞬で年老いてしまった自分の外見に対する失望>を描いていた北村薫『スキップ』を思い出してしまったのだけれど、あれはほんとに時間をスキップしてしまってその間の体験がないというのが大きく違う。 記憶はなくても経験はある、という差が、彼女の記憶がよみがえりかける過程に本能的なものが強く関わりあってくるのだろうか。 こういうとき、知識とか教養とかまったく役に立たないのかな、と悲しくなる。
 彼女の記憶がコマ切れなので、展開は大変スピーディーで比較的あっさり読み終わった。
 でも、眠ったら前の日のことを忘れてしまうというのなら、一・二晩ぐらい寝ないでいたらいいのでは・・・と思ってしまうのはこっちが不眠人間だからですかね(それは極端な話でも、別に規則正しく寝なくてもいいのでは)。
 それを言ったらこの話に張り巡らされた伏線が台無しになってしまうのだけれどもさ。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする