2015年12月06日

エベレスト 3D【2D・字幕版】/EVEREST

 タイトルに3Dとか入れたら紛らわしいでしょう?!
 実際、【2D・字幕版】のチケットで入場しようとしたらもぎりのおにーさんに3Dメガネを渡されそうになって、「あ、2Dなんで、大丈夫です」というやりとりをする羽目に・・・。
 後日公開の『エヴェレスト 神々の山嶺』との区別なのかもしれないけど・・・。
<閑話休題>
 てっきりジョン・クラカワーのルポルタージュ『空へ』が原作だと思っていたあたしは、冒頭から衝撃を受けた。 違う! ベック・ウェザースの手記『死者として残されて』やアナトリ・ブクレーエフがルポライターの質問に答える形で出された(クラカワーへの反論としての意味もあった)『デス・ゾーン 8848m』と邦訳されているものを含め、1996年に起きたあの出来事を語れるすべてに取材して、現段階で再構成された物語!
 つまり、あの出来事を別の形で追体験できるということ。 そこにはあのことに関わりを持つすべての人々への、そしてエベレストを最高峰とする山々への敬意が込められていた。
 だからベック・ウェザースとダグ・ハンセンが「同じくロブ・ホール隊だ」と挨拶して握手する場面で、あたしの胸には何かがぐっとこみ上げてきた。 名前だけだけど知っている人たちがここにはたくさんいる! 全員が実名で登場するって、すごい!

  エベレスト3D−P.jpg 地球上でもっとも危険な場所へ

 1996年、ニュージーランドの会社<アドヴェンチャー・コンサルタンツ:通称AC>は、例年通りエベレスト登頂のツアーを開始する。 代表のロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)が隊長となり、AC隊のガイドたち・雇った現地のシェルパたちとともにベック・ウェザーズ(ジョシュ・ブローリン)、ジョン・クラカワー(マイケル・ケリー)、ダグ・ハンセン(ジョン・ホークス)、難波康子(森尚子)ら8人の顧客全員をエベレストの頂上に立たせるのが目標。
 だがこの年はロブ・ホールの友人で商業登山ツアーのライバルでもある、<マウンテン・マッドネス:通称MM>の隊長スコット・フィッシャー(ジェイク・ギレンホール)率いる顧客組だけでなく、南アフリカ隊や台湾隊など世界中から経験値もバラバラな登山隊が集まり、混雑が予想されていた。 果たして・・・という話。
 あたしはこの出来事に対して予備知識を持ち過ぎなのか、「あれ、ベック・ウェザーズはこんなマッチョなキャラじゃなかったよな?」などあたしが思うところの“事実”と違う部分に引っ掛かりを覚えましたが、あくまで「事実に基づく物語」ということで途中から割り切ることができました。

  エベレスト3D−5.jpg それもこれも、ネパール側から見るヒマラヤ山系とその周囲があまりにも美しいから。

 時間がたてば人の記憶は曖昧になるのに、高所にいるだけで人は記憶どころか自分の行動の認識自体できてないことがある。 だからあの出来事を全く完璧に再現することは不可能なので、この映画は人々がおかした愚かなあやまちや些細なミスと思われたものがのちのち大きな失敗になることも含め、個人攻撃ととられる描写はいっさいしていない。
 敵はあくまで高所、山なのである(そして主人公もまた山なのであるが)。
 山という“偉大なるもの”に向かうちっぽけな人間を代表して、ひとまずロブ・ホールがメインキャラクターとして選ばれた。 彼が高所登山にツアーガイドという概念を持ち込んだ最初の人物であり、そして強いドラマ性を持った人だから。
 つまり、これはそういう映画なのだ。
 あたしの記憶によればベック・ウェザースはこんなブチギレキャラではなかったはずだし、知名度が高いわりにジョン・クラカワーはいざというときあまり役に立っていない人物のように描かれているし(彼は顧客の立場なのでガイドたちと違って救援する義務は負っていないので別におかしくはないのだが)、アナトリ・ブクレーエフは無酸素登頂をするというガイドとしていかがなものかという選択は描かれつつも彼の救援行動は英雄的であり、サンディ・ピットマンがシェルパを苦しませた事実はさらりと流され、スコット・フィッシャーの無茶な往復はあくまで顧客のためであり、等々、誰も悪者にならないように論争の種になりそうな部分(実際、これまで論争の種になっていた出来事)を避けて、ただ山頂を目指した人々とそこにぶち当たってしまった悪天候を描き、「人の選択は正しいのかどうか正しくないのかその場ではわからない」というまたしてもジョン・ロックの経験的認識論の問題になっていくのだ。 そしてもしその場にあなたがいたなら、あなたならどうしますか? 生き残ることができますか?、と問いかけてくる。
 だから亡くなった人も、生き残った人も、誰も責めることはできない。
 だって相手はむきだしの自然なのだから。

  エベレスト3D−1.jpg それにしても・・・「あなた、誰ですか?」と(それがジェイク・ギレンホールだとわかっていても)訊きたくなる変貌ぶりである。
 顔に張り付いた雪や凍傷の描写はかなりリアル。 高所の酸素不足による危険性は再三言及されるが、映画の場面だけではクレバス深いしセラックはいきなりあるし、ヒヤリハットな場面は酸素不足による個人のせいなのかどうなのかちょっとわかりづらいかも。
 いや、そもそも事前知識がなくては多くの登場人物たちの区別が難しい(それでもメインの人物はかなり絞っているのだが、重装備にゴーグル、ヒゲに雪となったら誰が誰だかわからなくなってくるよ。 アノラックの色などがかぶらないようになっているけどさ)。
 そういう意味では、吹替版で観る方が声で区別はつきやすいと思う(だからベテラン声優で固めたのか。 後日吹替版も観に行く予定 → 結局行きました)。
 後半、本当に人がバタバタと死んでいきますので、そういうのに弱い方はご注意を。
 それはあまりにあっけないほどに。 そこにドラマ性を廃したのはかえってよかったと思いました。 ドキュメンタリー性が強調されるし、実在の人物である方々への敬意がわかるし。 勝手な想像は、かえって名誉を傷つける。 わからないものはわからないままでいいのだ。

  エベレスト3D−6.jpg しかし、「何故山に登るのか」という問いに対する答えはまったくないと言っていい。
 商業登山に対する批判は控えめながら込められているし、確かに8000m以上のデス・ゾーンではその場に立っているだけで細胞は死に始める、人がそもそも行ってはいけないところ。 しかし登山に対して確かな知識と技術を持ち、準備も用意も周到で、豊富な体力と天候を読む力と引き返す勇気を持っている人が天候に恵まれれば、エベレスト登頂は実際それほど難しくないと思う(山登りをまったくしないあたしが言うのも変ですが)。 もう登頂ルートは十分開拓されているし、他の8000m峰に比べれば登りやすい山になっている。 でもそれは世界最高峰であるが故に登る人が多かったからなんですけどね。
 はじめは初登頂をかけた国のエゴ、その後は「おカネさえ出せば連れて行ってもらえる」と考える人々のエゴにまみれるエベレストだけれど、回収不可能な遺体が今もところどころに散乱したままであるように、山は決して人間には征服されない。
 悲惨な事故を描いた映画ですが、後味がそれほど悪くないのは、それもこれも、壮大で美しすぎるヒマラヤ山系の光景のせいかと。 あ、あと、ロブ・ホールの娘さん(本人)の姿がエンドロールでちらりと見られたのもよかったです!
 断固山登りはしないあたしですが、エベレストにちょっと近づいたような気になってしまってなんだかうれしかったのも事実です。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする