2015年12月04日

アクトレス〜女たちの舞台〜/CLOUDS OF SILS MARIA

 これもまたあやうく見逃すところであった。 予告からの印象ではジュリエット・ビノシュ&クリステン・スチュワート&クロエ・グレース・モレッツの火花散る女優対決!、という感じだったので、是非観たかったのですよ。
 今や大女優となったマリア(ジュリエット・ビノシュ)に、自分の出世作となった舞台『マローナのヘビ』再演のオファーが来た。 しかし20年前に彼女が演じた役ではなく、その上司の役で。 彼女の当たり役だった若き秘書役にはハリウッドのお騒がせヤングスター、ジョアン(クロエ・グレース・モレッツ)が決まったと言われ、憤懣やるかたない。
 しかしマネージャーのヴァレンティーヌ(クリステン・スチュワート)は、ジョアンは若手ハリウッドスターにしては実力派だし、マリアは十分成熟した魅力を持っているのだから若さに嫉妬する必要はないと説得する・・・って感じだったから、完全にリアルかつ虚構の女優バトルが期待できるバックステージ物だと思うじゃないですか。
 でも実際に舞台稽古の描写があるのはエピローグの中のわずかな時間!
 完全にあてが外れたけど、それでもなんだかとても面白かったのであります。

  アクトレスP.jpg 永遠に輝くこと、それが彼女たちの使命

 映画はスイスを走る高山列車の中でマネージャーのヴァレンティーヌが繋がりにくい携帯電話(しかも複数!)と四苦八苦しているところから始まる。 戯曲『マローナのヘビ』の作者ヴィルヘルム・メルヒオールに授与される賞を代理でマリアが受け取るためにチューリッヒに向かっている、ということが二人の会話などから次第にわかってくる。
 おぉ、説明を一切しない映画だな!、と観る側も気合が入る。
 がたごと揺れる電車の中で、会場でのスピーチ原稿を考えているマリアのもとにヴァレンティーヌがもたらしたのは「ヴィルヘルムが亡くなった」という衝撃の知らせ。 どうにか授賞式をこなすが、そこでマリアを待っていたのは新進舞台演出家のクラウス(ラース・アイディンガー)。 そこで彼は前述のオファーをし、悩むマリアに絶対引き受けるべきと説得するヴァレンティーヌ。 ヴィルヘルムの妻ローザ(アンゲラ・ヴィンクラー)が待つシルス・マリアの彼の家に行くと、ローザはつらいからこの家をしばらく離れるといい、「役づくりのためにこの家を提供するわ」と申し出る。
 仕事を引き受けておきながら悩む、という大女優らしからぬマリアの小市民的な行動にあたしはちょっと親近感が。 また、年齢的にあたしはマリアでもヴァレンティーヌでもジョアンでもないので(とはいえ若い二人のところどころに見えるイタさには心当たりがないわけでもなく)、比較的客観的に“女の人生”というものを感じられたような気がする。

  アクトレス2.jpg ヴァレンティーヌに頼り切りのマリアの日常。 ほんとに女優の仕事しかしていない感じが、マリアの内面にある少女性を浮き立たせる。 多分年齢的には親子ぐらいだろうけれど、世間知らずの姉としっかり者の妹のような関係性が微笑ましくも、いつかそこにヒビが入ったらとんでもないことになるんだろうなぁ、というあやうさもあって。
 あと、結構重要なのが観客側に演劇体験経験があるかどうか、かもしれない。 あたしは少しだけあるので、台詞をどう言うかひとつで役柄のイメージが変わってしまうため、そこがぶれないための役作りとか台詞覚えの過程などすごく面白かった(だからそういう体験のない人には退屈に思えてしまうかも)。 山を散策するのも意味のないことではなくて、舞台をこなすための体力づくりの一環(身体を動かしながら台詞を覚えるというのも大事なこと。 まさに身体に覚えさせる感じというか)。
 そう、ジョアンの出番は思っていたよりかなり少なくて(それでも出てきたら十分な存在感ですが)、ほぼマリアとヴァレンティーヌの会話とシルス・マリアの景観とで映画は進む。
 ジュリエット・ビノシュと対等に渡り合うクリステン・スチュワートの姿に、『トワイライト』の呪縛が解けてよかったね!、と心から称賛したい気持ちに。
 ほんとに彼女は素晴らしかった。 新境地というよりも、もともといた場所に戻ってきた、という感じで「よかったね」なのです。

  アクトレス3.jpg ここが“マローナのヘビ”が見られるポイント。
 “マローナのヘビ”とはスイスのエンガティン地方でみられる独特の自然現象で、湿った空気が雲に変わってマローヤ峠にたまっていき、たまり切った雲が風に乗って細長く伸びて広がる様子があたかもヘビのように見えることからそう呼ばれるもの。 いつでも見られるわけではなく、初秋の早朝のある条件が揃った日にだけ。
 じわじわと集まってくる雲(その元は水蒸気)はマリアがこれまでにずっと積み重ねてきたすべての<過ごしてきた時間>かもしれないし、彼女が出会った人々との会話のすべてかもしれないし、彼女が演じてきた役柄すべてかもしれない。 それが一気にあふれ出して動き出すのは彼女の再出発を表しているようにも思えるし、でも雲は広がり切ってしまったら目に見えない水蒸気に戻るわけで・・・可視性・不可視性の問題は「目に見える評価・結果だけがキャリアではない」ということなのか。 それとも世代交代を繰り返す人間という種にとって、個人は一粒の水滴になるかどうかの水蒸気にしかすぎない、ということなのか。
 雄大な自然の前には人間はちっぽけなものに見えますね。
 “マローナのヘビ”現象に圧倒されつつ(そう、映画では余すところなくその姿を映し出してくれています)、そんなことを考えてしまいました。
 マリアにとって戯曲『マローナのヘビ』はとても大事な作品かもしれないけど、でも仕事のひとつにしか過ぎない。 これから先、彼女にはまた別の仕事が来るし彼女は生涯女優という道を進み続けることだろう。 けれど今の苦悩もまた、次の雲のための水蒸気。
 勿論、ジュリエット・ビノシュありきの映画なんだろうけれど、ただひたすら女性たちしか描かれていない印象(男性はそもそも出番少ないし、出てきても女性たちの引き立て役でしかない)。 つまり、オリヴィエ・アサイヤス監督による女性賛歌。
 「女の方が人生は面白い」ってことかも!

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする