2015年12月20日

昼間から長風呂、という贅沢

 今日は、特に出かける用事がなかったので、昼から長風呂に。
 今冬は12月に入っても20℃近い日もあった神戸、いつも以上に季節感がわけわからなくなっているあたし、毎日着る服に悩み、なおかつ低体温過ぎて倒れたりということもあり、「あなたは冷え症だということをもっと自覚しなさい」と仕事場の方からご忠告をいただいたこともあり、でもどうせお風呂に浸かるなら半身浴含めて長々と入りたいよな〜、と思って、なかなか果たせず(普段はシャワーだけで済ませていまして、それもよろしくない原因とお叱りを受けております)。
 で、ついにクナイプのバスソルト(今回はヘイフラワー)を入れて、お伴にはジェフリー・ディーヴァー『シャドウ・ストーカー』をチョイス。
 おかげで2時間ぐらい長々とつかりました(途中でお湯が冷めてきたので、当然追加しましたよ)。 それでもまだ外が明るいって、いい気分。
 おかげでリラックスしたせいか、お湯につかるというのは意外と体力を使うのか、気がついたらちょっとうとうと。 布団で寝ようと思うとまったく寝付けないのに、これはいい感じだ!
 明日から仕事納めまでラストスパート、いい休養になったかも。
 つまり仕事納めまでがんばれ、ということだな・・・。
 はい、がんばります。 無事な年末年始休みを迎えるためにも。

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2015年12月19日

SWの日でした。

 昨日(金曜日)、仕事帰りにレイトショーで某映画を観るためにシネコンに寄りました。
 込んでいるのは金曜日だからかと思っていましたが・・・どことなく、映画館の雰囲気が違う。 スタッフのみなさんも厳戒態勢、みたいな感じ。
 ――なんだろ?
 そこで気づきました。
 12月18日、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』先行上映当日ではないか!
 そういえば、あたしもこの日はスター・ウォーズで込むから他の映画はすいてるだろ、と思ったはずだったのに・・・すっかり忘れていた。 前日に思ったことを忘れるなんて!、トシですか? 仕事のせいですか? 12月だからですか?
 英語を普通に喋る方々も沢山いた。
 あぁ、この感じ、『スタートレック』の初日にも似た雰囲気だ。
 あたしはスター・ウォーズ世代ではないのでそんなに盛り上がってはいないのですが、他の人たちが盛り上がっている姿を見るのは楽しい。
 祭りの前のような高揚感、いいですねぇ。 つかれている気持ちが、ちょっとほっこり。

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2015年12月18日

顔のないヒトラーたち/IM LABYRINTH DES SCHWEIGENS

 ドイツは定期的にナチス映画をつくっている印象(もっとも、他のジャンルよりも確実に日本に入ってきやすいジャンルであるということかも)。 とはいえそれはヒトラーが勢力を伸ばし始めた時代からナチス・ドイツ敗色濃厚になるあたりまでがほとんど。 終戦後、しかも復興した後のドイツを舞台にしたものは珍しいような気がする。
 そんな気持ちで鑑賞。

  顔のないヒトラーたちP.jpg 消された罪、消せない記憶

 1958年、西ドイツ・フランクフルト。 道を歩いていた男性が煙草に火をつけようとして、マッチがなかなか見つかない。 柵の向こうで談笑していた人たちのひとりがそれに気づいて、火を差し出す。 その人物の顔を観て、男性は過去を強烈に思い出して恐怖に震える場面から始まる。
 第二次世界大戦終結から13年、復興後の西ドイツを担う若い者たちには戦争中の記憶はあまりなく、年寄りは多くを語らず報道もされることなく、“ナチス・ドイツ”という存在や認識について社会的にも記憶が薄れつつあったある日、一人の新聞記者があの男性とともに裁判所を訪れた。
 アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの親衛隊員が、規約に違反して教師をしているという告発のためだった。 若き検察官ヨハン(アレクサンダー・フェーリング)はその告発の熱さと周囲の冷淡さに違和感を覚えつつ、新聞記者グルニカの「検察官として、アウシュビッツを知らないなんて恥ずべきことだぞ!」という言葉が忘れられず、様々な圧力を受けながらも<ナチス・ドイツの罪>を公にしようと動きだす・・・という話。

  顔のないヒトラーたち4.jpg 上からやんわりではないどころの注意を受けますが・・・それでも彼を止めることができず。
 その結果、1963年12月20日にフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判の初公判が開かれる、という史実なのですが、史実であるが故に資料的価値の高さはわかるけど映画としてのエンタメ性は若干そがれている・・・という気がしないでもない。
 ちゃんとドイツ語であること(ドイツ映画だね、という実感)と、見たことある俳優さんが出ていてニヤニヤする、ということがなかったら途中で撃沈していたかもしれない(結構疲れていたので、若干意識が薄れたところもあった)。 しかし、生き残ったユダヤ人の証言に出てくる人物が「ヨーゼフ・メンゲレじゃん!」とエピソードを聞くだけで観客(つまりあたしだ)が蒼ざめるくらいなので、眠気も吹っ飛びます(イスラエルから逃亡犯として長々と暗殺指令が出ていた人物が戦後普通に暮らしていたという驚き!、ですね)。

  顔のないヒトラーたち3.jpg 記録を補足するため、思い出したくないことを尋ねにまわる必要も。
 この映画で“絶対的悪”に最も近いヨーゼフ・メンゲレ(時代が違ったら彼は明らかにシリアルキラーになるだろう)を裁けないがために、裁判にかけられる人々は、ハンナ・アーレントいうところの<凡庸な悪>、時代の流れに負けてしまった弱い人間の末路でしかなく。
 多分、1960年周辺のドイツであれば、「石を投げればかつてはナチス党員にぶつかる」だっただろうな。 だからこの映画はナチスの罪を暴くというよりも「知らない振り・知る機会を奪われているドイツ国民の目を覚まさせる」ことの困難さ、を描いた映画といえるだろう。 しかしそれ故に、目的意識が強すぎて史実の重さが歴史書の一行のようで、個人に寄り添う物語性を弱めた感じが。 だからいろいろ考えはするのだけど、ドカンと胸に刺さるものがあまりない・・・。
 だから公開も結構早く終わってしまったのかな〜、という気がする。
 いや、シネ・リーブル神戸が立て込んでいる、というせいもあるんだろうけど。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月17日

今日の2冊。

 できるだけ文庫以外は買わない方針ですが、文庫になるかどうかあやういものだったり、好きな人のものであればいたしかたない。 12月まで有効のポイントも500くらいあったし。 ま、ソフトカバーだからいいか。

  ハリウッド映画の暗号.jpeg ハリウッド映画の暗号/小林弘利
 おぉ、小林弘利単独名義の本!
 残念ながら小説ではなく、広義の“ハリウッド映画”(いわゆるエンターテイメント映画を指し、国籍関係ない)について語り、<砂漠と森>というキーワードからその映画を解き明かすエッセイ集。 多くの日本人にはわかりにくいキリスト教など、西洋人にとっての常識的教養を解説してくれる模様。 しかし表紙も含め、新スター・ウォーズ三部作のおこぼれで出版された気がしないでもなく・・・ちょっとさびしいのでありました。

  キャロル2(帯なし).jpg キャロル/パトリシア・ハイスミス
 なんとパトリシア・ハイスミスが匿名で出版した幻の恋愛小説の本邦初邦訳(しかも訳者は柿沼瑛子!)。 それだけでも期待できるけど、恋愛相手は異性とは限らないっぽい! むしろ今読んで、新しいかも!
 来年、この原作で映画が公開されるので、そのおかげで邦訳が出たのかもしれない。
 トッド・ヘインズ監督、ありがとう。

  キャロル パトリシア・ハイスミス.jpg 帯がつくとぐっと雰囲気が変わります。
 運命の出会いを果たす二人の女性はケイト・ブランシェットとルーニー・マーラ!
 うわっ、この映画、観たい・・・映画の前に原作たるこの本を読んでおきたいな。 あ、でも読む前に観たほうがいいかな。

 ※ アン・レッキー『叛逆航路』、最初の一節、18ページまででがっちり襟首をわしづかみにされた感覚。 これは、すごい。 これは、やばい。 このテンションが最後まで持続するなら、7冠も納得の大傑作だ!

ラベル:新刊
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2015年12月16日

わたしが眠りにつく前に/SJ・ワトソン

 ニコール・キッドマン主演の映画を観そびれたので(いつかは忘れたが、今年)、原作本のほうを読んでみることに。 しかし図書館で結構予約がつまっていて、最近やってきた。 まだ予約がぐんぐん残っているみたいなので、とっとと返さねば! 年末年始に残したくないしね。
 そして本書は2011年のCWA(英国推理作家協会)賞最優秀新人賞などを獲っているようである。 しかし翻訳ミステリをよく知らない人に「CWA賞ってどれくらいすごいの?」と聞かれてもうまく答えられない。 日本にそれと等価の賞がないから、かな(日本推理作家協会賞ってCWAほど賞が細分化されていないよね・・・)。

  わたしが眠りにつく前に.jpeg この写真、すごくいい。

 “わたし”はある日、目覚めるとなにひとつ心当たりのないものに囲まれていることに気づいて悲鳴を上げる。 鏡に映る自分が、自分が思っているよりずっと年上であることにも。 自分は大学生のつもりなのに、夫だと名乗る男が自分は事故に遭い、記憶を失っているのだと説明される。 一日の間は記憶は保持できるが、眠ってしまうとそれまでの記憶はすべてなくなってしまうらしい。 今日は大学生のつもりで目が覚めたが、もっと年が若いつもりで目覚める日もあるらしい。 バスルームの鏡の横に何枚も写真が貼ってあり、夫と名乗る人物と一緒に写っている写真もあるがどれひとつ記憶にない。 愕然とする“わたし”を家に残して夫は仕事に出かけた。 しばらくすると部屋で何かの音が鳴りやまない。 カバンの中に見つけた音の原因は、夫に渡されたのとは違う携帯電話。 おそるおそる電話に出ると、相手は“わたし”のことをよく知っているようで、夫に内緒で一緒に記憶を回復させる治療に取り組んでいる医師であるという。 何故、治療を夫に秘密にしているのか? そもそもこの医師と名乗る男は信用できるのか?
 ついこっちは“わたし”をニコール・キッドマンに置き換えて読んでしまったのだが、途中から「あ、無理」となってしまった。 鏡に映る自分、干からびた自分の手などに対する執拗な失望の繰り返し描写に「いや、ニコール・キッドマンはそうじゃないだろ」と思って。 作中の“わたし”は40代半ばから後半という感じっぽいのでニコール・キッドマンで大きく間違いではないはずなのだが・・・。
 彼女は毎朝記憶がリセットされるため、その失望も毎日の繰り返しなのでしつこいほどに感じてしまうのだが、時折過去の記憶らしきものが数秒フラッシュバックすることもあるので、同じく<一瞬で年老いてしまった自分の外見に対する失望>を描いていた北村薫『スキップ』を思い出してしまったのだけれど、あれはほんとに時間をスキップしてしまってその間の体験がないというのが大きく違う。 記憶はなくても経験はある、という差が、彼女の記憶がよみがえりかける過程に本能的なものが強く関わりあってくるのだろうか。 こういうとき、知識とか教養とかまったく役に立たないのかな、と悲しくなる。
 彼女の記憶がコマ切れなので、展開は大変スピーディーで比較的あっさり読み終わった。
 でも、眠ったら前の日のことを忘れてしまうというのなら、一・二晩ぐらい寝ないでいたらいいのでは・・・と思ってしまうのはこっちが不眠人間だからですかね(それは極端な話でも、別に規則正しく寝なくてもいいのでは)。
 それを言ったらこの話に張り巡らされた伏線が台無しになってしまうのだけれどもさ。

ラベル:海外ミステリ
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2015年12月15日

これは夢ではないかしら・・・@Sting

 生まれて初めて、「ここはあたしの行きつけのレストラン!」と感じた神戸・磯上通のフレンチレストラン『レ・グラース』が閉店してからもう・・・5年?
 味を感じるのはあくまで相対的なもの、個人差がありますが、あたしにとっては自分の好みに限りなく近い味を追求している岡崎シェフは、絶対に逃したくない存在だったのです。
 その後、店は大阪の本町に(名前・形態も変わって)移転し、ビジネス街だったから日祝休みでなかなか訪れるチャンスがなく、それでもどうにか一回行ったんだけど、しばらくしたら「閉店します」というシェフからの留守電。 そりゃーもう大ショック。
 「次のお店が決まりましたらご連絡します」という言葉を支えに待っていたけれど・・・もう3年以上が経過した。
 もう待ってはいられない、本格的に探そう!
 それまでも探していないことはなかったのだが、「きっと連絡をくれるだろう」・「もしかしたらフランスに修行にいっているのかも」とそんなに本腰を入れてはいなかった。
 でもかつてのあたしと同様、磯上通で働いていたことがあって、あの店がお気に入りだったということがしばらくしてからわかった人がいたりなんかして(それが先日のひろさんです)、こんなひっそりやってるここのブログにまで辿りついたり、コメントくれたりする人もいて、「探してください!」という声があたしの元に何人分かたまってきたせいもある。
 シェフを探すのはあたしだけのためじゃない、彼の味を待っているみんなのためなのだ!
 それが、あたしを本気で動かす原動力になりました。
 そして、ついに見つけ出しました。
 シェフは今、大阪市西区新町(地下鉄四ツ橋駅から徒歩3分)の“Sting”というお店にいらっしゃいます。
 ランチタイムはビジネス街だから決まったワンプレート系メニューしかないけれど、夜ならばシェフオリジナル料理が食べられるということで、まず一回目はあたしと一緒にレ・グラースに通っていたえむさんを誘って、訪問。
 シェフおまかせコース・5500円で予約しました。
 シェフとは電話で喋ったけれど、ほんとにこれは現実なのかしらという気持ちがあたしのどこかにあった。 実際にお店に入り(レンガ造りの壁っぽい倉庫のような雰囲気のお店で、入り口が引き戸!)、シェフにお目にかかっても(おやシェフ、なんかちょっと見た目にダンディ入ったよ!)、どこか現実離れしていた。
 しかし料理は、あたしの記憶につながっていく。

  CA3A1974.JPG アミューズ:タマネギのキッシュと不思議な卵
 キッシュは<レ・グラース>時代からのアミューズ定番メニュー。 うっ、タマネギ甘い! そして、あの味! ――ちょっと、泣いてもいいですか。
 そして不思議な卵は、どこかのブランド卵の黄身を冷凍したものが真ん中に入っているのでよくかき混ぜてお召し上がりください、と小さいスプーンが添えられる。 で、ガシガシかき混ぜていただきましたが・・・いろいろなものが入った複雑な味。 確か卵の黄身を冷凍したって言ってたよね? でもそんな冷凍した感じがないんですけど。 で、いろいろ複雑な味を、優しいクリームソースがまとめている。 あぁ、このソースもまた、シェフの味!

  CA3A1975.JPG 前菜:生ハムとフレッシュチーズ
 このフレッシュチーズもちょっと珍しいのが入ってきたので、というご説明。 カチョカバロのまわりを生クリームでくるんでチーズにしたやつ、みたいに解釈しましたが間違っているかもしれません(なにしろメニューがないし、こっちは舞い上がっているので)。
 とりあえず、濃厚! そしておいしい!
 あたしたち、シェフの料理を食べるときは無言になって黙々と食べてしまうので、普段より明らかに食べるペースが速い。 それでも次の料理はそんなに待たされることなくやってくる。

  CA3A1976.JPG ジビエ:コルベールのポワレ
 「こちらは僕からのサービスです」とのこと。 コルベールって、青首鴨(雄)でしょ!
 ジビエの皿をサービスしていただくとは(確かに、あたしは「シェフの鴨が食べたいです!」と電話で言っちゃったけど)・・・絶対コスト足出てるよ。 申し訳ない。
 内臓も、フォアグラもついて、でもジビエって言うほどクセは強くない。 そう、肉類の臭みを消したいのがシェフの個性なんだよな。 フォアグラの表面にちょっと抵抗がある感じが、野生の名残りって感じ。 あぁ、カモは美味しいなぁ。

  CA3A1977.JPG 魚料理:白身魚の蒸し焼き
 たしかスズキと言われたような・・・(記憶が曖昧ですみません)。
 魚の蒸し焼きもフランス語の調理名あるんだけど、忘れちまったぜ・・・定期的に使わないと覚えたはずの言葉も忘れてしまいますね。
 紫色をしたものは付け合わせのニョッキ。 緑色のソースもクリーム系で、一口食べてえむさんと「あっ!」と思わず声が出る。 これって、<レ・グラース>で<本日の魚料理>としてよく出てきた味!
 「うわぁ、なにかを思い起こさせる味ですねぇ」
 「そうそう、まさに<思い起こさせる味>というか、これぞ記憶にあるシェフの料理!」
 若干遅れ気味だったえむさんのペースでしたが、あたしはここで一気にごぼう抜きされ。
 「ほんとに、自分の好きな味のときは食べるの早いよね。 途中で飽きたりおなかいっぱいになってきたらこっちに押し付けるのに」とつい半ば感心、半ばあきれつつそんな言葉が出てしまったら、「あ、ばれた?」と。 ばれますよ、もう10年以上の付き合いですよ。

  CA3A1978.JPG 肉料理:牛熟成肉のステーキ
 お店の看板である熟成肉が出てきました。 「軽く下味はつけていますが、お好みで岩塩などつけてお召し上がりください」とのこと。 写真に入っていませんが、確かアラスカ岩塩・ワインの風味づけした赤紫色の岩塩・ハーブなどが混ざったマヨネーズっぽいソース・マスタードソースなどがボードの四方に。 あたしはシンプルにアラスカ岩塩がよかった。付け合わせの野菜もおいしいし! しかしこうして食べたことで、あたしはやはりそんなにも牛肉が好きというわけではない、ということがわかった。 すみません、東日本ではあまりすきやき以外で牛肉を食べる習慣がないんです(今は違うかもしれないけど、当時は)。
 ここの熟成肉自体は美味しいですよ。 でもさっきの鴨のほうがあたしは好き!

  CA3A1979.JPG デザート:ショコラ・オランジュ
 オレンジが入ったこってりチョコレートケーキ。 しかし付け合わせのソルベが見た目もドラゴンフルーツそのまま! 皮ごと食べられる柿がびっくりするほどおいしい!
 チョコレートケーキの合間にちぎったミントの葉を口に放り込めば、チョコの重厚さが軽減されるのもポイント。 それに紅茶をいただいて、コース終了。
 紅茶(えむさんはコーヒー)を飲みつつ、やっとゆっくりお喋り。 シェフにこれまでの恨み節(?)をぶつける余裕も出てくる。 でもいいのだ、またこうしてシェフの料理が食べられるのだから。
 「また来ますね」と席を立てば、シェフはお店の入口まで見送りに出てくれて、あたしたちの姿が見えなくなるまでその場にいようとする。 途中で気づき、「シェフ! 他のお客さんもいるからもういいですよ! 大丈夫ですから!」と叫んでも深々とお辞儀を返されてしまう。
 こうなったら早く角を曲がるしかない!
 帰り道、「これって夢じゃないですよね」とつい呟いてしまう。 これ以上ないほどおなかはいっぱいなのに。 あぁ、何回か行かないと現実だと実感できないかも!
 早々に再訪を誓う。 ひろさんも連れていかなきゃね、だし!

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2015年12月14日

今日は5冊。

 ルミナリエが終わりまして・・・街の人の数もいつもの感じに落ち着いてきたようです。
 しかし相変わらず、あたしに年末感はありません。
 仕事が終わるのか・・・という危機感の方が強いです。

  ナイスヴィル2−1.jpgナイスヴィル2−2.jpg ナイスヴィル2 忍び寄る闇/カーステン・ストラウド
 うわっ、『ナイスヴィル』に続編がもう出てしまった!
 確かこれも三部作なはずなので、完結編が出てから一気読みかなぁ(一応、年末年始休みの予定としては『パインズ』シリーズを読破の予定だけど、本の山にまぎれているから探すところから始めないと。 結局違う本を読んでしまいそう)。

  深い森の灯台.jpg 深い森の灯台/マイクル・コリータ
 何故、森の中に灯台があるのか? しかもその灯台を建てた男はそこで自殺したという。
 <誰も見たことがない謎、怒濤のクライマックス!>というコピーにぐっときちゃいましたが、『冷たい川が呼ぶ』の著者なので、あらすじがホラーテイストっぽいけど(ある土地で昔から奇妙なことが起こり続ける、なんてキングの『コロラド・キッド』にも通じるし)、あくまでミステリ的に着地するだろうことを予測。 どうやらそのようです。

  蹄鉄ころんだ.jpg 蹄鉄ころんだ/シャーロット・マクラウド
 『にぎやかな眠り』に続くシャンディ教授シリーズ新装版第二弾。
 引き続き来年も偶数月にシリーズが順番通りに刊行される模様。 ユーモアミステリ全開を感じさせるこの表紙もキュート!

  SFまで10万光年以上.jpg SFまで10万光年以上/水玉螢之丞
 前作『SFまで10000光年』に載せきれなかった水玉螢之丞のSF関係の仕事ほぼ全部を網羅、とのこと。 あたしは彼女をイラストコラムニストだと思っていた(勿論イラスト単独の仕事もしていたが、マンガ家の顔もあったとは知らなかった)ので、多少の片鱗は感じつつもここまでSF者として豪の者(もしくは業を背負ったSF者)であるとは思っていなかった・・・あたしはほどほどのSF者として、全部は無理でもちょっとでもわかることがうれしい。 でもそういうことを、ご本人がなくなってから知るのは切ないことです。

ラベル:新刊
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2015年12月13日

裁かれるは善人のみ/LEVIATHAN

 『父、帰る』のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作、ということで期待の一本でしたが、この邦題で、しかもロシア映画となれば“絶望”というキーワードしか浮かばない。 むしろそれが観たいんだよ!、という気持ちになる。 「面白い=楽しい・わくわくする・いい気分になる」という考えの方には理解してもらえないかもしれませんが、心がえぐられるほどのダメージを受けてもう立ち上がれない、というくらいの作品もまた、あたしにとっては貴重なものなのです(「面白い」というのははばかられる内容だったりするので、褒め言葉として「立ち直れない」という表現をしたりしています)。
 そして期待にたがわず、「立ち直れない」素晴らしい作品でした。

  裁かれるのは善人のみP.jpg 涙も、枯れ果てる――。

 ロシア北部の海辺の小さな町で、ひっそり自動車修理工場を経営しているコーリャ(アレクセイ・セレブリャコフ)はかつて自分たちで建てた家で、後妻リリア(エレナ・リャドワ)、先妻の息子ロマ(セルゲイ・ポホダーエフ)と静かに暮らしていた。 が、微妙な年頃のロマはリリアとそりが合わないし、自動車修理の仕事もそう多くはないのが日々の悩み。 しかし最大の問題は、市長のヴァディム(ロマン・マディアノフ)がコーリャの土地を安価で買収しようとしていることだった。 権力を笠に着る市長に激しく怒るコーリャは、モスクワから昔馴染みの友人である弁護士ディーマ(ヴラディミール・ヴィドヴィチェンコフ)を呼ぶ。
 ディーマの調査によると市長の悪事の証拠があるから、それをちらつかせれば取引できると請け負う。 が、それが市長の意地に火をつけて・・・という話。

  裁かれるは3.jpg コーリャとリリア。 他にも出てくる町の人たちは、とても生活に疲れたリアルな佇まいである。
 ディーマはモスクワ、つまり都会から来たよそ者ということでスーツで洒落っ気があるが、それだけ。 しかし市長の執務室にはプーチン大統領の写真が掲げられているので、現代ロシアという設定なのであろう(スマホ、持ってたし)。 だがテーマ性はドストエフスキーというか、昔から描かれてきたものでありながら今日性がある(そしてそれはそのまま今の日本にも通じる話だという・・・)。
 なんというのだろう、とにかく絵(画)ぢからがすごい。
 冒頭から、暗い海の岸辺に朽ちかけた船がいくつも放り出されたままで、そしてかなり以前に打ち上げたのであろうクジラの全身白骨が野晒し。 打ち棄てられた町、という強烈なイメージがもうそれだけで。

  裁かれるは4.jpg 悪役といっても市長は所詮小者であることは明らか。 が、目に見える暴力を前にすればディーマも臆病風に吹かれる。
 絶対的な“悪”、といったものは登場しない。 なのに、小市民たちは一矢報いることもできずに、そして生死をかけたかのような大きな決断をしたわけでもないのに、気がついたら絶望のふちに立っている。 それがすごくリアル!
 よどみなくただ早口な判決は、まるで誰にも聞かせる気がないように空虚で、法の秩序が機能していないことを表しているのだろう。 あぁ、それもまたリアル。
 原題は“レビアタン”(英語読みでは“リバイアサン”)。 ヨブ記に出てくる海の怪物で、転じてホッブスが「個人が抗えない国家というもの」にその名をつけた。 この映画は両方の意味を含んだタイトルだなぁ、としみじみする。 あと、ロシア正教がやはり根底にあります。
 それと完全シリアスというわけでもなく、コメディ要素もいくつか。 特に登場人物みなさんのウォッカの飲みっぷりとか、酒の飲めない外国人にはギャグとしか思えない。

  裁かれるは2.jpg 登場したときにはロマと姉妹かと思えたリリアも、映画が進むとともにぐんぐん疲れ、老けていくように見える。
 あまりの出来事に打ちのめされたリリアが暗く荒れた海を見つめているとき、彼女には見えたかどうかわからないけれど、観客には波の合間に一瞬だけ、クジラらしき巨体のわずかな背だけが2度見える。 あぁ、これは文章では表現できない、映像ならではの描写だ!、とめちゃめちゃ盛り上がりました。
 しかもそのクジラは巨体であるにもかかわらず、“生き物”的な空気を醸し出していないのだ、クールすぎる!
 なんでこんなにひどい目に遭うのか、とコーリャが地元の古びた教会の神父に迫る(もしくは言いがかりをつける)場面がある。 神はどこにいるのか、と。
 そこで神父は答える、「私の神は私の側におられるが、あなたの神はわからない」。
 あぁ、と一神教の本質を見たような気がした。
 もしすべての人がそうならば、一神教もまた多神教とわかりあえるのでは。
 そうならば、宗教戦争など起こらないのでは。
 でも実際はそうではない。
 ということはこの神父の境地に立つものは少数派なのだろうか。 残念だ。
 いやー、重たい。 それ故に美しく、素晴らしい映画だった。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月12日

破壊ランナー/神戸大学演劇部自由劇場@アートビレッジセンター

 友人・ひろさんに誘われ、学生演劇を観に新開地の神戸アートビレッジセンターへ。
 「かしこんさんを学生演劇に誘うなんておそれおおいと思ったんですけど」とえらいこと恐縮してくださるひろさんですが、あたしは高校で演劇から足を洗った身。 大学生になっても演劇を続ける覚悟がなかった弱虫ですから、本気でやっている方々を尊敬します。 それに、自由劇場は関西圏の学生演劇の中でもレベルが高い方とのことなので、特に心配もせずに参入。 アートビレッジセンターのHPには当日券500円と書いてあったので、お財布からお金を出して列に並ぶと、「当日券は700円になります」と言われて大慌て。 またカバンからお財布を出す羽目に・・・スマートに支払って列を乱れさせたくなかったのに。
 さて、本日の演目『破壊ランナー』は西田シャトナー作。 現在プロではあるが神戸大学OBというつながり? 演出は現在の学生の方の模様です。
 あたしは高校演劇までしか携わっていませんが、演劇はおカネがかかるものということはよく知っています。 そういう意味では、「ここ、お金あるなぁ」というのがひしひしと感じられてなんだかうらやましくなってしまった(勿論、それでもご苦労があることもわかっています)。
 観客からおカネをとっているとはいえ、みなさん学生さんですし、アマチュアですし、批評は控えます(でもアンケートには技術的なことにちょっとダメ出ししてしまった・・・)。
 印象としては、かなり体育会系。 勿論若いんだからパワフルな舞台の方が似合うのはわかりますが、出演人数絞って会話劇中心のホンをやるとしたらこの人たちはどう演じるのだろう?、というちょっといじわるな想像もしてしまった。 劇団のカラーもあるだろうけど、でもいろんなことにチャレンジしてほしい。
 いろいろと瑕疵はありましたが、なんというか「若い者が一生懸命やっている」という姿はいいですねぇ、その熱量が、ということにおばちゃんは心温まりましたよ。 高柳わかこさんという素敵な女優さんも見つけたし。

 鑑賞後、ひろさんとお茶を飲みながら感想を話し合い・・・舞台では映画ほどリアリティは重視されないとはいえ、整合性は必要とか、舞台世界の約束事みたいなのはある等の話をしていて、舞台には舞台でしか、映画では映画でしかできないことがあるみたいな話に多分なって・・・ひろさんが「『水曜日に抱かれる女』が好きで」と言い出したので「ジェイムズ・スペイダーでしょ?! わかる! 大好きです!」とあたしがかぶせ気味に乗っかり、その後はジェイムズ・スペイダーのことで盛り上がってしまった・・・。
 彼女とは知りあって4年ぐらいになるのに、いろいろ結構深いところまで話し合ったりしているのに、いまでも共通に好きなものが新たに見つかる・・・まったく面白いです。
 ジェイムズ・スペイダーのどこに惹かれるか、ということで盛り上がりすぎ(二人とも、「見た目は普通以上のハンサムなのに実は闇を抱えていて、最初は本人に自覚がないんだけど話が進むにつれそれに気付き、苦悩する様が美しい」ということで意見が一致)、『破壊ランナー』のことが吹っ飛んでしまいました。 すみません(だってこんな話ができる人、他に身近にいないんだもの)。
 というわけでひろさんには<ジェイムズ・スペイダー&ジョン・キューザック共演の隠れた名作>:『トゥルー・カラーズ』をお薦めする。
 そしてあたしもまた観たくなってしまった・・・。

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2015年12月11日

このミステリーがすごい! 2016年版

 えーっと、もう出ていました。
 否応なく年末が近づいている・・・というのを改めて実感。 しかしリアルな切迫感はないんですけどね(うおー、クリスマス前に出すはがきの準備がまったくできてない)。

  このミス2016.jpg 今年の表紙はオレンジで。

 このミステリーがすごい!、略して『このミス』が刊行してもう28年目だそうです。
 その間に、一部の好事家の「そうだよね〜」だったものがある種の権威になってしまいました。 自分の好きな作品を紹介し合う場(ある意味、ビブリオバトルの先駆けだったのかも)から、「『このミス』にランクされていたから」と本を買う(読む)理由へとその使われ方が変わってきた。
 でも、投票している人はそんなに変わっていないので、「『このミス』で一位だったから」と読んだけど「面白くなかった・わからなかった」という人が増えているのもむベなるかな。
 使い方、間違っている。
 週刊文春のランキングが正統派なら、『このミス』はもともとマニアック路線なんです。
 まぁそれだけ、本を選ぶのに困っている・迷っている人が多いんだなぁと、なんらかのお墨付きなしに自分で面白い本を見つけることができない人が増えているんだろうなぁと毎年感じます。
 そしてあたし自身感じるのは、「あぁ、日本人作家、読んでないなぁ」ということ。
 しかし海外編は結構買っている&読んでいる。 そしてあたしの好きな作品が高評価だと、やっぱりうれしいもんですね。
 でもあたしが『このミス』を買い続けている理由は、出版各社の来年の出版予定紹介欄。
 来年は集英社文庫チェックを忘れずに。 そして角川はドン・ウィンズロウ祭りらしい! 誰が訳すんだろう?、という心配はあるものの、楽しみ!

ラベル:このミス 新刊
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2015年12月10日

ハーモニー/<harmony/>

 <Project Itoh>アニメ化三部作計画、『虐殺器官』の制作延期のため繰上公開。
 『屍者の帝国』が思った以上に面白かったので、つい更に期待してしまった第二弾の『ハーモニー』。 原作的にも好きだし。
 オープニング部分は静かになにかが起こっている、これからなにかが起こる、という予感に満ちた静けさにあふれていてあたしは心の中で盛り上がる。 しかし、次第に「・・・あれ?、こんな話だったっけ?」となっていってしまったのはなんだか残念だった。

  ハーモニーP.jpg 行こう、向こう側へ

 アメリカから始まり全世界を巻き込んだ“大災禍”後、政府は弱体化し、やがて世界は人類こそ最重要的公共リソースであると位置づける高度発達医療社会へ移行した。
 <生府>が誕生し、人々に恒常的体内監視システムWatchMeを埋め込むことで致死的リスクを遠ざけ、すべての人々は健康になった。 その結果、うわべだけのやさしさや思いやりが幅を利かせる“ユートピア”であり続ける世界に飽き飽きの少女ミァハはWatchMeを体内に埋め込まれる前に死を選択しようと友人トァンとキアンをそそのかす。 自殺を試みた3人だったが、ミァハだけが死に、13年後トァンはWHOの螺旋監察官として紛争地帯で働いていた。 そんなある日、大規模テロが発生し数千人規模の犠牲が出る。 “大災禍”再び、とおののく世界に発表された犯行声明はかつてミァハの言っていたことそのもの。 ミァハは、生きている? トァンは真相を追うことに・・・という話。
 自分で書いてて、これほど役に立たないあらすじも珍しいと思ってしまった。

  ハーモニー1.jpg このコード描写をどう受け止めるかも結構重要かな。

 『屍者の帝国』と違って、こちらは基本的には原作に忠実。 それ故に、読み手の解釈の違いが大きく目立ってしまった(つまり制作陣の“解釈”と読み手のひとりとしてのあたしの“解釈”の違い)・・・そういうことなのかもしれない。 だからきっとこの映画に感銘を受けた人もいるだろうし、あたし以上に激怒している人もいるだろうということ。 そもそも原作のある作品の映画化には必ず起こりうる問題だけど、この作品ほど毀誉褒貶の幅が大きそうなものも珍しいのではないか。 そんなことがすごく気になってしまうぐらいだった、というのがいちばんの感想だったかもしれないです。
 映像はきれいだったですし、ヴォイスキャストのみなさんも違和感なく(明夫さんと三木眞一郎は『屍者の帝国』から引き続いての出演で、『虐殺器官』にも出るのだろうかとひそかに期待している)、棒読みやらいわゆるアニメ声へのいらいらに煩わされることなく物語に没頭できたのはとてもよかったです。
 ・・・だからこそ、つらい部分が目立ってしまったのかしら。
 完全なる<ハーモニー>が完成した世界らしき、実写以上に美しい(3DCGの)光景がたたみかけられる終盤の流れは圧巻だけれど、だからこそメインの女性たちの描かれ方・気持ちの伝え方がなんだか短絡的過ぎて、ほんとに残念です。

  ハーモニーP2.jpeg ポスターよりも、このチラシのビジュアルのほうが好きだな。
 <わたしの心が、幸福を拒絶した。>というコピーのほうが、テーマに合っていた気がするし。

 『虐殺器官』は2016年完成をめどに制作再開の報があり、安心しました。

ラベル:映画館 日本映画
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2015年12月09日

まだ週の半ばなのに

 無事、髪を切ってきました。
 おかげさまで、さっぱり。 いつもビジョンのないあたしを「おまかせ」で仕上げてくださる(おかげで毎度仕事場の女性陣に好評)Oさんに感謝です。
 しかし帰りがちょうどルミナリエ客の引き上げてくる時間とかぶってしまったのか、込んでおりました・・・なんだか、つかれた。
 いや、疲れているのは急に舞い込んできた急ぎの仕事のせいもあり。
 急ぎなのはわかります(あたしの今いる部署はほとんど「なんでも屋」と化してますので・・・)。 要はデータ集計なのですが、その紙ベースデータが全部一気に届かない(全部で何件あるかも把握している人がいるのかどうか・・・)。
 データ集計入力フォーマットにも不備があり、でもそこをこっちで修正できない。
 うおーっ、エクセルかアクセスでこっちがフォーマットから全部つくり上げたほうが早くできそうなんだよな・・・というのが大変ストレスです。
 急ぎの仕事をよこすなら、万全の準備で。 もしくはいっそのこと全部丸投げで。
 実際作業する側としてはどちらかの方がありがたいです(中途半端は何事においてもいちばん厄介です)。
 そんなわけで映画の感想が沢山たまっているのですが、なかなかまとめる(時間的にも気持ち的にも)余裕がなく・・・。
 あぁ、今年も年末感がないまま過ぎてしまうのだろうなぁ、という気配。

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2015年12月08日

とても年が押し迫っている感

 いつも行っているヘアサロンから、「今年は例年以上に12月の予約が入ってきています。 もし年内にご来店のご予定でしたら予約はお早めに!」というメールをいただく。
 あぁ、そろそろ予約せねばと思いつつ、予定が立たないと思って一ヶ月ぐらい経っている(ほんとは11月中に行くつもりであった)。 これではいかん!、とあわてて返信。
 交渉の末、明日髪を切りに行ってきます。
 「ルミナリエが始まったら・・・」とか言ってたらもう始まってました。
 今日はシネ・リーブル、時間ギリギリかなぁと思っていたら交通規制に阻まれ、完全に間に合わず。

  フェリシモ点灯.JPG せめて先週か先々週あたりに撮った写真を・・・。

 シネ・リーブル神戸入口手前のピロティに毎年展開されるフェリシモタワー。
 こう撮ったらたまたま天井の高さがいい感じに出たかも。
 あぁ、しばらくルミナリエルートに近付けないな(もしくは時間に余裕を持った行動を)。
 今週の金曜日こそ、シネ・リーブル行っとかないと!

ラベル:季節もの
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2015年12月07日

世界が終ってしまったあとの世界で/ニック・ハーカウェイ

 またしても分厚い本を読んでしまった。
 これもいわゆる“ポスト・アポカリスプもの”ということになるのかな。
 恐怖の大量破壊兵器<逝ってよし爆弾(ゴーン・アウェイ・ボム)>を使用した戦争<逝ってよし戦争(ゴーン・アウェイ・ウォー)>により文明が破滅した後の世界の物語。
 第一章がその後の世界で起こる破滅的トラブルの知らせをメインキャラクターたちが受けるのが酒場ということで、なんとなく『ブラックライダー』を思い出す。
 テイストは全然違うんだけどね。 かなりユーモア度が強いです。

  世界が終ってしまったあとの世界で1.jpg世界が終ってしまったあとの世界で2.jpg 原題が“THE GONE-AWAY WORLD”ということは、<逝ってよし世界>?

 “ぼく”という語り手による一人称のこの物語は、第二章から<現在>に至るまでの過去を振り返って語り出す。 それもあふれんばかりの饒舌で。 そしてまったく物事を真剣に受け止めないかのような語り手故に、すべての出来事はどこか緊張感がなくのほほんとしていて、壮絶な世界を描いている割にどこかファンタジック(たとえに『指輪物語』を出してくるまで、てっきり異世界ものかと思っていたほどだ)。
 無駄話が多いので読み飛ばしそうになるが、時折真実をついた“人生の格言”めいた一文がきらめいて見え、そして回想パートは実は青春小説として独立して読むことも可能。
 日本人としては「ニンジャ」の使われ方はどーよ!、と是非ツッコミを入れたいが、世界のサブカルに取り込まれてしまったものはもう仕方がないのかなー、とあきらめるしかない様子。 なんだかかなしい。
 しかしこの饒舌&ふざけっぷりも慣れてくるとそんなに苦痛ではなく、下巻は早かった。
 あぁ、このSF的ワンアイディアを自然に物語に放り込むために必要な仕掛けだったのかな? いやいや、作者本人のきっと資質だ、と納得する(デビュー作だし)。
 ちなみにこの著者、ニック・ハーカウェイはあのジョン・ル・カレの息子だそうである。
 大学卒業後は映画界で仕事をしたいと思ったものの果たせず、本書を書きあげてエージェントに売ったのが35歳のときで、そのときすでに結婚している。 しかし解説読んでもそれまでなんらかの職についていた的な記述がなく・・・大金持ちであろうおとーさんに食べさせてもらっていたのかしら、という疑惑がついわいてしまうのは、あたしが苦労を知らないお坊ちゃまが苦手だからでしょうか。

ラベル:SF
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2015年12月06日

エベレスト 3D【2D・字幕版】/EVEREST

 タイトルに3Dとか入れたら紛らわしいでしょう?!
 実際、【2D・字幕版】のチケットで入場しようとしたらもぎりのおにーさんに3Dメガネを渡されそうになって、「あ、2Dなんで、大丈夫です」というやりとりをする羽目に・・・。
 後日公開の『エヴェレスト 神々の山嶺』との区別なのかもしれないけど・・・。
<閑話休題>
 てっきりジョン・クラカワーのルポルタージュ『空へ』が原作だと思っていたあたしは、冒頭から衝撃を受けた。 違う! ベック・ウェザースの手記『死者として残されて』やアナトリ・ブクレーエフがルポライターの質問に答える形で出された(クラカワーへの反論としての意味もあった)『デス・ゾーン 8848m』と邦訳されているものを含め、1996年に起きたあの出来事を語れるすべてに取材して、現段階で再構成された物語!
 つまり、あの出来事を別の形で追体験できるということ。 そこにはあのことに関わりを持つすべての人々への、そしてエベレストを最高峰とする山々への敬意が込められていた。
 だからベック・ウェザースとダグ・ハンセンが「同じくロブ・ホール隊だ」と挨拶して握手する場面で、あたしの胸には何かがぐっとこみ上げてきた。 名前だけだけど知っている人たちがここにはたくさんいる! 全員が実名で登場するって、すごい!

  エベレスト3D−P.jpg 地球上でもっとも危険な場所へ

 1996年、ニュージーランドの会社<アドヴェンチャー・コンサルタンツ:通称AC>は、例年通りエベレスト登頂のツアーを開始する。 代表のロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)が隊長となり、AC隊のガイドたち・雇った現地のシェルパたちとともにベック・ウェザーズ(ジョシュ・ブローリン)、ジョン・クラカワー(マイケル・ケリー)、ダグ・ハンセン(ジョン・ホークス)、難波康子(森尚子)ら8人の顧客全員をエベレストの頂上に立たせるのが目標。
 だがこの年はロブ・ホールの友人で商業登山ツアーのライバルでもある、<マウンテン・マッドネス:通称MM>の隊長スコット・フィッシャー(ジェイク・ギレンホール)率いる顧客組だけでなく、南アフリカ隊や台湾隊など世界中から経験値もバラバラな登山隊が集まり、混雑が予想されていた。 果たして・・・という話。
 あたしはこの出来事に対して予備知識を持ち過ぎなのか、「あれ、ベック・ウェザーズはこんなマッチョなキャラじゃなかったよな?」などあたしが思うところの“事実”と違う部分に引っ掛かりを覚えましたが、あくまで「事実に基づく物語」ということで途中から割り切ることができました。

  エベレスト3D−5.jpg それもこれも、ネパール側から見るヒマラヤ山系とその周囲があまりにも美しいから。

 時間がたてば人の記憶は曖昧になるのに、高所にいるだけで人は記憶どころか自分の行動の認識自体できてないことがある。 だからあの出来事を全く完璧に再現することは不可能なので、この映画は人々がおかした愚かなあやまちや些細なミスと思われたものがのちのち大きな失敗になることも含め、個人攻撃ととられる描写はいっさいしていない。
 敵はあくまで高所、山なのである(そして主人公もまた山なのであるが)。
 山という“偉大なるもの”に向かうちっぽけな人間を代表して、ひとまずロブ・ホールがメインキャラクターとして選ばれた。 彼が高所登山にツアーガイドという概念を持ち込んだ最初の人物であり、そして強いドラマ性を持った人だから。
 つまり、これはそういう映画なのだ。
 あたしの記憶によればベック・ウェザースはこんなブチギレキャラではなかったはずだし、知名度が高いわりにジョン・クラカワーはいざというときあまり役に立っていない人物のように描かれているし(彼は顧客の立場なのでガイドたちと違って救援する義務は負っていないので別におかしくはないのだが)、アナトリ・ブクレーエフは無酸素登頂をするというガイドとしていかがなものかという選択は描かれつつも彼の救援行動は英雄的であり、サンディ・ピットマンがシェルパを苦しませた事実はさらりと流され、スコット・フィッシャーの無茶な往復はあくまで顧客のためであり、等々、誰も悪者にならないように論争の種になりそうな部分(実際、これまで論争の種になっていた出来事)を避けて、ただ山頂を目指した人々とそこにぶち当たってしまった悪天候を描き、「人の選択は正しいのかどうか正しくないのかその場ではわからない」というまたしてもジョン・ロックの経験的認識論の問題になっていくのだ。 そしてもしその場にあなたがいたなら、あなたならどうしますか? 生き残ることができますか?、と問いかけてくる。
 だから亡くなった人も、生き残った人も、誰も責めることはできない。
 だって相手はむきだしの自然なのだから。

  エベレスト3D−1.jpg それにしても・・・「あなた、誰ですか?」と(それがジェイク・ギレンホールだとわかっていても)訊きたくなる変貌ぶりである。
 顔に張り付いた雪や凍傷の描写はかなりリアル。 高所の酸素不足による危険性は再三言及されるが、映画の場面だけではクレバス深いしセラックはいきなりあるし、ヒヤリハットな場面は酸素不足による個人のせいなのかどうなのかちょっとわかりづらいかも。
 いや、そもそも事前知識がなくては多くの登場人物たちの区別が難しい(それでもメインの人物はかなり絞っているのだが、重装備にゴーグル、ヒゲに雪となったら誰が誰だかわからなくなってくるよ。 アノラックの色などがかぶらないようになっているけどさ)。
 そういう意味では、吹替版で観る方が声で区別はつきやすいと思う(だからベテラン声優で固めたのか。 後日吹替版も観に行く予定 → 結局行きました)。
 後半、本当に人がバタバタと死んでいきますので、そういうのに弱い方はご注意を。
 それはあまりにあっけないほどに。 そこにドラマ性を廃したのはかえってよかったと思いました。 ドキュメンタリー性が強調されるし、実在の人物である方々への敬意がわかるし。 勝手な想像は、かえって名誉を傷つける。 わからないものはわからないままでいいのだ。

  エベレスト3D−6.jpg しかし、「何故山に登るのか」という問いに対する答えはまったくないと言っていい。
 商業登山に対する批判は控えめながら込められているし、確かに8000m以上のデス・ゾーンではその場に立っているだけで細胞は死に始める、人がそもそも行ってはいけないところ。 しかし登山に対して確かな知識と技術を持ち、準備も用意も周到で、豊富な体力と天候を読む力と引き返す勇気を持っている人が天候に恵まれれば、エベレスト登頂は実際それほど難しくないと思う(山登りをまったくしないあたしが言うのも変ですが)。 もう登頂ルートは十分開拓されているし、他の8000m峰に比べれば登りやすい山になっている。 でもそれは世界最高峰であるが故に登る人が多かったからなんですけどね。
 はじめは初登頂をかけた国のエゴ、その後は「おカネさえ出せば連れて行ってもらえる」と考える人々のエゴにまみれるエベレストだけれど、回収不可能な遺体が今もところどころに散乱したままであるように、山は決して人間には征服されない。
 悲惨な事故を描いた映画ですが、後味がそれほど悪くないのは、それもこれも、壮大で美しすぎるヒマラヤ山系の光景のせいかと。 あ、あと、ロブ・ホールの娘さん(本人)の姿がエンドロールでちらりと見られたのもよかったです!
 断固山登りはしないあたしですが、エベレストにちょっと近づいたような気になってしまってなんだかうれしかったのも事実です。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする