2015年12月31日

今年もありがとうございました

 なんだかあっという間の大晦日です。
 今年も一年いろいろあった・・・はずが、10月以降に個人的に重大な出来事が続けざまに起こったので、それ以前の記憶がさっぱり・・・です。 まぁ、蒸し暑い時期などもそれに負けて記憶に残ってない、ということもありますが。
 しかし今年、改めて思ったのは、言葉は場合によっては凶器になるということ。
 たとえ使う側に悪意がまったくなくとも、いくらでも相手を不快にさせたり傷つけたりできる。 それを忘れてはいけないと肝に銘じました。 その刃が自分に返って来たとき、それ以上にあたしが深手を負うので、これもまた自己防衛ではありますが。
 年を重ねるごとに図々しく、図太い性格になってきていると思っていましたが、まだまだ人見知りの激しい臆病な子供があたしの中に居座っているようです。
 そんなわけで、今年もお付き合い、ありがとうございました。
 今年もここを通じて新しい出会い・深まった出会いなどいろいろありました。
 立ち寄ってくださったすべての方に(そしていつも来てくださる方には更なる感謝をこめて)お礼を申し上げたいと思います。 本当にありがとうございます。
 それでは、みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

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完全なるチェックメイト/PAWN SACRIFICE

 予告を見たときから、「これは観なければ!」と思った、というか思わされた。
 トビー・マグワイアがその童顔イメージを捨てるかのようなふてぶてしい表情を!
 それに、あたしはチェスはしないが(そしてルールもなんとなくしかわかっていないが)、チェスが出てくる話にはなんか惹かれる。 しかも、ボビー・フィッシャーを主人公に最盛期を描く、となれば絶対逃すわけにはいかないわけで。
 くしくも、これも天才の物語だった。 自ら才能を呪うことになるような。

  完全なるチェックメイトP.jpg それは、世界が震えた<神の一手>

 米ソ冷戦時代の真っただ中、1972年にアイスランドのレイキャビクで開催されたチェスの世界王者決定戦は、最強の王者、ソ連代表のボリス・スパスキー(リーヴ・シュレイバー)とアメリカ代表ボビー・フィッシャー(トビー・マグワイア)によって争われることに。 宇宙開発に敗れたアメリカ側としては、米ソの威信をかけたもうひとつの代理戦争としてボビーを応援、その勝敗の行方は世界中の注目を集めていた。
 そもそもボビーがチェスを始めたのは、複雑で厄介な家庭環境から逃避するため。 IQ187の知能とたぐいまれな集中力の持ち主であった彼はチェス界でたちまち頭角を現し、15歳にして最年少グランドマスターとなる。 常に自信満々で謙虚さのかけらもなく、自分の主張はすべて通ると思っている彼はチェスの才能とともにその奇行でも有名だが、この映画ではボビーが言われるほど奇人に見えないというか、彼の要求はそれなりに正当だよねと思えてしまうところがミソではないかと思う。

  完全なるチェックメイト3.jpg また子供時代のボビーがのちのトビー・マグワイアにすんなりつながる顔立ち・イメージなのがすごくうまい。

 チェスのルールはわからなくても十分話についていけるようにできているが、主人公に共感なり理解なりできたほうが観ていて面白いのは確かである。
 だから弁護士でボビーの代理人を買って出たポール(マイケル・スタールバーグ)は次第にたくらみのある人間に見えてくるし、どんどん心を病み始めるボビーの言動にこっちの心が痛む。 ボビーの才能故の苦悩を理解するセコンド担当の神父(ピーター・サースガード)の存在が観客にも心の支えだ。 最近どこかあやしげな要素のある役の多かったピーター・サースガードが、悪意のかけらも見せないいい人でずっといてくれるのがとてもうれしい(悪役的要素がまったくのゼロなのだ!)。

  完全なるチェックメイト1.jpg 神父は自分もチェスプレイヤーだったので、これ以上行ったら狂気の領域に入ってしまうことを身をもって知っている。
    ↑ ほんとにピーター・サースガードですか!、と目を疑うくらいの素晴らしさ。

 が、100%ボビー・フィッシャーの伝記映画にしなかったのは、ボリス・スパスキー側のことも少し描いているから。 CIAなどに監視され、盗聴されているといい、完全な静寂がほしいとわめくボビーの姿は、なかなか人には信じてはもらえないがすべてがまったくの妄想ではないように描かれている(とあたしには思えた)のだが、スパスキーの場合は確実に監視されているし、盗聴もされている。 旧ソ連の代表、国家的財産である彼は広告塔であり、絶対に亡命されてはならない存在。 そして負けることも許されない立場。 しかしボビーのように自分の気持ちを公に語ることもできない。 形は違えど似たような状況に置かれている二人はきっと誰よりもわかりあえ、素晴らしい友人になれただろうに、と思うと切ないのだ。

  完全なるチェックメイト4.jpg スパスキーは常にツイードのジャケットを着ているのが微笑ましい。 ボビーに比べ、彼のほうが年齢的にも精神的にも“大人”ということなんだろうけど・・・どれだけのものを抱えていたのか、もっと彼のことが知りたくなった。

 が、あたしはすっかりトビー演じるボビーに魅せられてしまったようで、「ちょっと考えたら彼の言いたいことわかるじゃん!」と見当違いなことを答えたり、自分の都合ばかり押し付けてくる(結局それはアメリカ政府からの要請だったりしたのだが)ポールに怒りがわいてしまったし、映画のラストで語られるボビー・フィッシャーの波乱の人生(のほんの一部)で、最終的にレイキャビクを終の住処として選んだのは、彼にとってスパスキーとこころゆくまで対戦した時間がとても大切な思い出だったからなんだろうか・・・、と胸をつかれたり(その後、隠遁生活をしていたスパスキーを訪ねてまた対戦してるんだけど)。

  完全なるチェックメイト2.jpg 大ホールのステージ上で対戦させられるなんて、落ち着かないよ。 卓球室で対戦したい気持ち、わかる。

 リーヴ・シュレイバーも今までのイメージから脱却した素晴らしい演技だったし、でもそれ以上にトビー・マグワイア、過去最高の演技じゃないかと思うくらい(アカデミー賞に2人、できれば3人ノミネートしてほしい)。
 あぁ、素晴らしい演技とはこんなにも人を満足させるものか。
 今年最後の映画をこれにして、とてもよかった。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月30日

SAINT LAURENT サンローラン/Saint Laurent

 シネリーブルでタイムスケジュールを見て愕然とした(自分の計算間違いかと思った)。
 確認したところ、本編上映時間151分って、マジか!
 去年、『イヴ・サンローラン』というサンローラン財団公認の伝記映画を観ているので予習・復習はいらないよなー、と思いつつ、こう短期間に企画がかぶるのはどうしてなのだろうな、とつい考える。 しかもこっちの映画はサンローランの終生のパートナー、ピエール・ベルジェが協力を拒否したそうなので、もっともひどい時期を中心に描いているのかな、と予想する。

  サンローランP.jpg 時代が創った、美しき怪物

 1967年のパリ。 ディオールから独立したイヴ・サンローラン(ギャスパー・ウリエル)は次々とセンセーショナルなコレクションを発表し、時代のカルチャーアイコンとしてその名をとどろかせていた。 が、同時に多忙な毎日と新作へのプレッシャーから、片腕のピエール・ベルジェ(ジェレミー・レニエ)の忠告も聞かずサンローランは次第にアルコールやクスリに自ら身をゆだねるように依存していく・・・という話。
 独立後、プレタポルテ・ラインを開始した翌年の1967年以降の10年間に主に焦点を絞って描かれた本作は、イヴ・サンローランの伝記という線をはじめから放棄し、説明もしないし時間軸もバラバラ。 予備知識がなければ「一体何のことやら」となってしまうが、描きたいのは物語ではなくサンローランが見た栄光と悪夢の螺旋階段なのかも・・・、と考えれば納得がいく。 素晴らしきかな退廃!

  サンローラン1.jpg 数少ないアトリエシーンはとても静謐。

 アトリエでは白衣に身を包み、お針子さんとともに美しい服をミリ単位の正確さでつくりあげるのに、そこを一歩出ればカール・ラガーフェルドの愛人ジャックにのめりこみ、ピエールのことはないがしろ。 創作の苦悩は勿論常にあるが、サンローランはもともと精神的に病んだ過去があり、彼の幻覚と妄想と現実がまじりあう退廃美的映像!
 70年代ってそういう時代だったのか・・・と思わされる。
 レア・セドゥら若手スターを脇に配しながらも、どこかとってつけたよう。 ジェレミー・レニエもがっかりなほど出番が少ない。
 ただひたすらサンローランを体現するギャスパー・ウリエルのあやうさを焼きつけたい、とでもいうような執念がそこにあるような(イヴ・サンローランのヌード写真の撮影風景も押さえてあるし)。 だから晩年のサンローランとしてヘルムート・バーガーが登場したときには「うぉお、退廃美ここに極まれり!」みたいな気持ちに。

  サンローラン4.jpg <神々の黄昏>ですか!

 イヴ・サンローランというブランドは今も存在する。
 しかし、デザイナー、アーティストとしてのサンローランの輝きは鮮烈であるが故にあまりにも短かった。 そのことに、自分が耐えられなくなるほどに。
 天才の域まで達する才能は、まるで呪いだ。
 きらびやかに見えてとてもしんどい151分だった。

ラベル:映画館 外国映画
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わたしはマララ/HE NAMED ME MALALA

 これをドキュメンタリー“映画”として公開するのがいいことなのか、それこそEテレで放送して学校教育に取り入れたほうがいいんじゃないか、と公開前の並んだチラシの中にこれを見つけて考え込んだ。 でもこれを映画として公開し、興行成績から世界の子供たちのための学校づくりの資金にすることを条件に本人が承諾したという契約だそうなので・・・とりあえず観てみようと思った。 個人的にひとつ気になっていたこと、彼女の顔が年齢の割に老けているように感じるのはやはりあのせいなのか?、に対する答えももらえるかと思って(こういうことってなんか人には聞きづらいし、かといって改めて調べることでもない気もして)。

  わたしはマララP.jpg “ふつう”の女の子が、世界を変えようとしている。

 邦題は『わたしはマララ』ですが、原題を訳せば『マララと名付けられたわたし』。 つまり名付けたお父さんという存在にクローズアップした内容でした。
 パキスタンの奥地、緑豊かなスワート渓谷で育った彼女は詩人で学校の教師であり経営者である父親と教育を受けていないが美しい母親との間に生まれた第一子長女。 パキスタンの伝説でジャンヌ・ダルクのような働きをした少女マラライから名をもらい、マララとつけたのはその父である。 家が学校であったマララにとっては高い教育を受けることが当たり前の意識だが、それはムスリム社会ではあまり一般的ではないことで、タリバンが周辺を支配下において以降は更にその傾向が強まる。 しかしBBCのドキュメンタリー番組に出演し、女子教育の必要性を訴えたことでタリバンの標的となり、2012年、15歳のマララは下校途中のスクールバスを襲撃される・・・その周辺からは、あたしも知っている世界ニュースとリンクする。

  わたしはマララ2.jpg 自分のせいで娘を失った、と一度思った父は、その後の人生をすべて娘のために捧げようと誓っているかのように見える。

 少女マラライのエピソードは素朴なアニメーションで紹介される(他にも回想シーンは主にアニメーションで、ここぞというところのみ実写)。 抵抗運動に疲弊した兵士たちの前に立ちあがったマラライは「100年間を羊として生きるよりも、ライオンとして一日を生きよ」、と旗を振り、再び兵士たちを鼓舞させ、その戦いの中、銃弾に倒れるというまさにジャンヌ・ダルクそのもの。 伝説としては美しいんだけど、現在の観点で見るとそれも“テロ”につながるよなぁ・・・と思ってしまうこの複雑な心境。 なんでもかんでもテロリズムと呼ばれてしまう状況に対して、あたし自身の思考も袋小路に入ってしまっているようです。
 でもあの襲撃のあと、彼女がイギリスに住んでいることは知らなかった。 BBCのドキュメンタリーに出る前に、匿名でBBCのブログに記事を書いていたことも。 そういうきっかけがあるからこそ西欧諸国のマスメディアに大きく取り上げられたんだな、ということも。 彼女のように脚光を浴びていないだけでそういう気持ちがある子たちは現地には沢山いるんだろう、と思うことは希望ではあるが、銃撃後はマララに同情的だったり応援していたパキスタン世論(といっても大概答えているのは男性だ)が、彼女がイギリス移住後は「有名になりすぎていい気になっている」という論調が目立っていくあたり(とはいえこの映画をつくっているのはアメリカだから恣意的な編集がないとも言えないのだが)、ムスリム的価値観と自由主義的価値観の相入れなさの根深さを物語っているなぁ・・・とこれまた絶望的な気持ちに。 2014年にノーベル平和賞を受賞したことも、火に油を注ぐことになっているんだろうな(実際、帰国したら殺す、とタリバンから殺害予告を受けている)。
 女性にこそ教育が必要、と考える父親がいたからこそ彼女は近い入口にいた。 やはり子供には親が選べないからこそ、環境って大事という話。 そしてもちろんその整った環境を無駄にしない気持ちが彼女にあったからこそ、今の彼女があるわけですが。
 女の子たちは学校行かなくていいよ、勉強しなくていいよ、と言われたら、日本の少年少女たちはどう答えるだろう。 「不公平だ!」と男の子たちも勉強しないと言い出すんじゃないだろうか・・・。 あることが幸せだと気づくためには、それがない人たちが存在することを知らないとわからない、というのが不幸だ。

  わたしはマララ1.jpg そのために彼女は「宿題終わらないんだけど」と言いながら世界各国で求められれば講演をする。

 そしてあたしが知りたかったこと・・・彼女は左頭部を銃撃された。 頭蓋骨の内側まで銃弾が入り込み、そのかけらは今も脳の中に残っていて神経を圧迫し、彼女は左耳が聴こえないし表情筋もうまく動かない。 あたしの感じた老けて見える様子はそのせいであるらしい。
 あぁ、なんともいたましい。
 タリバン兵にももっと広い視野で勉強してもらいたいものだが・・・いや、それはすべての原理主義の方々にも言いたいことですが。
 あぁ、世界平和ってどうしたら成り立つんだろう。
 悩んでも答えの出ないことに、悩んでしまいました。

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2015年12月29日

エベレスト 3D【3D・吹替版】/EVEREST

 というわけで字幕版で一度観ているので、今回は声優のみなさんに着目した感想です(というか、観に行った目当てもそもそもそれなわけで)。
 ジェイク・ギレンホールの声を山寺宏一があてるなんて、どんな風になるのか想像ができない! それがいちばんの動機でした。
 ロブ・ホール役は小山力也ということで、なんとなく予想がついたものの、カリスマ性を持った山男に太陽のようなイメージを持たせる明るめな声できたので「おおっ!」と心の中でどよめきました。 ロス先生やジャック・バウアー的なちょっとドスのきいた感じがないのです。 それ故に、後半の危機に陥ってからの落差が響きます。
 そんな感じでキャラ設定をより明確にするための日本語吹替なので、「登場人物の見分けがつかん!・もしくはしっかりつけられる自信がない」という方には是非吹替版をお薦めします。

  エベレスト3D−P2.jpg ルートこんなです。

 ただ、ジェイク・ギレンホール、あたし自身は彼の声をある程度覚えてしまったので、彼を吹き替えるのは誰?、と聞かれても想像がつかないのですけれども(あたしが最近の若い声優さんをよくわかっていないせいもあるんだけれど)、山ちゃんは違うだろ、という感じはしてました。 どうするんだ、と思っていたら、ジェイク・ギレンホールにではなく孤高の山男スコット・フィッシャーに寄せてました。 ベテラン臭、出しすぎ。 おかげでジェイク・ギレンホールが5〜10歳以上年上に見えた・・・(でも山ちゃん的には自分が吹き替えたことのない俳優さん初挑戦、ということがうれしいらしい)。
 しかしいちばん驚いたのはダグ・ハンセンの声です。 最初、誰だかすぐに気づかなくて・・・前回登頂に失敗しているという挫折感、仕事を3つも掛け持ちして今回の経費を捻出した(それでも足りなくてロブ・ホールに値引きしてもらっている)という他の顧客とは生活レベルがまったく違うという屈辱感に似たものも相まって、全体的に“人生に疲れている”感じが字幕版のとき以上ににじみ出ていて、「うわっ、うまいなこの人!」と感嘆していたら森田順平さんだったのです(途中で気づいたけど、ほんとにそうかな?、と何度も悩んでしまうくらい、普段のドラマ吹替等で聴く森田順平さんと全然雰囲気が違った)。
 さすがベテラン、引き出し広い。 
 ベック・ウェザーズは堀内賢雄で、マッチョ感がほどよく緩和されてました。
 やはり、端役まで声優経験のある方々ばかりで固められているので、棒読みの人がいるとか違和感を覚えず映画の中に没頭できたのがよかったですね。 おかげで個人的に久し振りの3Dでしたが、2D以上に高所恐怖症をひどい目に遭わせます(予告編の『ザ・ウォーク』ですらも眩暈したからね)。
 あたしは洋画を映画館で吹替で観ることはほとんどないのですが、キャスティングがぴったりだったり興味深い配役だったり、もう一回観たいと思える映画であれば吹替で二回目鑑賞というのはありかもしれない、と思えてきました。
 あぁ、DVD出たら買っちゃうかもしれん、という気がしなくもないかな。
 吹替版の完成度って、重要。

ラベル:映画館 外国映画
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今日は4冊(今年最後のお買いもの)

 気がつけば、今年最後の本のお買い物となりました。
 でも1月入ってからまたすぐ出るものあるしな・・・特に区別はいらないのかもしれません。

  数字の国のミステリー.jpg 数字の国のミステリー/マーカス・デュ・ソートイ
 『素数の音楽』の著者による、日常の不思議を数学で解説するエピソード集。
 あたしはまずこの表紙(デューラーの版画だよ!)に飛び付きましたが、そういえばこの絵の右肩には魔法陣が描かれている。 ぱらっとめくったらフラクタルが出てきたので、あぁ、これは買いましょうという気持ちに。 なんでこんなにフラクタルが好きなんだろう。
 数学、ずっと苦手だったのに。 テストさえなければ、もっと学生時代に数学の面白さに気づけたかもしれないのになぁ。

  スキップ倶楽部1.jpg スキップ倶楽部 1/桑田乃梨子
 自分に自信のないダメダメなボクと、不思議な猫との交流が部活仲間を引き寄せる学園コメディ。 猫を作中に登場させられるところに、愛猫ニョロリをなくした作者の気持ちはちょっとでも整理がついたのだな、と感じてみたりする。

  ドンウィンズロウ報復.jpg 報復/ドン・ウィンズロウ
 カドカワのドン・ウィンズロウ祭り、開幕。
 まず『報復』と同時刊行の『失踪』はまだアメリカ本国では出版されておらず、まずドイツ、続いて日本が世界で二番目の刊行とのこと。
 どうもアメリカよりもドン・ウィンズロウの人気はドイツと日本のほうが高いらしいという説があるが、なんででしょうね? アメリカ本国のファンに対して逆効果では・・・。
 『報復』では元デルタフォースの主人公が妻子を飛行機事故で失うが、実はそれは隠蔽されたテロ攻撃の結果で・・・という話らしい。 サミュエル・ジョンソンの「復讐は感情の行為であり、報復は正義の行為である」という言葉が冒頭に掲げられている。
 タイトルが『報復』ということは、つまりはそういう意味なのでしょう。

  ドンウィンズロウ失踪.jpg 失踪/ドン・ウィンズロウ
 こちらはうってかわって、連続少女失踪事件を追う刑事の執念の物語。
 わかってはいたのに、ドン・ウィンズロウ作品の翻訳が東江一紀ではない、ということを目の当たりにするとこんなにテンション下がるか・・・ということを実感。
 来年春には『犬の力』の続編『カルテル』が出るそうですが、この三作品、全部訳者が違う。 まぁ、まとまった時期に出版しようと思えばひとりではそもそも仕事量として無理だろうし、内容も違うからそれぞれ得意分野を持つ方々が訳すのは正しいことなんだろうけど・・・それでも気持ちはどこか、割り切れないのです。 すみません。

ラベル:新刊 マンガ
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2015年12月28日

ギヴァー 記憶を注ぐ者/THE GIVER

 これはなんか勢いで。 <世界的ベストセラーSF小説完全映画化!>とあたしの知らない作品なのに煽られるとまた『レフト・ビハインド』の悪夢がよみがえりますが、どうやら向こうの児童文学分野らしいと知ってちょっとほっとする。
 文明が荒廃した社会という過去の教訓から、人類は完全に平等で争いもない平和な理想郷を作り上げる。 その社会で生まれ育ち、若者たちにはそれ以前の<歴史>は教えられない。 唯一、次世代に記憶を伝える「記憶を受け継ぐ者:レシーヴァ―」のみが記憶を保持している共同体がこの物語の舞台。
 職業選択(という名の割り振られ)の儀式の日にジョナス(ブレントン・スウェイツ)は、ずっと任命された者がいなかった「記憶を受け継ぐ者」に指名される。 その日から「記憶を受け継ぐ者」(ジェフ・ブリッジス)は「記憶を注ぐ者:ザ・ギヴァー」となり、ジョナスに過去の記憶や人間の本能的な感情などについて伝え、教えていくが・・・という話。

  ギヴァーP.jpg 少年は世界を取り戻せるのか

 無菌状態で青年まで過ごしたジョナスは、まったく新しく「人類の記憶」を教えられたとて人を信じて疑うことを知らない<純粋まっすぐ君>なので「えっ、それ他の誰かに喋ったらダメって言われたじゃん!」ということもあっさり幼馴染に話してしまったりする。
 むしろ母親(ケイティ・ホームズ)のほうが、ほんとはすべて知っているのではないか、というほど猜疑心や嫉妬といった表情を見せていくのはどういうことか。 女の勘?
 おかげで父親(アレキサンダー・スカルスガルド)の存在感の薄さときたら半端ないわ! 結構すぎるまで誰だか気づかなかったもんね・・・ケイティ・ホームズの目力のほうが強すぎて。

  ギヴァー3.jpg 主席長老と<レシーヴァー>

 また、社会の秩序を守ることをいちばんの目的としている主席長老(メリル・ストリープ)の怖さもまた独特で、「現状維持を愛するのは女性のほう」というなにかの研究結果を思い出しましたよ。
 職業が決まる日は映画では17歳だったのですが、原作では11歳だそうで・・・あぁ、だったらなんか納得できたのに。 演じる俳優さんの都合でしょうが、17歳という設定でそれはあまりにも無理がある(逆に、徹底した管理社会の冷徹さを強調したかったのでしょうか)。
 封印された記憶を知るにつけ生まれた疑問に対してどうしていいかわからないジョナスの態度は遅れてきた反抗期のようでもあり、どうも<義憤>に見えにくい。 だからそこは11歳だからこそ成立する部分だったのでは。
 映画は最初、モノクロで始まりますが、それは共同体に住む人々が“色”を知らないから(色が差別を生んできた過去を踏まえて、色そのものをなくす方向に進んだらしい)。
 ギヴァーから教えてもらって“色”をジョナスが知ってからは画面はカラーになる。

  ギヴァー4.jpg そういう工夫は面白いのですが。

 何故かキーパーソンだけど一瞬しか出てこないレシーヴァー前任者としてテイラー・スウィフトが出てきたのもびっくりしました。
 エンドロールがOne Republicだったりとおいしいポイントはいろいろあるのに、なんか盛り上がり切れなかった・・・もったいない感じが全開。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月27日

ミケランジェロ・プロジェクト/The Monuments Men

 なんでこの映画が公開延期(あやうく公開中止の可能性もあったらしい)になったのかわからないのだが・・・(本国でも公開延期の憂き目にあったらしいが、ハリウッド的スター大集合なのに何故?)、とりあえず観られたことをよろこぼう。
 個人的に、ジョージ・クルーニー、お久し振り!(『トゥモロー・ランド』を見損ねたので)。
 第二次大戦も終盤、ハーバード大学付属美術館館長ストークス(ジョージ・クルーニー)はナチス・ドイツ軍が侵攻したヨーロッパ各国から美術品を続々強奪していることに危機感を抱いていた。 アドルフ・ヒトラーの命令で<総統美術館>をつくる計画のためだが、ドイツ敗色濃厚の今、美術品はすべて破壊されるかもしれない。 ルーズベルト大統領をはじめとした米国上層部に直訴したストークスだが、美術品のために回せる兵士などいないから、やるなら自分たちでやりたまえ、と許可を取り、早速旧知の間柄のメトロポリタン美術館の主任学芸員のグレンジャー(マット・デイモン)に接触、参加を要請。
 他にも建築家キャンベル(ビル・マーレイ)、彫刻家ガーフィールド(ジョン・グッドマン)、元美術学校の主任で現在は美術商のクレルモン(ジャン・デュジャルダン)、美術史学者サヴィッツ(ボブ・バラバン)、元歴史家のジェフリーズ(ヒュー・ボネヴィル)がストークスに賛同し、“モニュメンツ・メン”が結成される。
 しかし向かうは最前線ではないが戦場。 にわか訓練を受けた新兵として(それなりの肩書はもらいつつ)、「美術品より命のほうが大切だぞ」を合言葉にヨーロッパ各地をチームにわかれて奔走することに。

  ミケランジェロプロジェクトP1.jpg 美術はプロ 戦争はド素人 美術品奪還プロジェクト

 原題はチーム名“モニュメンツ・メン”だが、奪還したい目玉の美術品のひとつがベルギー・ブル―ジュ聖母教会にあるミケランジェロ作の聖母子像なのでこの邦題がつけられたと思われる(つけた方たちの苦悩が見えるようだ)。
 もうひとつの目玉は同じくベルギー・ゲントの聖バーフ大聖堂にあるファン・エイク兄弟作の祭壇画。 総統美術館所蔵(予定)目録にも大きく載せられ、それを入手したソ連側も狙っているというモニュメンツ・メンに頭の痛い状態をつくりだす。

  ミケランジェロプロジェクト3.jpg なにしろみなさん専門家ではあるが軍人ではないので、いろんな意味で隙だらけです。

 いやー、とにかくジョージ・クルーニーかっこいいですね! 今回は監督・制作・脚本も兼ねているのでストークスの登場場面は必要最小限なのですが、押さえるところは押さえているので(チームリーダーですし)、その出すぎない感が絶妙。
 おかげでジョン・グッドマンとジャン・デュジャルダンの凸凹コンビ、ビル・マーレイとボブ・バラバンのいじられコンビ(当然、いじるのはビル・マーレイのほう)の楽しさが引き立ち、目的は同じでもほぼ初対面だった人たちが次第に<仲間>になっていく過程が、観ていてきゅんときます。
 「美術品より命のほうが大切だぞ」と言いながら、自分の命よりも優先してしまう彼らの想いが痛いほどわかってしまうあたしは、同じく芸術を愛する人間なのかしら。 隠していた美術品たちが見つかり始めたことがわかったナチス・ドイツ側が別の場所に隠してあった美術品を火炎放射器で焼き尽くすシーンに思わず悲鳴を上げてしまったし、モノとはいえ美術品には多くの人々の思いが込められているのに理解を示さない軍の上官には腹が立って仕方ない。 でもそんなところで言い争っても時間を無駄にするだけ、と引きさがりつつ自分たちの行動を進めるストークスがかっこいい!、のです。
 通訳としてメンバーに途中参加するサム(ディミトリー・レオニダス)が、スター&ベテランの方々にまじって若手として大健闘しているのがとてもすがすがしく、彼はチェックだ!、と思ってしまいました。

  ミケランジェロプロジェクト4.jpg 単独行動でパリに行かされたグレンジャーだが、パリの美術館学芸員クレール(ケイト・ブランシェット)と微妙な関係に。 パリジェンヌであることをことあるごとに強調するクレールですが、ケイト・ブランシェットがどうもフランス人に見えない気が。

 ちなみに、古典的美術品を執拗に集めさせたヒトラーが、集めた先から燃やしていったのがピカソをはじめとする現代芸術だった、というのは、やはり本人がかつて絵描きとして認められなかったという恨みがあるからだろうか、とつい思ってしまう。 エルンストだって確かドイツの人だし。
 戦争時期を舞台としながら、映るのは<戦場の跡>(たとえば、彼らがノルマンディーに上陸するのはいわゆる“ノルマンディー上陸作戦”、つまり『プライベート・ライアン』のオープニングの約一カ月後)。 戦争の跡を辿りながら戦争映画の名場面の跡をも辿る彼らの旅は、ジョージ・クルーニー的戦争映画。 コメディタッチだし大仰なシーンはないけれど、戦争のむなしさは十分伝わる。 連合軍側でも主にアメリカから奪還計画が持ち上がったのは、やはり歴史の薄さからくる芸術への情熱故だったのかしら。
 「美術品のために命を落としてそれでよかったのかね」とルーズベルトが呟く。
 勿論、誰だって進んで死にたくはない。 でも時と場合によっては仕方ない。 むしろ、美術品を守って死ねるのならばそれこそが名誉である、という彼らの気持ちに、涙が止まらなくなってしまいました。
 あぁ、この映画、観てよかったよ〜。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月26日

翔んで埼玉/魔夜峰央

 <史上最強の埼玉ディスりマンガ>としてメディアの注目を浴びた今作ですが・・・もともとの発表は1982年〜83年。 『パタリロ!』をずっと読んできた身としては、「え、そこまで改めて話題になることかなぁ」という内容(でもその頃は『花とゆめ』をまだ読んでいなかったので、これ自体は初めて読んだのですが)。
 だって、『パタリロ!』に中にも本編に関係ない悪口雑言の応酬が、それはそれで面白いものとして読んでいたし、まぁ前半はあとから追いかけて読んでいたので実際の連載時は問題になったのかもしれないけど(実際に怒られたら「怒られました」とマンガに描いちゃう人なのでどれくらいの深刻度なのかわからない)、あたしは普通に受け止めてしまっていました。 ブラックジョークに時に異様に寛容なのはこの体験のせいかも・・・。

  とんで埼玉.jpg でもこの表紙装丁は内容を煽って売る感じが明らかですなぁ。

 むしろ、一部に<茨城ディスりマンガ>として紹介された『時の流れに』(今作収録)のほうが、主人公のキャラ設定に少々難ありですが、それさえなかったら時空SFの名作として語り継がれてもいいぐらい(ある意味、『美亜に贈る真珠』のハッピーエンド版といってもいいくらいですよ!)。 そっちでは話題にならんのか・・・。
 なんとなく、「今更、中途半端に終わっている『翔んで埼玉』を読まされても消化不良だわ・・・」というのが魔夜峰央をずっと読んできた者の感想、かな。

ラベル:マンガ
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ローマに消えた男/VIVA LA LIBERTA

 イタリア映画といえば最近は「私の人生と家族と友情と恋愛」みたいなのか「バックには常にマフィアがいる、というイタリアの闇」的な映画ばかりだったので(たとえばジュゼッペ・トルナトーレ的ミステリは『鑑定士と顔のない依頼人』以来ご無沙汰な気がするし、あぁ、『題名のない子守唄』は素晴らしかったなぁ)、政治を扱いながら予告ではコメディ色が強い印象を受けたのです。 邦題はサスペンスっぽいけど、原題“VIVA LA LIBERTA”=「自由って素晴らしい/自由万歳!」ってところだろうし。

  ローマに消えた男P.jpg あなたが 愛したのは、 どちらの「自分」だったのか――消えた”ことで手に入れた人生の休息  “現れた”のは25年振りの恋人と、一人の男
  (↑ 最初このチラシを見たとき、上の男の人は絶対マイケル・ケインだと思っていました)

 イタリア最大野党の党首エンリコ(トニ・セルヴィッロ)は低支持率に悩んでいて、打開策を見い出せなかった。 彼の側近であり参謀でもあるアンドレア(ヴァレリオ・マスタンドレア)はエンリコの様子が少しおかしいことにわずかに気付いていたが、野次を飛ばされたりされたせいだろうと思って深く考えていなかったが、エンリコはある朝突然姿を消し、重要な会合に現れなかった。 彼の家には「しばらく一人になりたい」というような書き置きがあり、ひとまず緊急入院をでっち上げたアンドレアはエンリコの双子の兄ジョヴァンニ(トニ・セルヴィッロ:二役)を探し出し、急場をしのごうとする。 しかしイタリアでも有数の有名政治家が双子であることが何故知られていないかといえば、ジョヴァンニは妄想性の精神病歴があり、ずっと専門の施設にいたから。 最近になって退院したが、薬の服用は続けなければならないという医師の指示が出ている。
 ジョヴァンニは人を煙に巻きながら相手を魅了する天才で、必死で作ったアンドレアの想定問答集をゴミ箱に投げ捨てて、「真実を語ろうじゃないか」とマスコミの前でも歯に衣着せぬ物言いで注目を浴び、彼の演説は拍手喝采で迎えられる。
 その頃、エンリコはフランスにいて、25年前にカンヌで出会った昔の恋人のダニエル(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)のもとに身を寄せており、誰にも注目されない静かな生活を送っていた・・・という話。

  ローマに消えた男1.jpg ウツ気味の党首エンリコ本人。 髪の毛をちょっと黒く染めているのが見わけポイントのひとつ。
 『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』で怪物的な存在感を発揮していたトニ・セルヴィッロが、今回は一人で躁(ジョヴァンニ)鬱(エンリコ)病患者を演じているかのような自由自在感がそりゃーもうあやしさ全開。 実は『湖のほとりで』の刑事さんでもあると知り、驚愕! 確かに言われてみると同じ人!
 あの役にはあやしさなんてなかったのに!
 カメレオン俳優って世界各地にいるんだな、と納得。
 ジョヴァンニの言っていることは「これって野党だから成立するのかな? いや、与党でも一緒か?」と思わず悩んでしまう<口当たりがよく含蓄にあふれているっぽいが、中身はまったくない>内容。 なのに人々は熱狂する。 ちょっと狂っているぐらいのほうが今の世の中はうまく渡っていけるという皮肉なのかしら。 でもジョヴァンニはとても饒舌であるが故に心の中はまったく見えず、まわりの人たちが彼に心酔していけばするほど「この人、怖いよ〜」っていう気持ちになる。
 でもジョヴァンニの得体の知れなさを緩和するのはアンドレアの存在。
 政治家のブレーンをやっているくらいだから彼だってそれなりに腹に一物ある人物なんだろうけど、なんだか彼が普通の人に見えてしまうのですよね。 アンドレアがエンリコの振りしたジョヴァンニの言動にハラハラしたり、でもジョヴァンニがうまいことやればしてやったりとニヤニヤしたり、やたらキュートなのです。 攻めと受け、ツッコミとボケ、といった奇妙なコンビ性がとても面白い。

  ローマに消えた男2.jpg 奇妙な同盟関係というか、共犯関係というか。
 逆に、必要最小限しか喋らないエンリコの想いは透けて見えるよう。 わかりやす過ぎる!
 しかしそんな<入れ替わりコメディ劇>はラスト近くで雰囲気が一変し、突如不条理劇になる。 えっ、どういうこと?!、と一瞬パニックになるくらい。
 自由になったのはエンリコなのかジョヴァンニなのか。
 あ、やっぱりミステリ・サスペンステイストの邦題は間違ってなかったか!
 なんかすごく面白かったぞ。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月25日

ハンガーゲーム FINAL:レボリューション/THE HUNGER GAMES:MOCKINGJAY - PART 2

 えーっと、タイトル長くて“THE HUNGER GAMES:MOCKINGJAY - PART 2”
 なんというか・・・黙々と公開されて、黙々と終わっていくという感じ。 あぁ、シリーズ最終作だというのになぁ。 とはいえ、冒頭の<これまでの『ハンガー・ゲーム』は>みたいな数分間のまとめフィルムを見せられて、それぞれの映画は2時間以上の大作だったのに、早口でまとめられたらこんなもんなんだなぁ、と妙な感慨にふけることができます。 あぁ、やっとこれで終わりだ、という「お付き合い感」がこちらにあるからかもしれません。

  ハンガーゲーム3−2−P1.jpg 『ハンガー・ゲーム』ここに完結!
    この星の72億人で見届ける、壮大かつ衝撃的なラスト。

 独裁国家パネムではあるが、カットニス(ジェニファー・ローレンス)らの行動もあって反乱を起こす側は続々と増え続け、独自の行動に出ている。 しかしそれもメディア広報戦略担当のプルターク(フィリップ・シーモア・ホフマン)の思い通り。 首都キャピトルだけでも守り抜き、他の地区は根絶やしにしてもかまわないと考えるスノー大統領(ドナルド・サザーランド)もまた、メディア戦略で反乱側の士気を削ごうとしていた。 そんな中、反乱軍代表・13地区のコイン首相(ジュリアン・ムーア)の冷酷さが次第にはっきり見えるようになり・・・という展開。
 原作をそこそこ前に読んでしまっているので、ストーリーには既視感、というか「衝撃のラスト」をすでに知っているので衝撃は受けず。 前作のように「首吊りの歌」みたいなサプライズもなく、ただ筋を追っていった感じ(ただ映画的に見栄えがいいようにというか、カットニスの出番とか活躍のためにアクションシーンは増やされていますが)。

  ハンガーゲーム3−2−1.jpg ポスターでは赤い鎧ですが、基本、彼女はずっと黒です。 それも髪の色に映えるからというビジュアル戦略。
 でも、思った以上にフィリップ・シーモア・ホフマンの出番が多かったのはうれしかった〜。
 だけどほんとは、彼がここで実際に出てきて言う台詞じゃなかったんだろうか・・・と思える部分もあったりして、切ない。

  ハンガーゲーム3−2−2.jpg 特にあのカットニスへの手紙は、代読ではなくプルタークの声で流れてほしかったよ。
 ついでにコイン首相の恐ろしさを台詞込みではなく佇まいだけで表現しているところをもっと見たかったのですが、いかんせん登場人物が多いので一人に割ける時間が少ない。 せっかくジュリアン・ムーアをキャスティングしておきながら、もったいないよぉ。
 しかしやはりジェニファー・ローレンスの存在感、それにつきます。
 映画によってどんどんおばちゃん化してきてた彼女も、ここに戻れば“少女カットニス”として立ち、若さゆえの戸惑いや迷い、苦悩を表現しているのだから。
 それがシリーズ全部に付き合った価値、とでも申しましょうか。
 完結してよかった、というのがまとめの感想といえば感想ですかね。 これだけお金をかけて豪華キャスト揃えて、完結できなかったらつらいですし。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年12月24日

今日は6冊。

 よく考えたらクリスマスイヴであるが、そんなことはあたしにはまったく関係がない。
 ウィルス性胃腸炎でひどい目に遭っている。
 あたしはなにか悪いことをしたのか? ――したんだろうな。 ここまでひどくなった原因はストレスでしょうと言われてしまったから。
 それはともかく、年末年始休暇になにを読むのか、というのが楽しみなのではありますが、今のままでは体力が・・・。 なのに予約していた本は届いてしまったのであった。

  マジシャンは騙りを破る.jpg マジシャンは騙りを破る/ジョン・ガスパート
 その昔から、マジックとミステリの相性はよい。 だがそれが名作にありえるかとなると結構ハードルが高い気がする。 これはライトミステリだそうなので、空前絶後のトリックというよりも物語の面白さに重きを置いた作品っぽい(そして超能力者を名乗る人物がやったことのトリックをばしばしと見破るあたり、『メンタリスト』パトリック・ジェーンを連想させるので)。

  秋の城に死す1.jpg秋の城に死す2.jpg 秋の城に死す/モンス・カッレントフト
 『冬の生贄』『天使の死んだ夏』に続くモーリン刑事シリーズ第3弾ですが、結構スウェーデンもの読んでいるつもりにもかかわらず、作者の名前がすらすら言えないというもどかしさ(そう思うと“ヘニング・マンケル”、“ヴァランダー警部”はとても覚えやすく言いやすい。 最初、そこから入ってやはりよかった)。 女性刑事のシリーズもいくつかあるので、「どれがどれだっけ?」となっているあたし。 ちゃんと読んでいないからである(積読本になっております)。 なのでどれから読むかに悩んで時間を取られるという本末転倒な話に。

  天冥の標9−1.jpg 天冥の標 \ ヒトであるヒトとないヒトと PART1/小川一水
 全10部完結構想のこの物語もついに第9部、と思ったらまた“PART1”ですか!(まぁ、前篇と書いているので今回は2冊かなぁ)
 今回は帯のコピーではなくサブタイトルそのものが怖いんですけど!
 でも終わりが見えてくるのもなんだか切ないものですね(けれどだんだんこっちの年齢とともに、終わらないままに作者が放置してしまった、もしくは作者が逝去してしまった物語のことを考えると、頃よいところで終わっていただくのがいちばんかなぁと考えるようになってきましたよ)。

  中継ステーション.jpg 中継ステーション【新訳版】/クリフォード・D・シマック
 えっ、こんなファンタジックな表紙になっちゃっていいんですか?!
 でもかつて読んだとき、「ブラッドベリっぽい人が他にもいたのか」という印象を持ったので、あながち大外れではないのかも。
 ウィスコンシン州の片田舎へのノスタルジー、そういうことですかね。

  幻の女.jpg 幻の女【新訳版】/ウィリアム・アイリッシュ
 新訳ブームが続いておりますが、これほど「新訳出す必要、ある?」と思わせる作品も珍しいのではないかしら。 まぁ、名作といっても古い作品には違いないし、若い人にも手に取ってもらうには(そしてオールドファンには「活字が大きくなったから読みやすいよ」というアピールも含む)、リニューアルはした方がいいんでしょう。
 そういうあたしも小学生の頃に『幻の女』を読んでいるのですが、その前に作者も覚えてないですが『処刑6日前』というほぼ同じプロットの話を先に読んでしまっていたため、正直あまり驚けなかったというか、その魅力を堪能しきった感じがなかったので(だってみなさんこっちのほうを名作というんだもの)、今回新たな気持ちで再読することに(そういう意味では和田慎二の『愛と死の砂時計』も同じ話なのですが、あれは神恭一郎モノというカテゴリーだからかそんなに「同じ話」感がなかったなぁ、不思議だ)。
 そして<ウィリアム・アイリッシュ=コーネル・ウーリッチ>だということはわかっていたんですが、何故かあたしはずっと女の人だと思っていたことが発覚。
 でもむしろ、作者の性別が限定されてない方がいいのかも、と自分の記憶に開き直るのであった。

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2015年12月23日

パリ3区の遺産相続人/My Old Lady

 なんとなく、コメディリリーフではないケビン・クラインを見るのは久し振りじゃないだろうか、と思って。 でもあたしの目的は実はマギー・スミスだったりするのですが(最近、じいさまだけでなくばあさまにも惹かれている気がするなぁ、あたし。 こういうばあさまになりたい、という憧れだろうか)。

  パリ3区のP.jpg セーヌのほとり 人生はめぐり逢う
  父の遺したアパルトマンに住む見知らぬ母娘。 そして明かされる秘密とは――

 マティアス・ゴールド(ケヴィン・クライン)は疎遠だった父親が亡くなったことで、パリの3区と4区にまたがるマレ地区にあるアパルトマンを相続した。 ずっと父親を憎み、人生の負け犬になり下がっているマティアスにとって、この遺産は一発逆転の最後のチャンスとばかりに有り金をはたいてパリ行きのチケットを買った。 マレ地区は観光地ではなく、むしろパリ市民に人気の高い場所で、アパルトマンは部屋数も多くて庭付き。 これは高く売れそうだ!、とよろこぶが、そのアパルトマンにはイギリス生まれの老婦人・92歳のマティルド・ジラール(マギー・スミス)が住んでいた。
 彼女によればこのアパルトマンはフランス伝統の不動産売買制度“ヴィアジェ”によってマティアスの父に売却され、元の所有者であるマティルドが亡くなるまで転売できない上、毎月2400ユーロを年金のように彼女に支払い続けなければならないということがわかり、マティアスの怒りが爆発。 最後まで父は自分の邪魔をする、と・・・。
 マティアスは現在57歳。 うーん、この歳までアダルトチルドレンを引きずると大変なことになるな・・・と思わず自戒してしまうのでした。 それくらい、マティアスのダメっぷりはすさまじい。 マティルドさんの余裕ある態度と比較すれば余計に(まぁ、92歳から見れば57歳はまだまだひよっこに見えるのかもしれないが)。

  パリ3区の遺産相続人1.jpg マティルドの娘クロエ(クリスティン・スコット・トーマス)との第一印象はお互い最悪。 でもそれが意外に・・・というのはお約束。

 ヴィアジェ、というシステムがいまいちよくわからなかったのですが、マティアスが売買の話を持ち込んだ街の不動産屋のルフェーヴル(ドミニク・ピノン)の説明でなんとなく(このおじさんもすごくいい味を出していて大変素晴らしい)。 先の持ち主が早く死ねば買い主はとても安く建物を手に入れることになるけれど、買い主が先に死んでしまった場合は先の持ち主を養い続けただけで契約もおじゃんというまさに<時間>をかけたチキンレース。 でも、お金では買えない関係性が先の持ち主と買い主との間にはできあがる、という、実にパリ的な味わいのある契約、のように思われる(現実においてはいい感じにならない場合もあるんだろうけど、他の方法もあるのにあえてヴィアジェを選択するということは、もともとなんらかの関係なり感情があるのではないか。 金銭的にそこでしか折り合えなかった、という可能性もあるが)。

  パリ3区の遺産相続人2.jpg これで92歳は若すぎるでしょ(マギー・スミスは80歳です)! 健康の秘訣は毎日のワインだそうです。

 前半はそんな仕組みで物語を引っ張られ、後半はマティアスの父とマティルドが本当は知り合いでした・・・ということから広がる波紋(内容は観客には想像ができますが)と、アダルトチルドレン卒業の過程、といったところか。
 予告のイメージでは、まったく関係のない人々によってつくられていく疑似家族的な話かと思っていましたが、そんなファンタジックな要素はかけらもなく、おとなげない台詞の応酬が続きます。 そこはやはり芸達者な三人、あたかも舞台劇を観ているかのよう(そういえばこの話自体舞台っぽい。 あとからチラシをよく見たら、ブロードウェイの舞台用に書きあげられた戯曲をもとにしたものだとか)。
 傍から見ていくらいいトシであろうとも、子供の頃に受けた心の傷をうまく修復できないままの人はいるし、理解してもらえる人に出会えるだけでかなり違うのに、そのチャンスがなかった人を自己責任と切り捨ててしまうのも乱暴だし、つまり子育てとはそれくらいの危険性をはらんでいるものなのですよという話であり、でも再スタートは何歳からだって可能ですよという話でもある。

  パリ3区の遺産相続人3.jpg マティアスにとってはこの庭の石がひとつの転機。
 多分、この映画、いわゆる“普通”に生きてきた人から見たらやたら「ご都合主義」の退屈な作品に見えるだろうし、アダルトチルドレン要素を大なり小なり持ち合わせている人にとっては身につまされ、「そうなってくれたらいいな」というハッピーエンド(実際はスタートだけど)になるんじゃないだろうか。 ま、中には自分にそんな要素があるって気づいてない人もいるよな、冒頭のあたりまでのマティアスみたいに。
 おシャレほのぼの映画系の予告にそんなトラップを仕掛けてあるなんて、ずるいぞ。

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2015年12月22日

黄金のアデーレ 名画の帰還/WOMAN IN GOLD

 なんだかひっそり公開され、ひっそりと終わってしまいそうだったので早々に観に行ったのだが、口コミで地味に支持が広がっていったらしい。 本来、もっと早く『ミケランジェロ・プロジェクト』をかけるつもりだったOSシネマズミント神戸がそっちの映画の公開中止?・公開延期?のスケジュールの都合によって上映できなくなって(その分、短期間ですがシネ・リーブル神戸で緊急公開中、あたしは最終日に行く予定!)、その代わりに持ってきたのかな?、とあたしは思ってしまいましたが。
 どちらにも共通するキーワードは、<ナチスに強奪された美術品>です。
 でもこの映画に対するあたしの本来の目的は、ヘレン・ミレンだったりするわけですが(あと、ダニエル・ブリュール。 すみません、ライアン・レイノルズはどうでもいい)。

  アデーレP.jpg クリムトが描いた、一枚の肖像画。
   幸せな記憶を封印したウィーンで、私は<家族>を取り戻す――

 アメリカ在住の82歳のマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)はずっと考えていた。
 グスタフ・クリムトが描いた伯母アデーレをモデルにした肖像画“アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T”を自分のもとに取り返したいと。 第2次世界大戦中、この絵はナチスに奪われ、現在はオーストリア政府の所有物として美術館に飾られている。 マリアは友人に弁護士を探しているんだけど、というと、「うちの息子が弁護士で独立したばかりなんだけど、仕事がないみたいだから使ってやってくれる?」みたいな感じであっさりとその息子ランディ(ライアン・レイノルズ)はマリアのもとを訪ねさせられ、挙句オーストリア政府を相手取って絵画の返還を求める訴訟を起こすことに・・・という話。
 なにしろ実話であるし、邦題からもう裁判の結果はわかっているじゃない・・・という意味でのスリリングさには欠ける。
 が、なによりもこの映画はヘレン・ミレンにつきる!、といっても過言ではない。

  アデーレ6.jpg このちょっと小首をかしげる角度がたまらない!
 オーストリアの“亡命貴族の娘”がそのまま70歳になり、決して高慢ではなく、むしろ今でもどこか無邪気な高貴さを漂わせている、という時間が経過しても変わらぬ美しさというか。 だから弱気な弁護士もすぐに白旗を揚げてしまう威厳がそこには十分あり、それだけではないチャーミングさにも人はやられてしまうのだろう。 あたしは、やられました。
 しかし、マリアの言っていることは気持ちはわかるが無茶である。 1907年に描かれた絵画を自宅の居間に飾るなんて絵画保護の観点からも論外だし、絵画の流転についてはともかくそれまで大事に保管してきたウィーン美術館の人たちの気持ちはどうなる?
 所有者を自分の名前にして、絵はそのままウィーンで、でいいじゃないか、と絵画ファンとしては思ってしまいました。

  アデーレ4.jpg ちなみに、冒頭で絵のようにアクセサリーをつけたアデーレをモデルにクリムトが絵を描いているシーンはなかなかエキゾチックで素敵です(おぉ、金箔の貼り方が日本の屏風つくる人となんか似てるぞ!、的なのも楽しかった)。
 ただ、ダニエル・ブリーリュ出番少ない!
 まぁ、彼があまり活躍したらライアン・レイノルズがかすむ、ということもあるが。
 ダメダメな若手弁護士(しかしよく考えたらマリアの友人の息子ということは、彼もいい家柄出身なのである。 祖父は高名な作曲家だし)の成長物語、という側面もこの映画にはあり、楽しめる要因の一つかも。

  アデーレ3.jpg はじめはかみ合わなかった二人が、徐々にいいコンビになっていく様も面白いです。
 あとはなにしろマリアの波乱の人生である。 伯母アデーレを含む家族で暮らしていた楽しかった時期、そしてナチスに追われウィーンを脱出しアメリカに渡って・・・派手な描写はないけれど、彼女の感じた恐れや喪失感はしっかり描写されている。
 となると、自分がこれまで失ったものすべてがあの絵に凝縮されていると感じてしまったらやはり返還要求したくなるかなぁ。 しかし始めは芯の強い彼女がランディを押し切る形で話を始めたのに、裁判に持ち込むまでになんらかの抵抗にぶつかると結構すぐくじけがち。 <あきらめる>、というのもまた彼女の人生において学んでしまったことのひとつだと気づかされるのは大変切ないものが。 そしてその度、背中を押すのはやる気になったランディのほうだったりするのだ(勿論、弁護士としての名誉欲やおカネの問題が動機ではあるけど)。
 やはりこの年齢差のある凸凹コンビぶりがいちばんの見どころ?

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2015年12月21日

恋人たち

 なんとなく、橋口亮輔監督は超シリアスな作品はつくらないと思っていた。
 どこか悲しい現状にもささやかながら笑いがあって、というイメージが。
 しかし今回は主要人物の一人が通り魔に奥さんを殺されたという設定で、これは笑いにはできないだろ、とおののきつつ、橋口亮輔監督の新境地なのかな、と思ってみた。
 橋梁点検に天才的な勘を働かせる職人であるアツシ(篠原篤)には、愛する妻がある日突然通り魔に襲われ殺されたという過去があり、ずっとそれにとらわれている。
 もはや自分には関心がない夫と考え方が違いすぎる姑(木野花)と古くて狭い家に住みつつ、お弁当屋さんでパートをしている瞳子(成嶋瞳子)は、お弁当屋さんに鶏肉を卸している男(光石研)とふとしたことで親しくなって以来、灰色で平凡な毎日がバラ色のときめきに満ちたものに変わっている。
 自他共に認めるエリート弁護士の四ノ宮(池田良)は友人(山中聡)に以前からひそかに想いを寄せていたが、この恋は叶うわけもないことはわかっている。
 そんなバラバラの三人の日常が少しずつ交錯していく・・・そんな話。

  恋人たちP2.jpg それでも人は、生きていく
   今を生きるすべての人に贈る絶望と再生の物語

 大した説明がなくても物語に引っ張り込む、人物の断片の積み重ねからくる描き方はさすがです。 事情も、関係性もぱちぱちとピースがはまるように全体像が見えてくる。
 恋人たち、とはなんとも皮肉なタイトルだなぁ、と最初思っていた。
 でもこれは、「愛し合っている二人」を指す言葉ではなく、「(どのような形であれ)恋をしている人(たち)」という意味だったのだ。
 ワークショップで見出された新人3人がメインで、脇をベテランで固めるという構成が結構安心材料で、新人の方々がそんなにあやうく見えないというか、むしろうまいんじゃない?、と思わせる(どうやら、役者に合わせて脚本はあて書きされたようなのでそれも納得)。 必要であれば(というかそこまでの決意も感じさせず)あっさりヌードになっちゃう瞳子さんからも、「実は小劇場の役者さんか?」みたいなものを感じさせるし。
 橋口監督は、程度は大なり小なりあれど、絶望を覗いてしまった人に希望を与えるエンディングを用意している。 それは綺麗事かもしれないけれど、「それでも、生きていく」ためには必要なもので。

  恋人たち5.jpg 川の流れと空の色が効果的に使われている。

 ただ、あたしは個人的にもっと絶望感が深い内容だと思っていたので・・・「あ、意外に、こんな感じ?」と驚いた。 もっと痛みを受けるかと思っていたから・・・あたし、ひどい人になってる? それとも『裁かれるは善人のみ』で耐性ができた?
 つらいのはわかる、特にアツシ。 わかるけど、亡くなった奥さんがいなくなったせいにして、日常生活を送れない理由にされちゃったら、奥さんとしても不本意じゃないかなぁ(というか「私のせいにしないでよ」って思うんじゃないかなぁ)、とつい考えてしまうあたしがいるのです。 悪いのはあくまで犯人、いなくなってしまった彼女への恨み事を言いたいのもわかるけど、それを言ったらおしまいじゃない、的な。 死にたかったら死ねばいいし、犯人を殺すなら殺せばいい。 しかしなにも行動せずにいるのは(勿論、悲しみに沈みこむ権利はあるし、それはそれで普通の反応だ)、その結果伴うリスクも受け入れなければならないだろう。 弁護士につぎ込む費用の前に、まず自分の生活だろ。 犯罪被害者なら多少なりとも公的援助が受けられるはずだし、それが原因で仕事ができないなら短期間でも生活保護を受けたっていい。 そういうルートを取らずに国民保険事務所でキレるのは、なんかちょっと違うなぁ、と。 不器用すぎるにもほどがある、と腹立たしくもあるんだけど、勿論、それは当事者じゃないから言えること。
 悲しみにおぼれるのは実は簡単でとても楽なことなのだ、と彼に早く気づいてもらいたい、と思うのは冷酷なことだろうか。 優しい先輩の穏やかな言葉を、もっと彼が前向きに受け止めてくれればいいのだけれど。
 あぁ、そうか、彼は<底辺の人物>として設定されているのか。 学もなく、そのことに劣等感をずっと感じつつ何もせず、初めて愛してくれた人だけが自分の人生のよりどころで。
 もし、その人と出会えなかったら彼の人生はどうなっていたんだろう?

  恋人たち2.jpg いちばん“恋人たち”という表現にはまるいいトシではしゃぎっぷりの二人。
 お弁当屋さんで働く主婦な瞳子さんもある意味<底辺側>の人かも。
 人をあまり疑うことを知らないから、つまらない詐欺にころっとだまされるしだまされたことにも気づかない(もしくは気づかない振りで自分を守る)。 だから自分の過ちにもあまり自責の念を持たないというか、きれいに忘れられるというか。 そういう意味ではとても強く、たくましい人と言えるのかも。
 いろいろあっても、最後には「いい人生だった」って思えるのはこういうタイプの人かもしれない。
 堂々と自分を「勝ち組」と言い切れる弁護士は、エリート臭半端ないんだけど、社会的にはマイノリティである<ゲイ>であることをどれくらいマイナスと受け止めているのだろう?(受け止めていない気がする・・・一緒に暮らしている彼氏に対してもすごく上から目線だし、鼻持ちならなさが素晴らしく自然でうまかった)。 性的少数者だからって性格がすぐれているとは限らないと冷静に描けるのも橋口監督ならでは。 そのくせストレートの幼馴染(現在妻子もち)にずっと恋心を募らせててって、今の彼氏にも失礼でしょうが! 本人にとっては純愛のつもりでも、気持ちがダダ漏れな分、ストーカーっぽいから!(これは同性異性関係ない)

  恋人たち1.jpg 多分、幼馴染の彼は四ノ宮の気持ちを知っているけれど、気づかない振りで何も言わないことが相手のためだと思っているんだろうなぁ。
 他者からの偏見によって(勿論、それはよいことではないのだが)いちばん大切なものをなくす羽目になって初めて、世間的にマイノリティであるすべての人々に対して(それこそ、依頼人の一人であるアツシに対しても)共感の気持ちを持つことができたのだろうか。
 あやしいけど、それが彼にとって新しい一歩になればいいと思う。
 と、3人についていろいろ考えることはあるのだが・・・詐欺師の手口が現実に明らかにあった事件なのですーっと醒める。 フィクションが現実を模倣してどうするのだろう。
 結果的にフィクションが現実に追いこされることはあるけれど、自らそれを真似するのは話が違う。 フィクションの意味すら否定しかねないということに、つくり手は気づいているのかどうなのか(現実の事件を現実以上に掘り下げる覚悟があるなら別だけど、この場合そうじゃなかったし)。
 趣味や夢想としてでも自分が書いた・描いた作品に足を投げ出す・平然としわをよらせる彼女の態度にも疑問が・・・役者さんたちはすごく頑張っていたけれど、彼らが体現すべき人物に矛盾があった、ということかもしれない。 もしくは、あたしにはまだまだ世の中に知らないタイプの人が沢山いる、ということなのかもなぁ。
 あぁ、人生まだまだ勉強です。

ラベル:日本映画 映画館
posted by かしこん at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする