イタリア映画で、オシャレっぽいタイトルにポスターで雰囲気を出してはいるけれど、監督は『明日のパスタはアルデンテ』の人だ! 絶対ヘンな家族とか、ゲイの青年とか出てきて一瞬にして長い時間が経過したりする“人生”を描くものに決まっている!
実際、冒頭から土砂降りの雨が石畳を濡らしている(というか池になってるぞ、というくらい深さがあるのだが、駆け抜ける人の靴はそこまで沈んでいないのでどうもCG処理のようだ)。 バスの待合所で濡れないように押し合い圧し合いする人たちの中での最悪の出会いが、その後の人生を変えるきっかけなんてね。
南イタリアの街・レッチェ。 カフェで働くエレナ(カシア・スムートニアック)は同僚で親友のファビオ(フィリッポ・シッキター)といつか独立して自分の店を持つことが夢だった。しかし雨のバス停で最悪の出会いをした男が、もう一人の親友シルヴィア(カロリーナ・クレシェンティーニ)の新しい彼氏アントニオ(フランチェスコ・アルカ)だと知り、最悪の気分に。 しかし反発心は彼への興味を逆に生んでしまい、いつしか二人は恋愛関係に。
13年後、ファビオとともにお店を成功させたエレナは、「仕事しすぎだよ」とファビオにからかわれながらも支店を出す計画を立てていた。 アントニオとの結婚生活は予想通り、決まった仕事を持たない彼のちゃっかりした浮気と子供との日々で彩られていた。
これは自分が望んだ人生なのか? そんな中、おばさんに連れられた乳ガン検診がエレナにある契機をもたらす・・・という話。
さすがラテン系、感情の発露が濃い。
あたしも自分は比較的ラテン系気質かと思っていましたが、それはあくまで大和民族の中での範疇の話であって、本場の方々とは全く比較にならないことを思い知りました。 愛情と本能がまず別(その後、変化していくけれども)、という描写を一瞬で理解させる感じ、お見事です。
男ってバカだなぁ、という部分と女ってバカだなぁ、という部分がやはり違うのが、どんなに愛し合おうが永遠にわかりあえない二人、ということなのでしょうか。 ゲイのファビオがいい感じに盛り上げてくれますが、彼はタイプが女性寄りなのでほぼ女友達っぽいのが面白い。
あとはやはりエレナの家族が母親と気分屋(人格が変わると紹介されている)のおばさん(母親の妹)という女系家族なところもまた、女性目線強めの映画のように。
だからなのかあたし個人の資質の問題か、アントニオに対して完全に感情移入できないというか、愛情を持っていることは感じるけれども信用しきれない困った感じが。 ノーマル女にとってノーマル男(しかもかなりオス要素強し)はやはり完全には理解不能なのかしら。
というか、イタリア女はそういう男を結局許してしまうからその連鎖が消えないのでは?(これは日本の女性と男性の関係にも言えることかもですが−少なくなってはきていると思うのですが、妻はいつしか母親の代役になる、という点において)。
勿論、正しい愛の形も家族の形も人生の形もない。
本人が納得できるかどうかだけが価値基準ですから。
時間の流れが交錯する終盤のまとめ方がとても美しかったです。
記憶の中ではいつでも過去を追体験できるし、それを現在とすることも可能で、<死>という存在は終幕ではなく永遠の入口なのかもしれないという魅力的な考え。 映画途中で飛ばされた13年間を最後の方に持ってくる構成も些かベタではありますが、それまでのもやもやを吹き飛ばしてくれる効果がありました。
きれいだなぁ、南イタリアの海は、と思いつつ、それでも彼らの情熱についていくことは感情や表情の起伏に乏しい大和民族には至難の業であるとも納得するのでした。