2015年11月10日

先生と迷い猫

 小説家・小林弘利ファンとしては、彼が映画の脚本を書くのは複雑な心境だったりする。
 もともと学生時代から映画の仕事がしたかった人なのだから、今の状況はむしろ彼の希望通りであろう。 でも、あたしは彼の小説が好きだったんですよ。
 なので、微妙で複雑な思いを抱えつつ、<脚本:小林弘利>とあれば観に行ってしまうのであります。 まぁ、今回はネコの話だし、偏屈なイッセー尾形も気になるところではありましたが。

  先生と迷い猫P.jpg 君がいると、人生は面白い。

 舞台はコンビニもなさそうな寂れつつある港町。 一匹のノラの三毛猫は町中をうろうろし、日課のように美容院・駄菓子屋の店先、バス停などを訪れ、その先々でそれぞれに名前を付けられ、かわいがられていた。 そんなノラの立ち寄り先のひとつが「校長先生」と町のみんなに呼ばれている退職後の森衣さん(イッセー尾形)。 趣味をかねてロシア文学を翻訳する静かな日々を送っている。 校長先生は亡き妻(もたいまさこ)の仏壇の前で我が物顔に振る舞う三毛猫が許せず、見つける度に追い出すが、ヤツは隙間を見つけていつの間にかちゃっかり居座っている。
 ある日、地元の新聞にネコの死体が段ボールに詰められて発見されたというニュースが載る。 家の隙間を全部埋めた校長先生は「これでもう入ってこれないぞ!」と勝利宣言。 それ以来三毛猫は姿を見せなくなったが、それは校長先生の前からだけでなく、彼女をかわいがっているすべての人たちの前からだった。 貼り紙を作り始めた美容院の奥さん(岸本加世子)の行動をきっかけに、そのネコと関わっていた町の人々はお互い知り合い、ネコを探す行動に出る。 その中でいちばん熱心だったのは校長先生だった・・・という話。

  先生と迷い猫1.jpg イマドキの若者・猫アレルギーの町役場職員を演じる染谷くんが相変わらず飄々としていい感じ。 唯一、校長先生につっこむキャラでもある。

 白髪で偏屈なイッセー尾形はどことなく大竹まことを連想させ(これはあたしの個人的な見解のせいです)、「あ、イッセーさんならこういう間なんだ」と想像の大竹まことと比較してしまっていたことをまずお詫びいたします。 でもそれは校長先生の存在がコントに出てきそうな感じだったから。
 小林弘利的世界からいえば、孤児院(?)育ちの小学生男子がキーパーソンだったと思うのだけれど、そこはあえてぼかしてというか、説明なしでほったらかしにしてしまったところが(なんとなく想像はつくけどそれでいいかどうかという問題もあるし)彼らしくないというか、そこにわずかでも救いの光を当てるのが彼の世界であるはず。
 完全オリジナルストーリーではなく原作があり、また脚本にあったとしても編集の段階でカットされている可能性もあるし、そこらへんの判断が一観客からは難しいです。
 でも、一匹のノラネコをきっかけに、小さな町でもお互い知り合いではなかった人たちが連帯する、という大きな物語が、この映画のポイントなんだろうなと。
 あと、偏屈な校長先生が自分の自覚なき偏屈さと向き合う物語でもある。

  先生と迷い猫3.jpg 奥様役がもたいまさこさんってのがずるいですよ〜。 それだけでもう説得力あるもんなぁ。
 ネコの出番は思いのほか少なかった、ような気がする。 港町だからおこぼれの魚にあずかれるせいか、そこそこな数のノラネコがいるようなのに、例の三毛猫以外はその他大勢扱いだったのは寂しい感じがした。 他のノラネコに愛情を抱いていた人だっているのではないか? 物怖じせず人間にがんがん寄ってくるノラネコだけ特別扱い?
 それも含めて、人間の身勝手さが根底にある映画ということだったのでしょうか。
 なんだか違う意味で切なくなってしまいました。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする