2015年10月17日

水曜日の子供/ピーター・ロビンスン

 <主席警部アラン・バンクス>シリーズ6作目にして、創元推理文庫収録の最後の一冊(これ以降、版元は講談社に移行するも、邦訳刊行中断中)。
 残りが少ないと思うと読むのがもったいない気もするし、でも慣れ親しんでいるシリーズだからこそ読みたい気持ちもあるわけで。 なので間を開けつつも、じわりじわりと読んでおります。
 今回もヨークシャー地方イーストヴェイルで起こる事件。

  バンクス06水曜日の子供.jpg “水曜日の子供”はマザー・グースの一節から。
   ♪ 水曜日の子供には悲しみがいっぱい・・・ ♪

 あるシングルマザーから、娘が戻ってこないと通報が。
 なんでも、ソーシャルワーカーを名乗る二人組の男女がやってきて、「虐待されているという通報があったので、娘さんを一晩預からせてほしい」と言われたのだという。 しかし翌朝になっても娘は帰ってこず、どこに連絡していいかわからないとのこと。 早速警察は捜査を開始するが、その男女は勿論、娘ジェマの消息は不明。 いったい彼らは何者で、その目的は何なのか?! 最悪の事態を覚悟しながら、バンクスをはじめとしたチームのメンバーたちは懸命に7歳の少女を探す・・・という話。
 グリスソープ警視がまたしても<荒れ地殺人事件>に思いを馳せ、殺された子供たちの電話からの声の記憶に苦しんでいる。 だからこそ今回は絶対に助けなければ!(というか子供が被害者には絶対なってはならない!)、という強迫観念にも似た強い信念は彼をよい警官であらしめているけど同時に苦しめてもいるんだなぁ・・・と実感。
 事件が残す心の傷は関わった者すべてに残る。
 そして「明らかにジェマの母親、おかしいだろう!」という非難の嵐を、合間に彼女視点の章を入れることで緩和させる働きが。 まぁただの言い訳だといわれたらその通りなのではありますが、それでも、<いろんな準備ができていないまま母親になってしまった女性の困惑>には「まぁ、そうだよねぇ」と頷くしかないというか、更にサポートが得られない環境では「子供がいなくなってくれたら」と一瞬でも思ってしまうことを責められるのか?、などと考えてしまって。 これは日本でも十分起こりえる話だな。
 更に息子・娘の自立をめぐって対立するアランとシンシア夫妻の姿に、「なるほど、これがのちの別居のきっかけか・・・」と納得することができました。
 子供たちが本当にひどい目に遭うアメリカの容赦ない作品群に比べて、ピーター・ロビンスンはあえてそこまで描かないでいてくれた。 そこに、子供は未来の希望であるという望ましい姿があるような気がした。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする