2015年10月13日

天空の蜂

 この本を読んだのは、もう20年近く前であろうか。 講談社ノベルズ版だったからわりと刊行してすぐだったのかも。 その当時としては破格の分厚さであったことを覚えている(京極夏彦並み、と思っていただければさいわいです)。 しかし一気読みであった。
 デビュー作『放課後』から(文庫でですが)東野圭吾は読んでいたけれど(乱歩賞同時受賞の森雅裕の方があたしはファンだった)、しばらく間が空いていた時期があって、ノベルズ版『天空の蜂』はそのインターバルを一気に埋めた。 だから「いちばん好きな東野作品は」と聞かれたら、それ以来あたしは迷わず『天空の蜂』と言い続けてきた。
 多分これからも、そう答えることでしょう。
 その当時から「映像化不可能」と言われていたのは技術的な問題かと思っていました。 原作が書かれたのはもんじゅの事故の前だし、あの事故である程度のことが明るみに出ちゃったなら別に問題なくない?、と。 しかし今回のこの映画を観て、いわゆる<原子力ムラ>の使っていた言葉のトリックが白日の下にさらされ、「原因はこれだったのか・・・」と納得。 そういう意味では小説よりも映像の方がインパクトがあるというか、伝わる範囲が広いからなのでしょう。 とはいえこの映画、反原発映画ではなくあくまでエンタテイメント。 両方の主張を描きつつどちらかに偏ることない絶妙のバランスで成り立った希有な作品。
 本気出せばやるじゃないか、堤幸彦! ← エラそうですみません。
 オープニングクレジットが英語&ローマ字だったので、てっきり世界配給を視野に入れているのかと思ったんだけど、本編テロップは全部日本語でした。

  天空の蜂P1.jpg 絶対、守り抜く
     史上最悪の原発テロ発生。 巨大ヘリ墜落まで、あと8時間!

 1995年、夏。 愛知県錦重工業小牧工場から防衛庁に最新型巨大ヘリコプター・通称“ビッグ・B”の納品が予定されていた。 ビッグ・Bの開発責任者である湯原(江口洋介)たちが家族を連れてその過程を見守ろうという中、何者かによってビッグ・Bは遠隔操作で奪われてしまう。 そしてそのヘリの中には湯原の息子・小学生の高彦が乗りこんでしまっていた。 やがてビッグ・Bは日本海に面した高速増殖炉“光陽”の上空でホバリングを開始、<天空の蜂>を名乗る者から「日本で稼働中の原子力発電所を即刻停止せよ。 さもなくば光陽にビッグ・Bを墜落させる」という要求が来る・・・という話。

  天空の蜂2.jpg 高速増殖炉“光陽”の設計者・三島(本木雅弘)も現地に到着。 あたし好みの群像劇の感じが。

 原作の大筋は変えず、細かな部分を変更・統合し、なおかつ3.11後の日本の状況を踏まえてこの時間内にまとめきったのはお見事としか言いようがない(その分、群像劇の面白さが少々弱まってしまったのは仕方ないかな〜)。 高速増殖炉の説明をこんなにシンプルに短時間で説明しちゃったのには驚いたし!
 なにしろ江口洋介も本木雅弘もかっこいい感まったく出してないのが素晴らしい。
 現在WOWOWにて放送中の『しんがり〜山一證券最後の聖戦』で名言連発のかっこいい上司をやっている江口洋介を見るにつれ、「いやー、『天空の蜂』のかっこわるさはめったに見れないよ」と今も思い返す有様です。 ヒーローではなく、普通の技術者であるというスタンスが終始一貫していたからでしょう(時折、江口洋介が時任三郎に見えてしまうことも)。 國村隼さん演じる光陽の所長は、福島第一原発の吉田元所長をダブらせている部分があるような気がしたりと、こちらの共通認識に働きかけてくる感じもうまい。 そう、役者さんたちが適材適所熱演!、というのがいいのです(その中で、仲間由紀恵だけが美人で目立ち過ぎている−何か曰くありげだとすぐわかってしまうのがもったいない。 あ、湯原の妻役の方が棒読み感にあふれていて違和感を誘うのもちょっと不思議だった)。

  天空の蜂3.jpg 同時にこれは父と息子の物語でもある。

 仕事に人生を捧げる父と、その背中を見つめて何かに気づく息子、という構図も、互いの歩み寄りと理解があれば成立する、という最後の時代だったのだろうか。 それとも幸運な家庭はそれでもうまくいくところはいっているのかもしれないけれど。
 「時間がないとか言い訳するな! 今できることをするのが技術屋だ!」という叫びは、技術者としての誇りであると同時にかつての日本の誇りではなかったか。
 けれど「おれが売っているのは原発じゃない、技術だ」と言い切るのもまた、かつて世界にエコノミックアニマルと呼ばれた日本人の姿でもあるのだろう。
 表裏一体のこの叫びが、今の日本の抱える様々な矛盾をさらけ出している。 現在を生きる日本人として自分はどうしたらいいのか、考え込んでしまうよ。
 映画独自のエピローグ、2011年3月13日のシークエンスは、物語的にはそれでうまくまとまっているんだけれども、その前に二人の技術者が叫び合って観客の胸に深く打ち込んだ楔をやんわりと抜きにかかっていないだろうか? せっかくの問題提起の効果が薄くなってしまったような気がして個人的には残念だ。
 でもそこをある種の感動と引き換えにしたのだとしたら、それもまたこの映画が社会派と呼ばれるよりもエンタテイメントであることを選んだ証拠なのだろう。
 正直、「がっかりしたらどうしよう」って思っていたけれど、予想を覆す素晴らしい作品になっていました。 ほんとよかった!
 これで今年の賞レースをごっそり持って行けたならいいのだけれど。

ラベル:日本映画 映画館
posted by かしこん at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする