2015年10月17日

水曜日の子供/ピーター・ロビンスン

 <主席警部アラン・バンクス>シリーズ6作目にして、創元推理文庫収録の最後の一冊(これ以降、版元は講談社に移行するも、邦訳刊行中断中)。
 残りが少ないと思うと読むのがもったいない気もするし、でも慣れ親しんでいるシリーズだからこそ読みたい気持ちもあるわけで。 なので間を開けつつも、じわりじわりと読んでおります。
 今回もヨークシャー地方イーストヴェイルで起こる事件。

  バンクス06水曜日の子供.jpg “水曜日の子供”はマザー・グースの一節から。
   ♪ 水曜日の子供には悲しみがいっぱい・・・ ♪

 あるシングルマザーから、娘が戻ってこないと通報が。
 なんでも、ソーシャルワーカーを名乗る二人組の男女がやってきて、「虐待されているという通報があったので、娘さんを一晩預からせてほしい」と言われたのだという。 しかし翌朝になっても娘は帰ってこず、どこに連絡していいかわからないとのこと。 早速警察は捜査を開始するが、その男女は勿論、娘ジェマの消息は不明。 いったい彼らは何者で、その目的は何なのか?! 最悪の事態を覚悟しながら、バンクスをはじめとしたチームのメンバーたちは懸命に7歳の少女を探す・・・という話。
 グリスソープ警視がまたしても<荒れ地殺人事件>に思いを馳せ、殺された子供たちの電話からの声の記憶に苦しんでいる。 だからこそ今回は絶対に助けなければ!(というか子供が被害者には絶対なってはならない!)、という強迫観念にも似た強い信念は彼をよい警官であらしめているけど同時に苦しめてもいるんだなぁ・・・と実感。
 事件が残す心の傷は関わった者すべてに残る。
 そして「明らかにジェマの母親、おかしいだろう!」という非難の嵐を、合間に彼女視点の章を入れることで緩和させる働きが。 まぁただの言い訳だといわれたらその通りなのではありますが、それでも、<いろんな準備ができていないまま母親になってしまった女性の困惑>には「まぁ、そうだよねぇ」と頷くしかないというか、更にサポートが得られない環境では「子供がいなくなってくれたら」と一瞬でも思ってしまうことを責められるのか?、などと考えてしまって。 これは日本でも十分起こりえる話だな。
 更に息子・娘の自立をめぐって対立するアランとシンシア夫妻の姿に、「なるほど、これがのちの別居のきっかけか・・・」と納得することができました。
 子供たちが本当にひどい目に遭うアメリカの容赦ない作品群に比べて、ピーター・ロビンスンはあえてそこまで描かないでいてくれた。 そこに、子供は未来の希望であるという望ましい姿があるような気がした。

ラベル:海外ミステリ
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2015年10月15日

屍者の帝国/THE EMPIRE OF CORPSES

 伊藤計劃の長編3作品をほぼ連続した時期に長編アニメ映画として上映する、という<Project Itoh>の存在を知ってから、あたしは小説『屍者の帝国』を読むのを途中でやめた。 読んでしまったら絶対映画に文句を言いたくなってしまうだろうから、できるだけまっさらな気持ちで映画に臨みたいと思ったのだ(とはいえ、多少読んでしまっているので完全まっさらは無理なのだが)。 それに、約2時間の映画でこの原作をすべて収めるのはかなり不可能だから、絶対どこかアレンジしてくるだろうし。
 ところが冒頭のナレーションからいきなり原作通りだったので度肝を抜かれる。
 要所要所で<大事な言葉>がそのまま活かされていることに自分でも驚くほど胸が熱くなった(勿論、それ以外はかなり改変をされてはいたのだが)。 だが明らかに本質を外していないこの映画、<Project Itoh>はかなりの成功を収めるのではないか。
 そんな気がしてしまう素晴らしい出来だった。

  屍者の帝国P.jpg 求めたのは、21グラムの魂と君の言葉

 改変歴史物としての19世紀末、ヨーロッパでは死体蘇生技術がある程度確立され、兵士や労働者として屍者は使われていた(とはいえその屍者たちは、ゾンビと初歩的ロボットの中間といった存在で、生者と意思疎通はできない)。 が、ロンドン在住の若き医学生ジョン・H・ワトソンは親友フライデーを病で失い、彼の死体を盗み出してきて“21グラムの魂(のようなもの)”を注入することで再びフライデーが戻ってくると信じて実験を続けていた。 しかしそれは犯罪であり、女王陛下のために働くある機関(のちのMI6なんでしょうね)からの使者Mにより、「フライデーのことを黙っていてやるから、私たちと共に働け」と半ば脅迫を受け、アフガニスタンに向かうことになるが・・・という話。
 「なんかワトソン君がマッドサイエンティストになってるよ!」と驚愕したのはあたしだけではあるまい。 しかしフライデーへの想いが彼の行動の原動力だと説明してしまえるのでそれはそれでわかりやすい(これは原作にはない設定である)。
 登場人物も結構減らされていたりキャラが変わっていたりと違いはあるけれども、ネオスチームパンクな世界観や観客に迎合しないギリギリラインのわかりやすさの追求には頭が下がる。 アニメですがほんとは実写でやりたかったけどおカネがないので・・・というような気持ちがにじみ出ているように見えるほど、予告で見せられた他のアニメ映画とはヴォイスキャストのみなさんの演技がシンプルで映画や海外ドラマ風。
 アニメファンとして観に来た方はどう感じたかわかりませんが、あたしはその姿勢に大変胸を打たれました。 ← 最近のアニメからかなり遠ざかっているもので、あたし自身のアウェイ感が半端ないのです。

  屍者の帝国4.jpg 生前のフライデーは才気煥発で小生意気。 まるで、ワトソン君がのちに出会う誰かさんを思い起こさせる人格。

 そういう意味でもド・シリアス映画ではなく、オマージュどころではない直球のリスペクトを繰り出すパロディ作品でもあるわけですが(ホームズ作品だけではなく、『海底二万哩』・『未來のイヴ』などなどからもいろんなものが。 その当時、実在した人物たちも続々と)、それだけをつなぎ合わせた感で終わらなかったのはやはり全体を貫くテーマ性故か。
 それともうひとつ。 作者たちはほぼ絶対否定することだろうけど、「夭折した作家の中断した作品を、盟友とも言える立場の作家があとを引き受け完成させた」という一行から受けるある種の“ロマン”を、制作陣や観客でもある読者はそこに物語を見い出してしまうのではないだろうか。
 それ故に、すべてを知りながらもう語ることはないフライデー(伊藤計劃)と、フライデーにそれでも問いかけ続けるワトソン(円城塔)という原作にはない関係性を持ち込まずにはいられなかったのではないだろうか。 そのロマンが軸にあるが故に「具体化された言語」といった抽象的な言葉の応酬にもついていけたというか、多少の難解さすらも美しく思えた(それでも原作よりはかなりわかりやすくなっていますが)。

  屍者の帝国2.jpg そしてもう一人の重要キャラ・M(大塚明夫)。

 このMがまたクセものなのですが、オープニングクレジットに名前がなかったので「あれ、明夫さんだよね?」とときどき自信がなくなった(あたしは目が悪い分だけ、声の聞き分けはできると思っていたので)。 それくらい、明夫さんは自分の個性・ウリである“男気”をかなり減らして、抑えた渋さを強めに出しつつMを演じていて・・・納谷吾郎かと思う場面も度々。
 すごいな明夫さん、ついにあのレベルに到達しちゃったの?!
 そしてMと考え方と立場が異なる故に対立する“ザ・ワン”(フランケンシュタイン博士がつくりだした、現存する唯一の思考し話せる感情を持った屍者)を菅生隆之さんが当てており・・・当然の安定感なわけです。 この二人がバトルする後半、聴き惚れました・・・。
 これだけで、映画料金のモトはとった!、と思えるくらいのヨロコビ。
 なので映画全体に対しても点が甘くなってしまっているかもしれませんが、やはりキャスティングは大事なので。

  屍者の帝国3.jpg しかし、更なる山場はエンドクレジットにあった。

 こんなふうにエンディングを構成するとは! 最後まで誰も席を立たなかった・むしろ立てなかったですよ!
 そこで流れるのは言葉。 聞きたかった人には決して届くことはない、けれど確かな言葉。
 あぁ、だから登場人物たちが言う「ありがとう」には様々なニュアンスがこめられていたのか(これを表現したヴォイスキャストのみなさんに拍手)! 思わず目頭が熱くなる。
 家に帰って、まだ目を通していない『屍者の帝国』後半をぱらぱらめくれば、エンディングのモノローグはエピローグの一部そのままだということがわかった。 あぁ、冒頭通りに。
 そのまま、円城塔によるあとがきを読み・・・落涙しました。
 まさに、映画は原作へのリスペクトにあふれた作品でした。 それもまた、映画の至福。

 <Project Itoh>、次回公開予定の『虐殺器官』はなにかトラブルがあったようで・・・公開延期に。 その代わり、11月13日から『ハーモニー』が繰り上げ上映になります。
 次も初日レイトショーに行ってやるぞ!、と固く決意をしてみるのだった。

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2015年10月14日

今日は、7冊。

 実は、ミシェル・ウエルベック『服従』が読みたかった。
 2022年にフランスにイスラム政権誕生、というスリリングかつスキャンダラスな初期設定にドキドキ。 しかし残念なことにハードカバー・・・文庫になるのを待つか、図書館に頼るのが速いか。
 その代わりといってはなんですが、ミシェル・ウエルベックの文庫が新しく2冊も。

  プラットフォーム.jpg プラットフォーム/ミシェル・ウエルベック
 『服従』の版元である河出書房新社から、長いこと品切れ状態だったこちらが復刊。

  地図と領土.jpg 地図と領土/ミシェル・ウエルベック
 こっちはちくま文庫から。 これでゴングール賞をとったらしい。 翻訳は野崎歓さんです。
 ミシェル・ウエルベック自身が作品中に登場し、しかも惨殺されるらしい。
 いいなぁ、そういう悪ふざけ。
 とりあえずこの2冊で、『服従』を待ってみよう(『素粒子』はあまりピンとこなかったから)。

  悲しみのイレーヌ.jpg 悲しみのイレーヌ/ピエール・ルメートル
 『その女アレックス』に出てきた刑事さんたち初登場の作品にして、ピエール・ルメートルデビュー作。 『その女アレックス』で言及されていたカミーユ警部の人生を変えた事件の詳細がここに。 あぁ、読みたいような、読みたくないような・・・(でも読み始めたら、きっと一気になっちゃうんだろうな)。

  汝、コンピューターの夢.jpeg 汝、コンピューターの夢<八世界>全短編1/ジョン・ヴァーリイ
 ハヤカワSF『逆行の夏』に続いて創元SFでもジョン・ヴァーリイ復刻。 しかも『へびつかい座ホットライン』と同じ世界観の<八世界>シリーズ全短編を2冊にまとめて出すという粋な計らい(だからこっちにも『逆行の夏』は収録されているんだけど)。
 あぁ、その昔、全然手に入らなかった作品が新訳&改訳&再編集という形で手に入りやすくなったのはうれしいのですが、読書体力がもっとあったかつてのあたしに送りたいぐらいですよ(金銭的余裕は今の方があるから皮肉だ)。

  グイン137.jpg 廃都の女王 グイン・サーガ137/五代ゆう
 一応買ってはおりますが・・・まだ本編の方は131巻から読めておりません。
 でも長年の習慣により、あとがきは読んでしまうんですが・・・正直「五代さん、大丈夫?」という感じがしなくもない。 それなりにキャリアのある作家であるという自負もあるでしょう、自分のファンがグインを読み始めているというお気持ちもあるのかも。 他の外伝などでデビューしたぽっと出の人たちと一緒にされたくない的な感じはわからなくもないですが・・・残念ながら五代ファンよりはグインファンの方が読んでいる方が多いはず。 それなのにこのあとがき・・・これはまずい。 よく編集者がOK出したな、ぐらいのぶっ飛び感です(栗本薫もぶっ飛んでいた時期ありましたけどね・・・)。 あぁ、だからますます本編を読み始める気持ちが萎える。 ← あとがき読むなってことですかね。
 後半文句も言っていたけど(「100巻で終わるんじゃなかったの?!」とか)、あたしは『グイン・サーガ』をやはり愛していたんだなぁ、と今更ながらまた実感。

  ちはやふる29.jpg ちはやふる 29/末次由紀
 おぉ、なんとヒョロくんが表紙になる日が来た!

  アルスラーン戦記04.jpg アルスラーン戦記 4/荒川弘
 カバー前折口の<原作者の言葉>に「今、クライマックスを書いています」みたいなことが書いてあった・・・やっとですか。 何年たったんでしょうね。 もうそれしか言えません。

ラベル:マンガ 新刊
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2015年10月13日

天空の蜂

 この本を読んだのは、もう20年近く前であろうか。 講談社ノベルズ版だったからわりと刊行してすぐだったのかも。 その当時としては破格の分厚さであったことを覚えている(京極夏彦並み、と思っていただければさいわいです)。 しかし一気読みであった。
 デビュー作『放課後』から(文庫でですが)東野圭吾は読んでいたけれど(乱歩賞同時受賞の森雅裕の方があたしはファンだった)、しばらく間が空いていた時期があって、ノベルズ版『天空の蜂』はそのインターバルを一気に埋めた。 だから「いちばん好きな東野作品は」と聞かれたら、それ以来あたしは迷わず『天空の蜂』と言い続けてきた。
 多分これからも、そう答えることでしょう。
 その当時から「映像化不可能」と言われていたのは技術的な問題かと思っていました。 原作が書かれたのはもんじゅの事故の前だし、あの事故である程度のことが明るみに出ちゃったなら別に問題なくない?、と。 しかし今回のこの映画を観て、いわゆる<原子力ムラ>の使っていた言葉のトリックが白日の下にさらされ、「原因はこれだったのか・・・」と納得。 そういう意味では小説よりも映像の方がインパクトがあるというか、伝わる範囲が広いからなのでしょう。 とはいえこの映画、反原発映画ではなくあくまでエンタテイメント。 両方の主張を描きつつどちらかに偏ることない絶妙のバランスで成り立った希有な作品。
 本気出せばやるじゃないか、堤幸彦! ← エラそうですみません。
 オープニングクレジットが英語&ローマ字だったので、てっきり世界配給を視野に入れているのかと思ったんだけど、本編テロップは全部日本語でした。

  天空の蜂P1.jpg 絶対、守り抜く
     史上最悪の原発テロ発生。 巨大ヘリ墜落まで、あと8時間!

 1995年、夏。 愛知県錦重工業小牧工場から防衛庁に最新型巨大ヘリコプター・通称“ビッグ・B”の納品が予定されていた。 ビッグ・Bの開発責任者である湯原(江口洋介)たちが家族を連れてその過程を見守ろうという中、何者かによってビッグ・Bは遠隔操作で奪われてしまう。 そしてそのヘリの中には湯原の息子・小学生の高彦が乗りこんでしまっていた。 やがてビッグ・Bは日本海に面した高速増殖炉“光陽”の上空でホバリングを開始、<天空の蜂>を名乗る者から「日本で稼働中の原子力発電所を即刻停止せよ。 さもなくば光陽にビッグ・Bを墜落させる」という要求が来る・・・という話。

  天空の蜂2.jpg 高速増殖炉“光陽”の設計者・三島(本木雅弘)も現地に到着。 あたし好みの群像劇の感じが。

 原作の大筋は変えず、細かな部分を変更・統合し、なおかつ3.11後の日本の状況を踏まえてこの時間内にまとめきったのはお見事としか言いようがない(その分、群像劇の面白さが少々弱まってしまったのは仕方ないかな〜)。 高速増殖炉の説明をこんなにシンプルに短時間で説明しちゃったのには驚いたし!
 なにしろ江口洋介も本木雅弘もかっこいい感まったく出してないのが素晴らしい。
 現在WOWOWにて放送中の『しんがり〜山一證券最後の聖戦』で名言連発のかっこいい上司をやっている江口洋介を見るにつれ、「いやー、『天空の蜂』のかっこわるさはめったに見れないよ」と今も思い返す有様です。 ヒーローではなく、普通の技術者であるというスタンスが終始一貫していたからでしょう(時折、江口洋介が時任三郎に見えてしまうことも)。 國村隼さん演じる光陽の所長は、福島第一原発の吉田元所長をダブらせている部分があるような気がしたりと、こちらの共通認識に働きかけてくる感じもうまい。 そう、役者さんたちが適材適所熱演!、というのがいいのです(その中で、仲間由紀恵だけが美人で目立ち過ぎている−何か曰くありげだとすぐわかってしまうのがもったいない。 あ、湯原の妻役の方が棒読み感にあふれていて違和感を誘うのもちょっと不思議だった)。

  天空の蜂3.jpg 同時にこれは父と息子の物語でもある。

 仕事に人生を捧げる父と、その背中を見つめて何かに気づく息子、という構図も、互いの歩み寄りと理解があれば成立する、という最後の時代だったのだろうか。 それとも幸運な家庭はそれでもうまくいくところはいっているのかもしれないけれど。
 「時間がないとか言い訳するな! 今できることをするのが技術屋だ!」という叫びは、技術者としての誇りであると同時にかつての日本の誇りではなかったか。
 けれど「おれが売っているのは原発じゃない、技術だ」と言い切るのもまた、かつて世界にエコノミックアニマルと呼ばれた日本人の姿でもあるのだろう。
 表裏一体のこの叫びが、今の日本の抱える様々な矛盾をさらけ出している。 現在を生きる日本人として自分はどうしたらいいのか、考え込んでしまうよ。
 映画独自のエピローグ、2011年3月13日のシークエンスは、物語的にはそれでうまくまとまっているんだけれども、その前に二人の技術者が叫び合って観客の胸に深く打ち込んだ楔をやんわりと抜きにかかっていないだろうか? せっかくの問題提起の効果が薄くなってしまったような気がして個人的には残念だ。
 でもそこをある種の感動と引き換えにしたのだとしたら、それもまたこの映画が社会派と呼ばれるよりもエンタテイメントであることを選んだ証拠なのだろう。
 正直、「がっかりしたらどうしよう」って思っていたけれど、予想を覆す素晴らしい作品になっていました。 ほんとよかった!
 これで今年の賞レースをごっそり持って行けたならいいのだけれど。

ラベル:日本映画 映画館
posted by かしこん at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

休みはいいなぁ・・・

 体調がまだ完全に戻っていないのを完全なる口実に、この三連休をだらだらに過ごしているあたしであった。 あぁ、特に予定のない日ってこんなにいいものか、とうかうか。
 好きなときに起き、好きなときに食べ、洗濯しそびれたと思っても「明日でいいや」と思えるこの余裕は三連休ならでは。 普段の週末と一日違うだけでこんなにゆとりが。
 本を読み、「うっ、頭が痛くなってきた」となったらちょっとうたたね。 病院からもらった薬は全部のんでしまったので、<クスリと細菌の戦い>は消耗戦に入っているらしく、あたしの普段の平熱に戻ってきたのでだいぶ楽である(とはいえ時間とともにまだ鼻がつまってくるので完治はしていないが、まぶたの腫れなどは治まっている)。 今夜も寝るときはマスクをして、だわ。 そして明日仕事に行くときも(ヴィックスドロップも忘れない)。
 しかし気ままに一日を過ごし、それが三日も続いてしまうと、仕事ペースの時間に戻すのが大変だわ・・・。 いえ、戻れば戻るんですけどね、気持ち的に「まだこのままがいいなぁ」というのが残るというか。
 自分が、根っからのグータラものであることがこういうとき判明します。
 副鼻腔炎になる前に観た映画・読んだ本の感想もたまっているのに(ちまちま書いてはおりましたが)、何故この休みの時間を使ってまとめて書けないものなのか。
 多分、集中力がないせいです。 この調子では、明日、仕事、大丈夫なのか・・・。
 休み癖がつくって恐ろしい。 でも、あたし自身はもともと休みベースの人間で、働いている期間が無理してるのかもな、と思ったり。 高等遊民、憧れるなぁ・・・。

posted by かしこん at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月11日

WOOL ウール/ヒュー・ハウイー

 ディストピアもの・ポストアポカリプスものってアメリカ人好きだよなぁ、と思うことが多いのだけれど、それはそのまま「日本人だってセカイ系はやってるじゃん!」と言われたら言い返せないということに気づく(あたしは個人的に“セカイ系”がなんなのかよくわからないのですが)。 これも時代とそれが醸し出す空気の産物ということなのかも。
 どちらにせよ、流行モノであるからには玉石混交(そして狭義の“セカイ系”には否定的かつ未熟な要素がかなり多いらしいが)。 ダメなものには当たりたくない、どうせ読むならいい(面白い)ものを!
 それをかなえてくれるのが<サイロ三部作>である。
 まず第一部、『ウール(WOOL)』
 章立てが「編み目を決める」・「ほころび」・「縒り合せるよりあわせる」とかなのでてっきり毛・羊毛というイメージの“ウール”なのかと思っていたら、実はある短縮形だとわかったときの驚きといったら! ← わかるのは結構後半です。

  ウール1.jpgウール2.jpg 世界各国で翻訳版が出ていますが、装丁がいちばん優れているのは日本版かと。

 近未来、世界の終末後のどこか。 生き残った人類は地下144階建ての<サイロ>の中で限られた資源をフルリサイクルしてどうにか暮らしていた。 最上階のカフェテリアがかろうじて地表に接し、外の世界を見ることができるものの有毒ガスが充満しているため生存には適さない。 サイロから外に出られるのはレンズの「清掃」をする者だけ。 しかし「清掃」に行った者は誰も帰ってこなかった・・・これまでは、という話。
 読者にとっては当たり前のことでも、この物語の中では当たり前ではない、ということにはっとさせられる場面が何度もあって、そのあたり作者はすごくうまいなぁ、と思う(たとえば白い結束バンド、あたしならすぐはさみで切ってしまうが、ジュールスはゆっくり逆方向からゆるめて取り外す。 再利用するために)。 そんな感じでまったく違う世界の中に読者としてすんなり入り込めるのは、そのようなディテールの積み重ね故かと。 そして職人気質の人たちの思考は国や時代が変わってもあまり変化がない、というのもなんだかうれしい。
 それしか知らなければユートピアなのに、疑問を持ってしまうとディストピアになる、という感覚は二元論的で、だからキリスト教圏の人たちに受けるのであろうか。 アメリカ人がディストピアものにはまるのはキリスト教をはじめとする一神教で、<終末観>が根底にあるから? 日本人がセカイ系に共感しがちなのは社会として個人として未熟だから?
 などといろいろなことを考えるのは読了後で、読んでいる最中はページを追いかけるので精一杯です。 いろいろ不明な点もありますが、そこは三部作通してわかることかもしれず、ということで置いておく。
 早速続編『シフト』に入っておりますが、時間軸的には『ウール』より前。 『ウール』の直接の続編が『ダスト』のようです。
 『シフト』を一気読みの予定でしたが、『スーツケースの中の少年』に予約が入ったのでそっちを優先・・・あぁ、こうしてあたしの読みかけの本がどんどん増えていく。

ラベル:SF
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2015年10月10日

スーツケースの中の少年/レナ・コバブール&アニタ・フリース

 先日、図書館に行った際に普通に棚に見つけたので、「おっ!」と手に取ってそのままカウンターへ。 確か『ミレニアム』と各賞をその当時争った作品だという記憶があったので(でもほぼ『ミレニアム』が受賞)。 ちなみに『ミレニアム』はスウェーデン、こっちはデンマークの現代をえぐった作品となっております。
 しばらく連絡のなかった旧友からの久し振りの電話、それが意味不明のお願いであることに首をかしげつつ、コインロッカーに荷物を取りに行ったニーナ。 彼女は看護師の資格を持ち、男性からの暴力に悩む女性たちのシェルターハウスのようなところで働いているので(そのため行きすぎた正義感と猪突猛進型の性格を併せ持つ)、旧友はニーナならばなんとかしてくれると思ったようだ。 コインロッカーの中には重たいスーツケース。 そしてその中には、3歳の男の子が眠らされた状態で入っていた・・・という話。

  スーツケースの中の少年.jpg うーん、講談社文庫は文字が大きくて行間も広めで読みやすいなぁ。 459ページがあっさり読めたのはそのせいだったんだろうか?

 これ、デンマーク語の原著からじゃなくて、英語版から訳してる? 章立てが短いせいもあるけれど、この読みやすさは北欧独特のいろんな意味での重厚さがあまり描かれていないからかもしれない(だからこそあえて、どこの国にでも起こりうる話という普遍性を求めたのかもしれないが)。
 文字通り少年を抱えてひたすら逃げるニーナのノンストップ・サスペンスとして一気読み必至なのではありますが、何故彼女が他に助けを求めないのかがいまひとつ理解できず(そういうところで働いているから、施設に預けられた子供の待遇のひどさをよく知っている、というのもわかりますが、着るものも食べ物もない状態からの逃走よりは多少ましなんじゃないかと)。 異国の少年・人身売買・少年を追いかけてくる凶暴な謎の大男の存在等々、明らかに犯罪要素がからんでいるのがわかってくればこそ、一時的に保護施設なり警察を利用すべきなのでは? まぁ、読んでいくうちにニーナの性格とかトラウマとかも見えてくるので仕方がないのかなぁ、と思ったりもするのですが、私はこの人と一緒に仕事はできるかもしれないけど友達にはなれないな、としみじみしたり(別にそんなことを考える必要はないのですが)。
 移民問題や旧ソ連時代の東欧の問題などが根底にありますが、その話も今や世界規模。
 とはいえ、ヨーロッパは地続きだ(海を隔てていてもそれほどの距離ではない)から過去の因縁やらの根の深さは島国の人間には想像しかできないのでした(想像はできても、多分実感としては理解できてない)。

ラベル:海外ミステリ
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2015年10月09日

あの日のように抱きしめて/PHOENIX

 <『東ベルリンから来た女』の主演女優・俳優・監督が再び!>ということで、あぁ、また後味よろしくない映画がやってきたぞ、と心構え。
 つらいのなら観に行かなければいいことなんですが、そういうつらさから目を背けてはいけない年になってきたのだと自分を鼓舞。 いや、だんだん後味の悪い映画の方が「映画観た!」という実感を伴うようになってきたのは事実かと。

  あの日のように抱きしめてP.jpg ただ、知りたかった。 あの時、夫は私を愛していたのか。
    それとも、ナチスに寝返り裏切ったのかを――。

 舞台は1945年ドイツ。 銃で殴りつけられて顔にひどいけがを負い、友人レネ(ニーナ・クンツェンドルフ)のつてでどうにか強制収容所を出て戻ってきた元歌手のネリー(ニーナ・ホス)は、顔の修復手術を受けるがまったく同じには戻れなかった。
 彼女の願いはピアニストだった夫と再会してかつてのしあわせな日々に戻ること。
 どうにか見つけ出した夫のジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)は生きていたが、妻は強制収容所で死んだと思い込んでいる彼はネリーに気づかない。 気付かないどころか、「ちょっと妻に似ているから」とネリー本人に、「亡き妻の遺産を手に入れるために妻のふりをしてくれないか」と持ちかける。 ジョニーの真意はどこにあるのか、知りたいがためにネリーは偽者を演じることを決意する・・・という話。
 いくらなんでも、多少顔が変わったとはいえ(しかも整形外科手術が今ほどでないとはいえ、元の顔にしようとしているわけで)、黙っているからといって自分の妻と気づかない男がいるものだろうか?
 結構身近に接して言葉も交わした上でですよ?
 せっかくの内容もその大前提に無理があるように感じて、いまいち納得できない・・・(だからこそ、彼は彼女を利用しようとしているだけなのでは?、という謎とスリルも生まれるわけですが)。 この夫がそこそこ男前なだけに(特にポスター写真下で見ると『CSI:マイアミ』のジェシー役の俳優さんにちょっと似ている)、残念。
 映画というか映像よりは、小説のほうが無理なく盛り上がれる話だったのかもしれないなぁ、と途中まで思っていましたが、それはあたしの間違いでした!

  あの日のように抱きしめて1.jpg 彼は、自分の決めた現実しかもう受け入れる気はなかった、ということ。 男性脳の持ち主ですなぁ。

 ジョニーはそもそも気づきたくないというか、妻はもう死んだものとして決着をつけているわけですよ。 でもネリーはそうではなく、かつての記憶のような生活を取り戻したいと思っている。 <ニセの妻>からそんな光線をばしばしと浴びせられて、それでも懸命に抵抗する、というのがジョニーの不可解で残念すぎる行動の数々を説明するものだったのでした(そう、男の卑怯さ加減がこれでもかというほど炙り出されます)。
 逆に、「なんでそんなにこの男が好きなんだ、ネリー」、とつい聞きたくなってしまうほど(愛情は他人には不可解なものだということはわかっていますが)、ネリーの想いは強いのだけれども、それは現在のものなのか、過去のよかった時期への執着なのか、彼女自身もよくわかっていないような気がした。 収容所生活後というか、顔が変わった時点で彼女は二つの人生を生きていて、でもそれに気づいていないのだ。 彼女が取り戻そうとしているものは、もう過去にしか存在しないのに。

  あの日のように抱きしめて2.jpg それでも、かつてを思い起こさせる出来事もあるから困ったもので。 当時の女性たちのカバンは小ぶりだがよく手入れされて使っているのがうかがえて、ちょっと憧れる。

 だから二人の緊迫感あふれるぎこちない会話は、お互い違うことに対して話しているのだから当たり前(でも時折シンクロする瞬間もあるので、お互い引き下がれない)。
 実は心理劇ラブサスペンスなのでした。
 ひとり、すべてを知っているレネの存在がこの物語を暴走させないための装置だったのも冷静さを観客が取り戻すためのポイント。
 何故ネリーが元歌手である必要があったのかが疑問だったのだけれど、彼女が“Speak Low”を歌う場面のためにすべてがあった、ということなのかもしれないな。

  あの日のように抱きしめて4.jpg そう思うほど彼女は美しかった。

 結論は出ていない映画だけれど(それこそ観客に委ねられている?)、あたしは彼女の“Speak Low”のシーンでとても満足しました。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年10月07日

ヴィンセントが教えてくれたこと/St. VINCENT

 <ビル・マーレイ最高傑作!>というコピーに、「え、彼の最高傑作は『ブロークン・フラワーズ』じゃなかったの?」と思って確認したかった。
 離婚調停中のMRI技師・マギー(メリッサ・マッカーシー)は12歳のひとり息子オリバー(ジェイデン・リーベラー)とともに新しい町に引っ越してくるが、隣に住んでいたのは偏屈ジジイと近所でも評判(?)のヴィンセント(ビル・マーレイ)。
 酒とギャンブルが生き甲斐のようなヴィンセントにマギーははじめ警戒するが、残業を断れず、仕方なくオリバーの世話を彼に頼むことに。 気まぐれで気難しいヴィンセントにオリバーは困惑するが、心の奥底にあるヴィンセントの心の機微を感じ取ったオリバーは尊敬の念を持って接するようになり、そしてその交流がヴィンセントの頑なな心を溶かしていく・・・という話。

  ヴィンセントが教えてくれたことP.jpg さあ、人生のホームワークを始めよう。

 だが、そこはビル・マーレイである、そんな甘ったるい話ではないしあえてストレートな感動を避ける方向に進むのは想定内。 それに、主人公はあくまでオリバーの方だもん!
 賢くて繊細なオリバーを、ひ弱とレッテルを貼っていじめの標的にする粗野さはあまりにステレオタイプな<アメリカの学校>であるが、マギーが息子のためにとカトリックのいい学校に入れても結局そうなのか・・・と悲しくなる。 しかしその分、先生方の対応が柔軟で大変面白かった。 特にオリバーのクラス担任教師(クリス・オダウド)が「僕、ユダヤ教徒かも」と彼に言われた時のリアクション、最高!
 宗教に関係なく受け入れる、という寛大さが押しつけがましくなくユーモラスさにあふれている(それは同時に、ブルックリンが人種のるつぼどころじゃなくいろんな人がいる、という状況を示してもいるのだが)。 あ、この先生神父さん、メガネかけてて一瞬分からなかったけど、『ブライズ・メイズ』の警官さんだ!

  ヴィンセントが教えてくれたこと4.jpg メリッサ・マッカーシーも強力コメディ路線ではなく、基本シリアステイストで「息子を守りたい母」をやっていてよかった。 シングルマザーであっても、手に職を持っていると強いのはどこの国でも同じか。

 ナオミ・ワッツが現役ストリッパーで臨月近い妊婦のロシア人、という設定もなかなかだが、「夜のお仕事の人」というヴィンセントの紹介を「夜勤の人」と母に説明するオリバーくんの天然っぷりもなかなかである。 というか、この子かわいいぞ!、と子役チェックに厳しいあたしも太鼓判を押したい。
 このままいい感じに成長していい役者になっていただきたいものだ。
 それにしても、あぁ、ビル・マーレイがジジイになってる!、としみじみする。
 『ブロークン・フラワーズ』にあったペーソスの中に潜むダンディさがかけらもない(まぁ、こういう粗野ながんこジジイをやらせても見事に似合うわけですが)。 で、心の奥底に秘めた悲哀を台詞ではなく背中や、ちょっとした表情であらわすのがうまいというか、ずるいんだよなぁ。 またネコがヴィンセントに何気なくなついている描写がなんとも言えずほっこりするというか、ネコがなついてるんだからなんだかんだいって悪いやつではないのよね、ダメな人だけど、と納得する。

  ヴィンセントが教えてくれたこと2.jpg で、この二人がオリバーを挟んでなんとなく仲良くなっていく過程も好き。

 だから終盤、原題にある<聖人>の意味がわかるときに押し寄せてくる感動ときたら!
 あたしはそう言ったオリバーに泣いたよ。
 しかしその感動を一気にひっくり返すエンドロールのヴィンセントのいい加減さがほんと素晴らしすぎて脱力(ボブ・ディランの歌をくわえ煙草でテキトーに歌う、そして煙草を怒られるたびに隠れて吸う姿の情けないこと)。 さすが、ビル・マーレイ!

  ヴィンセントが教えてくれたこと1.jpg ま、こういうところを見ちゃったら、母親としては「息子に悪影響!」って怒りたくもなりますわね。
 人間には100%善人もいなければ100%のクズもそういない、という実はすごくいい話だったなぁ。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年10月06日

喉より鼻の方がダメージが大きい

 先週土曜日の夜から、ちょっとのどの痛みを感じていた。
 うーむ、窓を開けたまま寝ているからだろうか。 部屋が乾燥していたかなぁ(しかし洗濯物を部屋干ししていたりしたのだが)。
 残念ながら今シーズンのヴィックスドロップをまだ仕入れていなかったので、とりあえず水分多めに取り、日曜日は外出せず(夜中に燃えるゴミを捨てに出たが)、あったかいものを食べ、マスクをして寝る。 それでのどの痛みは引くわけではないが悪化はしていなかった。
 月曜の朝、熱を測れば36.6℃。 平熱35℃台のあたしとしては高い方ではあるが、不調感はなかったのでいつも通り出社。 行く途中、コンビニによってヴィックスドロップを入手し、電車に乗っている間ずっとなめていたら、若干痛みが和らぐ感じ。
 あぁ、このままよくなればいいなぁ、と思っていた。
 しかし11時あたりから、頭がぼーっとし出し、ちょっとした動きにもよろつきが伴う。 しかも透明な粘性の低い鼻水が出てきたじゃないか! いつものどの不調から炎症を起こすあたしにはめったにない展開にうろたえる(たいてい、ここまで頭はぼーっとしない)。
 いつもと違う展開に、心なしか動揺。 なんとなくじわじわと熱が上がってきているような感じすらする。 14時過ぎには鼻水が濁り始めた。 細菌感染してる!
 これはいかん、今日は定時に帰って病院に直行だ!
 そんなわけで行きつけの耳鼻咽喉科へ。 病院に向かう電車の中で、頭がズキズキし始める。 なんだ、この順番通りの「いかにも風邪です」みたいな展開は!
 やっと病院でドクターに会う。 経過を話したら、「おぉ、順調に進んでる感じだねぇ」となんだか楽しそうに見えるのは何故なのか。
 「おっ、いつものどなのに、今回は鼻から来た感じだね。 かなり炎症進んでるよ」と言われ、一瞬絶句。 「えっ!、のどじゃないんですか?」
 「いやいや、のども結構炎症出てますよ。 でもこの感じだと、鼻から来たね」
 想定外、とはこのことか、と実感。 なんにもリアクションができない(頭ぼーっとしてるし、ズキズキしてるしね)。
 「早めに治した方がいいわな。 ちょっと薬考えるから。 明日、仕事休める?」
 「休んでもいいような根回しはしてきました」
 「わかった。 ちょっと待っててな」
 会計を済ませ、処方箋を持って調剤薬局へ。
 初めて見る若めの薬剤師さん(男性)に言われる。
 「これじゃあ、ノド痛いでしょう、いつからですか? 結構ほっぽっちゃいました?」
 なんか、油断しましたね〜、みたいな言い方にちょっとカチンとなるが、腹を立てている余裕もないので「一昨日の土曜日の夜からです」と事実を答えておく。
 「・・・えっ、土曜日? かなり進行が急ですね、 というか、その状態でよく声が出せてますね!」
 なんかデリカシーないな、この人。 まぁ、それも若さ故であろう。
 患者を一律に考えるな。 のど弱いやつは弱いやつなりに独自の対処法を持っている。
 早く帰ってすぐに薬のめ、的なことを言われるが、買い物もしなければならないし家に帰ったら帰ったらシャワー浴びねばならないし、今着ている服はまとめて洗濯しなければ。
 抗生物質やら抗菌剤やら、普段飲まない薬が出てくる。 これから判断すると、どうやらあたしは急性副鼻腔炎らしい。 あぁ、のどの炎症だけの方が楽だ・・・。
 薬を飲んでしばらくすると、体内で薬と菌が戦っているのがわかる。
 翌朝(つまり今朝)、Eさんからの電話で目覚める。 薬のんで寝て、劇的に治るようなら出社する、とメールで報告してあったから。 しかし受け答えのあたしの第一声で「ダメ、無理!」とEさんからダメ出しを受けた。 「今日来なくていいから! ゆっくり休んで!」
 あぁ、ありがたきは同志。
 というわけで本日、仕事を休みました。 一日3回の薬をのみ、気がつくと眠っている、ということを繰り返していた。 なるほど、これでは仕事にならなかったな。 熱にも波がある。
 自分ではのどの方が弱いと思っていたが、実は鼻の方が弱かったのかしら。 鼻をのどがいつもかばっていたのかしら。
 自分の身体の仕組みに、常に新しい発見があるって面白い。

posted by かしこん at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 体調 好不調の波 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

クーデター/NO ESCAPE

 オーウェン・ウィルソンが珍しくギャグ抜きでシリアス演技に徹しているよ!、という噂を聞いて。 テーマ的にもなんとも言えない今日的な話題ですし。
 失職し、新たな仕事のために東南アジアの某国に妻アニー(レイク・ベル)・幼い娘2人とともに赴任することになった技術者ジャック(オーウェン・ウィルソン)。 到着した翌朝、ホテルから朝刊を買いに町に出た際、暴徒と機動隊が衝突する現場に遭遇。 クーデターらしいと気づいたときにはすでに遅く、暴徒らにより“外国人”というだけで人々が次々に殺されていく状況に愕然とする。 とにかく妻子を守ってこの国を脱出しなければ!、とジャックの奮闘が始まる・・・という話。
 しかし状況を見ていると「クーデター」というよりも「革命」や「暴動」のほうが言葉の定義に近い気もするのですが・・・まぁ、いちばん通りのよいタイトルなのかな。

  クーデターP1.jpg 東南アジア某国クーデター勃発
     標的は“外国人” 敵は全国民 あなたは生き残れるか?
       ↑← 正確には外国人専用ホテルの従業員たちはお客を守ろうと戦うので、<敵は全国民>ではないけどね。

 国の名前は出てこない(あえて出さない)のではあるが、舞台は明らかにタイです。
 でもクーデター実行犯たちの服装はISをはじめとするイスラム原理主義過激派っぽい。 そのあたりがロケ地としてOKが出た理由であろうか(どちらにせよさすがタイ、懐が広い)。 というか中国や韓国あたりでは普通に起こりそうなので洒落にならない、というところかも(が、よく考えればカンボジアで韓国が似たようなことをしているので、それを置き換えたのかな?)。

  クーデター1.jpg わけがわからないけど、もう逃げるしかない。

 奥さんが黒髪なので、遠くからでも露骨に外国人・西洋人とわかるのは夫のジャックの方(しかも彼は国を搾取する外国企業の技師としてほぼお尋ね者状態)だというのがスリルに拍車をかけます。 行きの飛行機で一緒になった、この国には何度も来ているという旅行者ハモンド(ピアース・ブロスナン)の助けがなかったら、かなりあっさり彼らは殺されていたかもしれない。 しかし幸運はいつまでも続かない、というのがこの映画のミソです。
 ジャック側はこの国の実情についてほとんど知らず、何が起こっているのかよくわからないまま逃げ惑う・・・というあたりが大変リアリティあり。 でも、別の国に家族ともども引っ越してくるからには、事前に準備ぐらいしようよ!、とあたしは声を大にして言いたい。
 どうせ英語が話せる相手を会社が準備してくれるだろ、というのはアメリカ人のエゴではないのか(現地の文字をちょっとでも勉強しておけば、逃走途中の地図が少しでも読めたかもしれないし)。 というか、自分一人でまず現地入りもせずに、いきなり妻と娘たちを一緒に連れてくるって危機管理出来てなさすぎでしょ!
 でもそこが、オーウェン・ウィルソンのキャラによって助けられてしまうのよねぇ。
 お父さん一人がヒーローなのではなく、家族みんなでお互いをかばい。助け合いながら逃げる、というのが今日的リアルなのです(女子供が露骨に足手まといになる描写がなくてそれはよかったよ)。 その分、襲ってくる側の得体の知れなさはテロリスト以上ゾンビ並み。 逃げ場がない、という絶望感は、沢山の死体を見てしまっているのでずっと根底に流れていて、普通こういう映画なら多少の希望がありそうなもんですが、ほんとにないんですよ。
 それが素晴らしい。

  クーデター3.jpg いざというときに現れるピアース・ブロスナン、
     やたらかっこいい!

 何故外国人全般が標的になってしまうまでになったのかについてはかつてのジェームズ・ボンドがサラっと説明してくれますが、目に見えない植民地支配が結局続いているってことなのかなぁ・・・搾取する側・される側という構図そのものには変化がないわけで、つらいわ。
 解決のためには地道にフェアトレードを進めていくしかないのかなぁ。
 彼らが生き残るためには、国境を越え、ベトナムに入るしか道はない(そうすれば他国の領土にいる人間を殺すことになるので戦争になりかねないため、敵は引き下がるを得ない)。 内戦に関しては内政干渉を盾に他国の介入をブロックできるけど、逃走者たちに他国に入られたら終わり(逆にいえば、誰しもそういう状況下におかれたらそうするしか方法がないということ。 島国に住んでいるとなかなか思いつかないです)。 アメリカ人が助けを求める最後にして唯一の手段がベトナムって・・・なんとも皮肉な。
 地球上にいる限り、結局逃げ場は限られる。 それでも争いを続けてしまう人間に対する多いなる皮肉なのか・・・B級サバイヴァルアクションの中に堂々と政治的主張を差し込んでくる感覚、ただ者じゃないですね。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年10月04日

ライヴハウス for the first time! その3

 なんでも、それは<対バンライヴ>だというではないか!
 「そんな単語、マンガ以外で初めて聞いたよ!」
 ドリンクチケットはいつでも引き換え可能で、入ってすぐ必ず、というわけでもないらしい。 ドリンクバーつき夕食をとってきたばかりのあたしたち、「あとにしようか」ということに。
 まずはKitty , Daisy & Lewisから。
 ロンドンから来たこの三人は実のきょうだいで、事前にEさんからサードアルバムをお借りして予習してきました。 UKロックにありがちのジャンルミックス、でもちょっとカントリー要素強し。 キティさんがヴォーカルなのかと思ったら途中からルイスくんが歌いだしたりと「ちょっとびっくりしたよ」とEさんに言えば「あぁ、ヴォーカルだけじゃなくて楽器もチェンジするんだよ、あの三人」。
 「だからドラムの跳ね方やギターのグル―ヴが曲によって違ったりしたのか!」と納得(ポータブルCDプレーヤーでイヤフォンつけて一回だけ聴いただけだったあたし、聴き込み方が足りていません)。

  キティデイジールイス3.jpg セットリストはほぼこのアルバムから。
     知らない曲はアンコールの一曲のみだった。

 ほぼ定刻でステージが始まったことに、「おぉ、外国の人にしては珍しい」と感銘を受けるあたし。 言葉はあまり通じない、ということは折り込み済みのようで(かといってトークがまったくないわけではない)、ガンガンたたみかけるように演奏&歌を繰り広げてくれるのでした。
 「えっ、こんなにロックテイスト強くて、しかもブルージーだとは!」
 ヴォーカルは力強く、CDで聴いていた印象が吹っ飛ぶくらい強烈。
 ステージにはマイクが何本もあるのに、あえて一本のマイクを奪いあうようにしてやるのもパフォーマンスか。 さすがきょうだいなだけに声質が似ていて、ハーモニーを売りにしているわけじゃないけど「ここぞ!」な部分だけコーラスを重ね、「あぁ、もっと聴きたい!」というあたりでさっと引く。 シンプルなバンド編成だからこそ、ひとつひとつの音が際立ち、引き立つ(しかも力強いドラムをたたいていたのはデイジーさんで、ルイスくんのドラムは少々へなちょこだった。 ギターの技巧はすごかったけど)。 三人きょうだいで全員歌がうまくて楽器を複数演奏できて、なんかすごいなぁ。
 途中でジャマイカ出身のトランペッター・タンタンさんが参入、更に盛り上がる。 あとで聞いたがタンタンさんは83歳だそうであり・・・それであのメリハリある鋭く明快な音が出せるとは・・・かっこよすぎ。 そしてルイスくんの男前さ加減にうっとり(25歳だって! そりゃお肌つるつるよね!)。
 あっという間の一時間強。 すでに汗だくで、かなりの満足感。
 ステージ転換の間にドリンク取りに行こうか、となったものの会場からすんなり逆行できなくて、この位置に戻ってこれないかもしれないと思い直してあとにする。
 「いやー、キティ・デイジー&ルイスでこんなに汗をかくとは」と少々意外そうなEさん。
 「だって、アルバムの雰囲気とかなり違うもん! こんなに踊れてパワフルだとは思わなかったよ!」と意外性について語り合う。 アルバムが素晴らしくてもライヴがいまひとつなバンドもある中、ライヴの方がアルバムより素晴らしいってプロの証拠だよね!
 舞台転換に結構待たされ、やっとEGO‐WRAPPIN'登場。
 Eさんのお目当てはこっちのほうなので悪く言うことは控えたいが・・・歌い出すまでが長すぎる。 せっかく歌い始めてもその声がスピーカーから割れて聴こえる(PAの問題なのか、あたしの立ち位置の問題なのか)。 キティ・デイジー&ルイスでまったく気にならなかったことが気になって、せっかく前半で盛り上がったテンションが下がってくる。 トークが通じるのは同じ母国語通しのよいところだが、一部客とのやりとりが会場全体まで意味がわからないまま話が進んでいって終わるところも「大阪人のよくないところ」だと思ったし(なんというか、内輪受け重視感的な)。
 でもまぁ、『リバース・エッジ』の主題歌が聴けたのであたしは満足です。
 そんなわけで個人的には、Kitty , Daisy & Lewisに軍配!
 帰り道(ライブハウスを出たときにはすでに22時を余裕でまわっていた)、どうしたことか兵庫県には暴風警報が出ていて、一部電車に遅延が。 でもまぁ、多少遅れても帰れるだろう、と地下鉄から降りてJRに乗る。
 「ロンドン出身というわりに、ルイスくんちょっと訛ってなかった? トーク言いたいことはだいたいわかったけど、単語が聞き取れなかったよ」
 「・・・ロンドン訛りなんじゃないの?」
 「(はっ!)ロンドン育ちだからってクイーンズイングリッシュってわけじゃないのか!」
 「下町とかなのかもね。 江戸っ子のべらんめぇ口調みたいなもんで。 ・・・それよりも、タンタンさんが83歳って聞いて、うちのじいさんと同じ年だということの方がショック」
 「うーん、演奏家って定年のない仕事だし、常に自分を高めてるからかなぁ。 というかタンタンさんが別格で、普通の同じ年の人と比較しちゃいけないんだと思うけど・・・」
 「そうなんだけど、ほんとうちのじいさんダメだからさぁ!」
 何故かライヴ後に家族の問題の話になってしまうお年頃でした。
 なるほど、Eさんが足しげくライヴに行くのは様々なストレス発散のため。 しかし一度発散してしまえばまた「どんとこい!」となって更にストレス蓄積 → 発散しなければ!、の無限ループに陥っているのだな、ということがわかった。
 ある意味、汗かかないだけであたしの映画と同じですね(でも、抱えているものはEさんの方がはるかに大きいので、なんかすみません)。
 というわけで、これがあたしのライヴハウスデビューでした。

posted by かしこん at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

ライヴハウス for the first time! その2

 ことの発端は、数日前、同僚Eさんに声をかけられたとき。
 「10月1日ってさ、ファーストデーだよね。 なんか、映画観に行く予定入ってる?」
 「うーん、今のところまだ決まってないよ」
 シネ・リーブルなら金曜日のほうがお得だし(1000円だから)、サービスデイ1100円に値上がりしてからいまひとつお得感が薄らいでいるのよね。 だったらクーポンとかで曜日・時間に関わらず1200円・1300円とかのほうが利便性が高いかな、とか(その100円・200円が積もり積もったら大きくなることはわかっているのですが)。
 それにサービスデイはマナーいまいちな人がくる可能性もあるしな(あたしがちゃんとしていると言っているみたいでエラそうですが)、前ほどファーストデイにこだわりがなくなってきました。
 「よかった〜。 実は一緒に行くはずだったダンナが仕事の都合でダメになって、ライヴなんだけど一緒に行かない?」
 Eさんは仕事場ではきっちりオフィスレディな見かけであるが、野外フェスにも勿論行く・大小さまざまなライヴハウスで踊り狂うのが人生の楽しみ、という私服ファッションはかなりロックテイストな人である。 その人に誘われるということは・・・。
 「えーっと、それはオールスタンディングのいわゆるライヴハウスってやつですか?」
 「そうそう。 えーっと、なんばHatchだっけ、Zeppなんばだっけ? ごめん、場所忘れたけど大阪、ミナミのほう」
 会場を忘れるくらい数をこなしているのか!
 いわゆる<コンサートホール>で座席指定のチケットでしかコンサートやライヴに行ったことのないあたし(あ、野外は2回ほどありますが、フェスではなく単独かせいぜい2組)、小劇場の舞台を観に行きまくりの時期でも会場を忘れることはなかったが(今はもうほぼ大阪にはそれらの劇場がなくなっているけど)、すごすぎるぞEさん・・・。
 「あたし、初めてなんだけど大丈夫?」
 オールスタンディングはともかく、ワンドリンク制とか「?」なあたしはひとりで行く勇気がなく、何度もビルボードライヴ大阪のボビー・コールドウェル公演を見送ってきたのですよ(チケット代が高いということもあるけれど・・・いつまでも毎年彼が来てくれるとは限らない、と今年は勇気を振り絞って行こうかと思っていたのだけれど、例年10月頃に来てたのに今年に限って7月! 気づいたときには遅かった・・・)。
 「え、大丈夫じゃない?」
 場慣れしているEさんはあたしが何を心配しているのか不思議な様子。
 あぁ、そういう人に連れて行ってもらえれば、あたしの(客としての)ライブハウスデビューは大丈夫かも!
 「では、よろしくお願いします!」
 そして言われた注意点。

1.動きやすい服装で行くこと
    靴もぺったんこが望ましい(ヒールなんぞで行ったらまわりは大被害・折って自分も怪我するかもしれないし)
2.入場時は混雑するので、チケットとドリンク代500円はお釣りなしで小銭ですっと渡せるように
    500円玉、準備しときます!
3.荷物は最小限に
    ライヴハウスのロッカーは駅にあるのなんかよりはるかに小さい、大きなカバンを持ったまま会場入りしたらまわりにも迷惑。

 あたしは普段からフラットシューズが多いので(仕事場でも一見してはわからないが、実は機能としてはスニーカーであるという靴を履いていったりしている)、服装もオフィスカジュアルのラインをちょっとずつ崩していこうとしているので問題ない。 問題あるとしたらカバンだが、パラフィンコートコットンのボンサックがあるのでそれで行くぜ!
 「てことはEさんは着替えるんだね」
 「勿論です!」
 そんなわけで当日、早番なEさんは30分ほど残業になってしまい、「ロッカー室で着替えて待ってるね」ということに。 1時間違いの遅番のあたしは定時で帰ることに全力で集中(そんなときに限ってギリギリで用事ができるってどういうこと・・・それでもほぼ定時に上がりましたよ)。 「待たせてごめん!」とロッカー室に駆け込めば、ハイカットの男物スニーカー&パーカー姿のEさんがおりました。 そして、心斎橋へGO!、なのでした。
 開場18時・開演19時とのことですが、整理番号順の入場だそうなので別に18時に並ばなくてよい・というかその前に軽くごはんしとかないと時間ないよ、ということで大阪BigCatが入っている商業施設(ファッションビル?)にあるサイゼリアへ。 「ごめんね〜、心斎橋ならもっといい店あるはずなのに」と謝るEさんであるが、当日の目的はライヴなので時間をとらないファミレスは正しい選択である(ドリンクバーもあるしね!)。
 18時半過ぎ、会場に向かえば階段に長蛇の列。 Eさんが係員さんにチケットの整理番号を見せれば「もう入っていいです」と言われたので列を横目に階段のはじっこを登ると、別の係のおにーさんが「ドリンク代600円」とか言っているのが聞こえて、Eさん「ドリンク代、600円なんですか?!」と速攻確認をとってくれる。 あわててお財布から100円玉一枚を抜き取る(あってよかった)。
 印象としては、「すべてが狭い」という感じ。
 映画館でたとえるならば、いわゆるコンサートホールがシネコンならば、ライブハウスは神戸アートビレッジセンター地下や元町映画館のような特殊なミニシアター系といったところであろうか。 まぁ、商業規模としては同じようなものか、題材が映画か音楽か違うだけで。
 ただワンドリンクを強制されるのは意味がわからないけど、働いている人の人件費なのかな?(Eさん曰く、映画館のポップコーンがライブハウスにおいてはオフィシャルTシャツなのだそうだ)
 あぁ、また長くなってしまった! <その3>に続きます。

posted by かしこん at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

ライヴハウス for the first time! その1

 生まれて初めてライヴハウスというものに行ってきました!
 場所は心斎橋・大阪BigCat
 ラインナップは、Kitty,Daisy & Lewis × EGO‐WRAPPIN'
 オールスタンディングで、3時間強立ちっぱなし、2時間半踊りっぱなし!。
 汗だくで、でも楽しかった!
 ただいま、大変足が痛いです。
 詳細は長くなりますので<その2>にて!

posted by かしこん at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

今日は強力なものを含む5冊!

 出ていることはわかっていた。 しかし本屋さんの新刊棚にどどーんと並んでいる光景に、ちょっと泣きそうになった。

  1888切り裂きジャック.jpg 一八八八 切り裂きジャック/服部まゆみ
    若干、表紙の印象が『開かせていただいて光栄です』に似ているのが残念。 イラストが同じ人だから仕方ないか・・・。
 どどーんと並んでいるように見えるのは、厚いからなんですが(780ページ越えのため、棚に並べられる冊数が限られるので他の新刊と同じ冊数でも場所をとる)。 でも、一見たくさん置いてあってイチオシ!、的雰囲気を漂わせているのが、うれしい!
 でも、なんで復刊されたんだろう。 『この光と闇』が売れたんだろうか? 大矢博子の女子が読むべきミステリで紹介されたから?
 あたしはこれのハードカバーも、旧文庫版も、キンドル版も持っているけれど、買う!
 それがファンの(というか、服部まゆみに心を持っていかれた者としての)、矜持!
 ともかく、この勢いで、服部まゆみ再評価の流れとともに過去作復刊を希望!

  セントニコラスのダイヤモンドの靴.jpg セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴<名探偵御手洗潔>/島田荘司
 この“萌え系表紙”になんかびっくりして手に取ってしまった。 もしや玉木宏でドラマ化・映画化の影響? でもあたしは、石岡君のほうが好きです(だから二人が出ている話の方が好き)。

  不思議な羅針盤.jpg 不思議な羅針盤/梨木香歩
 エッセイ集でした。 考え方がどう、というよりも、あたしはこの人の文というか言葉の選び方が好きだなぁ、と思うわけです(マイベストはやはり『からくりからくさ』だな)。

  ホテル1222.jpg ホテル1222/アンネ・ホルト
 『凍える街』に続くハンネ・ヴィルヘルムセンシリーズ第8弾(でも全部邦訳が出ているわけではないの・・・)。 こちらはノルウェーです。
 大雪で脱線した列車から逃れた乗客が辿りついたホテルで起こる殺人事件、という<アガサ・クリスティに捧ぐ>作品のようですが、ただの“雪の山荘モノ”になっていないらしいので、そこのところが北欧ミステリの奥の深さかと。
 でもこれだってそこそこの厚さなのに、『一八八八 切り裂きジャック』に比べると薄いわ・・・。

  親しい友人たち.jpeg 親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選
 学生時代までずっと現代文の成績はそんなに悪くなかったあたしではあるが、何故か教科書に載っている話で「すごく面白い!」と思ったことがあまりないのである(おかげで黒井千次のイメージもかなり長いことよろしくなかった)。 星新一や宮沢賢治などなど、教科書で読む前から接している作家は別なのだが。
 その中で、『夏の葬列』は別格の存在だった(あと、横光利一『蝿』も。 つくづく残酷というか、短い中に無常感あふれる話が好きなんだと思う。 だって胸に突き刺さるからね!)。 で、教科書的には戦争文学だと思ってたけど、『夏の葬列』が発表されたのは<ヒッチコック・マガジン>だと初めて知り!
 そんなわけで創元推理文庫で『夏の葬列』を読んでみると、印象が全然違って見事なミステリだった!
 しかも作者は34歳で、結婚一年ほどで夭折ということも初めて知った・・・(教科書の「著者略歴」に載ってたかなぁ・・・覚えてない)。
 あぁ、知っているようで知らない作家っていっぱいいるなぁ・・・。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする