2015年07月10日

奇跡のひと マリーとマルグリット/MARIE HEURTIN

 ヘレン・ケラーの『奇跡の人』は、結構前に舞台を観ました(鈴木杏&大竹しのぶ版)。
 <もうひとつのヘレン・ケラーの物語>とはいえ、邦題が安直じゃないですか、『マリーとマルグリット』でいいじゃないですか、と思いつつ、ポスターにあふれるなんともいえぬ清らかさにつられて鑑賞。

  奇跡のひとP.jpg 光と音がなくても 伝えたい 心の手ざわり
   19世紀末、フランスに実在した“もうひとつ”のヘレン・ケラー物語

 フランス・ポアティエにあるラルネイ聖母学院は、修道院でありつつも聴覚障害のある少女たちの教育施設でもあった。 ある日、ロバの台車で父親に連れられたマリー(アリアナ・リヴォワール)という少女がやって来る。 生まれながらに耳が聞こえない上に盲目の彼女に対して、両親はもうどう接していいのか分からなくなってきてしまったのだ。 目も見えず、耳も聞こえない彼女は勿論言葉を理解することができない。 学院に来ても動物のように暴れまわるマリーに修道院長は「うちでは無理です」と受け入れを断るが、修道女マルグリット(イザベル・カレ)は「これは啓示です!」と院長を説得、マリーを迎えに行くことに。

  奇跡のひと3.jpg マルグリットさん、年齢不詳。
 なんとなくイメージしていたシスター・マルグリットが、思っていたよりも意外に年齢いっているということにまず驚く。 無垢であるということは、人を若く清らかに見せるのでしょうか。 マリーはとりあえず常に汚いので、マルグリットの清廉さが余計に際立つのかも。
 マリーが理解の階段を上る、ヘレン・ケラーの「W・A・T・E・R」のような劇的なシーンはないんだけれど、あることをきっかけにちょっとずつ、着実に世界を受け止めていく描写はとても美しい。 94分とこじんまりとまとまった映画なので、マリーとマルグリットの悪戦苦闘の日々は観る側にも過剰なストレスにならず、二人の想いや立場を理解するのに必要十分な量だったかと。 ボロボロな彼女がお風呂の気持ちよさに気づき、髪を梳かしてもらうことの心地よさを知り、そして修道院の制服のボタンを自分で留めるようになる。
 そんなディテールの積み重ねに、こっちも穏やかな気持ちになれました。

  奇跡のひと2.jpg マリーが雪を感じるシーンは、一際美しいよ。
 でも、存在するもの(手に触れるもの)がわかるようになっても、存在しないもの(概念のようなもの)を理解するのは難しい。 でもそれをマルグリット自身が身を持って伝えることになる・・・というのは、いくらベースが実話だといえ、運命は残酷だと感じずにはいられない。 もしくは、神は。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする