2015年07月05日

ありふれた祈り/ウィリアム・ケント・クルーガー

 これはもう、何故かわからないけどタイトルにぐっと胸を掴まれて。
 きっと、多くの人はなんでもなく平凡な日常を過ごしていくのに、取り返しのつかない出来事にその平穏を破壊されてしまった人々というのは必ずいて、なにも知らなかった過去を取り戻したいのに取り戻せない、そんな物語なんだろうなぁ・・・、といろいろ想像してしまいました。

  ありふれた祈り.jpeg また、表紙も抽象的な感じですし。

 すっかり大人になった“わたし”は、13歳のとき、1961年の夏を思い出す。
 すべての始まりは機関車にはねられて死んだ少年ボビー・コールだったのか。 それとも少年の無力さや非力さを自覚していなかった“わたし”の未熟さ故だったのか。
 あたしの好きな<少年もの>ジャンルではありますが、大人視点からの回想なので瑞々しさは弱め。 その分、文章に深みがあるというか、「これって新潮社クレストブックスに収録されてても違和感なくない?」と感じてしまう文学性の高さが素晴らしい。
 あたし個人は無神論者ですが、<祈り・祈る>という行為に意味はあると思っています。 今作で描かれる神はキリスト教ですが、それが読解の妨げになることもなく。
 事件そのものは犯人がすぐわかってしまう単純なものですが、この主題はむしろ大切な人を失くしてしまったあとの気持ちのありようや家族や他の人との絆、自分自身意識しない偏見の存在の自覚など、平凡に生きていたら気づく必要のないことに気づいてしまう苦悩と、けれどそれ故により深く相手を見つめられるという利点を得られたような気がするけれど、それもまた事件のために苦しんだせいと考えてしまうような。
 生きている自分と死者たちとの違いはほんのわずかにすぎないと理解することが救い、とでもいうような。
 2歳下の弟ジェイクに比べて、普通もしくは些か愚鈍な“わたし”が語り手だったのも読み終えてみたらそれでよかったと思えた(途中はかなりイライラさせられたが)。
 <ありふれた祈り>が必要なのは、それが普通の人だからだ。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする