2015年07月31日

ターナー、光に愛を求めて/MR. TURNER

 ターナーという画家の存在をはっきり知ったのは、ヤマタツの“ターナーの機罐車”だと思う。 あの絵は中学校の美術の教科書か資料集に載っていたかもしれないのだけれど、絵と画家の名前が一致していなくって、あの歌を聴いて「あの絵のことか!」と気づいたという。
 以前、神戸市立博物館でターナー展があったけれど、前売券を買っていたのに結局行けなかった・・・という苦い思い出もあり、その代わりにこの映画を。 マイク・リー監督が偉人ものを撮る、というのは少々意外だったし(『ヴェラ・ドレイク』は好きだから時代モノという点には違和感はないのですが)。
 しかし観てよかったんだろうか・・・という気がしないでもなく。
 18世紀末のイギリス。 ロイヤル・アカデミーで早くから評判をとっていた画家のJ・M・W・ターナー(ティモシー・スポール)。 ほとんど人物画を描かない彼はモチーフ探しによく旅に出た。 光をいかに描くかに固執するあまり、画壇や観客に理解されないこともあったが、彼は自分の求めるものを探し続ける・・・という話。

  ターナーP.jpg 旅の途中で、希望をみつけた

 マイク・リー監督って主だった設定だけ決めて、具体的な台詞は役者に任せるってタイプの人ではなかったっけ? 一体どう撮ったのだろう、と不思議な気持ちに。
 あたしは芸術家の個人的なことはあまり知らないようにしているのだけれど(それで絵を観る見方が変わるのはどうかなと思うし、でもすごく好きな画家だったりすると「なんでこんなふうに絵を描いたのか知りたい」と考えるとバックボーンに触れざるを得なくなるので難しい)、ターナーって結構若い頃から画家として生活できていた人なんですね。 そこはマネージャーのような父親の献身があってのことなんだけど(はっきりとは描かれていないけれど、母親不在がこの父子関係の濃さをより強めているのは明白)。

  ターナー、光に愛を求めて3.jpg 絵も売るけど、貴族のお嬢さん方に絵の描き方を公開レクチャーしたり。
 時代的なものもあるとは思うのだけど・・・何故、ターナーはあんなにも野卑というか、下品な話し方(態度)なのか!
 自分の芸術を理解してくれる(つまりは尊敬できる)女性にはいきなり丁寧語になるあたり、普通に話せないわけではない。 そういう“反ブルジョア”的な感じが男同士でも流行りだったのか? 多分母親に対する屈折した感情が“一般的に女性は見下すもの”という彼の性質を生みだしているっぽいのだが、そこは劣等感の裏返し的部分で(自分がハンサムではないという自覚もあるようなので)、とりあえずグフグフ言うような喋り方がとにかく不愉快で、観ていてとてもイライラする。 家のメイド・ハンナ(ドロシー・アトキンソン)を“手近な女”・のちに出会うブース夫人(マリオン・ベイリー)を“女神”のようにして区別する感じが、彼の女性観の乏しさを物語っている。 いくらいい絵を描く人でもこれではね・・・と幻滅(そういうところを描くから、年を経るごとに人間性に近付いていく“感動”のようなものが待ち構えているわけですが)。 まぁ、偉人というのはとかく奇行の持ち主でもあるわけで、でもなんだかなぁ、なのです。 しかし画業への情熱は本物で、身近にお付き合いしたい人ではないけれど、作品を観る分にはやぶさかではないタイプですね。

  ターナー、光に愛を求めて2.jpg モチーフを探す旅の風景はさすがに美しい。 イギリスの地方(とくに北部)はほどよく寒々しくていい感じ。
 というわけでターナー個人に対するイライラを、美しい風景と絵に癒してもらいました。
 あぁ、芸術って、多くの犠牲が隠されているのね。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年07月30日

グローリー 明日への行進/SELMA

 意外にも、マーティン・ルーサー・キング・Jr.が主役の映画は初めてだそうである。
 言われてみれば、観たことがないかも。 その時代を描く映画にはTV画面の向こうで演説する姿などが映っていることはあるけど・・・それだけ、描きづらい人物なのかしら。 エピソードが多すぎるからとか?
 ちなみに、キング牧師についてのあたしの知識はローザ・パークス事件とバスボイコット運動、“I have a dream”の演説、そして暗殺がワンセットである(中学3年の英語の教科書に載ってた分そのまま)。 なので、のちに『マルコムX』(初めてデンゼル・ワシントンを知った作品かも)を観て「同じような時期にこんなことが?!」と驚愕したのも懐かしい。
 無抵抗主義を貫いたキング牧師は、しかしなかなか一人の人間としては一癖も二癖もあったようである(浮気したりとか・・・)。 英雄化されている人物だからこそ、生身のリアルな姿をなかなか描けない(イメージ壊れる)というのはあるのかも。

  セルマP.jpg 彼の夢が、世界を動かす

 1965年3月7日、黒人にも公民権を、と活動しているマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師(デビッド・オイェロウォ)の呼び掛けにより、黒人有権者登録妨害に抗議するため集まった約600人の黒人たちがアラバマ州セルマを出発、静かに行進を始めた。 だが、「あの橋を渡らせてはならない」と頑強な差別主義者であるアラバマ州知事ジョージ・ウォレス(ティム・ロス)が警官隊を総動員。 無抵抗の人々を相手に繰り広げられた一方的な暴力の行使は、マスメディアを通して全米に伝えられ、国内に大きな衝撃が伝わることに。
 そんなわけでこの映画は原題通り、セルマという町で起こった大行進(それに伴う“血の日曜日事件”)を中心に描き、あまり欲張らない構成になっている(それでもちょっと長いけど、128分)。
 それにしてもキング牧師の行動を分単位で表示できるのはなんでだろ、と冒頭からいぶかしく思っていたが、当時FBIが彼を重要人物(悪いほうの)と見なして監視・盗聴をしていてその記録が残っているからなんですね! フーヴァー長官なんか暗に露骨に「始末したほうが」とか言ってるし(あれ、『J.エドガー』のときそのあたり描かれていたかな?、覚えてない・・・)。 非暴力主義を掲げているとはいえ、権力者側にしてみれば<大きな影響を持つ民衆の指導者>として警戒されていたのがよくわかる。 リンドン・B・ジョンソン大統領(トム・ウィルキンソン)とも普通にホワイトハウス執務室で何度も会っているし、電話も直でかけてるし。

  セルマ3.jpg トム・ウィルキンソン、好きです。
 ここでは南部出身の白人ながら合衆国大統領として「すべての人に公民権の行使を」という憲法の理念をいかに実現するか、はじめは及び腰ながら次第に態度を強く変えていく人になっていた。
 そういえばキング牧師が暗殺されたことは知っていても、誰が何故実行したのかとかはまったく知らない・追求していない自分に気づく(白人至上主義者にやられたんだろうなぁ、とうっすら納得していたからであろうか)。
 映画は後半、当時の実際のニュース映像らしきものを織り交ぜてくるが、それは映画として描かれていることよりも明らかに雄弁であったりする。 それはドキュメンタリーの強みでもあるのだが、それまで演技で組み立ててきたものの印象を薄くしてしまう感もあり・・・あぁ、難しい。

  セルマ2.jpg 映画のほうがみなさん小奇麗だし。
 でも黒人女性のみなさんが、デザインは違えども同じような大きさの丸いイヤリング(直径6センチくらい?)をつけていたのが印象的だった。 当時の流行だったのだろうか。 いま見ると新鮮であった(それちょっとほしいかも、と思うものも)。
 それにしても、なんて言ったらいいんでしょうねぇ・・・黒人を支持する白人たちを滅多打ちして殺してしまう白人がいるかと思えば、“血の日曜日”の映像を見て愕然とする白人たち(あたかも問題がそこまで深刻であることを初めて知った、みたいな)もいたりして・・・住んでいる地域が北部か南部か、州によっても変わったりするのでしょうが、自分の国の話だぞ!、なにしてんだ!、みたいな気もしないでもなく。
 しかしあたし自身、現代日本の抱える問題をすべて知っているのか・それに対して何か行動なり意思表示などをしているのかと問われれば堂々と頷いたりはできないわけで・・・しみじみ、あとだしじゃんけんならばなんとでも言えるわなぁ、と。
 とりあえず、自分ではどうにもできないことについて差別するのはおかしい、という発想ができる自分でよかった、とは思うけれど、世界中全ての人がそう思ってはいない(中には無自覚の人もいるであろう)からこそこういうテーマの映画は作られ続けるのだろうな・・・と感じる。 実話をベースにすればとっつきやすい(?)けど、“人種差別”という狭いくくりで判断されてしまうおそれもあるし、そこをスタートに普遍的なところまで考えていかないといけないな、と思い知らされる。
 あたしはつい、電車や街中で見る人のカバンやファッションに目が行ってしまい、「あぁ、その組み合わせ、なんか惜しい!」とか、「もう9月なのにマリンテイストはどうなのか」とか、「9月でブーツとか、まだ暑いよ!(ファッションは季節先取りという心意気はわかるが)」等、つい自分の価値観で判断してしまい(しかも自分のコーディネートは棚に上げて)、いかんいかん、ファッションは自由じゃないか、と思い直すのである(あたしは心の中で思うだけだが、実際に口に出してあげつらう人たちもいるから、二人以上の組み合わせになるとそうなってしまうのだろうか、怖い怖い)。 あと仕事の面でも「マジか?!」と自分の基準で相手の行動から仕事のできるできないを判断してしまう。 角が立たないように指摘したらいいだけのことではないか(しかしそれで話が通じない場合、結局こいつはできねーな、と切り捨ててしまうのだが)。
 つまりは、まだまだ修行が足りない。
 人類の過去の愚行を映画が描き続けるのは、そういうことを描けるようになった自由ができたという象徴でもあり、でもやっぱり人として目指すところはまだまだだよね、という意味合いが込められているのであろう。 と、時々真面目に考えることも必要だから、あたしはこういう映画を観るのだろう。

ラベル:映画館 外国映画
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2015年07月29日

今日は9冊(その2)。

 引き続き、今回はハヤカワ文庫をピックアップ。

  逆行の夏.jpg 逆行の夏 ジョン・ヴァーリイ傑作選
 帯から円城塔に「ジョン・ヴァーリイご存知ない?」と問いかけられる。
 ジョン・ヴァーリイといえば・・・『へびつかい座ホットライン』の人? あぁ、高校時代はどんだけ古典・名作SF読んでたんだよあたし!
 この表紙から、SF的ボーイ・ミーツ・ガール物語を連想。 SFにこのテーマで名作、多いのよね。

  ブラックアウト文庫1.jpgブラックアウト文庫2.jpg ブラックアウト/コニー・ウィリス
 えっ、もう文庫になるの!? ・・・そうか、それくらいになるか。
 ポケミスサイズのハヤカワ☆新銀背を持っていますが、読み返すのも、人に貸すのも文庫サイズのほうが便利よね。 装丁も変わってるし、あとが気も新しいしでつい買ってしまう・・・続編『オール・クリア』は前回ほど間があかないうちに文庫化されるようです。

  大日本帝国の興亡4.jpg 大日本帝国の興亡 4 神風吹かず/ジョン・トーランド
 サブタイトルが、もはや「敗色濃厚」どころではなく絶望感漂う終戦間近、という感じ。
 うーむ、読むのが気が重い・・・。

  オリバーストーンが語る1.jpg オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1
 全3巻なのですが、『大日本帝国の興亡』があるのでとりあえず原爆投下までを描いた1巻のみをチョイス。 余裕が出てきたら(そして読みごたえがあったら)残りの2冊も買うかもです。 一般常識として、アメリカ史も多角的に知っておかないとなぁ。

  生と死にまつわるいくつかの現実.jpg 生と死にまつわるいくつかの現実/ベリンダ・バウアー
 これは小学館文庫から。 えっ、ベリンダ・バウアーの新刊、出るの早くない?!、と思ったら『ブラックランズ』三部作とも『ラバーネッカー』とも訳者の方が違っていた・・・。 人気があるうちに、という戦略でしょうか。

ラベル:新刊
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2015年07月28日

今日は9冊(その1)。

 大変暑いです。 もう夏バテ気味。 通勤時に30℃とかやめてください・・・。

  宇宙兄弟26.jpg 宇宙兄弟 26/小山宙也
 『宇宙兄弟』、まだまた終わる気配なしです。 でも最後まで見届けたい。

  べるばら12.jpg ベルサイユのばら 12/池田理代子
 外伝的エピソード集、再び。 オスカルさま、ちょっと目つきが『女帝エカテリーナ』っぽくなってますが・・・絵柄の変化は仕方ないですよね。

  SFまで10000光年.jpg SFまで10000光年/水玉螢之丞
 水玉螢之丞さんという人は、結構いろんな雑誌や媒体でイラストコラムを持っていて、あたしが高校生くらいからはこの人のイラストやコラムを見たり読んだりすることはずっと当たり前だった。 膨大な仕事量をこなしていたのだろうし、彼女が好んで描く媒体があたしの好みと合致していた、ということもあるだろう。 いつしかあまり見なくなったような気がしたのはあたしが雑誌を買わなくなったからだと思っていた。 まさか難病を患いつつ当時から仕事をしていて、そして久し振りに名前を目にしたのが訃報だったなんて・・・。
 大森望さんによるあとがきで、水玉螢之丞さんの実兄が軍事評論家の岡部いさく氏(『エロイカより愛をこめて』連載再開後の軍事監修している人)だと知って驚く。 あぁ、そういうつながりがあるんだ!
 これは『SFマガジン』に連載されていたイラストコラムをまとめたもの。
 膨大な仕事量をこなしていた割には、“著作”としてまとまったものが極端に少ない水玉螢之丞氏の様々な“作品集”が、これをきっかけに出版されることを願って(確か映画のコラムもあったと思うんだよなぁ)、基本的に文庫本しか買わないようにしているあたしですが、ソフトカバーのこれを購入。

ラベル:新刊 マンガ
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2015年07月27日

きみはいい子

 “虐待の連鎖”みたいな話はあまり好きではない(ま、好きな人は少ないと思うが)。
 しかし興味がないわけではない。 ひどい家庭で育てられた記憶がある人たちは、何故自分でも家庭を持とうと思うのだろう。 そういう親には絶対ならないと強い決意で決めるのだろうか。 虐待の連鎖を止めるには、自分が親にならないことがいちばんの解決方法だとあたしは個人的に考えるのだが、少子化が社会問題になっている以上、この案には表立ってなかなか賛同が得られない。 まぁ、あたしの考えは極論なので、ほどよい落としどころが必要だというのはわかる。 それがこの映画にはありそうだし、予告の池脇千鶴がすごくいい感じっぽかったので観てみる。

  きみはいい子P.jpg 抱きしめられたい。 子どもだって。 おとなだって。

 北海道のとある町。 小学校の新米教師である岡野(高良健吾)は、情熱を持って教職を目指したはずだが、目先のことに追われて児童をうまくまとめられず、生来の優柔不断さがあだとなり児童たちから(つまりは保護者たちにも)早速なめられていることに日々悩む。
 夫が単身赴任のため、3歳の娘と二人暮らしの雅美(尾野真千子)は公園デビューもどうにか果たすがママ友たちとの会話には神経をすり減らし、時に娘に暴力をふるうことも。
 一人暮らしのあきこ(喜多道枝)は毎朝家の前を通る自閉スペクトラム症らしき少年とあいさつをするのが楽しみだが、スーパーで買いたいものや支払いを忘れることがあり、認知症の影におびえるようになる。

  きみはいい子2.jpg 学級崩壊、というほどではないにしろ、結構岡野先生のクラス、乱れてます。
 それなりに頑張ってるんですけどね、岡野先生。 児童の誰かを悪役にしないようにと心を砕いてはいるんだけど、何にせよ行動が遅い。 ベテランの先生方は行動は早いけど、結論をうやむやにするだけみたいに感じていらだつ気持ちもわかるんだけど、だったら君は行動しろよ、とつっこみそうになる(ベテランの先生方の行動は、それはそれで波風を立てないような処世術ではあるんだけど)。
 が、もっとも緊迫しているのは雅美パートである。 尾野真千子、この役を引き受けるのすごく覚悟がいっただろうな、とハラハラするほど入魂の演技。 そんな彼女に救いの手を差し伸べる池脇千鶴がさらによい。

  きみはいい子5.jpg 気づいていながら咎めることなく、ただ受け入れてなぐさめる。 それはあたかも見返りを求めない<感情の贈与>。
 一件無関係に見える人々の点描が、次第に繋がりを見せていくというつくりのこの映画、その繋がりをあえてはっきり見せない(観客に推測させる)のと同様に、映画的結論もほぼ観客に委ねている。 たとえば、虐待をする親を懲らしめ、子供が救い出されればある種のカタルシスを得られるのだろうけれど、現実はそうではないし、子供にとってはどんな親でも“親”であったりするし(子供から「親を捨てる」という行為はとてつもない時間とエネルギーが必要)、あえて中途で放り出したままでいるために、観客に考えさせる余地を残した、ともいえるのかも。
 でも、この手の物語にあまり触れていない人には有効かもしれないけど(逆に慣れていないが故に消化できない可能性もあり?)、そこそこ知ってる・見てる人にとっては物足りなくもあるかも・・・。 だけど語りすぎはよろしくないだろうしなぁ、難しい。

  きみはいい子4.jpg だから、あきこさんと少年の母(富田靖子)との交流が深まっていく過程は心温まります。
 岡野先生が出した<難しい宿題>をやってきた・やってきてない児童たちのリアクションはほぼノンフィクションというか、演じている役柄から離れて、その子たちのリアルな声であるように思えた(だからそれに相槌を打つ高良健吾も、岡野先生ではなく一人の青年・高良健吾のようだった。 だって岡野先生より全然安定感あったもの)。 そこには学級崩壊を引き起こしかねないあやうい子どもたちの姿はなく、まったくもっていい子揃い。 あぁ、今子役をやるような子たちは礼儀正しくていい子ばっかりなんだろうなぁ、とつい思ってしまいました。
 学校にできることには限界がある。 他人にできることにも。 でも日常においてさりげない<贈与>の積み重ねが誰かを救うことができるかもしれない。 岡野先生も成長するしね。
 そんなことを、地味に考えてしまうのでありました。

ラベル:映画館 日本映画
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2015年07月26日

コングレス未来学会議/THE CONGRESS

 『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督の最新作で、原作はスタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議』となれば気にならないわけがなく(難解なんだろうけど)。
 でも『戦場でワルツを』は個人的に途中まですごく盛り上がったんだけど、後半失速したような印象があったので、不安半分・期待半分というところでしょうか。 それにしても最近、やたら毎週のようにシネ・リーブル神戸に来ている気がする・・・。

  コングレス未来学会議P.jpeg 世界がどんなに変わっても、揺るがない愛

 女優のロビン・ライト(ロビン・ライト)は20年以上前『プリンセス・ブライド・ストーリー』で一躍スターダムに躍り出て、40歳を過ぎた今でもハリウッド女優である。 だが、シングルマザーとしてアッシャー症候群という難病をかかえる息子の世話もあり、撮影スタジオを抜け出したりドタキャンするなどスタジオからの評判が悪く、そして年齢的にも旬を過ぎていると判断され、映画製作のミラマウント社から“最後のオファー”を突きつけられる。
 それは俳優の表情・演技・容姿のすべてをスキャンし、最盛期の容姿にデジタル変換させ、そのデジタルデータを“俳優”として自由に使って映画をつくるというビジネスに賛同しろ、というものだった(つまりはデータ化された方が世間的には女優ロビン・ライトなのだから、その間は俳優活動はどんな小規模なものでさえ絶対にしてはならないという条件付き)。 自分がデータとして扱われる違和感・役柄を選べない不自由さに一度は断ったロビンだったが、息子との時間を優先できるし、なによりデビューからずっとついてくれていたエージェントのアル(ハーヴェイ・カイテル)に「きみ自身が下した選択はいつも間違いだらけだったじゃないか」と諭され、サインをすることに。
 そして20年後、ミラマウント社の<未来学会議>に招待されるロビン。
 その間にも34歳の見た目のままの“女優ロビン”はこれまで自分は出演してこなかったアクション映画のヒロインとして大人気になっていた・・・という話。
 原作要素はこの<未来学会議>あたりからで、他の設定は監督の完全オリジナル(かなり現代ハリウッドの風刺、入ってます。 ロビン・ライトのネタも自虐ネタ入ってる気がしてドキドキする。 子供の父親の存在、一切出てこないもんな〜)。 まぁ、原作通りの映画化はほぼ無理なので、テーマだけは外さないという肝心なことを守ればファンは許すはず、というお手本のような映画づくりかと。

  コングレス未来学会議5.jpg <未来学会議>は“アニメ限定エリア”で行われるので、そういう薬をのまされると世界はこのように変化。
 20年後の社会がどうなっているのかの説明は一切ないのでよくわからないのだが、合法ドラッグなのか娯楽用なのか、その薬を服用すればアニメの世界でいくらでも自分は思い思いの容姿に変化できるし、ほしいものも思いのまま。 しかしそれは20年前の契約時にロビンがこだわった「選択の自由」を突き詰めた形であり、誰もが夢を見ているだけのようなこの世界には生産性も発展もない。 そしてまた、ロビンは間違った選択を繰り返す。
 わかっていても、人は成長しないのでしょうか・・・。
 アニメと実写がまじりあうことの違和感は特にないんだけど、かなり手描きアニメの印象が強いドラッグ的映像体験は、前半の実写パートの印象を薄くしてしまうくらい強烈(ちょっと『パプリカ』のラストにも似た混沌)。

  コングレス未来学会議4.jpg ハーヴェイ・カイテルはアニメパートには出てこない。 アルのような人物は、「古き良きハリウッド」を体現した最後の人物だったということだろうか。
 ロビンの息子アーロン役のコディー・スミット=マクフィーくん、どこかで見たことがあると思ったら『ザ・ロード』でのヴィゴ・モーテンセンの息子役だった子、そして『モールス』の彼ではないか! いい感じに成長してるぞ!、このままいってください、と願わずにはいられない。
 「選択の自由」に振り回されるロビンと、病気故にそもそも選択の余地がないアーロン。
 未来では彼にも夢の世界に行くか否かの選択ができるようになるのではあるが、彼は一体どうするのか。 そして生産性のない世界にNOを突き付ける人々もいるようで(はっきりとは描かれないが、革命やら階級間戦争の雰囲気も濃厚)、そのへんは監督の出自や個人的体験がどうしても反映されてしまうらしい。
 それにしても、このラストシーンは・・・どういうことよ。 救いがあるんだかないんだか、わからないよ・・・。
 アニメ世界をさまようロビンを追いかけるように流れる“フォーエヴァー・ヤング”(ロビン・ライト本人が歌っている)の美しくて切なく、はかなく、そしてなんと頼りないことか。
 字幕監修を柳下毅一郎さんがやっているので誤訳や不足部分はないと思うけど、解釈は観る人に委ねるタイプの映画なのでしょう。 多分希望を感じていいラストなんでしょうけど、あたしはなんだか、絶望的な気持ちになりました。

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2015年07月25日

助手席のチェット/スペンサー・クイン

 犬つながり(?)で、『助手席のチェット』読み終わる(近々続編も文庫化されるので先に読んどけ、という思惑も働いて)。 先日読んだ『容疑者』のマギーに比べ、チェットはオスなので、なんというかハンドラー(チェットの場合は相棒である探偵のバーニー)への忠誠心というか集中力というか、若干劣りがち。でもそれは物語の質が違うからなんですけどね(『容疑者』のシリアス度合いに比べ、こっちのシリーズはユーモアミステリ、もしくは児童文学・YA寄りな感じが。 文庫化前のタイトルが『ぼくの名はチェット』だったのもそれっぽい)。

  01助手席のチェット.jpeg この表紙絵もなんか好き。

 元刑事で現在は私立探偵(正規資格あり)のバーニー・リトルは、警察犬訓練所をとある事情で優秀な成績で卒業しそこねた大型犬チェットとともに、ラスヴェガス周辺の町で<リトル探偵事務所>を開業中。 失踪人探しがお得意のこのコンビのもとに、高校生の娘が行方不明になったと母親から依頼が入るのが物語のはじまり。
 全編チェット視点で進むこの物語は、人間の会話の肝心なところを目の前に落ちているおいしい食べ物や不意に出会う同類たちにさえぎられ、チェットが認識しないことがある、という勿体のつけ方があり、このあたりを楽しめるかどうかでこのシリーズを気に入るか否かが決まる、といっても過言ではないかも。
 だからこそ、“犬好き必読”なのでしょう。 あたしが犬を飼っていたのは(正確に言うならば、家に犬がいたのは)幼稚園ぐらいの一年未満なので、犬の詳細な生態にはまったく詳しくないのですが、あぁ、犬ってこんなことを考えているのかしら?、と思うととても楽しい。
 動物の擬人化ってやりすぎるとあざといけど、これはいいバランスかも。 人の言葉はわかるけど比喩表現が理解できないとか、遊びに夢中になって意識が飛んじゃうとか(「え、ぼく何かしてた?」としらばっくれているわけではなく完全に記憶に残っていないところがかわいらしい)。
 前半ではチェットが巻き込まれてしまった冒険を、後半では心ではつながりつつも会話が成立しないが故にチェットの足跡を探るバーニーの(そしてそれを手伝うチェットの)活躍、という配分で、同じルートを二回通っているので推理物としてのドキドキ感は少々薄らぐけど、その分チェットとバーニーへの愛着は増すという・・・シリーズ化前提で書かれたのかな?、という気がするほど。 なるほど、犬を飼っている人は思い当たる節あるあるだろうし、飼っていない者は飼いたくなってしまうかも・・・。 でもこの感じは大型犬ならではという気もするので、広い家じゃないと無理よね〜、とあたしはまた挫折する。

ラベル:海外ミステリ
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2015年07月24日

低気圧、襲来!

 昨日(7月23日・木曜日)は大変調子が悪かった。
 朝から頭痛。 仕事場にて、「FAX来てるかなぁ」と思って複合機に対して頭を斜めに傾ければ立ちくらみ。 「シュレッダー、詰まったかしら」と下から歯(刃?)の部分を覗きこめば立ちくらみ。
 そしてやたら水分を欲す。 通常、一日仕事場にいて500mlペットボトルにして1本半くらいがいいところなのだけれど、その日に限って午前中だけで2本分。 それでもまだ足りないと3本目を会社に置いてある冷蔵庫(福利厚生の一環としてミネラルウォーターが50円)から買う。 で、熱中症対策として最近はまっている日東紅茶の<塩とライチ>を一本振り入れる(商品には「180mlの水に一袋を混ぜてよく溶かしてください」とあるけど、あたしには500mlに一袋でちょうどいい感じです)。
 なのに、お隣部署のYAさんから「なんか、顔色悪いよ」と言われ、同期のEさんからも「なんだか息づかいが、うちの子供が熱があるときみたいになってるけど大丈夫?」と言われてしまう(おぉ、母親的視点! 自分じゃ全然気づいてなかったよ!)。
 いえ、熱はないです。 ただ頭が痛いだけです!
 「でも、今日、ずいぶん水飲んでない?」と指摘され・・・でもミネラルや塩分は入ってるわけだから熱中症にはなってないはず。 YAさんはお母上が医療従事者ということでいろいろ病気・症状・薬品に詳しく、「それ、足りてないの水じゃなくて血だよ」とびしっと一言。
 そっか、ある意味生理食塩水に近いものを欲しているわけですね! 貧血じゃん! 納得!
 しかしこの頭痛はなんだ・・・ふと思いついて気象庁のHPで天気図を見る。
 前日まで大陸上でほぼ停滞していた2つの低気圧が一転、日本に向かって動き出しているじゃないか! 原因はこれか!
 昼休憩時にロキソニンをのみ・・・(この時点で午後2時くらい)、4時ぐらいには多少余裕が出てきて、息づかいもまともに。 おかげで残業もクリアできました。
 それにしても(台風11号からずっと大気が不安定だったのであたし自身あまり調子はよくなかったのではあるが)、恐るべし低気圧。

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2015年07月23日

しあわせはどこにある/HECTOR AND THE SEARCH FOR HAPPINESS

 原題切れました、“HECTOR AND THE SEARCH FOR HAPPINESS”です。
 「しあわせはどこにある?」、ってそりゃ、自分では気がつかない、いちばん身近なところにあるに決まってるじゃない?、と、メーテルリンクの『青い鳥』を聞いて育った世代としては思うわけですが、でも知識として知っていることと、自分の経験としてわかるというのはまた別物。 多分そういう話なんだろうなぁ、って予想はつくけど、サイモン・ペッグ&ロザムンド・パイク再共演が楽しみで、観ました。 他にも豪華キャストだし!

  しあわせはどこにあるP.jpg 幸せを探して 愛を探して きみにもどる旅

 ロンドンで精神科医として働くヘクター(サイモン・ペッグ)は、美人で完璧な恋人のクララ(ロザムンド・パイク)と同居し、毎日満ち足りた生活を送っていると思っていた。 ところがある日、自分の不幸を切々と語る患者たちと毎日接しているうちに、幸せとはなんなのか? 自分自身もまた幸せなのか?、がわからなくなってきてしまう。 このままでは精神科医としてやっていけない、自分の人生もわからなくなってしまう、と思ったヘクターは一念発起、「しあわせとはなにか?」を訪ねて世界中を旅することになる・・・という話。
 ヘクターさん、基本的に生真面目だからか、やると決めたら極端な方向に走る人。
 診療室の本棚にフロイトやユングの本とまじって『タンタンの冒険』があるように、実は冒険したい人だったのかもしれない(これまでの人生、無難に生きてきちゃったけど)。

  しあわせはどこにある1.jpg そう思えば、髪型やいでたちがタンタンだ!
   相棒スノーウィーもいなく、中年になってしまったけれど。 そして心の中ではいろいろ思いつつ、ヘクターを応援して旅に送り出すクララ、よくできた人です。
 まず向かったのは中国で・・・行きの飛行機で大富豪のエドワード(ステラン・スカルスガルド!)と意気投合、リッチなチャイナを体験。 感じたことをメモに箇条書きし、スカイプでクララに「おカネで買える幸せね」と言われてチベットに向かったり・・・ヘクターの旅は行き当たりばったりだけど、人との出会いが必ず転機になるのがポイント(実際、チベットかどうかは映画でははっきり描かれない。 チベット仏教の僧との会話が重要なところではあるが、亡命や迫害といった台詞もあったのでネパールかもしれない)。
 学生時代の友人(これがまたえらいことハンサムだ!)を訪ねてアフリカに行けば、現地で医療に従事している彼の姿を見て「精神科医はこの土地では贅沢品。 リッチな街でしか役に立たないけどそんな人たちほど心が不幸なのか?」と悩み、当然のように危ない目に遭って、命があることのヨロコビをかみしめたり。

  しあわせはどこにある3.jpg 現地の麻薬王として、ジャン・レノ登場!
 ヘクターがノートに綴る格言・名言らしきものは、ちょっとずれていて「おや?」と思わせるものやあまりに素朴すぎて「え、それ?」みたいなのが多かったりするのだけれど、なにしろサイモン・ペッグがイヤミなく大真面目に演じてくれているので、なんだかキュートさが先に立ってしまって。 クララがなんでヘクターにそんなに恋しているのかよくわからないんだけど、あぁ、お互いツボに入っちゃったんだろうなぁ、と二人が携帯電話越しに口げんかしていても観ていて微笑ましくなるというか。
 そう、なんだか微笑ましくなってしまう映画なのです。
 イギリス映画特有の、語りすぎない感じもいいし。 
 そもそも<しあわせ>の形なんて人それぞれ(そもそも形があるものなのかどうかすらあやうい)。 結局は自分が納得できるかどうか。 だからこのヘクターの幸せの探求はあくまでヘクター個人のものであって、すべての人に当てはまるわけじゃない。 それでも観ていて微笑ましく思ってしまうのは、その探求への姿勢が真摯だからだろうか(まぁ、旅の前半の「男ってバカ」路線を突き進むヘクターくんはある意味、期待を裏切りません。 多分、恋愛感度の高い人は、男性のこういうところを「ダメだわ〜」と思いつつもいとおしいと感じてしまっているのでしょう)。
 「勇気をもらえる」というほどではないにしろ、それでも観客に対してあたたかなエールになっているのはわかるから。
 ヘクターの恩師役のクリストファー・プラマーは相変わらずキュートさ全開だけど、ピンクのパーカー姿はやりすぎも・・・。 そんな恰好をしなくても、もうちょっと抑え気味カジュアルでもキュートさは十分伝わるのにな。
 あ、チベット仏教のお坊さんも、別の意味でキュートでした。

ラベル:外国映画 映画館
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というわけで、今日は4冊。

 予定通り、センター街のジュンク堂に出動。
 買うつもりの本が実は7月24日発売だったり、25日発売だったり、微妙にニアミス。 結局、また行かなければならないのよね・・・。

  オランダ靴の謎.jpg オランダ靴の謎【新訳版】/エラリー・クイーン
 国名シリーズ第3弾。 今回は解説を法月綸太郎が書いてます!(とはいえ新しく書き下ろされたものではなかったが・・・)
 これも読んだことない。 あたしは国名シリーズの前半をほとんど読んでいないことがわかる。 当時は古本屋で見つけた順に読んでいたからな・・・国名シリーズ以降のエラリー(もしくはエラリイ)の活躍?はライツヴィルものとか結構読んでいるのですが。 こんなにも国名シリーズがお留守なことに大変申し訳ない気持ちに。

  消滅した国の刑事.jpg 消滅した国の刑事/ヴォルフラム・フライシュハウアー
 これはだいぶ前の東京創元社新刊案内に『トルソー(仮)』として紹介されていたもの。 邦題があまりに違いすぎるので、その本だと気づくのが遅れた。 ベルリンの壁崩壊後から10年以上たってから、旧東ドイツ側で謎の殺人事件が・・・みたいな話。 北欧ブームの余波が、最近ドイツにも波及しています。

  世界を変える日に.jpg 世界を変える日に/ジェイン・ロジャーズ
 これは久し振りに表紙にやられて手に取る。 しかも帯には<『たったひとつの冴えたやりかた』の純粋さで、『わたしを離さないで』の衝撃を描きだした近未来フィクション>と書いてある! それはやばそうだ!
 SFが読まない人には敷居が高いジャンルだ、と言われるのは、新しい作品を紹介するときにすぐ過去作品を引き合いに出してしまうから、かもしれない。 でもわかりやすいんだよね、こういうたとえ。

  星のかけら.jpg 星のかけら/重松清
 どうした気の迷いでしょうか、重松清と浅田次郎の区別がつかないあたしが手に取るとは!
 ただ最近ニュースで耳にする学校のいじめ問題が、あたしが思うところの“いじめ”とどのへんが違うのかしらという感覚を探したくて、いじめを題材に扱うことが多い重松作品がちょうど新刊棚にあったので読んでみようかな、と。
 主人公は小学六年生のようで、児童書的な位置づけかも(それはそれでよし)。

ラベル:新刊
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2015年07月22日

今日は12冊(その2)。

 引き続きの6冊です。

  なごみクラブ6.jpg なごみクラブ 6/遠藤淑子
 何故か発売延期になったこちら、結局理由はわからぬまま7月発売に(なんか出版元がやらかしたらしいという噂は聞いたが・・・)。 とりあえず著者が原稿を落としていなくて、よかったです。

  ダークネスサイコ5.jpg ダークネス・サイコ 5 【高階良子デビュー50周年記念セレクション】/高階良子
 もはや『ダークネス・サイコ』はほんの一部分でしかないぜ・・・。
 いかにこれまでコミックス未収録作品や現在手に入りにくいものをカップリングするか、が本命なのね。 ま、記念セレクションなんだし、それが正しい姿なのでしょう(ただあまりに昔の作品だと、画風が全然違うのでびっくりする)。

  ネメシス1.jpgネメシス2.jpg ネメシス 復讐の女神/ジョー・ネスボ
 『スノーマン』以後、集英社文庫で続々発売されているノルウェーのハリー・ホーレシリーズですが、相変わらず順番通りじゃない・・・。 だから肩書が刑事だったり警部だったり、微妙だわ。 まぁ、翻訳していただけるだけありがたいのですが・・・。

  皆勤の徒文庫.jpeg 皆勤の徒/酉島伝法
 これはソフトカバー時に図書館で借りて読んだのですが・・・「はい?」と思わず声をあげたくなるほど意味不明。 難解というか・・・世界観が独特すぎて(でもそれが唯一のオリジナリティと言われればその通り)、とりあえず「うおぉぉ」しか出てきませんでした。 予約が入っていたので2週間で返さざるを得ず、今回の文庫化にて再チャレンジ!
 これも『盤上の夜』も共に創元SF短編賞から出た作品なのだから、懐深い賞だわ。

  水の葬列.jpeg 水の葬送/アン・クリーヴス
 【シェトランド四重奏】後のペレス警部の物語、ついに始動!
 とはいえシリーズ終わりが「・・・」だったので、諸手を上げてよろこぶわけにはいかないのだけれど、“警官という生き方”を覚悟を決めて受け入れた彼の姿を、早く見たいような見たくないような・・・。

ラベル:マンガ 新刊
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2015年07月21日

今日は12冊(その1)。

 台風一過、梅雨も明けたようです。 セミの鳴き声で起こされる日々がまた始まる・・・暑さに耐えきれない日々もまた・・・。
 というわけで、今シーズンの避暑本を探す。 山岳遭難ものはあらかた読んでしまったので、ヤマケイ文庫待ち・・・(知らない時代の本はわからないからね)。

  K2に憑かれた男たち.jpg K2に憑かれた男たち/本田靖春
 この表紙写真ではK2の恐ろしさが伝わってこないのが残念ですが・・・昨今はそれほどでもないようですが、一時期までの統計では登山者の40%が生還できない山ですよ。

  穂高に死す2.jpg 穂高に死す/安川茂雄
 これは穂高で起こった死亡事故のオムニバスのようです。 昭和初期から30年代までに起こった事故を歴史的に振り返る、という感じ。

  子供たちは森に消えた文庫.jpg 子供たちは森に消えた/ロバート・カレン
 映画『チャイルド44』を最近観まして・・・むしろ原作『チャイルド44』よりも、元ネタであるこっちの方を読み返したくなってしまって・・・ハードカバーを持ってますが、実家に置いてきたので、文庫で買い直し(一時期品切れでしたが、『チャイルド44』のおかげで重版かかりました)。
 このへんで涼しさを感じられれば。

  新世界.jpeg 新世界/柳広司
 フェア本コーナーにて発見。 「あれ、あたしこれ、買ってたかな? どうだっけ?」と自分の記憶を手繰る。 買っていませんでした。 ロスアラモスとオッペンハイマー博士。 このキーワードもなかなか涼しいかもしれない。

  人類資金7.jpeg 人類資金 Z/福井晴敏
 ついに最終巻! なんとなくここまで付き合ってしまったご褒美(?)に、著者の創作ノートなどがまとまった『人類資金 0』付きの限定版のほうを買ってしまった・・・。 あぁ、懐がさみしい。

  雲の王文庫.jpg 雲の王/川端裕人
 “気象”を天気予報の枠から外して見つめ直せる物語、である気がして。 あたし自身、気象についてもっと知りたいし(中学レベルの理科の知識があれば天気図は読めるけど、せいぜいそれくらいだし)。 気象を愛することができれば、夏の暑さもまた違う感じ方ができるかも。 ま、これはあと付けの理由ですが。
 そんな感じで、前半6冊でした。

ラベル:新刊
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2015年07月20日

悪党に粛清を/THE SALVATION

 マッツ・ミケルセン主演で西部劇?! しかもデンマーク・イギリス・南アフリカ制作というアメリカ関係ない映画となれば、ますます気になるじゃないですか。
 というか、マッツ・ミケルセン主演というだけでまずあたしは観たいというか、観ますけど(あまり西部劇は個人的に得意ではないんだけど)。
 1870年代のアメリカ。 祖国デンマークで兵士として戦ったジョン(マッツ・ミケルセン)と兄のピーター(ミカエル・パーシュブラント)は、戦争に嫌気がさし、新天地を求めアメリカに移住して7年がたった。 ようやく生活の足固めができ、祖国から妻子を呼び寄せることができるように。 が、感動の再会も束の間、ならず者たちによって妻子を奪われてしまったジョンはならず者たちを全員殺す。 しかしそのならず者のひとりはジョンの家のいちばん近くにある町の用心棒を名乗る無法者のリーダー・デラルー大佐(ジェフリー・ディーン・モーガン)の弟だった。 弟を殺した者を差し出さなければ町の住人を殺す、と脅された保安官は殺害犯を探す。 孤立無援となったジョンとピーターは・・・という話。

  悪党にP.jpg 神はなぜ、復讐という業を背負わせたのか

 ジョンの妻子が乗ってくる機関車がやってくるシーンから、「おぉ!」と思わず声が漏れそうなほど時代感たっぷり。 風に乱れる砂埃まみれの髪もリアル。 音楽も極力使わず、生活音や日常の音がそのまま響くような感じもなにもかも、「アメリカがつくった西部劇ではありません!」という宣言のような。
 全体的にダークだし、復讐という大義名分はありながらもジョンはヒーロー然としてないし、ならず者たちが死んでもまったく爽快感はない。 物語に意外性はないけれど、それでも息を詰めるように見入ってしまったのは、アメリカ映画だったら絶対死なないだろうキャラクターが死んでしまうなどの予定調和の無さと緊迫感、そして侍のように黙して語らないマッツ・ミケルセンのせいでありましょう。

  悪党に5.jpg 髪が長いから最初気づかなかったけど、お兄さんは『未来を生きる君たちへ』のお父さんではないか。 デンマーク実力派役者そろい踏み!

 一方で、デラルー大佐に逆らえず、仕方なしに仕事を手伝っている(しかも弟の妻にさせられていた)マデリン(エヴァ・グリーン)はアメリカ先住民との戦いの折に舌を切られたということで、一言も話せない役柄なれど目力のみで多くを語る絶世の美女。 彼女もまた生活は保障されているとはいえ、デラルー大佐に一矢報いたい一人。 この二人がいつ共闘するのかしないのか、というのもハラハラする要因。

  悪党に3.jpg 目で人を殺すことができれば、彼女には容易そう。

 悪役のデラルー大佐も先住民との戦い前はいい人間だったという保安官の言葉もあり、善悪をきっちり分けられない複雑さが北欧的です。
 監督のクリスチャン・レブリングという名前、微妙に聞きおぼえが・・・と思ったら、あの奇作『キング・イズ・アライヴ』の人! デンマークのドグマ95に名を連ねたおひとりでした。 なんだかんだいってみなさん、才能あふれる方々だったのですね。
 原題の意味は“救済”
 たとえ人を殺しても自由を勝ち取ることが過去からの救済になりうるのか、かつてとは違う自分になってしまった自分から逃れるためには死が救いになるのか、他にも宗教的な意味合いとかがいろいろあるのでしょうが・・・やはり「よく考えないとわからない」宗教観の薄い日本人には“復讐”を前面に押し出した邦題のほうがインパクトがあるのは確かかな。
 ラストシーン、ただの荒れ地に石油開発の手が入っていく過程を二重写しにする場面は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』へ繋がる時代の流れというか、アメリカの歴史の一部である、というものを暗示しているというか・・・法と秩序が機能している世の中っていいなぁ、としみじみしてしまうのでした。

ラベル:外国映画 映画館
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2015年07月19日

レフト・ビハインド/LEFT BEHIND

 ニコラス・ケイジ主演のSF航空機パニックサスペンスのわりに上映館数が少ないな・・・ということで気づくべきだったのです。 でも予告をさらっと見たあたしは「設定としては逆『ランゴリアーズ』じゃない?」と盛り上がってしまって、まったく気づかなかった。
 これもひとつの教訓、である。
 ある日突然、何の前触れもなく世界各国で数百万もの人間(主に子供)が荷物や衣服を残して一瞬にしていなくなる、という事態が発生、残された人々はパニックに陥る。 各種通信網やエネルギー網といったライフラインのシステムもダウン。 そのころ、パイロットのレイ(ニコラス・ケイジ)が操縦するジャンボジェット機内でも多くの乗客が荷物と衣類だけを残して姿を消した。 この現象が機内だけのものなのか、全世界でも起こっているのかわからないまま管制塔との連絡を必死にとろうとするレイだが・・・家族、特に微妙に確執のある娘との再会を信じ、レイはどうにかこの飛行機を無事に着陸させようとする・・・という話。

  レフトビハインドP.jpg 高度三万フィートで消えた大量の乗客たち
   そのフライトで何があったのか?

 冒頭からレイと娘クローイ(キャシー・トムソン)とのやりとり(離れた大学に通っているので久し振りの帰郷)、家に戻った彼女と母親、弟とのやりとりをずいぶん丁寧に描写するんだなぁ、まぁそうしておくことで後半の父娘関係の回復を感動的に盛り上げるつもりなのかしら、と思っていたのですが・・・レイと妻(なんとリー・トンプソンだ!)の関係がぎくしゃくしたきっかけが、妻が近所の牧師の説教に傾倒して神を生活の中心に置いてしまったことで、娘もまたそれを理解できていない、ということを観客に周知させるためだとは。

  レフトビハインド3.jpg 空港ロビーで知り合ったクローイとバック。
   おっ、『One Tree Hill』の彼だ!

 飛行機の乗客にはイスラム圏の人や小人症の人、ジャーナリストのバック(チャド・マイケル・マーレイ)等がいたり、レイがキャビンアテンダント(ニッキー・ウィーラン)と浮気しようとするエピソードを入れてみたり、いろいろ人間ドラマとして広げようとしておりますが、非キリスト教圏の者から見たら一緒よ〜。
 あぁ、これも『神は死んだのか』と同じか・・・クリスチャンの、クリスチャンによる、クリスチャンのための映画だった・・・。
 飛行機内のパニックになりそうでならないギリギリの緊張感みたいなものはそこそこうまく描かれていたため、あぁ、なんか(パニックサスペンスとして)もったいない。 客室乗務員が二人だけって、どんだけ小さい飛行機なの?(ビジネスクラスとエコノミーにわかれているのに。 それとも、アメリカ基準ではそれでOK?)
 得体の知れない怪物の登場で全部説明(?)されてしまった『ランゴリアーズ』のほうが、ニコラス・ケイジ映画的には同じ破滅ものとして『ノウイング』のほうがまだ納得できたよ・・・。
 いや、別にクリスチャンの方々を否定する気はないんですよ。
 ただ、他の宗教も存在することが明らかに判明している中、「結局クリスチャンの神を信じることがいちばん!」と受け取れる結論にはがっかりなのです。
 内なる神は人それぞれ、その神を信じるならば・・・という結論ならば納得できるのに。
 でもこの発想自体が八百万の神を漠然と信じる、日本人ならではのものなのかも。

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2015年07月18日

満願/米澤穂信



 なにを今更、ではございますが、図書館から来たのがついこの間なので仕方がない。



 今のところ「米澤穂信、最高傑作!」と呼び声の高いこの短編集、『さよなら妖精』



『犬はどこだ』が実は好きなあたしとしては、「どこまで変わったのか」というのが気に



なるところ。 ずっと、ある意味“青春”を描いてきた人が、大人になってしまったのか?



 そしたらもう、「うぉお、いつの間にこんな乾いた文体を!」というくらい、ハードボイルドな



冒頭の一作目で度肝を抜かれてしまいました。



   短編〜中編で6編収録。



 『夜警』『死人宿』『柘榴』『万灯』『関守』『満願』と続きます。



 連作短編ではなくて、ひとつひとつが独立した物語。 けれど、すべての作品が「誰かの



願いが叶う・もしくは叶いかける」話ではあります。



 その“願い”がたとえどんな種類のものだとしても。



 完成度としては『夜警』がいちばんかもしれませんが(そして表題作の『満願』は連城



三紀彦に並び称されているのもわかる出来栄え)、あたしは『万灯』にやられました!



 日本(日本人)と先進国とはいえない外国(外国人)との関係性というか、そういう部分が



少し『さよなら妖精』を思い出させるからかもしれませんが(内容はまったく違うけど)、



米澤穂信の独自性ってこのあたりなんじゃないだろうか!



 勿論、すべてが完璧というわけではないし、少々甘いところも見受けられますが、



『犬はどこだ』の甘さっぷりに比べたら(好きだといっておきながらひどい言い様ですが)



ものすごい成長を感じてしまうのであります。



 短編集は長編に比べてなんとなく物足りなさというか、不完全燃焼感があったりもする



こともあるのですが、やはり短編ならではの切れ味と「これ以上必要ない!」という省略の



美学ってあるよなぁ・・・と思い出させていただきました。



 新作『王とサーカス』『さよなら妖精』の登場人物の一人が主役(成人後?)だそう



ですが、『犬はどこだ』の続編もお待ちしております。


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