2015年06月26日

チャッピー/CHAPPIE

 映画監督には大きく分けて二種類ある、と思う。 自分が撮りたいものを突き詰めて撮る人(こういう場合得てして「作家性が強い」と言われたりする)と、なんでもやりますよ、という職人肌タイプ。 勿論、この二つがバランスよく混じっている人もいれば、職人肌から作家性へと変貌していく人もいる。 それはデビューの状況によっても違うとは思うけど。
 ニール・ブロムカンプは明らかに前者。 ある意味、「いつも同じ映画を撮っている」タイプ。
 なので子供向け映画っぽさを醸し出しているこの『チャッピー』でさえ、実は『第9地区』と基本的には同じ話なのである。
 なんだろう、この、彼の映画に常にある<異形の者たちへの愛>は。
 多分、あたしはそこに惹きつけられるんだろう。

  チャッピーP.jpg ・・・ボクを・・・なぜ怖がるの?
   彼の成長は、人類の理想なのか――。

 舞台は2016年の南アフリカ・ヨハネスブルク。
 世界一治安の悪いこの都市ではロボット警察部隊が導入され、それを生産する会社は莫大な利益を上げている。 同社の技術担当責任者であるディオン(デヴ・パテル)は、独自に世界初の自身で感じ、考え、成長することができる人工知能搭載ロボットの開発に没頭し、ついに成功するも、警官ロボのスイッチを切れば元通り悪事はやり放題と考えたギャンググループに誘拐されてしまう。 会社に内緒でつくり上げたAIロボットなので公に助けを求めることができないディオンは、「そのロボットに知識を教えに来るからな!」と言い残して逃走。 「まだその子は赤ん坊と一緒」と言われ、むしろおびえた子犬のような動きをするロボットにジャング一味の紅一点はメロメロになり、突然母性を発揮し出す。 彼女によってチャッピーと名付けられたAIロボットは、ギャングたちから危険地帯を生き抜くスキルを、創造者たるディオンからは芸術や心の豊かさを学び、ぐんぐん成長していく。 しかし疑うことは知らないので、ギャングたちに言いくるめられていろいろ摩擦を引き起こす。
 一方、ディオンにライヴァル意識を燃やす元軍人の技術者ヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)はロボット型警官を快く思っておらず、自分が開発した大型戦闘ロボ(これがまた『ロボコップ』に出てくる“あれ”そっくり)を実戦に投入するよう社長(シガーニー・ウィーヴァー)に直訴するものの相手にされず、ディオンに直接反撃する機会を狙う。
 明らかにタチの悪いギャングたちの登場にびびるが、なにせ舞台はヨハネスブルクである。 そういう人たちのほうが多い、というかそういう人たちしかほぼ出てこない。 警官はいくら命があっても足りないから、ロボットを前線に導入するという設定には説得力がある(人間の警察官そのものがいないわけではない)。

  チャッピー5.jpg 黄色いマシンガンてどうよ・・・と思うがこれがまたちゃんとした威力を発揮。 彼は何故か「ニンジャ」という渾名・・・日本に憧れているのか?
 チャッピーから「マスター(創造主)」と呼ばれるデヴ・パテルくん、『スラムドック$ミリオネア』から成長したねー、と思うところであるが、あたしは『ニュースルーム』でこの3年の彼を見てきているから意外性はないよ♪

  チャッピー4.jpg コンピューターに強い技術者として、インド系の方々が出てくるのがもう普通のイメージになってるしね。
 ヒュー・ジャックマン、別に彼じゃなくてもいい役ではあるんだけど・・・「この監督と仕事をしたい」ってのがあるのかも。 キリスト教的価値観に縛られているが故にAIの独自性を拒絶する感じが(機械が自分で判断して動くなんて許せない、あくまで機械は人間が操るべきものだ、的な)、『プリズナーズ』で彼が演じた敬虔なキリスト教徒であるが故に苦悩する父親役の合わせ鏡のようで、設定が変わればこうも違うもんか、と驚いてしまう(まぁ、役としての個人の性格がまず違うんですけど)。
 明らかにひどいやつらとして登場するギャングたちに、チャッピーの存在によって引き出される人間味を見せられると、ついこっちも同情したくなったりするけど「いやいや、やってることはやっぱりひどいよ」と思い返さずにはいられない。
 善と悪とははっきり線引きできるものなのか。
 情は正しさと相容れないのか。
 ・・・いつも考えさせられるなぁ。

  チャッピー2.jpg いろんな意味でせつないチャッピーの姿は、『第9地区』のラストシーンともちょっと重なります。
 生物は遺伝子の乗り物に過ぎない、のリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』説から40年近くたってる気がするけど、やはり<種としての生物>としてよりは<個としての自分>を基準に考えたいところから抜け出せない人間にとっては、「自分の肉体は乗り物にしか過ぎない。 意識はそのままで、違う乗り物に乗り換えればいい」という発想は永遠の命を求めることへのひとつの回答である気もする(受け入れられない宗教もあるだろうけど、宗教観の薄い日本人の一部であるあたしとしては、結構痛快な結末であった。 その先に不安がないわけではないけど)。
 『ルパン三世VS.クローン人間』のような禍々しさがないからかな。
 チャッピーを演じたのは例によってシャールト・コプリーで、監督には欠かせない俳優なんだろう。 監督の想いを彼が体現する、そういう関係が出来上がっているのがすごい。
 また、たとえ「同じ話」であっても、ニール・ブロムカンプ監督の映画をあたしはこれからも観ていくんだろうなぁ、と思う。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする