2015年06月14日

パレードへようこそ/PRIDE



 イギリス、地方(とくに北部)、炭鉱、LGBTとキーワードが揃ったら、これはあたしが



観なければいけない映画である。



 『ブラス!』『フル・モンティ』『リトル・ダンサー』と過去に名作が続いてたせいで



しょうか。 個人的にもイギリス映画独特の地味さ加減が好きなのです(特にテレビドラマの



地味さ加減もたまらない。 よくよく見ないと主役が誰なのかわからないのだ! 今では



すっかり慣れたけど)。



   明日に向かって歌え!



 サッチャー政権下の1984年、イギリス各地で炭鉱閉鎖に対する抵抗デモが行われて



いた。 それをロンドンで見ていたゲイの仲間たちは「彼らの敵は自分たちの敵と同じ」と



マーク(ベン・シュネッツァー)を中心にLGSM(炭鉱労働者を救うゲイ&レズビアン)を



結成。 彼らのストライキを応援するために募金活動を行い、かなりの額を集まるが、



LGSMの素性を知った炭鉱組合側は受け取ろうとはしない。 しかしめげずに片っ端から



炭鉱のある町へ電話をかけ続け、ウェールズのある町が寄付受け入れを表明する。 ま、



ちょっとした勘違いだったんだけど。 そこから始まる、奇跡のような異文化交流。



   まずは町の代表ダイ(パディ・コンシダイン)が

     やってきて話を聞く。 戸惑いは隠せないが、彼が偏見のない人でよかった。



 しかし行先は田舎町である。 明らかに偏見や侮蔑の目を向ける者たちが大半。 そんな



中でも、彼らに理解と感謝を示す者たちがいて、町の世論は真っ二つ。 でも、全体的に



仲良くなるのは女性の方が早く、男性側は「もし自分がゲイと仲良くしたら自分もゲイだと



思われるからいやだ」という心の狭い・見栄っ張りの理由でひどい態度をとり、信仰に重きを



置く女性もまた彼らを声高に非難したり。



 まぁ、そういうのも“表現の自由”なのかもしれないけど、美しくないなぁ。



   でも、お互い同じ人間だと知れば、

     自然と偏見はなくなっていくもの。



 その過程がとても楽しくて、特に肝っ玉母さん的キャラのイメルダ・スタウントンがとても



いい。 だからって町民100%の意志が統一されるわけではないのが現実的です。 まぁ、



時代的なものもあるだろうけど・・・性的嗜好によって差別する、という感覚があたしには



理解できない。 それより“人としてどうか”のほうが重要じゃないか。



 多少嗜好が違っても、同じ目的を前にすれば人は連帯できる。 これはそういう話。



 はっきり言ってあたしは<連帯>とか<協同>といったものから程遠い精神構造である。



しかしこの映画を観ていると、そういうものって実は結構いいものなのかもね、と思ってしまう



不思議。 でもそれはただ単純に盛り上がるから、ということではなくて、「目的のためには



それがいちばんの方法だから」と納得させてくれるから。 実際、これは<連帯万歳>な



映画ではない。 連帯の危うさもきっちり描いているからこそ、成し遂げられたことが尊い



のだと思える、というか。



   だからパレードは美しい。



 その後、イギリスの国会において、同性愛者に対する差別撤廃が可決されたのは炭鉱



労働者組合が賛成に回ったから。 これ自体は「恩返し」という美しい構図なのだが、実際



なにかの法案を通そう・当選しようと思ったらどこぞの組合を引き込めば早い、という日本の



選挙と同じだよ!、ということがわかって哀しくなる、みたいな。



 目的が、自分の考えに近ければ素晴らしいことだと思い、そうでなければ胡散臭いこと



だと思ってしまうという感覚が拭えない・・・。 これは民主主義的考えとしていいのだろうか。



 逆に言えば、あたしは何故<連帯>を胡散臭く感じてしまうのか。



 LGBTな方々の気持ちはフラットに理解できるとほめてもらえるのに。



 うーむ、自分の生き方・思想を問われる映画なのかもしれないな。



 実話がベースでありながら原作となるルポもない。 登場人物のモデルとなった人たちや



その関係者を訪ね歩き、物語として完成させたスタッフのみなさんの熱意がとにかくつまって



いる。 だから観ているこちらの胸も熱くなるのだろうか。 なんだかそんな気持ち。



 地味なビル・ナイも素敵。


posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする