2015年05月27日

Mommy/マミー

 『わたしはロランス』をWOWOWで録画してるけどまだ観ていない(だって163分もある!)、『トム・アット・ザ・ファーム』は観たかったけど神戸で上映してたか不明(してないと思うけど・・・アートヴィレッジセンターと元町映画館に対してチェックが手薄だった時期があるので確信はない)。 そんなあたしの、初グザヴィエ・ドラン映画でございます。
 とある世界のカナダが舞台。
 <2015年の連邦選挙で新政権が成立。 2ヶ月後、内閣はS18法案を可決する。 公共医療政策の改正が目的である。 中でも特に議論を呼んだのは、S−14法案だった。 発達障害児の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、法的手続きを経ずに養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障したスキャンダラスな法律である。 ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、大きく左右されることになる。>という冷酷さを漂わせたテロップがはじめに出る。 ダイアン・デュプレ(アンヌ・ドルヴァル)はこの映画の主人公の一人。 15歳の息子スティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)は注意欠陥多動性障害と診断されて施設に入っていたが、そこで問題を起こして追い出され、二人で一緒に暮らし始める、というところからこの映画は始まる。 すでに不穏な空気、充満。

  マミーP1.jpg まだ僕は幼すぎて、ただすべてを欲しがっていた。

 親と子の形はいろいろあるが、母と息子というのがなんだかんだいちばん濃いのではないだろうか、と感じる昨今(勿論文化の違いはあるので全世界の共通認識とはいかないが、少なくとも日本では、そしてその価値観が共有できる国では)。
 カナダの若き鬼才と称されるグザヴィエ・ドランもまた、そんな価値観の基にこの映画をつくったのではないか、という気がして。
 親には産んだ責任があるのだから、とはいえ様々な事情によって子供につらく当たる時期もあるだろうし、一方向に絶対の子供の愛を受け止め切れないときだってあるだろう、と想像できるくらいにはあたしも大人になったのではあるが、でも「親だって人間だから」という一言で子供が理不尽な思いをすることにも微妙に割り切れないものが。
 一見問題なく、ごく普通に見える親子関係にも当事者内ではぐるぐると渦を巻いているのだから、<障害>という目に見えるものを持つ親子関係はどれだけ複雑か。
 その息苦しさを回避するためか、この映画には主人公が3人いる。
 もう1人はダイアンとスティーヴの隣の家に住む、休職中の高校教師カイラ(スザンヌ・クレマン)であり、この3人の疑似家族的関係がある種の救いをもたらすのだけれど・・・人生はそんなに甘くはなくて。

  マミー1.jpg でも確かに、いい時期はあった。
 この映画の特色としては、画面比が1:1なこと。 でも目の錯覚で若干縦長に見えて、「これって、携帯カメラで取った映像っぽく見せてる?、と最初は思ったのだが・・・実は狭い画面で物語を展開させていることが登場人物たちの閉息感や窮屈さを表しているのだと気づかされる。 実際、2つのシーンで画面比は9:16になる。 それは、ある人物が心からの自由を、そして理想のような夢を感じた瞬間だったから。 特にスティーヴのそれには、Oasisの“Wonderwall”が大音量でかかるので、こちらの感慨も一入だったり。

  マミー3.jpg 映像と色彩加工の美しさもこの映画の特色か。
 “母親でいること”はとても大変なこと。 ときにダイアンが<若い娘さん>気分になってしまうのも仕方のないこと(でもいったん母親スイッチが入れば、スティーヴのためには何でもする・手段は選ばない)。 けれどそれを15歳の男の子に理解せよというのもまた無理な話(ましてスティーヴのダイアンへの愛情は、「もしかしたら見捨てられるのかも」という不安の裏返しもあるとしても、結構限度を超えている)。
 いつかは破綻せざるを得ない関係、でも少しでもそれを長引かせたいが故の、砂上の楼閣的美しさ。 あぁ、なんて残酷なのだろう。
 ラストシーンは悲劇を予想させるが、それは自由を得る手段でもあるような気もして、意外にも悲壮感はない。 ただ、いろんな意味で切ないけれど。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする