2015年04月23日

おみおくりの作法/STILL LIFE

 『フル・モンティ』のプロデューサーによる監督作、というだけであたしには引っかかり十分、しかも地味目なイギリス映画ということでますますそそられます。 さらに主演はエディ・マーサンと来たもんだ! 好みの予感、直球。

  おみおくりの作法P1.jpg ロンドン市、民生係 ジョン・メイ
   あなたの旅立ち、心を込めて見守ります。

 ロンドン南部ケニントン地区の公務員で民生係のジョン・メイ(エディ・マーサン)は、身寄りのない人々が亡くなった際に故人の縁者を探しつつ、部屋にあるもので故人の人柄や来し方を偲び、葬儀を執り行う仕事をしている。 彼の努力にもかかわらず、葬儀の参列者はいつも彼だけ。 それでも、精一杯の弔辞を読む。 それがジョン・メイにとって死者に敬意を払うことだから。
 このジョン・メイさん、とにかく素晴らしいのです!
 微表情というか、些細な顔の筋肉の動きで喜怒哀楽含めた細かな心の動きが表現されている!
 だから台詞は結構少ないんだけれど、物足りなさは全然ない。 説明も少ないけれど、それがむしろ“間”の味わいになっているというか。 あたし自身のコンディションは大変よろしくなかったのですが、静かな映画なのに眠気に襲われることなく、時折顔を出す微笑ましさに心を動かされまくり。

  おみおくりの作法6.jpg ジョン・メイの毎日の夕食。 イギリス人、ほんとに食に興味がない人はないなぁ。
 自宅でも、職場でも、モノの配置はいつもきっちり決まっており、それだけでジョン・メイの規則正しさを愛する加減というか、変化を望まない性格が十二分に表現されている。
 しかしジョンの向かいのアパートに住んでいる人が孤独死したことをきっかけに、「何故自分はこんなに近くにいて彼(ビリー)のことを知らなかったのか?」とビリーの過去を知る旅に出てから、ジョンの人生もまた変わっていく・・・というささやかながらじわじわくる味わいがとても素敵。
 いつも紅茶しか飲まないジョン・メイだけど、駅の待合所の店員さんに「新しい機械が入ったから味が全然違いますよ」とココアを薦められ、それを頼んでしまう。 それを一口飲むところでカットが変わってしまうんだけど(表情だけではそのココアをジョンがどう思っているのかはわからない)、また次に同じ場所に来たときにはココアを飲んでいる。
 「気に入ったのか! 美味しいとか言え!」と心の中でついつっこむあたしであったが、一人のときはいちいち言葉に出さないよね。 わかりやすさを求めてしまっているのかな、あたしも、と反省。
 いろんな人に会い、ビリーに少しずつ迫っていく過程で、ジョンは新しい食べ物に出会い、仕事とプライベートで服装をわけてみたり、そういう変化がいちいちキュートで。 なのである人物に会いに行ったときに食事をふるまわれ、それがこれまでの自分と同じメニューだったときの一瞬のがっかり感(それもまた微表情!)には、こっちはにやにや笑いが止まらず。

  おみおくりの作法3.jpg ようやく出会ったビリーの娘(アンヌ・フロガット)。どこかで見たことがあると思ったら・・・『ダウントン・アビー』のメイドのアンナではないか。
 そこからは「あぁ、こうなってほしいなぁ」という流れで、こっちもとてもあたたかな気持ちになってくる。 だから、あぁ、こうなってほしいなぁ、という期待を見事に裏切る急展開には「まさか! そんな!」と愕然としたのだが・・・、エンディングに辿り着くときにはこれ以上の美しい終わりはないかも、と思わせるある種の完璧さがそこにはあって、ただ胸を打たれた。
 あぁ、このエンディングのための物語か。
 「こうなってほしいなぁ」という浅はかな情に流されない終幕は、ただただ見事というほかはなく。 はらはらとした涙が流れるだけ。 それ故に、これは忘れられない映画となった。
 しかし、そんな幸福感に満たされたあたしの少し前を、「なんだよあれ、『おくりびと』のほうがましだよ」とお連れの方に物申す青年(?)がおり・・・あたしは背中に蹴りを入れたくて入れたくて(勿論、入れなかったけど)。
 基本的に他者の意見は意見として受け入れる姿勢のあたしだが、「『おくりびと』は生と死が地続きであると気がつかされたときのモッくんの行動が底が浅いんだよ! むしろ日本人的な死生観に通じるジョン・メイの生き方と結果として生まれた美学がわからないのか!」と説教したくなった。
 わからないひとにはわからないんだなぁ、と、今更、実感。
 でもこの映画の素晴らしさは変わらない。

posted by かしこん at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする