2015年03月14日

ラブストーリーズ|コナーの涙/エリナーの愛情

 もともと2本の映画なのですが、お互いがお互いを補完している部分があり、1本観ただけでは消化不良な部分ももう1本を見ればわかるので、まとめてご紹介することに。
 原題は、『エリナー・リグビーの失踪』。
  コナーの涙/THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY:HIM
  エリナーの愛情/THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY:HER
 どちらから観るか、で印象ががらっと違ってしまうのですが(というのを観終わってから感じた)、映画館の上映時間の都合上、あたしは『コナーの涙』から観た。

  ラブ:コナーP.jpg どうすれば、君との日々を取り戻せる?
   <ニューヨーク、ひと組のカップルの別れから再生までを男の視点、女の視点2作品で映し出す、終わることのない愛の物語>

 熱愛の末、結婚したコナー(ジェームズ・マカヴォイ)とエリナー(ジェシカ・チャステイン)。
 しかし数年後、子供を失ったことでふさぎ込むエリナーを気遣うために仕事の合間に家に戻るのが日課に。 しかしエリナーとの会話は終始かみ合わず、「あなたはなにもわかっていない」と言われてしまう。 ある日、アパートからエリナーの姿が消える。 一体、自分は何を間違ったのか。 どうすれば彼女の心をつなぎとめられたのか。 コナーは自問自答を続けながらエリナーを探す・・・という話。
 冒頭、大恋愛時代のエピソード(おしゃれなレストランから無銭飲食で逃げ出す二人)から始まる。 彼にとって、これがいちばん楽しい記憶なのかな、と思う(コナーも一応レストラン経営者だというのに!)。 でも、エリナーのいちばんの記憶はそれではないようで、まずそこから男女のずれがはっきりと。 勿論悲しみはあるのだが、コナーとしては仕事も生活もあり、とにかくエリナーと一緒に悲劇を乗り越えたい、という前向きさが感じられる。

  ラブ:コナー2.jpg が、悪友には「お前、なんだかよそよそしいぞ」と言われてしまう。
 男性全般に言えることなのでしょうか、自分の弱さを認めず、感情に蓋をし、内に込めて外に出さないようにする。 「エリナーのため」と言いながら、実は自分のためだったり。 でもそのことに自分で気づかなかったりもするので、過去の楽しい記憶を糧に、「もう一度また彼女と」と願い続けられる。
 デリカシーの無さは、希望を失わない強さのためには必要なのか?
 コナー、結構ダメダメなんですが、ジェームズ・マカヴォイの誠実っぽいイメージのためか「実は割といいやつだよね」と観る側(つまりあたし)がつい補完してしまい、「あきらめるな!」と応援したくなる不思議。 理想の王子様なんていない、基本的に男性はダメなところを持っている(特に相手が何をどう考えているかなど心情の移り変わりにはあまり興味がなく、結果オーライであれば追求しない、など)とあたしはわかってきたからでしょうか。 というか、男女がしっかりわかりあえる、と考える方が無理。

 それを『エリナーの愛情』を観てしみじみ感じる。
 無神経ではあれど、それでも人生を前向きにとらえようとするコナーに対して、明らかにエリナーは病んでいる(冒頭のエピソードは、エリナーが突然橋から川に飛び込むところ)。 完全にシリアステイスト、そしてエリナーの世界ではコナーの出番は極端に少ない(回想シーンの比率もぐっと減る)。 忘れたい過去があるときは、関連づいている記憶もバッサリと切り捨てたい、という女性特有の心理ですな。

  ラブ:エリナー2.jpg エリナーは実家に戻り、父が教授をしている大学に聴講生として通うことに。
 髪も短く切り、かつての自分を思い出さないように。 それもまた自衛本能なのだが、明らかに病んでいるのに精神科に行くなりセラピー受けるなどしない頑固さもまた、「忘れたいけど忘れたくない」というエリナーの気持ち故か。
 2本観ていると、中に共通のエピソードが出てくるのですが、そのときの会話の内容が違ったり(言葉そのものが違う場合と、どっちがいった言葉なのかが逆になっている場合などもあり)、服装もちょっと違っていたり、この映画自体がそれぞれの記憶を映しこんだもの、という設定らしいことが判明(となれば、お互い自分の都合のよいように記憶を解釈するから)。 エリナーの本心としては、「どうして私の気持ちをわかってくれないの?!」とコナーに言いたいのだが、言わない(むしろ察しろ)、という無理難題で、そこが女性のずるさというか卑怯さなのだが・・・それは相手に愛されていると思うからこその我儘。
 ティーンエージャーかよ、もうちょっと大人になろうよ!、とエリナーに言いたいが、きっと言ったら逆切れされる・・・ヴィオラ・デイヴィス演じるエリナーの受講教授がやんわりとエリナーの話し相手になってくれるので、そこが頼みの綱でした。 それにしてもヴィオラ・デイヴィス、作品によって年齢がわからない・・・。

  ラブ:エリナー3.jpg やっと探し出して会いに来たコナーにも、とても冷たい態度をとる。
 女性は自分なりの結論を出すまで、余計なおせっかいはしてほしくない、ということなのかしら。 まだ答えが出ていないんだから会いに来られても困る、ということか。 早く答えがほしい男性と、答えに至る過程を重要視する女性、という構造を、この2本の映画で示してみせた、ということでしょうか。
 “記憶の違い”を映像化することで、もしかしたらものすごいミステリ映画が作れる可能性を感じたんだけど、監督はラブストーリーという題材を選んだ。 いや、人の心こそいちばんのミステリーということなのだろうか。
 それでも、この手法で革命的なミステリ映画、期待します。
 それにしても、「エリナー」って、発音的には「エレノア」のほうが近い気がしたのですが・・・別に「エレノア」が女性名だとわかりにくいわけではないですよね? あたし的には「エリナー」という名前のほうが慣れない感じ。 何故エレノアではダメだったんだろう?

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする