2015年02月11日

ジミー、野を駆ける伝説/JIMMY'S HALL

 これはポスターを見て、「あぁ、『麦の穂を揺らす風』だぁ!」と過去のトラウマが刺激され、固まった。 実際、ケン・ローチ監督の新作で、『麦の穂を揺らす風』で描かれたアイルランド内戦から約十年後が舞台、というある意味姉妹編。
 しかしポスターの写真だけでわかってしまうとは、あたしにはどれだけあのアイルランドの草原の色が焼きついているのだろう。

  ジミー、P.jpg 今に息づく自由という大樹。
   それはかつて“名もなき英雄”が蒔いた一粒の種――。

 1932年のアイルランド、ジミー・グラルトン(バリー・ウォード)がアメリカから十年ぶりに帰国した。 ジミーはかつて土地の借用権の問題で裁判も開かれないまま国外追放となった身。 彼は年老いた母親との静かな暮らしのために戻って来たが、村の若者たちがジミーを放っておいてくれない。
 かつてジミーが中心となって開かれていたホール(集会所)では、人々が文化や芸術・スポーツなどを学び、人生を語り合う場所として機能していたのだ。 内戦後の荒れた土地・教会の厳しい監視の中、行き場を失っている若者たちの情熱に心を動かされ、ジミーはホールの再建にあたろうとするが、それをよく思わない勢力によって妨害されてしまい・・・という話。
 「人々が集まる場所は教会以外あってはならない」というカトリック教会側の心の狭すぎること! 男女が共に集まってダンスや音楽を学ぶこともはしたないのだそうで・・・そりゃ、若者たちの息がつまるのも当然。 教会の教えにもっと柔軟性があればこんなことにはならないのに、なんだ、教会のくせに権威を振りかざすとは何事だ!、と観ているあたしも怒りが収まらず。 勿論、権力者(地主)側にしてみれば労働者が団結していらん知恵などつけられては扱いにくいから解散させてしまえ、という意図は(正しいか正しくないかは別にして)理解できるのだが、それに教会が乗っかるところが許せない!

  ジミー、2.jpgジミー、5.jpg が、若者たちは楽しそう。 人に教えることが好きな人にもまた、生きがいといえる場所に。
 結局のところ、権力者側が労働者たちが賢くなるのが邪魔なのは、権力者側が賢くない(新たな考え方や知識を身につける努力をしていない)から。 安い賃金で文句も言わずただ働くだけの存在がほしいのだ。 ・・・これって、ブラック企業だけじゃなくて、大なり小なり企業や組織というものが持つ、いまも大して変わっていない図式では? 2015年ですよ、80年近くたっても、労働者からの搾取構造って変わっていないんですね・・・なんかもう、絶望感にとらわれますわ。
 ケン・ローチはアイルランドの史実を題材にしながら、描いているのはやはり「今」。
 さすが、社会派監督の面目躍如でございます。

  ジミー、4.jpg そこで、ジミーの演説が炸裂。
 労働者たちの不満がくすぶり、闘争に発展しそうなときにジミーが語る言葉は映画の中では感動的ではあるのだが、「我々は人生を見つめ直す必要がある。 欲を捨て、誠実に働こう」とか、よく考えたら当たり前のことだったりするんだよね。
 当たり前が通じないって、かなしい・・・。
 しかし映画は観客をいったん絶望に追い込んでおきながら、希望を漂わせて終わる。
 それはケン・ローチの優しさなのだろうが、ちょっといじわるっぽさも感じてしまうのは、あたしがひねくれているからだろうか・・・。

posted by かしこん at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする