2015年02月07日

幸せのありか/CHCE SIE ZYC

 ありがちなというか、漠然とした邦題には困ったもんだが、ポーランド映画ということと、主演俳優さんがどことなく甲本雅裕さんを思い起こさせる顔立ちだったので、つい。
 感覚としては“閉じ込め症候群(コンパートメント・シンドローム)”に近いのだろうか。 でも、相対する側が本人に知性があるとわかっているのとわかっていないとではこんなに違うのか・・・というのを『潜水服は蝶の夢を見る』との比較で感じてしまった。 そういう意味では主人公の立場はフランスのミステリ小説『森の死神』(ブリジット・オベール)に近いかもしれない。

  幸せのありかP.jpg 窓の向こうに無限に広がる人生があった。

 物語はポーランド、民主化に揺れる1980年代のあたりから。
 成長した本人の回想という形で、幼少期から彼の人生が語られる。
 マテウシュ(ダヴィッド・オグロドニック)は障害を持って生まれ、医師から植物状態にあり、知性はないと診断されてしまうが、実は知性に問題はなく、ただそのことをまわりに伝える術がない。 それが脳性マヒのせいであると観客にわかるのは結構たってからだが、マテウシュの父(アルカディウシュ・ヤクビク)と母(ドロタ・コラク)はあきらめることなく強い愛情を持って接する。 障害のない他の姉弟にしたら「マテウシュばっかりかわいがって」と不満が出、グレかねない状況ではあるものの、こればっかりは全世界答えのない問題であろう。 それにしても子供時代のマテウシュを演じた少年もまた大熱演で、目が離せないくらいすごかった。

  幸せのありか3.jpg ほんとにこの両親でなければ、彼はこれほどの精神的な強さを獲得できただろうか、と思うと・・・複雑な心境に。
 父・母の辛抱強く愛情に満ちた語りかけによって言葉を覚え、宇宙や星を夢見るようになるマテウシュ。 が、擁護者が年老いていくことで、専門施設を持つ病院に入れられてしまう・・・。
 特に山場があるわけでもなく(ほんとはあるのだが、あえて直接描写を避けたり淡々と描いている)、物語としてはあらすじをすぐに言えてしまう内容ではあるものの、それ故日常の見逃しかねないきらめきを丹念に掬いとる。

  幸せのありか2.jpg 望遠鏡をのぞいて宇宙を見ることが、彼にとって穏やかな時間。
 マテウシュの皮肉交じりのナレーションが<お涙頂戴>を遠ざけるし、むしろユーモア感を強める効果が。 だからこそ、彼の知性を信じる人たちとの出会いと交流が、とても温かな救いとなって見る者の胸にしみるのだ。
 原題の直訳は、『僕は生きたい』。 そこにマテウシュの強烈な自我と認められたさを感じていたたまれなくなる(こんな邦題つけてる場合じゃないだろ、みたいな)。 医学の進歩で「意思疎通ができるかどうかわからない」なんて根本的な悲劇がなくなり、言葉以外に意思を伝える手段がもっと増やせることを願うよ。
 エンドロール最後で、主演俳優がモデルになった実在の人物と同じような病気(?)でベッドに横たわる人と語り合っているかのような写真が出る(モデルになった人はなくなっているというテロップが出たので、ご本人ではないと思ったが・・・取材・撮影時期によっては会っていたのかもしれない)。 役作りでの取材なのであろうが、マテウシュを演じているときとは顔が全然違っていることに驚く。
 俳優という存在のすごさを、また思い知るのでありました。

posted by かしこん at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする