2015年02月12日

忘れていたものが、届く。

 週の真ん中の祝日、ぼんやりダラダラしていたら、黒いネコが熱帯雨林からの荷物を運んできた。 ん?、何か頼んだっけ?、と封を開けて・・・思い出す。
 そういえば、だいぶ前に予約をしていたような。

  アンソロジー SLTベスト.jpg Anthology(完全初回生産限定盤)/SING LIKE TALKING

 オールタイムベストが出る、というのをたまたま密林で見つけて、多分そのまま予約しちゃったんだろうな(夜中〜朝方にやっているので記憶が曖昧)。 なんでアルバムなのに横長なの?、とはぼんやり思っていたけれど・・・届いて判明。
 CD5枚組+DVD1枚のBOXセット仕様!
 SING LIKE TALKING(以下、SLTとする)は、同郷であるのがきっかけで聴きはじめたのだが(高校にいた数学の先生が、彼らに以前教えていたとか、微妙にローカルなレベルである)、音楽的にも結構好きだったというか、特に洋楽の様々なジャンルへのリスペクトを消化・昇華していくテクニカルな部分と、若干言葉足らずにも思える行間の広い歌詞が好みだったのでした。 ライブにも結構行っていました。
 でも2000年代になってからコンスタントにアルバムを出さなくなったというか・・・あたし自身もいろいろあっていそがしくなり、まめにチェックもできてなかったんですよね。 それでも2011年リリースの“Empowerment”は入手しましたし、それなりに盛り上がって聴きましたですよ。
 ファンクラブには入っていないし、めちゃめちゃ大ファンというわけではないにしろそれなりに聴いているという自負はあるあたしですが、一枚目の曲順を見てその自負も消えうせる。 いきなり3曲も知らない曲が続いている・・・がっくり(しかしブックレットを読んで、それが新曲だとわかったわけですが)。
 SHM−CD仕様、これ用に新たにリマスタリング、ということで音はすごくよいです。
 そしてとても懐かしい・・・歌詞カード見ないでも歌えるよ、おい。
 だけど5枚組(全77曲!)、通して聴くのは週末までおあずけです。

ラベル:邦楽
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2015年02月11日

ジミー、野を駆ける伝説/JIMMY'S HALL

 これはポスターを見て、「あぁ、『麦の穂を揺らす風』だぁ!」と過去のトラウマが刺激され、固まった。 実際、ケン・ローチ監督の新作で、『麦の穂を揺らす風』で描かれたアイルランド内戦から約十年後が舞台、というある意味姉妹編。
 しかしポスターの写真だけでわかってしまうとは、あたしにはどれだけあのアイルランドの草原の色が焼きついているのだろう。

  ジミー、P.jpg 今に息づく自由という大樹。
   それはかつて“名もなき英雄”が蒔いた一粒の種――。

 1932年のアイルランド、ジミー・グラルトン(バリー・ウォード)がアメリカから十年ぶりに帰国した。 ジミーはかつて土地の借用権の問題で裁判も開かれないまま国外追放となった身。 彼は年老いた母親との静かな暮らしのために戻って来たが、村の若者たちがジミーを放っておいてくれない。
 かつてジミーが中心となって開かれていたホール(集会所)では、人々が文化や芸術・スポーツなどを学び、人生を語り合う場所として機能していたのだ。 内戦後の荒れた土地・教会の厳しい監視の中、行き場を失っている若者たちの情熱に心を動かされ、ジミーはホールの再建にあたろうとするが、それをよく思わない勢力によって妨害されてしまい・・・という話。
 「人々が集まる場所は教会以外あってはならない」というカトリック教会側の心の狭すぎること! 男女が共に集まってダンスや音楽を学ぶこともはしたないのだそうで・・・そりゃ、若者たちの息がつまるのも当然。 教会の教えにもっと柔軟性があればこんなことにはならないのに、なんだ、教会のくせに権威を振りかざすとは何事だ!、と観ているあたしも怒りが収まらず。 勿論、権力者(地主)側にしてみれば労働者が団結していらん知恵などつけられては扱いにくいから解散させてしまえ、という意図は(正しいか正しくないかは別にして)理解できるのだが、それに教会が乗っかるところが許せない!

  ジミー、2.jpgジミー、5.jpg が、若者たちは楽しそう。 人に教えることが好きな人にもまた、生きがいといえる場所に。
 結局のところ、権力者側が労働者たちが賢くなるのが邪魔なのは、権力者側が賢くない(新たな考え方や知識を身につける努力をしていない)から。 安い賃金で文句も言わずただ働くだけの存在がほしいのだ。 ・・・これって、ブラック企業だけじゃなくて、大なり小なり企業や組織というものが持つ、いまも大して変わっていない図式では? 2015年ですよ、80年近くたっても、労働者からの搾取構造って変わっていないんですね・・・なんかもう、絶望感にとらわれますわ。
 ケン・ローチはアイルランドの史実を題材にしながら、描いているのはやはり「今」。
 さすが、社会派監督の面目躍如でございます。

  ジミー、4.jpg そこで、ジミーの演説が炸裂。
 労働者たちの不満がくすぶり、闘争に発展しそうなときにジミーが語る言葉は映画の中では感動的ではあるのだが、「我々は人生を見つめ直す必要がある。 欲を捨て、誠実に働こう」とか、よく考えたら当たり前のことだったりするんだよね。
 当たり前が通じないって、かなしい・・・。
 しかし映画は観客をいったん絶望に追い込んでおきながら、希望を漂わせて終わる。
 それはケン・ローチの優しさなのだろうが、ちょっといじわるっぽさも感じてしまうのは、あたしがひねくれているからだろうか・・・。

posted by かしこん at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

カルニヴィア 1 禁忌/ジョナサン・ホルト

 ハヤカワミステリ創刊60周年記念作品、と銘打たれて刊行されて以来、ずっと気になっていたのだけれど・・・三部作だというのに1しか出ていない(どのくらい待たされるのか不明)、しかもうちの本棚に並べにくいポケミスサイズでの刊行ということで、文庫化を待っていましたが・・・しばらく前に2が出たので、図書館から借りてみました。 予約者が図書館の所蔵数を下回っていたので、すんなり借りることができました。

  カルニヴィア1.jpg 幾何学性を持ちつつ、なんとなくおどろおどろしさもある表紙。 ちなみに、新刊情報で書名だけ見たとき、『カルヴィニア』と読んでしまったあたしは、しばらく間違えて覚えてました。

 舞台はイタリア・ヴェネツィア。 ある教会の石段で女性射殺体が発見された。
 しかしその遺体は女性には許されない司祭の祭服を着ていて、腕には奇妙な模様のタトゥーが。 イタリア憲兵隊の大尉カテリーナは初めて携わる殺人事件として捜査に参加する。 一方、イタリア内の米軍基地に赴任した少尉のホリーは、旧ユーゴ内戦時の記録の公開を求める女性と面会。 しかし、資料を探している間にその女性が死んだと知って、ホリーは・・・。 特殊なソーシャル・ネットワーク・サービス“カルニヴィア”の創設者ダニエーレは、事件の鍵が“カルニヴィア”内にあると知り、カテリーナとホリーに協力しながら真実に迫る・・・という話。

 まったくタイプの違うカテリーナ(典型的イタリア女性。 グラマー&セクシーで自己主張が激しい)とホリー(米軍内の女性軍人らしく自己抑制をしすぎるほどしてしまう)が初対面で相手にいい感情を持たなかったこと、しかし調査の過程で互いの知っていることをさらけ出して事件解決に臨もう、となったときに、自分にない面を相手が持っていることが尊敬の念に変わっていく感じが、すごく面白い。 男性と違って、大人の女は相手のいいところをすんなり認めて態度にも出すからね!
 あとがきによれば本作は『ミレニアム』三部作に影響を受けているとのこと。 確かにリスベットのような強烈すぎるキャラクターはいないですが、<虐げられた女性たちの物語>を女性たちが解決に導く、という構図は確かに同じかも。
 “内的狂乱”というのがひとつのキーワードで、ボスニア問題だけでなくルワンダ問題にも説明がつきそう。 とはいえ、キリスト教徒とイスラム教徒のようにまったく文化・慣習が違うからという理解不足による闘争ならまだ理解できなくもないが、同じ土地で隣人として生活していた相手に対して“民族浄化”という刀を何故振るえるのか、理解できない。 差異がないからこそ優越感を持つためか? 学校のいじめと同じ?
 ・・・むなしすぎる。
 だけど、イタリアにもいくつもの米軍基地があると知って驚くあたし(日本同様、国連規定の敵国だから?)。 イタリアには警察機構がいくつかあるということは知っていたけどもさ(憲兵隊はそのひとつ)。 知らないことはいっぱいあるなぁ、と愕然とするのであった。

ラベル:海外ミステリ
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2015年02月09日

おかあさんの扉 4/伊藤理佐

 1〜3まで購入済み(そして現在友人に貸し出し中)の本、続きが出ました。

  おかあさんの扉04.jpeg おかあさんの扉 4 セクシー四歳児/伊藤理佐
 オレンジページに2ページずつ連載しているようなので、ちょうど一年分が一冊になる感じで編集しているのでしょう。 お子さんが女の子なので、『毎日かあさん』的な“男の子のとんでもなさ”はないけれど、あたし自身の子供の頃をなんだか思い出させてくれるところがあるかも(そこを掬いとる作者の視点が秀逸、ということでしょう)。
 あとは、母親・40代、父親・50代ということによる若い親たちと比べての体力のなさや、両親マンガ家という職業的特殊事情がもたらす面白さがあります。 スーパーシッター・Nさんの活躍が今回は少なかったような気がするのが少しさびしい。
 でもやっぱり女の子は、精神的成長が早い気がする。
 さ、これも今度Sさんに貸そうっと。

 そして、こちらもやっと読みまして。

  チェーザレ11.jpg チェーザレ 破壊の創造者 11/惣領冬実
 あぁ、そうだ! アンジェロがチェーザレと別れてジョバンニの従者(?)としてローマへ向かうところで終わったんだった(結局、はじめから読み返していない)。 あまり時間たってないじゃん!
 そして帯に載っていた言葉を誤解・・・死ぬのはロレンツォ・デ・メディチのほうだった!
 海外ドラマ『ボルジア家 愛と欲望の教皇一族』ファイナルシーズンまで見た記憶とごっちゃになっておりました(『チェーザレ』のほうではまだロドリーゴは教皇にすらなっていない)。
 しかし、ロレンツォ・デ・メディチの死をきっかけにフィレンツェは不穏な方向に行きそうだし、これまでに比べて一気に権謀術数の空気感に満ちてきているよ・・・。
 現在は不定期連載とのことなので、12巻が出るのはいつのことになるやら。

ラベル:マンガ
posted by かしこん at 02:41| Comment(2) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

休みの日は過ぎるのが早い

 あぁ、もう日曜日も夕方か・・・。
 週末になると、平日の疲れがどっと出るのか、単なるあたしのさぼり癖のせいなのか、ついついダラダラしてしまう。 目覚ましかけなくてもいいや、となるとストレスがなくなるのか寝過ぎてしまう(しかし相変わらず寝つきが悪く、実際のトータル睡眠時間を考えたらそれほどでもないのだが、「寝坊できる」という気持ちがゆとりを産むのであろう)。
 相変わらず本を読んだり、ため込んでる海外ドラマの録画を見たり、洗濯しつつ次週着る服を考えたり(仕事場は私服なので、単に先週とかぶらないようにするため)、ゴミ出しの準備をしたり、冷蔵庫にあるものでごはんをつくる、という実に代わり映えのない休日を過ごしてしまっているが、基本的に引きこもりが好きなあたしにはそういう日が必要なのであろう。
 しかし、平日の疲れの半分の責任は自分にもあるのだが・・・(火曜日からレイトショーに行くとかさ)。 今週は水曜が休日だが、一日だけの休みでは物足りない感が強くなってしまった(休みは2日以上ないと、と感じてしまう)あたしの贅沢さです。
 しかも12・13日は仕事が恐ろしくなる気配濃厚。 何時に帰れるのかな・・・。
 やはり、23日(アカデミー賞授賞式の日)は休みをもらおう、と決意するのだった。
 急ぎの仕事はそれまでに片づけなくてはならないのだが。

posted by かしこん at 16:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

幸せのありか/CHCE SIE ZYC

 ありがちなというか、漠然とした邦題には困ったもんだが、ポーランド映画ということと、主演俳優さんがどことなく甲本雅裕さんを思い起こさせる顔立ちだったので、つい。
 感覚としては“閉じ込め症候群(コンパートメント・シンドローム)”に近いのだろうか。 でも、相対する側が本人に知性があるとわかっているのとわかっていないとではこんなに違うのか・・・というのを『潜水服は蝶の夢を見る』との比較で感じてしまった。 そういう意味では主人公の立場はフランスのミステリ小説『森の死神』(ブリジット・オベール)に近いかもしれない。

  幸せのありかP.jpg 窓の向こうに無限に広がる人生があった。

 物語はポーランド、民主化に揺れる1980年代のあたりから。
 成長した本人の回想という形で、幼少期から彼の人生が語られる。
 マテウシュ(ダヴィッド・オグロドニック)は障害を持って生まれ、医師から植物状態にあり、知性はないと診断されてしまうが、実は知性に問題はなく、ただそのことをまわりに伝える術がない。 それが脳性マヒのせいであると観客にわかるのは結構たってからだが、マテウシュの父(アルカディウシュ・ヤクビク)と母(ドロタ・コラク)はあきらめることなく強い愛情を持って接する。 障害のない他の姉弟にしたら「マテウシュばっかりかわいがって」と不満が出、グレかねない状況ではあるものの、こればっかりは全世界答えのない問題であろう。 それにしても子供時代のマテウシュを演じた少年もまた大熱演で、目が離せないくらいすごかった。

  幸せのありか3.jpg ほんとにこの両親でなければ、彼はこれほどの精神的な強さを獲得できただろうか、と思うと・・・複雑な心境に。
 父・母の辛抱強く愛情に満ちた語りかけによって言葉を覚え、宇宙や星を夢見るようになるマテウシュ。 が、擁護者が年老いていくことで、専門施設を持つ病院に入れられてしまう・・・。
 特に山場があるわけでもなく(ほんとはあるのだが、あえて直接描写を避けたり淡々と描いている)、物語としてはあらすじをすぐに言えてしまう内容ではあるものの、それ故日常の見逃しかねないきらめきを丹念に掬いとる。

  幸せのありか2.jpg 望遠鏡をのぞいて宇宙を見ることが、彼にとって穏やかな時間。
 マテウシュの皮肉交じりのナレーションが<お涙頂戴>を遠ざけるし、むしろユーモア感を強める効果が。 だからこそ、彼の知性を信じる人たちとの出会いと交流が、とても温かな救いとなって見る者の胸にしみるのだ。
 原題の直訳は、『僕は生きたい』。 そこにマテウシュの強烈な自我と認められたさを感じていたたまれなくなる(こんな邦題つけてる場合じゃないだろ、みたいな)。 医学の進歩で「意思疎通ができるかどうかわからない」なんて根本的な悲劇がなくなり、言葉以外に意思を伝える手段がもっと増やせることを願うよ。
 エンドロール最後で、主演俳優がモデルになった実在の人物と同じような病気(?)でベッドに横たわる人と語り合っているかのような写真が出る(モデルになった人はなくなっているというテロップが出たので、ご本人ではないと思ったが・・・取材・撮影時期によっては会っていたのかもしれない)。 役作りでの取材なのであろうが、マテウシュを演じているときとは顔が全然違っていることに驚く。
 俳優という存在のすごさを、また思い知るのでありました。

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2015年02月06日

誰よりも狙われた男/A MOST WANTED MAN

 新開地の二番館・シネマ神戸(Cinema Kobe)にて、『誰よりも狙われた男』鑑賞。
 ここは二本立て・入れ替えなしでいつでも女性は1000円なので、できれば二本とも見たいところだが、時間の関係上、同時上映の『フルスロットル』は割愛(すでに以前見ているから)。とにかく目的は、神戸市内初上映の『誰よりも狙われた男』なのである。
 9.11から十年後ぐらいの時代設定、イスラム過激派に神経を尖らせまくるヨーロッパ・アメリカという今日にも続く題材なので、『裏切りのサーカス』よりも大変わかりやすく、けれど過剰に説明しない・豪華キャストという意味では共通するものがあり(こっちも地味な映画であるが緊張感はなかなか)、やっぱりジョン・ル・カレすごいなぁ!、と今更のように感じ入った次第。
 結局、映画を見るまでに原作は読み終われなかったのだが(というかかなり最初の部分で止まっているが)、三人称多視点導入の原作に比べ、映画はその要素を残しつつもフィリップ・シーモア・ホフマン演じるギュンター・バッハマンに重点を置いた構成に。
 ダニエル・ブリュールをちょいとした脇役に使ってしまうという太っ腹さにも、あたしは大変驚きました。

  誰よりも狙われた男P.jpg その瞬間、世界の全てが敵となった。
   『裏切りのサーカス』のジョン・ル・カレがあぶり出す、“現代”の<リアル>諜報戦。

 ドイツ・ハンブルグ。 海から一人の若い男がこっそりと上陸するところから始まる。
 ギュンター・バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が指揮を執るテロ対策チームは、街中の監視カメラからその男、イッサ・カルポフ(グレゴリー・ドブリギン)に着目。 イスラム過激派に関係すると予測されたからだ。 しかしギュンターの組織の権限は大きくなく、強硬論を唱える別部署からの圧力もあるが、ギュンターはあえて彼を泳がせる道をとる。
 その一方でイッサは旧友を頼り、人権団体弁護士アナベル(レイチェル・マクアダムス)に接触、「銀行家を探している」というが・・・。
 ギュンターは大局を見据えてテロの資金源となっている人物を摘発したいと考えているが、手っ取り早くあやしい人物を捕まえて背後関係を自白させれば済むと考える別組織(その中にはCIAもあり)も絡んできて、ギュンターたちの邪魔をする。
 強行突破特殊班を導入するなど野暮、標的に静かに近づき言動をすべて把握、情報戦と心理戦で事態を収拾しようとするギュンターのやり方は、あたしが思うところの<諜報戦>そのもの! そこで『ジョーカー・ゲーム』と比較するのは無意味だが、「あぁ、あたしはこういうのが観たかったよ・・・」としみじみ盛り上がるのだった。

  誰よりも狙われた男3.jpg 追われていることに気づき、逃げるアナベルとイッサ。 地下鉄での些細な攻防ながら、ハラハラ。
 しかもイッサが探していた銀行家はトミー・ブルー(ウィレム・デフォー)で、好きなキャスト過ぎてニヤニヤ笑いが止まらない。 そして強面ウィレム・デフォー演じるトミーは常に強気で自信にあふれる男であるのに、ギュンターを前にすると自分の持つ弱さがいきなり露呈するような表情に。 こういう振り幅もなかなか見られない!
 誰に対してもいつも変わらない“ギュンター・バッハマン”という男、その揺るぎなさが頼もしくもかっこよく見えて、でも本心は見えないのでドキドキ。 CIAエージェントとして出てくるロビン・ライトが男装の麗人っぽい風貌で一瞬「誰?」と思わされたが、この女の態度に大変ムカつき、アメリカの正義を振り回されることに辟易している人々の気持ちがわかってしまう。
 ちなみに、ギュンターは英語読みではガンタ―になるらしい(舞台はドイツだが台詞は英語です)。
 細部をはしょっている感はあるが、無駄なシーンはひとつもないと思える映画は本当に観ていてうれしい。 しかも抑制された美しいショットが多く、危うい綱渡りを擁護してくれているように感じる。

  誰よりも狙われた男1.jpg 彼の頭の中は、多分<テロ根絶>のためにフル回転。 そのためには自分の身も省みない勢い。
 だからこそ、ラストの衝撃は半端ない。
 自然体のように見えて、すべて感情をコントロールしている男ギュンター。 そんな彼がラスト近くで放つ咆哮は、慟哭であり落胆であり、やり場のない怒りであり無力感であり・・・、あらゆるすべてのマイナスの感情にあふれていた。
 それ故に、あたしの心もまたやりきれなさで胸がいっぱいになる。 そんな彼の去り行く姿とともに放り出されて、どうしていいのかわからない。
 それでエンドロールって・・・ひどすぎるよ!
 呆然と、黒い画面に流れていく白い文字を眺めていると、不意にフィリップ・シーモア・ホフマンともう一人(名前忘れましたがスタッフの方)に捧げる、というテロップが出た。
 ・・・愕然とした。
 まさに懇親の演技とも言えるギュンターのような役を、たとえル・カレが続編を書いたとしても二度と見ることはできないのだ。 最期の主演作品だもん。
 『ハンガー・ゲーム』3作目などでも彼の姿は見られるだろうがまぁ、脇役。 ここまでメインで見る機会はもうない。 個人的には『カポーティ』よりもずっと、このギュンター役のほうが素晴らしい!、と思えていたから余計に。
 じわじわと、涙が目に滲んでいった。 帰りの電車でも鼻水が止まらないのは、温度差のせいばかりではなかった。

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2015年02月05日

血の探求/エレン・ウルマン

 一年以上前の東京創元社のメルマガで新刊として紹介されていたもので、<本編のほとんどが盗み聞きで構成された>というコピーに惹かれ。 でも文庫ではなかったので図書館に予約を入れて・・・何ヶ月待ったかしら。 やっと手元に来たと思ったら二段組み約400ページ、通勤電車の短い時間や映画待ちのロビーも含めてちまちまと読み切る。
 章立てが短いせいもあって可能な面もあったけど、とにかく引っ張る、先が気になる話だったです。

  血の探求.jpeg 実際は盗み聞き半分、盗み聞いている側の“私”の妄想と行動が半分、といった感じ。

 1974年の夏の終わり。 休職中の大学教授である“私”は引きこもりを回避するためにサンフランシスコのあるテナントビルにオフィスを借りた。 隣の部屋はドクター・シュスラーという女性が精神分析のセッションに使用していた。 普段は、音が外に漏れないように雑音発生装置が作動しているのだが、ある女性患者のときだけ装置は止められる。 その音が好きではないから、と。 そのため、“私”には二人の会話が聞こえてきてしまい、いつしか患者に感情移入してしまった“私”は彼女のために行動を起こして・・・という話。

 “私”は50代後半っぽい感じなのだが、向こうの声がまる聞こえということはこっち側の音も向こうに聞こえてしまうわけで、音をたてないように、気配を消すようにとする努力は涙ぐましいものがあり、哀れを誘う(大学を休職中というのも、何らかのトラブルがあったようで、“私”の強迫観念ぶりや妄想が暴走するあたり、精神的な病を感じさせるのだが、悲壮というよりはどこか滑稽に描かれている)。 また、<隣り合わせの部屋>の中でほとんどのことが行われるので、舞台劇にしても面白そうな感じがとてもする。 “私”の一人芝居としても行けそうである(他の二人は声のみで)。
 タイトルの『血の探求』とは、患者が養子であることから、自分の出自を遡るべきか迷い、探しつつそれをどう受け止めるか、という意味。
 ここのパートはそれだけでひとつの物語に十分なるので、全体として贅沢な構成といえる(その続きはどうなんだ、と盗み聞きし続けたくなる気持ちもわからなくはない)。
 それにしても・・・ヨーロッパって大変だなぁ、という実感。 自分のルーツをたどれば必ず宗教がからんでくるし、過去は辿らないという決意もひとつの選択ではあるものの、あまり推奨されていない感があるのはやはりルーツは知るべきだという社会的前提があるからなんでしょうか(その点、日本はいろんな意味で曖昧です)。
 広義のミステリではあるけれど、どちらかといえば文芸色の強い話。
 そういうのをちゃんと発掘してくる東京創元社、さすがです!

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2015年02月04日

ジョーカー・ゲーム/JOKER GAME

 冒頭から、「え、この人、誰?」と思ってしまった。
 主演が亀梨くんだとはまったく知らなかったのだ。 最初のポスタービジュアルだって伊勢谷友介がメインだったし、彼が結城大佐だって聞いてたしさ(ジャニーズの肖像権過剰保護政策、紛らわしいんでやめてもらえないかな・・・)。 あぁ、なるほど、だからCMがアイドルっぽかったのか。
 そんな冒頭数分で、「あれ、『ジョーカー・ゲーム』ってこんな話だったか?」と自分の記憶を疑う。 そりゃ、原作と映画は別物であるということは十分わかっています。 でも今回、監督が入江悠だってことでちょっと期待してしまった部分があって・・・新しいほうの『カジノロワイヤル』のオープニングを目指したのかもしれないけれど、でも結果的にとても安っぽい、テレビのスペシャル番組みたいなオープニングクレジットに泣きそうになり、「あぁ、これは柳広司の『ジョーカー・ゲーム』ではない」ということを、あたしはあきらめとともに受け入れたのだった。

  ジョーカーゲームP2.jpeg ジョーカーを見抜け。
 (見抜くようなジョーカーなど、どこにもなかったよ)

 物語は架空の第二次世界大戦直前。
 陸軍士官学校の訓練生であった男(亀梨和也)は、同期生を助けようと上官に逆らったため銃殺刑に処されるところを、結城(伊勢谷友介)と名乗る男に助けられる。 彼は諜報組織・D機関を設立した人物で、男の能力を見抜きスパイ学校の訓練に放り込む。 そして一人前となった彼には“嘉藤次郎”というまったく新しい名前と前歴を与えられ、ドイツの科学者が開発したという新型爆弾の設計図・ブラックノートの奪取という任務のため、各国のスパイがひしめく“魔都”と呼ばれる東南アジアのある都市に潜入するのだが・・・という話。
 まず、原作にこんな話はない。
 「あぁ、この雰囲気はあの話からとっているのかな?」というエッセンスは多少感じられるものの、原作の肝である情報戦と心理戦の部分は綺麗になくなり、ド派手なアクション映画となっていた。

  ジョーカーゲーム2.jpg スパイ養成課程はよかったよ。
 あぁ、脚本が渡辺雄介だもんなぁ、ド派手にしろと言わんばかりじゃないですか。
 というか、この映画の対象年齢にあたしは入っていないのだ!
 客としてもマーケティングを読み取ることは大事だと、残念なことに再認識。
 亀梨くんは頑張っていたと思いますよ。 非情な世界で、情にもろい部分を捨てきれない人情派スパイ、というところが『妖怪人間ベム』のイメージとも重なるし、スピード感のある動きをスタイリッシュにこなせる身体能力もよかったです。 でも、そういうべたべたなまでに甘い部分は『ジョーカー・ゲーム』にあたしは期待してなかったから!
 むしろ『ルパン三世』的要素が強く、深田恭子は不二子ちゃんだし、クライマックスの英国諜報機関のアジト(死語?)にある時計塔から脱出以降の流れは明らかに『カリオストロの城』へのオマージュ満載(同じ意味で、『K−20』を思い出しました)。

  ジョーカーゲーム1.jpg 結城さんも、「魔王」と呼ばれるほどの得体の知れなさをすべて体現しているとはいえない。
 だから結城さんの若き日、D機関黎明期という位置づけだと思えばいいのかも(いくらでもシリーズ化できるというおまけつき)。 のちに暴走するほどの結城大佐の持つ“憂い”を画面に焼きつけることには成功しているわけだし。
 と思ってみても、とてもやりきれない気持ちを抱えて帰ることになってしまったのは何故。
 疲れているのにレイトショー行ったのに、という脱力感のせい?

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2015年02月03日

カジュアルダイニングPIPI@元町駅前(西口側)

 同期のEさんと仕事後に待ち合わせて、ヴァレンタインチョコ(義理)を探しにデパートへ行く。 仕事場にはチョコをあげたい人・あげたくない人といろいろであるが、まずはあげたい人優先で。
 結構試食をさせてもらったので、口の中が甘くなり、味の濃いチョコレートが多いのでなんだか満腹気分。 コーヒー好きのEさんに判定してほしくて、『グリーンズコーヒーロースター』へ行き、テイクアウトのコーヒーを頼む(あたしはカフェオレ)。
 コーヒーはあまり得意ではないあたしだが、ここのコーヒーはおいしいと思う。 焙煎強め、ビター系がお好みのEさんは豆を選んでドリップコーヒーをブラック。 「これが300円で飲めるなんて信じられない!」というクォリティーだそうである。
 コーヒーにチャレンジしたいTさん、連絡を待つ。
 紙コップを傾けつつ、「どこかで軽くごはんでも」と周囲をうろうろ。 以前、すぐ近くにある鹿肉専門店が気になったのだが、コース料理を食べられるほどおなかに余裕があるかといえば自信がない。 アラカルト中心でポーション軽めのお店を探していたら、「ここいいんじゃない?」ということに。 店頭のメニューでは、イタリアン&フレンチベースの創作料理という感じ。 バリアフリーには程遠い、急で狭い階段をのぼって、お店に入ってみる。 時間がわりと早かったので、先客は一組。

  201502PIPI 4.JPG メニュー、手書き。
 メニューをじっくり見て・・・お値段、結構安め。 元町界隈、まだまだ開拓の余地はあるわ、と実感。

  201502PIPI 2.JPG オニオンリング タルタルソース添え
 タルタルソースが見るからに手づくり! 具沢山で酸味が弱めで全体的にまろやかな味であたし好みです。 オリオンリングもカリッと揚がり、脂っぽくなくたまねぎは甘い。

  201502PIPI 3.JPG クリームチーズのサラダ仕立て クレープとともに
 クリームチーズが「これでもか!」というくらいのっている。 でも場所によってシーザードレッシングがかかっているかと思えばコショウが強かったり、いろいろなスパイスがかかっていたりと部分で味が違う面白さ。 最後はクレープ皮で包んで食べたが、ちょっとガレットを思わせる組み合わせかも。

  201502PIPI 1.JPG サーモンのカダイフ
 カダイフとはトウモロコシの粉を春雨状にしたもので、それでサーモンをくるんで揚げたもの。 これまたまったく油っぽくなく、またカダイフもビーフンや春雨とは風味がまったく違い、かといってトウモロコシ粉を使うトルティーヤの皮などとも違う味。 これ、どういうこと?!、とEさんとはしゃぐ。
 食べたことないもの・よく知らないものを「食べてみましょうか」とチャレンジできる相手との食事は楽しい。 そしておしゃべりもまた止まらないのだが。 お互い、ロバート・カーライルが好きとわかって盛り上がったり(妹以外で『マクベス巡査』を観たことある人に初めて会ったよ)。
 で、話に夢中になりすぎ、このあとビスマルクピザも食べたんだけど写真撮るの忘れました・・・。
 満腹でデザートはパス。 コーヒーと紅茶でまた長話しつつ、明日も仕事だし早めに帰りますか、と言いつつ10時ぐらいになってましたか。
 今週は残業をあまりせずに早く帰りたいなぁ、と思うそんな月曜日。

posted by かしこん at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

なんとはなしに、夜景

 WOWOWにて、今回のアカデミー賞候補作品について詳細な報告あり。
 ノミネート発表以降、いつも行く映画館でもちらほらとチラシを置くようになりました。
 『バードマン』はシネリーブル神戸で上映決定の様子。
 あぁ、『博士と彼女のセオリー』って、ホーキング博士の伝記映画(?)なのか、などと、内容がわかってきます。

  三宮駅前1.JPG OSシネマズミント神戸からの夜景。
 2月・3月は結構見たい映画が多いのですが、全部見られるかどうか・・・。
 『ジョーカー・ゲーム』のTVCMがアイドル映画みたいな感じになっててびっくり。
 新開地のシネマ神戸で『誰よりも狙われた男』が6日まで公開されているので是非行きたいが、問題は時間だ・・・。
 『ホビット 決戦のゆくえ』ももう一度観たい気が・・・しかしこれまた上映時間が絞られてきている。 あぁ、時間の管理が難しい。

posted by かしこん at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月01日

最悪の結果か・・・

 早朝、ネットを開いたら<後藤さん殺害か>のヘッドラインが目に入った。
 まじか・・・一瞬、気が遠くなる。
 多少希望はあるかも、みたいな報道の流れがあったせいかもしれないが、つい期待してしまっていた部分があったな、と思ってしまった。
 もうこうなったら、自己責任論を国内で展開しているだけで終わっては、ISILの思う壺であろう。 関係者は救出を願って奔走したはずである。 政府に恨み言をいうのは自由だが、実行したのはあくまで向こうである。 怒りの対象もまた、向こうであるべきだろう。 ただ、政府としては今後の対応なりなんなり、外交上の強みを持つべきだとは思うけど(それがイコール戦争や武力推進を意味しているわけではないので、念のため)。

 テロリストの理屈などこっちが理解しようとしたって難しい。 ヨルダンとの交渉だって、うまくいきかけたけどパイロットの方が実は・・・で、人質交換が成立しないから(それを認めたら自分らが恥をかくから)、最終手段をとったにすぎないのかもしれない。 日本人の感覚に比べれば、<人質殺害>のハードルなどはるかに低いというか、ないに等しいぐらいなのだろうから。
 むしろ、国内ニュースに取り上げまくることで、「ISILっておそろしい・・・」というイメージを植え付けてしまうこと、それがむしろ彼らの目的に近いのではないか。
 NHKスペシャルを見てしまったのだけれど、なんというか・・・ISILを構成するうちの要人と言われる人々の集まり具合を見ると、「うわぁ、根深い・・・」としか言いようがないというか。
 結局イスラエル問題、イギリスとアメリカがいろいろやった結果の残滓という気がしないでもなく・・・現地で少年たちを誘拐し、兵士として育てているという手法もずっと昔からやられている手なので、「むしろ、そういう段階まで来ちゃってるのか」と哀しくなる。
 そこまでやったら先は長くないと過去の歴史から学べないのか・・・。
 時間はかかるけど、文化と教育がいちばんの平和の近道になると信じたいし、そのための支援ならやはり続けるべきだと。
 あぁ、21世紀なのに・・・世界平和はなんて難しいんだ。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする