2015年01月04日

ローマで消えた女たち/ドナート・カッリージ

 『六人目の少女』の著者による二作目。 あえて具体的な地名やらへの言及を避けまくった前作とは違い、地名や有名な建物やらがてんこ盛り(しかしシリーズにはあらず)。
 ヴァチカンの秘密組織(?)に属する教誨師・マルクスはサイコメトラー的能力を買われ、警察とは別に事件を追う神父。 カトリックにおいて告解は他言無用だが、看過できない犯罪にかかわる内容となると放っておくわけにはいかないので、遥か昔から存在するのが教誨師なのだ。 人が人を裁く裁判所ではなく、神の信仰の前にその罪が贖われる<魂の裁判所>という役割を果たしている(原題は<魂の裁判所>のこと)。 マルクスは以前の事件で頭を撃たれ、過去の記憶がないが、ローマで女子学生がシリアルキラーによって誘拐されたため動き出す。
 その一方、ミラノ警察の写真分析官サンドラは5ヶ月前に報道カメラマンの夫を事故でなくし悲しみに暮れていたが、夫が実は殺されたのではないかとインターポールの人間に示唆され、独自に調査を開始する。 まったく違うスタートラインから始めた二人がいつしか交錯するに従って、バラバラに起きているように見えた事件や偶然とされていた出来事が、すべて一枚のパズルのピースとしてはまっていく・・・という話。

  ローマで消えた女たち.jpg ポケミスの割にあまり工夫が感じられない表紙・・・。
   タイトルも内容と微妙に合っていないような・・・。

 そんなわけで、なにしろ登場人物が多い。 二段組みで500ページ以上あるし、時間軸も行ったり来たり。 しかもほとんどイタリア人名なので、前半あたりは「えーっと、この人、誰だっけ」と<主な登場人物一覧>にたびたび戻ったり。
 しかし後半からは一気。 なにしろ長編3本分ぐらいの内容が詰め込まれているので、終盤では「そことそこをそうつなげるか!」という驚きに満ち満ちている。
 でもこの物語のテーマはアクロバティックなトリックでも、教誨師という存在でもない。 <悪>というものそのもの。
 ある登場人物がこんなことを言う。
 「善には、つねに対価が存在する。 しかし悪は無償だ」
 「悪を知るためには、その闇の世界に深く入り込んで、徹底的に知り尽くし、一体化する必要があるんだ」
 本当にそうなのだろうか。 あまたの作品の中でプロファイラーと呼ばれる人たちや捜査する側の人々が心も身体も蝕まれ、<深淵に見られている>ことに疲れ切ってしまうのは(場合によっては一線を超えてしまうのは)、悪を知るにはそれしか方法がないからなのだろうか。 確かに、意識的に非常識な振る舞いをするためには“常識”をわきまえていなければならないが・・・。
 と、いろいろと考え込んでしまう余韻もたっぷり。
 新年最初に読み終わる本がこれってどうよ、でありますが、きっと、今年もあたしはこのような本を読んでいく、ということでありましょう。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする