2014年12月31日

サンバ/SAMBA



 <『最強のふたり』の監督エリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ、俳優オマール・



シーが再びタッグを組んだコメディードラマ>
って言われたら、やっぱりついそういう



ノリのものを期待しちゃうじゃない。 しかし今回の題材は不法移民と国外退去問題。



 わ、笑えない・・・切実すぎる・・・。



 だからこのコピーにつられていくと肩すかし、という結果になること請け合い。 オマール・



シーの懐の深い演技力には驚かされたけど、これは宣伝方法を間違えたな、と思う。



   ビザなし、金なし、住所なし。

       持っているのは最強≠フ笑顔だけ。 彼の名は――



 セネガルから叔父を頼ってフランスにやって来て10年になるサンバ(オマール・シー)は、



叔父と同じように料理人になるべく地道に働いていた。 しかし、郵便事故でビザの更新日に



気がつかなかった(忘れてしまった?)ことが原因で国外退去命令を受けることに。



 そういう人は移民大国フランスではたくさんいるようで、移民協力ボランティア組織があり、



そこから派遣された二人の女性がサンバに協力を申し出る。 が、そのうちの一人アリス



(シャルロット・ゲンズブール)は、かつて燃え尽き症候群により大企業を辞めており、社会



復帰第一弾としてのこの仕事なので専門知識がそうあるわけではなく。 結構お先真っ暗な



状況にいるはずなのにいつも心は前向きなサンバに、アリスは興味をひかれていって・・・



という話。



 サンバと一緒に日雇いの仕事を探す、移民仲間でやたら陽気なウィルソン (タハール・



ラヒム)とのやりとりは面白く、確かにコメディ要素はあるのだが(あとは移民相談所で神経



衰弱気味のアリスが「自分のことばっかり言うな!」みたいにぶちぎれるシーンとか)・・・



そこぐらいなんですよね。 むしろ、7割シリアス顔をしているオマール・シーは意外にも



端正な顔立ちなんだなと気づかされてしまったりして(『最強の二人』では9割おどけて



ましたからね)。 だからコピーが言うほど笑顔のシーンも多くない。



   勿論、希望を捨てずに前向きでいることは

          いいことだし、素晴らしいエネルギーではあるが。



 シャルロット・ゲンズブールは・・・ごめん、『ニンフォマニアック』のイメージがまだ残って



まして(しかもどっちも神経衰弱な役柄だし。 こっちの方が常識の範囲内だけど)、やたら



アリスが気まぐれで薄情な人に見えてしまった。 でもフランスではそんなものなのかな?



(日本人なら「サンバに渡してくれ」とあずけられたマカロンを、おいしそうだからといって



勝手に食べたりしないよね?)。



 勿論、移民にまつわる問題を正面から取り上げてもっとシリアスにつくることはできた



だろうし、完全なるコメディにしてしまうこともできたかもしれない。 でも笑い飛ばせない



現実だからこそギリギリのところまで笑いを入れてもこれが限界です、ということなのかも



しれない。 どんなにつらい人生を送っていたとしても、ふとしたときにちょっとした笑いが



起こってしまうのは止められないかのように。



 前知識がまったくなかったら、また感じ方は違っていたかも。 でも『最強のふたり』



比較してくださいと最初に言われちゃったら・・・つらいです。



 やはり衣食住の安定って大事なんだな、病気のほうがむしろ笑い飛ばせるんだな、と



ヘンなところに感心してしまった。





 2014年、今年の映画鑑賞はこれにて最後になりました。



 長文にお付き合いくださいましてありがとうございます。



 それではみなさま、よいお年をお迎えくださいませ。


posted by かしこん at 17:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛皮のヴィーナス/LA VENUS A LA FOURRURE



 オープニング、嵐の中を揺れる街路樹が不安を、しかし音楽がどこかユーモラスさを



漂わせる。 この感じ、『おとなのけんか』と雰囲気が似ているなぁと思えば、監督が



同じ人だしどちらも戯曲の映画化である。 様式美にしたいとか?



 が、とりあえずあたしの目的はダメ男全開っぽいマチュー・アマルリックなのである。



 ちなみに、しばらく前からあたしは「マチュー・アマルリックと三上博史は、演技的な



アプローチとかいろいろ、似てる気がする」と言い続けているのだが、この映画の



予告編ナレーションは三上博史だった! 最初見たときは驚きつつも、ものすごく盛り



上がりましたが(日本語吹替版つくるなら是非彼にやってもらいたい)、この二人は似て



いる説は結構定着してるのか!? あたしの発見ではなかったのか!? そんな複雑な



思いが交錯していたりなんかして。



   その悦びを、あなたはまだ知らない。



 そこは演劇『毛皮のヴィーナス』のオーディション会場である小さな劇場。 脚本家で



演出家でもあるトマ(マチュー・アマルリック)は、若いが頭が空っぽの女優しか来ない、



ヒロインにふさわしい教養あふれる女優をよこしてくれ!、と電話に向かってグチっている。



そこへ、「オーディション、もう終わっちゃった?」とびしょぬれ姿でガムを噛みつつ現れた



無名の女優ワンダ(エマニュエル・セニエ)。 くしくも舞台のヒロインと同じ名前だが、



見るからに粗野な態度のワンダにトマはげんなり、「オーディションはもう終わった」と



追い返そうとするが、少しだけでもやってよ、脅したりすかしたり泣いたりするワンダに



押し切られ、しぶしぶオーディションをすることに・・・という話。



   こんな感じで来られたら、ちょっとひくかな。



 トマがどれだけ実績のある演出家なのかわからないのだが、とりあえずプライドは高くて



なかなか不遜な態度。 ワンダもまたそれに負けない図々しさで、フランス人の個人主義が



垣間見られて面白い。 が、粗暴で教養のない女と見ていたワンダが台本をぼろぼろに



なるまで読みこみ、主人公ワンダをもしかして自分以上に理解しているかも、と感じた瞬間



トマの態度は一変。 あー、見た目は無教養そうなのに実は賢い、というタイプの女性が



フランスではとてももてると聞いたことがあるような。



 演出家よりもヒロインを深く知るワンダに、相手役として芝居を続けていくうちに現実と



虚構の境目が曖昧となっていく・・・というのは新鮮さのない展開だけれども、なにしろ



それをやっているのがマチュー・アマルリックなので、トマの倒錯した性的志向があらわに



なっていく過程にとにかくニヤリなのだ(となれば、台詞の中で語られる定義でいえば、



あたしはSということになる)。



   この微妙な変態感(?)、似合ってます。



 緩急自由自在に言葉を繰り出すワンダにどんどん翻弄されていき、自分の弱さ・ダメさを



受け入れていくトマを演じるマチューの演技が自然だから、会話ゲームになりがちの台詞



劇に奇妙な説得力が生まれ、「結局、男ってこんなもんよね」という一般化すらしてしまい



そうになる。 しかしそれも、ワンダを演じるエマニュエル・セニエのくるくると変わる表情・



佇まいなどのせい。 売れてないのに態度の悪い、大した美人でもない女優と思わせて



おきながら、衣装に着替えて台詞を言うと突然貴婦人然となり、あるシーンでははっとする



ほどの美人に、そうかと思えばかたくなな態度で平然とトマを見下す。 『潜水服は蝶の



夢を見る』
で共演している二人ですが、全然違うよ〜、と改めて驚く。



   トマ、あっさり、下僕。



 しかもあとからチラシの裏をよく見たら、エマニュエル・セニエってロマン・ポランスキーの



実際の妻だというではないか!



 え、ポランスキーって80歳ぐらいじゃないの? エマニュエル・セニエはどうみても50歳に



なってないよ!



 そうか・・・これは美しく教養にあふれる妻に捧げる監督のラブレターなわけだ。 となれば



トマは監督の分身というわけで・・・ここまで赤裸々に自分を卑下することで女性を賛美する



映画を堂々とつくってしまえるのもまた、80歳という年齢のなせる技?



 「何故なら、ワンダは女神だからだよ」、という言葉が監督から返ってきそうだ。



 そもそも、ワンダの名前はオーディションリストには載ってなかったし、限られた関係者に



しか渡っていないはずの台本を持っていたし、トマの婚約者やプライベートのことをよく



知っていたし(婚約者の友人だ、みたいな台詞もあったけど、事実かどうか証拠はない)。



 <神、彼に罪を下して一人の女の手に与え給う>というマゾッホの小説の冒頭部分、



ユディト書から引用されたこの言葉が、この映画のすべて。



 自分の屈折した欲望のためだけに芝居をつくろうとしたトマを、美の女神ヴィーナスが



罰しに現れた、ということかもしれない。 なにしろこの女神は筋金入りのフェミニストで、



ときには悪魔に変貌するからね。



   もはや片足だけで相手を支配。



 でもこれ、トマ役がマチューじゃなかったら、あたしはついていけたかな?



 彼の演技力とあたしが彼のこと好きだから集中して見られたし、だからリアルに感じられた



けど、ワンダの謎を追及するよりはトマの変貌の方に映画的にはより重心を置いた方が



いいはずで、そのへんの描写はもっとあってもよかったかも。 でもそれを見越しての



マチューの起用なら、ポランスキー、さすがです(一説には若き日のポランスキーの容貌と



今のマチューの雰囲気が似ている、とも言われているようだが)。



 エンディングロールでは、ヴィーナスを描いた古典的名画が次々と映し出される。 男は



罰せられ、まったく理解できないけれど女性を賛美せずにはいられない存在なのだ、



みたいな意味合い?



 ヨーロッパ人のそういう感覚を理解するには、あたしはまだまだ修行が足りない・・・。



 ちなみにエンディングロールではプラダ・グッチ・エルメスなどヨーロッパのハイブランドの



名前がずらり。 ワンダの毛皮に見立てた毛糸のマフラーも、最初に持ってたずたぼろっ



ぽく見えたバッグも、SMっぽさを演出するためのレザーの服も、全部ブランド品(多分



オーダー?)なんだろうな・・・そのあたりも、フランス映画って感じで贅沢です(正確には



フランス・ポーランド合作だけど)。


posted by かしこん at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホビット 決戦のゆくえ/THE HOBBIT:THE BATTLE OF THE



 あぁ、これも切れた。 “THE HOBBIT:THE BATTLE OF THE FIVE ARMIES”



 ついに来ました、『ホビット』三部作最終章



 一時は公開が来年春とも言われていましたが、2作目が世界最遅公開となってしまった



日本にピーター・ジャクソン監督がお詫びとして「3作目は日本最速公開にすること」と



指示を出してくれたらしく、年内の公開が実現。 だったら年内に見ないとね!、と疲れた



身体に鞭打って(まだこの頃は仕事納め前だった)、約145分の冒険の旅へ。



 もうこのシリーズは冷静に映画として鑑賞・評価できないので(なにしろ『ロード・オブ・



ザ・リング』三部作
はあたしの“体験”なので)、いろいろと心の中で叫びながら観ていた、



ということはお伝えしておきます。 多分、実際に声は出ていないとは思うんだけれど。



 念のため、WOWOWで『ホビット:竜に奪われた王国』が放送されたのでそれを観て



から行ったのだけれど・・・復習しておいてよかった。 ほんとにその続きからこの映画は



始まります。 前振りとか一切ないから。



   かけがえのない、仲間たちがいた――。



 いやー、バルド(ルーク・エバンス)のかっこいいこと! 『ドラキュラZERO』のときより



こっちの方がずっとかっこいい。 このシリーズに出演している男性陣全般に言えること



なんだけれど、アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンを筆頭に、「他の映画で見るのと



イメージも外見も違いすぎる!」というのが多い。 オーランド・ブルームもレゴラス以上に



ハンサムに映っている作品はどこにもないし、リー・ペイスなんかあたしは結構付き合い(?)



長いのに、森のエルフ・スランドゥイル王が彼だとしばらく気づかなかったし。 トーリン



(リチャード・アーミティッジ)が『イントゥ・ザ・ストーム』のお父さんだと知っているのに



全然結びつかない。 これがメイクの力なのか(女性陣にあまり違和感がないのは、



彼女たちは常々メイクをしているからであろう)。



   絵になる二人。

         今作でようやくレゴラスの冷たさがちょっとやわらぐ。



 とはいえ、これまでさんざん手こずらされていた竜のスマウグとの戦いがオープニング



扱いというのにびっくり。 そして出てきた原題“THE BATTLE OF THE FIVE ARMIES”に



困惑。 5つの軍隊って・・・ドワーフでしょ、エルフでしょ、人間に、オーク・・・あとひとつは、



なに? もしかしてサウロンもカウントされてるの?(オークの兵隊が二種類だからかしら)



 そんなわけで、怒濤の展開を繰り広げるスクリーンにくぎづけ。



 オークにとらえられたガンダルフ(イアン・マッケラン)を助けに現れるガラドリエル(ケイト・



ブランシェット)やエルロンド(ヒューゴ・ウィーヴィング)に「遅いよ!」と本気でいきどおり、



「(サウロンのことは)あとは任せろ」というサルマン(クリストファー・リー)に、「あー、だから



60年後、あんなことになっちゃうのね」と哀しくなり・・・そう、三作目はこれまでよりもずっと



はるかに様々な断片が『ロード・オブ・ザ・リング』三部作につながるような構成になって



いて(ガラドリエルさまも11個の指輪についてさらりと語るし)、また『指輪』三部作を観たく



なってしまって大変困る。



   レゴラスの父・スランドゥイル王の真実を

     知れば、これまでの彼の冷酷な態度もなんだか許せてしまう不思議。



 『ホビット:思いがけない冒険』があんなに牧歌的だったから、まさかこの三部作の旅の



仲間の誰かが命を落とすなんて思わなかった(『ホビット:竜に奪われた王国』がシリアス



寄りになったので危険な感じはしていたが)。



 なので<一つの指輪>のせいでダークサイドに寄りつつあったはずのビルボ・バギンズ



(マーティン・フリーマン)が元通りの素朴さで最後の戦いを乗り切ったことに違和感を覚え



つつも、彼までが生来の天真爛漫さを失っていたらこの映画の救いをどこに求めていいか



わからないよね、と納得。 マーティン・フリーマンがあまりにもはまり役なため、60年後の



ビルボ(イアン・ホルム)の変貌が残念すぎる(外見ではなく、“指輪”にとりつかれてしまう



ことが)。 むしろマーティン・フリーマンのビルボは甥であるフロド・バギンズ(イライジャ・



ウッド)につながっていると思いたい。



   だって彼の心配事は、竜の呪いで

               黄金にとりつかれてしまったトーリンのことだもの。



 しかしガンダルフよ、この段階でわかっていたなら60年後のサウロンの完全復活前に



何か手が打てたんじゃないの・・・とつい思ってしまったり。



 けれど145分は思っていたよりもはるかに短かった。 ディレクターズ・カット版は例に



よって3時間越えなのだろうか。



 「あーあ、終わっちゃったよ〜」という気持ちはあれど、今作のラストシーンは『ロード・



オブ・ザ・リング:旅の仲間』
とクロスする場面。 このあとはまた『指輪』三部作



つながっていくんだ、と思うと寂しさはあまりない(『王の帰還』のときの喪失感に比べれば



ずっと軽い)。 ただ、『ゆきて帰りし物語』という最初からあったサブタイトルは、結局



使われることはなかったんだな、というのはなんだか寂しかった。



 とはいえ、『ロード・オブ・ザ・リング:旅の仲間』から約12年、全ての作品をリアル



タイムで映画館で見られた幸運はあり、やはりこのシリーズは大事な体験だったのだな、



と改めて思う次第。 でもガンダルフの活躍が足りなかったような気がして・・・そういう



不満はちょっとあるかも。


posted by かしこん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする