あぁ、一文字足りなかった! 原題は“A THOUSAND TIMES GOOD NIGHT”。
ジュリエット・ビノシュが主演だから、と短絡的にフランス映画だと思い込んでいた。
実体は、ノルウェー・アイルランド・スウェーデンの合作(だからもうひとつ、“TUSEN
GANGER GOD NATT”という原題もある)。 しかも微笑ましいポスター上部写真と
タイトルから、母と娘の映画なのかと思ったら(テーマのひとつは確かにそうなんだ
けれど)母の職業は戦場カメラマン。 いろんな意味でイメージを裏切る、残酷描写は
避けているけれど実際はかなり壮絶な内容の映画だった・・・しばらく言葉を失う感じで。

世界中の雑誌社などと契約し、世界中の紛争地域を飛び回る報道写真家のレベッカ
(ジュリエット・ビノシュ)は夫で海洋学者のマーカス(ニコライ・コスター=ワルドー)と
ふたりの娘ステフ(ローリン・キャニー)とリサ(アドリアナ・クラマー・カーティス)の理解に
支えられていると思っていた。 しかしカブールを取材中に自爆テロに巻き込まれてしまい、
大怪我をしてドバイ経由で自宅のあるアイルランドに帰りつき、出かけてしまったら生きて
戻ってくるのかわからないという不安に押しつぶされそうになっている家族の姿を知る。
レベッカは家族のためにこの仕事をやめようと決意するものの・・・という話。
冒頭から、ジュリエット・ビノシュほぼすっぴんではないか、というさらし具合に加え、
自爆テロに巻き込まれての怪我&汚れ具合がものすごく、いきなり女優魂を見せつけ
られて(その自爆テロに至る過程も儀式化されててすごいのだけど)、がっちりと観客と
して首根っこを掴まれてしまった。
確かに、待つ側のつらさはわかる。 けれどこの映画の特殊性は戦場カメラマンが
女性で、しかも母親だということ。 これが男性・父親ならよくある話というか、ここまで
責められたり本人が葛藤しなきゃいけないか?、と思うと、やはり男女差別と言って
しまってはあれだけれども、家庭内での女性の役割というものは現代でもどの国でも
結局同じなのだなぁ、と思わされてつらい(しかし仕事の面においては彼女の仕事は
大変高く評価されており、そこに男女差別的なものはない。 むしろ女性だから入り
込める部分が報道写真家としてのレベッカの強みでもある)。

家族との時間を大切にしたいけど。
が、特殊性はそれだけではなく、彼女もまたアドレナリン・ジャンキー:紛争地に身を置く
という状況や使命やら興奮やらがないまぜになって仕事から離れられないカメラマンの
ひとりでもある、ということ。 ただの仕事と家庭の両立なんてものじゃない、命かかってる
から!
しかしそこで長女のステフがいい年頃(15歳くらい?)なので、母の仕事を理解しようと
試みてしまうんだな。 そこで理解し合えそうになるのに、やはり仕事にとりつかれている
自分が顔を出す。
「辞め方の分からないことを、始めてしまったのよ」
本来、そういう天職が見つかることはかなりの幸運であるはずなのに。
マーカスはレベッカよりいささか年下の印象だが、相手がジュリエット・ビノシュならば
若い夫でもなんか納得。

けれどいちばんの衝撃はラストシーンにあった。
再びカメラを持ったレベッカがその場にいたのに、<撮る気すら起こらない被写体>の
存在。 世界に現実を伝えたいという使命を見失わせるほどのもの。
もしやこの姿を描きたくて、今までの流れがあった?
「いくらおやすみなさいを言ってもたりない」ほどの子供への想いが、どう表現されるの
かは人それぞれ・国や文化でそれぞれ違うのだろうけれど・・・だからってこのラストは
ないだろう!
彼女同様、あたしも気持ち的には立ちつくし、どう感情を整理したらいいかわからない
ままエンディング。 思い返しても心は穏やかではない。 すごい映画だ、これは。