2014年12月06日

6才のボクが、大人になるまで。/BOYHOOD

 はじめ、この映画のポスターとコピーを見たとき、親兄弟を事故かなにかでいっぺんになくした少年のために仕立てられた擬似家族が、次第に本当の家族以上に家族になっていく話、だと思いました(遠藤淑子マンガの読みすぎ?)。
 まさか、撮影に12年間かけていたとは・・・勿論、実際に撮影しているのは一年に一週間ぐらいなんだろうけど。 おかげで、「はっ、いつの間にか背が伸びてる!」、「声変わりしているよ!」、「かっこつけてるつもりかもだけど、その髪型変だよ!」などと主人公の少年に、親戚のおばちゃんのように思ってしまっている自分がいて。
 監督も、そういう効果を狙ったんですかねぇ。
 12年間という確実に流れていく“時間”を160分に封じ込めるために、ほんとに12年間かけよう!、と、きっと誰もが思うけどなかなか実現しようとは思わないことを実現させたという強みは、よく似ている子役を探すのとは表現としての次元が違う、ということになってしまう。 過去の場面を挿入する映画を作る人々はこれから必ずこの映画のことを意識しなければならなくなる、という、ある意味すごい呪いのような存在だ。

  6歳のボクがP.jpg すべての瞬間に、「大切」が宿ってる。
    4人の俳優が12年間家族を演じた。 その歳月から生まれた、感動の物語。

 物語はメイソン(エラー・コルトレーン)が6才のときから始まる。
 母のオリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉のサマンサ(ローレライ・リンクレイター)と3人でテキサス州の小さな町に暮らしていた彼だが、母は突然、祖母が住むヒューストンへ引っ越しを決める。 友達と別れたくない、学校も変わりたくないと反対する姉弟だが、だからといって事態が変わるわけもなく。 そして引っ越したヒューストンでの生活に、離婚してアラスカに行っていた父(イーサン・ホーク)が顔を見せ、一年半ぶりに家族が揃うことに。

  6歳のボクが1.jpg そんな感じで、日々の積み重ねがこの映画。

 特別な大事件が起こる、というわけではない(ただ、子供にしてみたら両親が離婚したり、母親が再婚と離婚を繰り返したりなどというのはそれなりに大事件だと思うのだが、結構アメリカではこういう家庭、多そうだ・・・)。
 それにしても姉のかわいくなさと来たらびっくりだ! 一時期だけ「あ、子供なりに大人になった?」と思えたけど、また結局生意気で自己中心的な性格に。 これって弟から見た姿としての解釈なのか。 また演じている女優さんの名前がリンクレイターってことは・・・監督の娘? 自分の娘にこんなかわいくない役をあてがうとは、プロだな!(ま、娘であれば途中で逃げられるかもというリスクは減るけど)。
 そんなわけで、この映画には年代・月をあらわすテロップは出ない。 服装や言動、風景などで「あ、前のシーンから時間たってる」と判断しなければならないので、それに慣れるまでは「ずいぶん話が飛び飛びだな」と感じるかも。 でも、振り返ってみれば自分の人生でさえも記憶は飛び飛び。 止まらない時間の流れの中を生きていても、すべての時間をきれいに巻き戻せるわけじゃない。
 つまりは人が感じる“時間”そのものがこの映画のテーマなのかな?

  6歳のボクが3.jpg しかしあんなかわいい男の子が、いつの間にやらこんなにでっかくなってしまうという・・・時間って残酷。

 とはいえ、印象に残るのは母オリヴィアの生き方だったりする。 多分とてもアメリカ的なんだろうけど、若くして結婚して子供を産み、自分の夢をあきらめなければならなかった、という気持ちをずっと持ち続けて、で、結局あきらめないで自己実現しちゃった人。
 個人的に見れば彼女はとてもすごい人だけど、自分のその価値観をそのときどきの夫にも子供たちにも押しつけている感じがする(男運が悪いのかもだけど、そういう相手を選んでいるのも自分なわけで)。 だから自立が近付く子供たちからうとまれ、孤独に沈んでいく。
 これってアメリカ的社会がよしとする女性観に対するアンチテーゼですか? うーん、女の生き方って難しいなぁ(というかこの映画が女性に対して厳しい描き方してる感じが)。
 でも、12年たってもイーサン・ホークはそんなに変わって見えなかった・・・それはそれですごい!

ラベル:外国映画 映画館
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2014年12月05日

ペンギン、日本人と出会う/川端裕人

 仕事帰りの寄り道がしやすくなって、三宮図書館を利用することが最近増えた。
 神戸市内には中央図書館の他、各区に分館という形で図書館があるのだけれど、それぞれに個性・特徴がある。 スペースや客層の問題なのだろうけれど。 しかし、神戸市の図書館は日本十進分類表を採用していないので、本のジャンルが探しにくい。
 三宮図書館で<エッセイ・ルポルタージュ>と分類された棚を見てもほぼエッセイしかなく、「ルポはどこじゃ!」とうろうろする羽目になり、<社会問題>コーナーで発見したりすることに。
 だけど、そんなうろうろの結果、この本を見つけました。

  ペンギン、日本人と出会う.jpeg 表紙・背表紙・裏表紙・折口へと、日本の水族館にいるペンギンが大きい順に並んでおります。 表紙は左から、エンペラーペンギン、キングペンギン、アデリーペンギン、ヒゲペンギン。

 あたしはペンギンが結構好きですが、この感覚って全世界共通ってわけじゃないのね!、と思い知らされたのがこの本を読みたかったきっかけ(著者の作品は結構読んでいるので、この本の存在も結構前から知っていたのですが、これまで機会がなくて)。
 出版されたのが2001年なのでこれに出てくる最新情報は少し古いですが、ペンギンが日本にやってきた歴史などは変わりようがないので、いま読んでも全然問題ない(というか、野生のフンボルトペンギンの問題など出版当時と比べてあまり変わっていないかも・・・という哀しい事情もありです)。
 その昔、南氷洋に向かった捕鯨船が“南極土産”としてペンギンを持ち帰ったことが日本の動物園・水族館での飼育のはじまりだったなんて知らなかった(飼育のための試行錯誤の中、死んでいくペンギンたちや、昔だから仕方ないんだろうけど南極に行った一部の人々によるペンギンへの蛮行について記された章には読んでいて涙がにじんでしまった)。
 でもそうよね、南半球にしか野生のペンギンはいないんだから、日本にいるペンギンたちは必ず<よそから持ち込まれたもの>。
 そんな当然のことに言われるまで気づかないほど、ペンギンはどの水族館にもいる“身近な生き物”のイメージ。 で、好きなので生態とかいろいろ調べてしまっていたのだけれど、そんな人たちが多いのは日本人だけというか、世界的には少数派らしい・・・それにびっくり。 『皇帝ペンギン』というドキュメンタリー映画がかつて大ヒットしましたが、確かに映像は素晴らしかったけど内容的には新しいことないなぁ、という印象を受けたんだけど・・・つまり世界的にはあれは<知られざる世界>だったってこと?!
 日本人がペンギンを好きなのは、かわいいもの好きのキャラクター文化にぴったりはまる生き物だから、ということなんだろうけど、知れば知るほど奥が深い生き物である、というのもポイントだと思います。 だから長崎水族館のように“種の保存”を目的にした施設があるし、野生のペンギンの保護に関して日本がイニシアティブを!、と外国の人にいわれるのも仕方がないくらい日本はペンギン飼育充実国なのです(現在、存在するペンギン18種類のうち、12種類が日本にいる)。 その分、日本人は自分たちの身近にいる生き物たちに対して若干無頓着なところはありますけどね。
 イルカ・クジラに神経をとがらせるグリーンピースな方々、日本人がそうやって野生動物の保護に貢献していることをちょっと評価してほしいな・・・でもペンギンは鳥だから、哺乳類であるイルカ・クジラ類とは違うと言われてしまうんだろうか。
 あ、本書は勿論「日本人、がんばってる!」という内容だけじゃなくて、動物園・水族館が抱える原罪とか、「かわいい」で終わってちゃダメとか、野生動物としてのペンギンの姿をしっかり見つめよう、という提言がしっかり組み込まれており、大変バランスのよい一冊になっていると思います。
 でも文庫になってないし、品切れ・重版未定(事実上絶版)なんだな・・・ちょっとかなしい。

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2014年12月04日

失踪当時の服装は【新訳版】/ヒラリー・ウォー

 読みかけで何年もほったらかしのものもあれば、比較的買ったばかりなのにサクッと読んでしまうときもある。 なんなんでしょう、この違い。
 自分の記憶力について考えていたせいかも。 これは以前に旧訳を読んでるし、犯人は○○だったよな・・・というのを確かめたかった気持ちもあり。

  失踪当時の服装は新訳.jpeg この表紙の場所は△△△が見つかった場所かな、とか。

 1950年3月、マサチューセッツ州。 カレッジの一年生、18歳のローウェル・ミッチェルが寮から姿を消した。 自らの意志での失踪なのか、何らかの事件に巻き込まれたのか?
 警察署長フォードをはじめとした警察官は総出で捜査に当たるが、2週間が経過しても手掛かりはなにも浮かばず。 一体ローウェルの身に何が起こったのか?、という話。
 一時期、ヒラリー・ウォーはまとめて読んだので、地の文などもっとそっけない印象が残っていたのですが(たとえば容疑者を取り調べる場面では、テープ起こししたもののように会話だけが続いたりとか。 あれは『事件当夜は雨』だったか?)、「あれ、フォード署長ってこんなお茶目な人物だったっけ?」とびっくり(唯一の大卒というキャメロン刑事とのお互いあてこすり会話が面白い)。
 そして2014年の視点から見たら、「あぁ、DNA鑑定したら一発なのに!」と思えてイライラしたり(すみません、『CSI:科学捜査班』の見すぎです)、逆に「無許可で容疑者の家探しなんかしたら公判に持ち込めないよ!」とハラハラしたり・・・ほんとに時代を感じましたよ。
 でも、<組織だった地道な捜査&リーダーシップとチームプレイ>という現在までに出来上がっている警察小説の雛型は存在し、探偵小説が隆盛していた中で“警察小説の里程標”と呼ばれる意味もわかります。
 あぁ、他の作品も読み直したくなっちゃったな・・・図書館かぁ。

ラベル:海外ミステリ
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2014年12月03日

マダム・マロリーと魔法のスパイス/THE HUNDRED-FOOT JOURNEY

 ヘレン・ミレン好き、お料理映画好き、となれば見たくなるこのタイトルとポスター。
 しかし映画が始まり、いきなり違和感。 オープニングタイトルが出てはっきりわかる、「あ、看板に偽りあり映画か!」。
 舞台はフランスの片田舎(一地方?)なのだけれど、そこにたどり着いたインド人一家の物語がメイン。 “THE HUNDRED-FOOT JOURNEY”は一家の長き旅路の果て。
 だからこれはご近所異文化交流の話だったのだ!

  マダムマロリーとP.jpg そのスパイスは、あなたの人生を“美味しく”変える。

 インドのムンバイで代々レストランを営むカダム家。 次男のハッサン(マニシュ・ダヤル)は名料理人として名高かった母親から味覚を受け継ぎ、シェフとしての才能を磨いてきた。 しかしある夜、彼らのレストランは選挙絡みで起こった暴動(このへん、詳しいことは不明)によって全焼、母親も亡くなってしまう。 祖国での行き場を失った一家はヨーロッパに移住するが、生きた野菜の味がしない、と各地を放浪の末、南フランスの小さな町に辿り着く。

  マダムマロリーと5.jpeg 何故なら、そこで迎えてくれた食べ物がとてもおいしかったから。
 妻を失って落ち込んでいた父(オム・プリ)も一念発起、この町でまたレストランを開くぞ!(勿論インド料理店だ)、と盛り上がるが、借りたお店の向かいにはミシュラン一つ星の老舗、マダム・マロリー(ヘレン・ミレン)の伝統的フレンチレストランがあって・・・という話。
 フランス料理の基本はソース、インド料理の基本はスパイス。 アプローチは違えども、いい食材を使っておいしい料理をつくる、という心意気は同じはず。 なのに対立してしまうのは、<お互いに対して理解がない・慣れていない>からなのでしょうか。
 不毛な対立を続けつつも、現状を打破したのはハッサンの料理人としての才能。 そして美味しいものは美味しいと、受け入れるマダムの器量。

  マダムマロリーと3.jpg でも、しなびたアスパラガスをお客様に出すことは絶対許しません!
 ハッサンの才能のフランス中が注目するまでさほど時間はかからず、修行の意味もあってパリのレストランに行くんだけど・・・詳しい年代設定はわからないけれど、時代の最先端となればフランスでも結局分子料理に行ってしまうのだな・・・というのは驚き。 一時期の流行だったのか、今でもやっぱりそうなのか気になるところです(日本ではあまり流行っていない気がする。 せいぜい液体窒素で急速に冷やしたり、ソースをムース状にするくらいでは?)。 ま、そのへんは“食材に込められた魂”を大切にしたいハッサンにとって自分の立ち位置を確認するために必要な修行だったのかも。
 ラッセ・ハルストレム監督、そろそろご高齢だからでしょうか、あまり人間の醜さをはっきり描かなくなっている。 卑怯者は出てくるけれど、完全な悪人はいない。 あまりドロドロな人を描いたら疲れちゃうのかな(あ、と気づく。 この映画、ディズニー配給だった。 そのせいもあり?)。
 美味しそうな料理はいろいろ出てきたが、「これ絶対食べたい!」と思うほどには料理は前面に出てきていなかったかも。 でも、“インド料理と融合したフランス料理”、食べてみたいなぁ。
 この映画においてあくまで料理は媒介物。 テーマである「異文化交流、と一言でくくってしまってはそれまでですが、風習も宗教も違うもの同士がどうやって仲良くするか?」。
 この映画で提示された解決策は、なんか日本が昔からやってることじゃね?、という気がしないでもなく・・・でも、現在では日本からも急速に<ご近所づきあい>というのは減ってきているわけなので、「日本はすごい!」と誇れるわけでは全然ないのですが。
 でも必要なときにはいつでも<おもてなしの心>を発揮する、というのは世界に通用するのね、とは感じてみたり。

ラベル:映画館 外国映画
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2014年12月02日

さよならの手口/若竹七海

 すごく久し振りなのに、すぐ読んだらもったいないかなぁ、と思っていたのだけれど、結局読んでしまったのでした。 それでも、これまでのあたしにしてはゆっくり読んだ方かも。
 前作『悪いうさぎ』事件のせいで暗闇で眠れなくなってしまった葉村晶は、その影響(トラウマ?)のせいで探偵という職業から遠ざかってしまったのだろうか・・・と心配していたのだけれど、杞憂でした。 フリーの調査員として所属していた長谷川探偵事務所が所長の引退に伴い店をたたみ、地震のせいで住んでいた家がダメになりお引っ越し、古い付き合いの本屋の店長に頼まれその店でバイト中、というのが探偵開店休業の理由。
 年を多少食ったとはいえ彼女の反骨精神は健在。
 他人とあまり関わりたくない、といいながら、あとで後悔すると自覚があるのにうかうかと人を信用してしまうところも変わってない。 ま、30歳以降、性格的なものってなかなか変わらないから、加齢に伴う身体の衰えを気にするようになったぐらいで、そのほかの部分は変わっていなくて当たり前ではあるんだけど、古い知り合いにものすごく久し振りに会ってみたらやっぱり変わってなかった、というよろこびはなんなんでしょうね(あたし自身も大して変わってはいないというのに)。

  さよならの手口.jpeg はっ、前置き長すぎ。

 古本屋として遺品整理業の人たちと一緒に本の整理に行った葉村晶は、そこでたまたま白骨死体を見つけてしまう・・・というオープニング。 この事件の解明だけで下手すれば中編になってしまいそうなところを、冒頭であっさり解決! その後もいくつかの小さい事件を調査・解決するうちにいちばんの目当ての事件の真相も見えてくる・・・という大変凝った構成でありながら行きあたりばったり感も見えるという贅沢さになっております。 作者が完成に時間がかかってしまったのもむベなるかな、です。
 で、その合間に葉村晶の心情が皮肉屋のベールに包まれて、でも出てくる。
 結構、共感ポイント多かった・・・。
 それ故に、また彼女のその後を知りたいと思ってしまうのですよ。 でも次がまた13年後は、勘弁してください。

ラベル:国内ミステリ
posted by かしこん at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月01日

神戸も、明日から寒いってよ。

 貧血上がりのせいでしょうか、明日から一気に10℃気温が下がるという低気圧の到来のせいでしょうか。 やたら頭が痛い。 そして眠い。
 眠いといっても熟睡できる感じではなくて、いつものように録画した海外ドラマを見ておりますと、気がついたら意識がなくなっており、でもドラマの音は聞こえているのか、なんだか違う展開の夢を見てしまっているらしく、どこまでがドラマそのものの記憶で、どこからが夢なのか判断がつかないほど(だから同じドラマをまた見ることに・・・)。
 じゃあきらめて布団で寝ろよ、という話なんですが、それがめんどくさいというか(ダメ人間だ)、動いて寝る準備したらこの眠さが吹っ飛んでしまうのですよ。
 あぁ、悪循環。
 気温ひとケタ台が定着してくればまた変わるかな、ということを期待して。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 体調 好不調の波 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする