2014年12月31日

サンバ/SAMBA



 <『最強のふたり』の監督エリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ、俳優オマール・



シーが再びタッグを組んだコメディードラマ>
って言われたら、やっぱりついそういう



ノリのものを期待しちゃうじゃない。 しかし今回の題材は不法移民と国外退去問題。



 わ、笑えない・・・切実すぎる・・・。



 だからこのコピーにつられていくと肩すかし、という結果になること請け合い。 オマール・



シーの懐の深い演技力には驚かされたけど、これは宣伝方法を間違えたな、と思う。



   ビザなし、金なし、住所なし。

       持っているのは最強≠フ笑顔だけ。 彼の名は――



 セネガルから叔父を頼ってフランスにやって来て10年になるサンバ(オマール・シー)は、



叔父と同じように料理人になるべく地道に働いていた。 しかし、郵便事故でビザの更新日に



気がつかなかった(忘れてしまった?)ことが原因で国外退去命令を受けることに。



 そういう人は移民大国フランスではたくさんいるようで、移民協力ボランティア組織があり、



そこから派遣された二人の女性がサンバに協力を申し出る。 が、そのうちの一人アリス



(シャルロット・ゲンズブール)は、かつて燃え尽き症候群により大企業を辞めており、社会



復帰第一弾としてのこの仕事なので専門知識がそうあるわけではなく。 結構お先真っ暗な



状況にいるはずなのにいつも心は前向きなサンバに、アリスは興味をひかれていって・・・



という話。



 サンバと一緒に日雇いの仕事を探す、移民仲間でやたら陽気なウィルソン (タハール・



ラヒム)とのやりとりは面白く、確かにコメディ要素はあるのだが(あとは移民相談所で神経



衰弱気味のアリスが「自分のことばっかり言うな!」みたいにぶちぎれるシーンとか)・・・



そこぐらいなんですよね。 むしろ、7割シリアス顔をしているオマール・シーは意外にも



端正な顔立ちなんだなと気づかされてしまったりして(『最強の二人』では9割おどけて



ましたからね)。 だからコピーが言うほど笑顔のシーンも多くない。



   勿論、希望を捨てずに前向きでいることは

          いいことだし、素晴らしいエネルギーではあるが。



 シャルロット・ゲンズブールは・・・ごめん、『ニンフォマニアック』のイメージがまだ残って



まして(しかもどっちも神経衰弱な役柄だし。 こっちの方が常識の範囲内だけど)、やたら



アリスが気まぐれで薄情な人に見えてしまった。 でもフランスではそんなものなのかな?



(日本人なら「サンバに渡してくれ」とあずけられたマカロンを、おいしそうだからといって



勝手に食べたりしないよね?)。



 勿論、移民にまつわる問題を正面から取り上げてもっとシリアスにつくることはできた



だろうし、完全なるコメディにしてしまうこともできたかもしれない。 でも笑い飛ばせない



現実だからこそギリギリのところまで笑いを入れてもこれが限界です、ということなのかも



しれない。 どんなにつらい人生を送っていたとしても、ふとしたときにちょっとした笑いが



起こってしまうのは止められないかのように。



 前知識がまったくなかったら、また感じ方は違っていたかも。 でも『最強のふたり』



比較してくださいと最初に言われちゃったら・・・つらいです。



 やはり衣食住の安定って大事なんだな、病気のほうがむしろ笑い飛ばせるんだな、と



ヘンなところに感心してしまった。





 2014年、今年の映画鑑賞はこれにて最後になりました。



 長文にお付き合いくださいましてありがとうございます。



 それではみなさま、よいお年をお迎えくださいませ。


posted by かしこん at 17:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛皮のヴィーナス/LA VENUS A LA FOURRURE



 オープニング、嵐の中を揺れる街路樹が不安を、しかし音楽がどこかユーモラスさを



漂わせる。 この感じ、『おとなのけんか』と雰囲気が似ているなぁと思えば、監督が



同じ人だしどちらも戯曲の映画化である。 様式美にしたいとか?



 が、とりあえずあたしの目的はダメ男全開っぽいマチュー・アマルリックなのである。



 ちなみに、しばらく前からあたしは「マチュー・アマルリックと三上博史は、演技的な



アプローチとかいろいろ、似てる気がする」と言い続けているのだが、この映画の



予告編ナレーションは三上博史だった! 最初見たときは驚きつつも、ものすごく盛り



上がりましたが(日本語吹替版つくるなら是非彼にやってもらいたい)、この二人は似て



いる説は結構定着してるのか!? あたしの発見ではなかったのか!? そんな複雑な



思いが交錯していたりなんかして。



   その悦びを、あなたはまだ知らない。



 そこは演劇『毛皮のヴィーナス』のオーディション会場である小さな劇場。 脚本家で



演出家でもあるトマ(マチュー・アマルリック)は、若いが頭が空っぽの女優しか来ない、



ヒロインにふさわしい教養あふれる女優をよこしてくれ!、と電話に向かってグチっている。



そこへ、「オーディション、もう終わっちゃった?」とびしょぬれ姿でガムを噛みつつ現れた



無名の女優ワンダ(エマニュエル・セニエ)。 くしくも舞台のヒロインと同じ名前だが、



見るからに粗野な態度のワンダにトマはげんなり、「オーディションはもう終わった」と



追い返そうとするが、少しだけでもやってよ、脅したりすかしたり泣いたりするワンダに



押し切られ、しぶしぶオーディションをすることに・・・という話。



   こんな感じで来られたら、ちょっとひくかな。



 トマがどれだけ実績のある演出家なのかわからないのだが、とりあえずプライドは高くて



なかなか不遜な態度。 ワンダもまたそれに負けない図々しさで、フランス人の個人主義が



垣間見られて面白い。 が、粗暴で教養のない女と見ていたワンダが台本をぼろぼろに



なるまで読みこみ、主人公ワンダをもしかして自分以上に理解しているかも、と感じた瞬間



トマの態度は一変。 あー、見た目は無教養そうなのに実は賢い、というタイプの女性が



フランスではとてももてると聞いたことがあるような。



 演出家よりもヒロインを深く知るワンダに、相手役として芝居を続けていくうちに現実と



虚構の境目が曖昧となっていく・・・というのは新鮮さのない展開だけれども、なにしろ



それをやっているのがマチュー・アマルリックなので、トマの倒錯した性的志向があらわに



なっていく過程にとにかくニヤリなのだ(となれば、台詞の中で語られる定義でいえば、



あたしはSということになる)。



   この微妙な変態感(?)、似合ってます。



 緩急自由自在に言葉を繰り出すワンダにどんどん翻弄されていき、自分の弱さ・ダメさを



受け入れていくトマを演じるマチューの演技が自然だから、会話ゲームになりがちの台詞



劇に奇妙な説得力が生まれ、「結局、男ってこんなもんよね」という一般化すらしてしまい



そうになる。 しかしそれも、ワンダを演じるエマニュエル・セニエのくるくると変わる表情・



佇まいなどのせい。 売れてないのに態度の悪い、大した美人でもない女優と思わせて



おきながら、衣装に着替えて台詞を言うと突然貴婦人然となり、あるシーンでははっとする



ほどの美人に、そうかと思えばかたくなな態度で平然とトマを見下す。 『潜水服は蝶の



夢を見る』
で共演している二人ですが、全然違うよ〜、と改めて驚く。



   トマ、あっさり、下僕。



 しかもあとからチラシの裏をよく見たら、エマニュエル・セニエってロマン・ポランスキーの



実際の妻だというではないか!



 え、ポランスキーって80歳ぐらいじゃないの? エマニュエル・セニエはどうみても50歳に



なってないよ!



 そうか・・・これは美しく教養にあふれる妻に捧げる監督のラブレターなわけだ。 となれば



トマは監督の分身というわけで・・・ここまで赤裸々に自分を卑下することで女性を賛美する



映画を堂々とつくってしまえるのもまた、80歳という年齢のなせる技?



 「何故なら、ワンダは女神だからだよ」、という言葉が監督から返ってきそうだ。



 そもそも、ワンダの名前はオーディションリストには載ってなかったし、限られた関係者に



しか渡っていないはずの台本を持っていたし、トマの婚約者やプライベートのことをよく



知っていたし(婚約者の友人だ、みたいな台詞もあったけど、事実かどうか証拠はない)。



 <神、彼に罪を下して一人の女の手に与え給う>というマゾッホの小説の冒頭部分、



ユディト書から引用されたこの言葉が、この映画のすべて。



 自分の屈折した欲望のためだけに芝居をつくろうとしたトマを、美の女神ヴィーナスが



罰しに現れた、ということかもしれない。 なにしろこの女神は筋金入りのフェミニストで、



ときには悪魔に変貌するからね。



   もはや片足だけで相手を支配。



 でもこれ、トマ役がマチューじゃなかったら、あたしはついていけたかな?



 彼の演技力とあたしが彼のこと好きだから集中して見られたし、だからリアルに感じられた



けど、ワンダの謎を追及するよりはトマの変貌の方に映画的にはより重心を置いた方が



いいはずで、そのへんの描写はもっとあってもよかったかも。 でもそれを見越しての



マチューの起用なら、ポランスキー、さすがです(一説には若き日のポランスキーの容貌と



今のマチューの雰囲気が似ている、とも言われているようだが)。



 エンディングロールでは、ヴィーナスを描いた古典的名画が次々と映し出される。 男は



罰せられ、まったく理解できないけれど女性を賛美せずにはいられない存在なのだ、



みたいな意味合い?



 ヨーロッパ人のそういう感覚を理解するには、あたしはまだまだ修行が足りない・・・。



 ちなみにエンディングロールではプラダ・グッチ・エルメスなどヨーロッパのハイブランドの



名前がずらり。 ワンダの毛皮に見立てた毛糸のマフラーも、最初に持ってたずたぼろっ



ぽく見えたバッグも、SMっぽさを演出するためのレザーの服も、全部ブランド品(多分



オーダー?)なんだろうな・・・そのあたりも、フランス映画って感じで贅沢です(正確には



フランス・ポーランド合作だけど)。


posted by かしこん at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホビット 決戦のゆくえ/THE HOBBIT:THE BATTLE OF THE



 あぁ、これも切れた。 “THE HOBBIT:THE BATTLE OF THE FIVE ARMIES”



 ついに来ました、『ホビット』三部作最終章



 一時は公開が来年春とも言われていましたが、2作目が世界最遅公開となってしまった



日本にピーター・ジャクソン監督がお詫びとして「3作目は日本最速公開にすること」と



指示を出してくれたらしく、年内の公開が実現。 だったら年内に見ないとね!、と疲れた



身体に鞭打って(まだこの頃は仕事納め前だった)、約145分の冒険の旅へ。



 もうこのシリーズは冷静に映画として鑑賞・評価できないので(なにしろ『ロード・オブ・



ザ・リング』三部作
はあたしの“体験”なので)、いろいろと心の中で叫びながら観ていた、



ということはお伝えしておきます。 多分、実際に声は出ていないとは思うんだけれど。



 念のため、WOWOWで『ホビット:竜に奪われた王国』が放送されたのでそれを観て



から行ったのだけれど・・・復習しておいてよかった。 ほんとにその続きからこの映画は



始まります。 前振りとか一切ないから。



   かけがえのない、仲間たちがいた――。



 いやー、バルド(ルーク・エバンス)のかっこいいこと! 『ドラキュラZERO』のときより



こっちの方がずっとかっこいい。 このシリーズに出演している男性陣全般に言えること



なんだけれど、アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンを筆頭に、「他の映画で見るのと



イメージも外見も違いすぎる!」というのが多い。 オーランド・ブルームもレゴラス以上に



ハンサムに映っている作品はどこにもないし、リー・ペイスなんかあたしは結構付き合い(?)



長いのに、森のエルフ・スランドゥイル王が彼だとしばらく気づかなかったし。 トーリン



(リチャード・アーミティッジ)が『イントゥ・ザ・ストーム』のお父さんだと知っているのに



全然結びつかない。 これがメイクの力なのか(女性陣にあまり違和感がないのは、



彼女たちは常々メイクをしているからであろう)。



   絵になる二人。

         今作でようやくレゴラスの冷たさがちょっとやわらぐ。



 とはいえ、これまでさんざん手こずらされていた竜のスマウグとの戦いがオープニング



扱いというのにびっくり。 そして出てきた原題“THE BATTLE OF THE FIVE ARMIES”に



困惑。 5つの軍隊って・・・ドワーフでしょ、エルフでしょ、人間に、オーク・・・あとひとつは、



なに? もしかしてサウロンもカウントされてるの?(オークの兵隊が二種類だからかしら)



 そんなわけで、怒濤の展開を繰り広げるスクリーンにくぎづけ。



 オークにとらえられたガンダルフ(イアン・マッケラン)を助けに現れるガラドリエル(ケイト・



ブランシェット)やエルロンド(ヒューゴ・ウィーヴィング)に「遅いよ!」と本気でいきどおり、



「(サウロンのことは)あとは任せろ」というサルマン(クリストファー・リー)に、「あー、だから



60年後、あんなことになっちゃうのね」と哀しくなり・・・そう、三作目はこれまでよりもずっと



はるかに様々な断片が『ロード・オブ・ザ・リング』三部作につながるような構成になって



いて(ガラドリエルさまも11個の指輪についてさらりと語るし)、また『指輪』三部作を観たく



なってしまって大変困る。



   レゴラスの父・スランドゥイル王の真実を

     知れば、これまでの彼の冷酷な態度もなんだか許せてしまう不思議。



 『ホビット:思いがけない冒険』があんなに牧歌的だったから、まさかこの三部作の旅の



仲間の誰かが命を落とすなんて思わなかった(『ホビット:竜に奪われた王国』がシリアス



寄りになったので危険な感じはしていたが)。



 なので<一つの指輪>のせいでダークサイドに寄りつつあったはずのビルボ・バギンズ



(マーティン・フリーマン)が元通りの素朴さで最後の戦いを乗り切ったことに違和感を覚え



つつも、彼までが生来の天真爛漫さを失っていたらこの映画の救いをどこに求めていいか



わからないよね、と納得。 マーティン・フリーマンがあまりにもはまり役なため、60年後の



ビルボ(イアン・ホルム)の変貌が残念すぎる(外見ではなく、“指輪”にとりつかれてしまう



ことが)。 むしろマーティン・フリーマンのビルボは甥であるフロド・バギンズ(イライジャ・



ウッド)につながっていると思いたい。



   だって彼の心配事は、竜の呪いで

               黄金にとりつかれてしまったトーリンのことだもの。



 しかしガンダルフよ、この段階でわかっていたなら60年後のサウロンの完全復活前に



何か手が打てたんじゃないの・・・とつい思ってしまったり。



 けれど145分は思っていたよりもはるかに短かった。 ディレクターズ・カット版は例に



よって3時間越えなのだろうか。



 「あーあ、終わっちゃったよ〜」という気持ちはあれど、今作のラストシーンは『ロード・



オブ・ザ・リング:旅の仲間』
とクロスする場面。 このあとはまた『指輪』三部作



つながっていくんだ、と思うと寂しさはあまりない(『王の帰還』のときの喪失感に比べれば



ずっと軽い)。 ただ、『ゆきて帰りし物語』という最初からあったサブタイトルは、結局



使われることはなかったんだな、というのはなんだか寂しかった。



 とはいえ、『ロード・オブ・ザ・リング:旅の仲間』から約12年、全ての作品をリアル



タイムで映画館で見られた幸運はあり、やはりこのシリーズは大事な体験だったのだな、



と改めて思う次第。 でもガンダルフの活躍が足りなかったような気がして・・・そういう



不満はちょっとあるかも。


posted by かしこん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月30日

おやすみなさいを言いたくて/A THOUSAND TIMES GOOD NIGH



 あぁ、一文字足りなかった! 原題は“A THOUSAND TIMES GOOD NIGHT”



 ジュリエット・ビノシュが主演だから、と短絡的にフランス映画だと思い込んでいた。



実体は、ノルウェー・アイルランド・スウェーデンの合作(だからもうひとつ、“TUSEN



GANGER GOD NATT”
という原題もある)。 しかも微笑ましいポスター上部写真と



タイトルから、母と娘の映画なのかと思ったら(テーマのひとつは確かにそうなんだ



けれど)母の職業は戦場カメラマン。 いろんな意味でイメージを裏切る、残酷描写は



避けているけれど実際はかなり壮絶な内容の映画だった・・・しばらく言葉を失う感じで。



   愛する家族か 使命ある仕事か 彼女が選ぶのは――



 世界中の雑誌社などと契約し、世界中の紛争地域を飛び回る報道写真家のレベッカ



(ジュリエット・ビノシュ)は夫で海洋学者のマーカス(ニコライ・コスター=ワルドー)と



ふたりの娘ステフ(ローリン・キャニー)とリサ(アドリアナ・クラマー・カーティス)の理解に



支えられていると思っていた。 しかしカブールを取材中に自爆テロに巻き込まれてしまい、



大怪我をしてドバイ経由で自宅のあるアイルランドに帰りつき、出かけてしまったら生きて



戻ってくるのかわからないという不安に押しつぶされそうになっている家族の姿を知る。



レベッカは家族のためにこの仕事をやめようと決意するものの・・・という話。



 冒頭から、ジュリエット・ビノシュほぼすっぴんではないか、というさらし具合に加え、



自爆テロに巻き込まれての怪我&汚れ具合がものすごく、いきなり女優魂を見せつけ



られて(その自爆テロに至る過程も儀式化されててすごいのだけど)、がっちりと観客と



して首根っこを掴まれてしまった。



 確かに、待つ側のつらさはわかる。 けれどこの映画の特殊性は戦場カメラマンが



女性で、しかも母親だということ。 これが男性・父親ならよくある話というか、ここまで



責められたり本人が葛藤しなきゃいけないか?、と思うと、やはり男女差別と言って



しまってはあれだけれども、家庭内での女性の役割というものは現代でもどの国でも



結局同じなのだなぁ、と思わされてつらい(しかし仕事の面においては彼女の仕事は



大変高く評価されており、そこに男女差別的なものはない。 むしろ女性だから入り



込める部分が報道写真家としてのレベッカの強みでもある)。



   だから帰ってきたときには

          家族との時間を大切にしたいけど。



 が、特殊性はそれだけではなく、彼女もまたアドレナリン・ジャンキー:紛争地に身を置く



という状況や使命やら興奮やらがないまぜになって仕事から離れられないカメラマンの



ひとりでもある、ということ。 ただの仕事と家庭の両立なんてものじゃない、命かかってる



から!



 しかしそこで長女のステフがいい年頃(15歳くらい?)なので、母の仕事を理解しようと



試みてしまうんだな。 そこで理解し合えそうになるのに、やはり仕事にとりつかれている



自分が顔を出す。



 「辞め方の分からないことを、始めてしまったのよ」



 本来、そういう天職が見つかることはかなりの幸運であるはずなのに。



 マーカスはレベッカよりいささか年下の印象だが、相手がジュリエット・ビノシュならば



若い夫でもなんか納得。



   娘たちに伝染する不安。



 けれどいちばんの衝撃はラストシーンにあった。



 再びカメラを持ったレベッカがその場にいたのに、<撮る気すら起こらない被写体>の



存在。 世界に現実を伝えたいという使命を見失わせるほどのもの。



 もしやこの姿を描きたくて、今までの流れがあった?



 「いくらおやすみなさいを言ってもたりない」ほどの子供への想いが、どう表現されるの



かは人それぞれ・国や文化でそれぞれ違うのだろうけれど・・・だからってこのラストは



ないだろう!



 彼女同様、あたしも気持ち的には立ちつくし、どう感情を整理したらいいかわからない



ままエンディング。 思い返しても心は穏やかではない。 すごい映画だ、これは。


posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

紙の月



 原作は未読。 しかし、銀行のお金を横領する宮沢りえの先輩銀行員の役が小林



聡美って、絶対『すいか』へのオマージュだよね!、と予告を見て思ってました。



 これも『八日目の蟬』と同様、NHKのドラマと映画の企画がかぶった作品。 角田



光代は、やはり読んでおくべきなのだろうか(なんとなく怖くて手が出せてないのですが)。



   もっとも美しい横領犯

      真っ当な人生を歩んでいたはずの主婦が起こした、巨額横領事件。

      彼女は何を手に入れ、何を手放したのか――。



 1994年の日本はバブルがはじけて間もない頃。 それでもまだ余波を引きずっている



人たちもいる時代。 しっかり働き、周囲への気配りを忘れない態度が認められ、銀行で



パートから契約社員に昇格し、外回りの顧客営業を任されるようになった梅澤梨花(宮沢



りえ)は、初日に大口の契約を取り付け、一気に上司らから信頼と期待を得る。 しかし



家に戻れば、超一流商社にでも勤めているらしき夫(田辺誠一)の無自覚なモラ夫ぶりに



傷つけられ、しかし夫には自分の言動が無神経であるという意識がないので梨花はいつも



いいかけた言葉を飲み込むような生活。 他人から見ればうらやましがられる暮らしなの



だろうし、あの夫だって人によっては「優しくていい旦那さんね」と言われかねないだけに、



梨花の孤独はどんどん深まる。



 ある日、顧客の孫である大学生の光太(池松壮亮)と駅の改札口で偶然に出会い、一気に



不倫関係に。 彼との付き合いで何かのタガが外れてしまったように彼女は、窓口業務の



相川さん(大島優子)の無責任発言に反発しながらも結局は背中を押されるように、金銭



感覚が狂ったまま銀行のお金に手をつけ、とどまるところを知らなくなる。



   相川さんは多分、梨花の中の悪魔の声の

     具現化。 大島優子、女優としてふっきれた感があるなぁ!



 冒頭から、梨花の少女時代と思しき映像がところどころで挿入される。 カトリック修道院



系の学校に通っていたのだろう、「他者に善行を施す」ということに異様なまでにこだわり、



そこに自らのアイデンティティを見出してしまったような彼女。 だからこそのちの彼女が



あるのだと、それをこれまで振り払えなかった彼女だからこそこんなことをしてしまった



のだという理由づけにはなっていますが・・・少女期のすりこみって怖い。



 銀行の先輩・隅さん(小林聡美)の髪型がかたくななまでにおかっぱなのは、そこに



シスターの姿を投影させているのだろう。 隅さんが常に梨花に警告を発し、最終的には



彼女を追い詰めるのだから。 いやー、小林聡美の底力を見せつけられましたよ。



   となれば隅さんは、梨花の心の中の

      天使の具現化か。 『桐島、部活やめるってよ』の群像劇とは打って変わって、

      登場人物のすべては梨花を輝かせるために存在するかのような描かれ方。



 「ありがち」という言葉がところどころで繰り返される。



 梨花にとっては人生をかけた大きな決断だけど、他人から見たら「若い男に貢ぐために



銀行からお金を横領するなんて、ありがちな話」なのだ・・・。 だから、二人が関係にのめり



込むきっかけも、夫との不和のきっかけも、ありがちな話だから潔いほどに描かれない。



追い込まれた梨花の間違った方向の努力もまた同様(ここはディテールを描くとコメディに



なってしまうからかな。 さわりだけの描写でも笑えたけど)。



   池松くん、『MOZU』のときよりちょっと

     若い印象か。 どっちにしろ身体張る役でがんばってるなぁ。



 “一見、ごく普通の主婦”がこんなにも深い虚無を抱えているなんて。



 となれば、街ですれ違う人々の中にも、仕事場などでよく知っているような気になって



いる人にも、似たようなものを抱えている人はいるのかもしれない。 はっきりした自覚は



なくとも、もしかしたら自分も・・・そんなふうに思わせるこの映画、女性側にフォーカスして



いるけど実は『ゴーン・ガール』と同じものを描いているのかもしれないですね。



 ラストシーンは全力疾走のところで終わってほしかったような・・・それでもあのラストを



描かねばならないのは、彼女がまだ少女時代のことに囚われているから、もしかしたら



あのシーンが彼女自身の解放のために必要だった、ということなのかもしれない。



 紙の月−Paper Moonは「ニセモノ・ありえないこと」と「信じ続ければ叶うこと」みたいな



意味があったように記憶しているけれど・・・この場合、一万円札自体も指していると思う。



紙幣もまたただの紙切れ−通貨本位制度という“信頼”の上に成り立っているものに



過ぎないから。 人間の・個人の足元の、なんともろいことか。



 宮沢りえ、主演女優賞とか獲っちゃうんだろうなぁ、という気がしますが、あたしは小林



聡美の助演女優賞も期待しています。


posted by かしこん at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

ゴーン・ガール/GONE GIRL



 上映終了時間23:10とあるのを見て、「え、デヴィッド・フィンチャー、あれを100分



そこそこでまとめたの!? すごすぎる!」と感嘆してから自分の誤解に気づく。



スタートは20:30だったのだ!(21:30で計算してました)。 となると意外に長いな、



と感じてしまうのは何故かしら。



 原作はすでに読んでいるためもうネタ割れはしている。 あとはそれをデヴィッド・



フィンチャーがいかに描くか、というのがあたしの観たいところでございます。



   本当に大切なものはいつも失って初めてわかる



 ニューヨークでライターの仕事をしていたニック(ベン・アフレック)とパズル作家の



エイミー(ロザムンド・パイク)は運命的な出会いをして誰もがうらやむような結婚生活を



送っていたが、不況により仕事がなくなり、二人はニックの実家があるミズーリ州の町に



引っ越してきた。 結婚5周年の記念日、ニックが朝の散歩から戻ってくると、リビングの



ガラステーブルが割られ、キッチンの床には大量の血痕を拭き取ったらしき痕跡があり、



エイミーの姿はどこにもない。 警察は事件と失踪の両面から捜査を開始するが、



エイミーの日記が見つかったことで“誠実で優しい夫・ニック”の姿が歪みだし、事件は



全米が注目するところとなり、次第にニックは“妻殺しの疑惑の夫”と見なされ、追い



こまれていくが・・・という話。



   妻の捜索を呼び掛けるシーンで笑顔を

    見せてしまうニックの理由をそうしたか・・・あえてニックの内面に踏み込まない

    もどかしさが、観客をニックかエイミーかどっちの側にもつけないように、という

    監督の作戦なのかもしれない。



 クレジットによれば原作者のギリアン・フリンが脚本も執筆。 そのへん、ハリウッド



すごいな!、といつも思う。 日本では原作者が映画の脚本を書いて成功する例は



あまり見たことがないので(例自体も少ないけど)。 今回も原作には詳細に描かれて



いたニックとエイミーの金銭事情(リーマンショックの影響で失業するとか、エイミーの



両親はベストセラー作家ではあるが最近落ち目で、エイミーの信託財産を親に渡して



しまったが故に二人の生活が困窮する、など)については必要最小限。 その分、



夫から見た妻・妻から見た夫という<永遠の謎>のほうにより深く踏み込んでいると



いうか、それが脚本家としての判断なのか監督の意向を受けてかどうかはわからない



けど、そのおかげで“特別な二人”の身に起こる出来事ではなくて、まぁきっかけは



ともかく、どんなカップルにも(それは異性間だけではなく同性間にも)程度にもよるが



起こりうる出来事である、というある種の普遍性を持つことになり、スリラーであると



同時にホラーになってるぞ!、と相変わらずのデヴィッド・フィンチャーの腕の冴えに



わくわくしてしまう。 やっぱり得意なジャンルって、あるものよね。



   またの名を“アメイジング・エイミー”。



 ベン・アフレックのダメ男っぷりは想定内ですが、すごいのはとにかくロザムンド・パイク。



 「こんなに美人だったっけ?!」と最近何本か映画で見ていますが、あらためて驚愕



『アウトロー』はなんだったのか・・・)。 “完璧な妻・エイミー”でありながら、たとえば



<プリンを食べる>という行為ひとつで一気に幼児的後退をするような、つまりただの



<ぶーたれた子供>になってしまったり。 表情どころじゃなく性格までも変わってるん



じゃないか、と一瞬で思わせられてしまうそのすごさ。 デヴィッド・フィンチャーって実は



女優を育てる才能もあったのか!?(『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラも



そうだったし)。



 是非アカデミー賞にノミネートを!(カテゴリーが主演か助演かわかりませんが)。



 そう、トータルとしてはサスペンス・ホラーテイストなのにところどころコメディが仕込んで



あって、あらすじだけ言うとトンデモ話になってしまうこの物語に適度なリアリティと、



「他人事だと思って見てるだろうけど、でも自分はどうなの?」といういじわるな問いかけが



残される・・・『セブン』とは種類の違う後味の悪さをそっと差し出されるように。



 原作ではいまひとつ中途半端な存在に思えたニックの双子の妹が、この映画では



ある程度しっかり描かれていたので、原作と映画は別物とはいえあたしは満足しました。



 やっぱりデヴィッド・フィンチャーにはハイスピードなサスペンスが似合います。



 でも『ドラゴン・タトゥーの女』の続編のことも忘れないでね!



 あのままじゃリスベットがかわいそうだよ・・・。


posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インターステラー/INTERSTELLAR



 クリストファー・ノーランの新作がこんなに早く日本で観られるなんてね、といそいそして



行った。 監督の名で観客を呼べる数少ないタイプだと思っていたのだが・・・意外にも、



観客はそう多くなかった。 彼の作品の中でも<父と娘の愛>みたいにわかりやすい



テーマを掲げたもの自体、珍しいのに(一般受けしそうなのに)。



 それとも原因はSFか?、SFなのか!



   必ず、帰ってくる。

                 それは宇宙を超えた父娘の約束――。



 近未来、地球では年々環境汚染が進み、収穫できる農作物にも限りが出てきた。 大地は



常に砂嵐の危険と汚染にさらされ、人間たちは未来の姿を描けなくなってきた。 遠からぬ



未来に、地球は・人類は滅ぶのだろうと薄々感じ始めていたとき、元エンジニアで現在は



農夫のクーパー(マシュー・マコノヒー)の家である異変が起こる。 それを愛娘マーフ



(マッケンジー・フォイ)が信号メッセージととらえて、示す座標にふたりで向かえば、そこ



には地下に潜ったNASAが。 クーパーはかつて宇宙計画時代最後の優秀なパイロット



であり、人類移住計画を考えるブラント教授(マイケル・ケイン)に「人類が適応できる惑星を



探してきてほしい」と頼まれるが・・・という話。



 前半は少しずつ確実に滅びへの道をカウントダウンしている地球、後半は宇宙、という



強引な展開でありながら、その強引さをあまり感じさせないのは、ひとえにマシュー・マコノ



ヒーの説得力というか、地に足のついた感覚が物語の真ん中にいつもあるから、かもしれ



ない。 「なんでだよ!」と観客の気持ちを代弁してくれているからね。



 それにしても相変わらずの映像美で。



   辿りついてみたら、絶望的なほど氷の惑星。



 特にワームホールを映像化しちゃったことはびっくり!



 宇宙を描くとなると『2001年宇宙の旅』は避けて通れないのか、いろんなところに



オマージュが見え隠れ。 ただ絶対的に違うのはHALのようなコンピューターは出てこず、



むしろ見かけはレトロなロボットたちがやたら人間の感情を理解しているように感じられる



ところ。 だから科学技術への警鐘というよりも、どんな時代であっても人間の本質は



あやうい、という方向になっている。 あと、「決してあきらめない」みたいなフロンティア



精神というのか・・・そのへん、日本人ならあきらめてしまうというか、運命として受け入れ



そうな気がするので・・・。



 あとはウラシマ理論的時間の流れ問題。 SFネタ的には無理がある強引設定も結構



あるんだけど・・・そこは絶対唯一神がいることを是とする人たちの世界観だからってこと



で目をつむらねばならないだろうし、そうしておかないと物語が成立しないから知らない



振りをしておくことが得策です(あらさがししてたらロマンなくなっちゃうし!)。



 ハンス・ジマーの音楽は今回は重低音を多用していて、3DでもIMAXでもない普通の



映画館で観たのだけれど、宇宙船が大気圏突入していくときのような状態ではこっちの



座席も振動で揺れるほど。 意図しない疑似体験には、ちょっとはっとさせられました。



 それにしても豪華キャストで・・・マイケル・ケインはレギュラーだから絶対何かの役で



出ることはわかっていたけど、まさかこの人が!、みたいなびっくりもあり。



   小さな子どもたちはいつしか

       ジェシカ・チャステインとケイシー・アフレックに成長。



 アン・ハサウェイも出ていて、『ダークナイト』シリーズキャストだし、クリストファー・



ノーラン作品だからどんな端役でも出たい、というのが役者さんたちの気持ちなのかしら。



予想もしていなかった「こんな人が!」のサプライズ出演があります。



 結局、愛は地球(人類)を救う、という話に見えてしまうのが悲しい。



 きっと、もっと深遠な話だよね!


posted by かしこん at 05:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月28日

フューリー/Fury



 オープニングから、『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』をなんらかの



形で越えてやろう、という意気込みをひしひしと感じた。 なんだろう、この感じ。



 デヴィッド・エアーって・・・『サボタージュ』の監督の? 一体、何が違うの? 脚本?、



予算?、撮影監督? 共通するのは徹底した残酷描写ありというところであろうか。



   1945年4月――

        たった5人で、300人のドイツ軍に挑んだ男たち。



 第二次世界大戦末期のドイツ。 総攻撃を仕掛ける連合軍と、あくまで戦いを続ける



ドイツ軍。 アメリカ軍には“フューリー”と名付けられた「出撃しても必ず帰ってくる」という



伝説的シャーマンM4戦車があり、ウォーダディー(ブラッド・ピット)が率いていた。



とはいえ乗員も常に無傷ではいられず、一人が死んだところに二週間の訓練を受けた



だけの新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)が加わることになる・・・という話。



 1945年4月と言われて「あぁ、もう末期だね」と思えるのは後世の人間だから。 その



当時を生きる人々にとっては戦争がいつ終わるかなんてわからない、永遠に続くのかも



しれない、とさえ思えただろう。 いくらやっつけても次々出てくるなんて、まさに絶望の光景。



あぁ、やっぱり戦争ってダメだよね・・・としみじみ思ってしまうのである。



 でもこの映画のいいところは、あからさまに連合軍−アメリカ軍の肩を持っていないところ。



アメリカ兵だってドイツの民間人にひどいことしてるし、ドイツ兵にも(指揮をとっているのは



ナチスだが)「祖国を守れ!」という心の叫びがある。



   戦車同士のバトルシーンって、初めて見たかも。



 ドイツのティーガー戦車って当時では世界最高の技術でつくられた最強の戦車と言われて



いるようですね(プラモ界で有名なタイガー戦車と同じもの?)。 この戦車たちのレトロ感、



すごいなー、と感心していたら、現存する本物の戦車を博物館から借りてきて撮影に使って



いたらしい! ディティールへの愛を感じます。



   しかし戦争への愛はない。

        非常時のさなかに見え隠れする“人間らしさ”への愛はあるけど。



 男どもの集まりは、粗野で下品でやかましい。 戦場という状況から仕方ないのかも



しれないが、軍人たちはみなどこかイカレている(イカレ度合いが個々に違うだけである)。



 戦場では、人はあっけなく命を落とす。



 そこに感情の入る隙間などない。



 映画館では後方から叫び声・泣き声などいろいろ聞こえてきたのだが、そういう人たちの



リアクションにむしろあたしはびっくりした。



 戦争はむなしい。 特に人海戦術中心の場合は尚更(最終的にどんな戦いもそうなって



しまうのだろうけれど)。 人とゴミの違いはそこにはないから。 ただ、むなしさだけが残る。



 あぁ、あたしはそういう境地に辿り着いてしまったのか、誰かに感情移入することもなく。



 ブラッド・ピットは今回の演技でかなり称賛を浴びているようですが、あたしにはなんとなく



いつものブラッド・ピットにしか見えなかった・・・むしろローガン・ラーマンはいつも繊細と



いうスタートラインから、目つきで無垢か邪悪かのどちらかに踏み出すパターンが多かったの



だけれど、今回はそのどちらでもなく(繊細さは神経質さに振り分けられていたけれど)、



両方が混ざった<頭でっかちで、自己保身に満ちた普通の若者>になっていて、成長を



感じてしまいました。 マイケル・ペーニャさんは相変わらずの安定感で(そういえば『エンド



・オブ・ウォッチ』
にもメインで出ていた。 監督のお気に入りか?)、シャイア・ラブーフは



ハリウッドから干されかけたのがこたえたのか、ブラッド・ピットには勝てないと思ったのか、



サブの役割をしっかりとこなして好印象。



 アカデミー賞最有力かどうかはわかりませんが、タンク・ムービーとして映画史上に



残してやろうという意気込みは、買った。


posted by かしこん at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月27日

昨日は、6冊。

 休みに入って早々、体調を崩す。 おかげで初日は寝込みまくり。
 目が覚めたら外が明るくないって・・・なんだかかなしい。
 で、昨日、仕事帰りに買っていた本ですが・・・やっと封を開ける感じで。

  ロジパラ201523.jpeg ロジックパラダイス 2・3月号
 あれから結局買い続けてしまっているこのシリーズ。 隔月刊ですが、解き終わらないうちに次の号が出るよ・・・でもやり始めてしまうと他に何も手に着かないほど集中してやってしまうので、自分としてはこれくらいでいいのかも。

  あさひごはん1.jpeg あさひごはん 1/小池田マヤ
 作者はそのときどきの興味を作品に反映させるのかな? 最近、料理メインの話が続いている感じがします。

  スパイは泳ぎ続ける.jpeg スパイは泳ぎ続ける/ヨアキム・サンデル
 スパイものって進んで読んできたジャンルではないので、若干二の足を踏みがちなところがありまして。 なのでこれもちょっとどうするか悩んでいたんですが・・・結局スウェーデン物だから、というのに押し切られ。
 それに、ミステリとして昔ほど<スパイ小説>というジャンルは独特ではないというか、ヴァランダー警部シリーズ2作目『リガの犬たち』もスパイ小説と言えないこともないわけで・・・読んでみないと、面白いかどうかの判断はできないから!

  凍氷.jpg 凍氷/ジェイムズ・トンプソン
 『極夜−カーモス』に続くカラ・ヴァーラシリーズ・第2作目ですが、図書館に予約しているのだけれどなかなか来ないのです。 そのうちに3作目『白の迷路』が発売されてしまい、おまけに作者急逝の知らせ!
 4作目は未邦訳ですが、どっちにしろこのシリーズ、4作しかないのか・・・と落ち込み、だったら揃えちゃってもいいよな、と思いました。

  白の迷路.jpeg 白の迷路/ジェイムズ・トンプソン
 コピーによれば、北欧ミステリから北欧ノワールへと変貌を遂げているようです。
 そのへんも作者がアメリカ人ぽいというか、でもその要素は一作目からほの見えていたような気がするんですけど(主人公が抱える痛みはマイクル・コナリーばりだし)。

  カーモス極夜.jpg 極夜−カーモス/ジェイムズ・トンプソン
 確認・再読と、将来的に誰かに貸すことも考えて、一作目も購入。 売ってて(品切れになってなくて)よかった。
 でもこういうことをしているから、あたしの部屋は本であふれる・・・。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月26日

仕事納め

 12月26日は、今年の仕事納めでございました。
 例年よりも早いため、「ほんとにこれで大丈夫なのだろうか? 年内にやるべき仕事、全部終わったよね?」とちょっとハラハラ。 平日だったからクリスマス気分も今年はいつも以上になかったし。
 今日、お会いできない方にはメールで挨拶をして、帰りがけに仕事場にいる人には直接挨拶をして。 とりあえず休み中に体調を崩さないようにお互い指さし確認(1月にちょっとめんどい感じの仕事が待ち構えているため)。
 ま、多分、大丈夫でしょう。
 急ぎじゃない仕事はまた来年!
 とりあえず明日の朝は、目ざましかけないでいるぞ!

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月25日

ジャージー・ボーイズ@サントラ



 今年はもうCDは買わないかな〜、と思ったけど、気になっていた一枚が。



 映画『ジャージー・ボーイズ』のサウンドトラック。



 映画で使われた曲、全部入ってるんだろうな!、と日本盤のスリップを見たら、映画で



フランキー・ヴァリを演じていたジョン・ロイド・ヤングと、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・



シーズンズの名前が混ざっている。 えっ、映画(もしくはミュージカル)版と、本物の



人たちの曲が両方入っているの?



   輸入盤もありましたが、そうなったら

            解説がないとお手上げなので日本盤を購入。



 しかも解説を書いているのは萩原健太ですよ。 信用できそうです。



 で、聴いてみるのだが・・・なんか、映画のときとちょっと違う気がする・・・記憶で美化



されたかしら。 でも明らかにアレンジが違う曲もあるし、映画のメンバーとオリジナル



メンバーが一曲の中で共演(?)したりもしてるし。



 ただ、本物のザ・フォー・シーズンズを聴いたのが初めてなので・・・多分、時代的には



オリジナル音源はモノラルなのかもしれないけれど、フランキー・ヴァリの伸びのある



高音は今聴いてもなかなかの衝撃。



 そりゃ、当時センセーションを巻き起こしただろうな〜。



 でも4人揃ったコーラスワークとハーモニーも素晴らしい。



 ・・・売れてしまって身を持ち崩す、という悲劇が、今後繰り返されないことを祈りたくなる。



 まだ2回しか通して聴いていませんが、こういうオールディーズな雰囲気もよいなぁ、と



しみじみ。



 でも、映画のままで収録してほしかった部分も・・・ジレンマです。


posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | Music! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月24日

残りあと、3冊。



 そんなわけで、他に買った本があと3冊。



   おかあさんとごいっしょ 1/逢坂みえこ



 久々の少女マンガコミックスフォーマット。 でも内容は、世間的にはいい大人と



思われている女性たちが、いかに“母親”という存在に苦悩しているか・・・という少女



マンガには重たすぎる内容。 でもそれを笑いでくるんで救いを持たせる感じにする



のがさすが。 でもこの先はどうなるんだろ・・・ドキドキ。



   天冥の標 [ ジャイアント・アークPART2

                      /小川一水




 第8部、パート1から始まったので「また3冊とか?!」と思ったけれど2冊目で終わり



とのこと。 次は第9部になります。 全10部完結予定なので、終わりが見えてきました!



 しかし、相変わらずひっぱる帯の言葉にぐさぐさ。



 次刊第9部のサブタイトルは『ヒトであるヒトとないヒトと』だそうなので・・・あぁ、なんか



怖いよう。



   凍える街/アンネ・ホルト



 ノルウェーのベストセラーシリーズの邦訳。 スウェーデンはある程度掘りつくされて



しまったのだろうか? 主人公が女性捜査官というのは最近珍しくないですが、同性の



パートナーと暮らす、という設定は新鮮というか、北欧でそういう関係はどう扱われて



いるのだろう、と気になる。 差別はそんなになさそうな気もするんだけど、そうでもない



のかなぁ。


posted by かしこん at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

神は死んだのか/GOD'S NOT DEAD



 誰ひとり有名俳優が出ているわけでもないのに公開されるなんて、よほど内容が



すごいんだろうか、と思ってしまったあたしが間違ってました。



 「神の存在を証明できるのか」をめぐる知的興奮エンターテイメント、という予告にも



微妙にだまされた感が・・・。



   無神論者の教授VS大学生

             果たして、彼は神の存在を証明出来るのか――。



 新たな希望を抱いて大学に入学したジョシュ(シェーン・ハーパー)は、履修届を



提出した際、彼が首から十字架をさげていることに気づいた人物に「この哲学クラスは



やめておいたほうがいいぞ」と忠告を受けるも、今から日程調整をする時間はないからと



そのまま提出。 そのラディソン教授(ケヴィン・ソーボ)の哲学の講義の初日、自ら



無神論者を公言する教授は<GOD IS DEAD>と書いて署名した紙を提出せよと



学生たちに言う。 それは、提出しない者には単位をやらないというひそかな強制で、



学生たちは紙に次々とサインをしていくが、ジョシュだけはどうしてもできない。



 ならば、と教授は条件を出す。 講義の終わりに時間をやるから、この教室中の



学生の前で神が存在することを証明しろ、と。



 <神の存在を証明しようとする>という試み自体は興味深いものだし、そのあたりは



あたし自身も惹かれる内容なのだが・・・なにしろこの映画におけるラディソン教授を



筆頭とした無神論者の描かれ方がひどすぎる。 仮にも教授と呼ばれる者が学生に



八つ当たりかよ!、というほど神を忌み嫌っている様は、絶対幼少時の反動に違いない。



というか、あまりにもおとなげがなさすぎる。



 それ故に神を一途に信じるジョシュのけなげさが際立ち、「神を信じる者こそいい人、



信じない者は人間的に問題あり」と見えてしまい・・・キリスト教のプロパガンダ映画か!、



と言われても仕方がない内容になってしまっている。



 アメリカで上映する分には問題ないかもしれないけど、キリスト教徒は人口の1%ほど・



基本的に多神教を許容する姿勢の日本人にとっては大変つらいと言わざるを得ないです。



   ムスリムの一族の女子学生も登場するが、

    父親がベールや厳格な戒律を強制するも、キャンパスに入ってしまえば彼女は

    ベールをとり、“普通の学生”になる。



 そんな彼女も親に隠れて聖書についての講話(?)をi-podか何かで聞いていたり



・・・まるで進歩的な考えをしているのはキリスト教に触れたから、みたいな。



 肝心の<神の存在は証明出来るのか>のディベートも、偉人と呼ばれる人たちの



言っていることが正しいと仮定して、での借りてきた台詞の応酬。 あんまり内容が



深くないんですけど・・・それは、あたしが<絶対唯一神否定派>の立場で見ている



からですかね?



 そんなわけであまり心を動かされず・・・もっと深いつっこみを期待したのに。



 ただ衝撃だったのは、“クリスチャン・ロック”という音楽のジャンルですかね(存在は



知ってはいたけど、こんなに巨大なマーケットを持ってるかまでは思い至らなかったので)。



 あたし個人の結論としては、「一神教はめんどくさいなぁ」ということでした。 信じている



方々には申し訳ないですが。


posted by かしこん at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

忘年会という名の女子会



 昨日は今の職場で、所属は違えども同じフロアで働いている気の合うメンバーで、



忘年会という名の女子会に行ってまいりました。 酒豪が二人いて、そのうちの一人が



幹事さんなので、女子会なのに飲み放題つきという・・・アルコールが体質に合わない



あたしは絶対モトが取れません(その分、酒豪お二人が飲んでくれるわけですが)。



 かんぱーい!、のあと、まぁお局様がいなくなり、ほんとにフロアの雰囲気よくなった



よね、という合意が取れるも・・・その問題の奥に隠れて見えにくくなっていた他の部分が



クローズアップされ、そっちにイライラするよね、的な話に。



 結局、完璧な職場や人間関係などありはしないのです。



 それでも、それに耐えられるか否か、という基準は大きいわけで。 こうしてたまに



「そうだよね〜」と共感し合ってグチという名の事実確認をして、仲間たちの絆が深まれば、



それはそれでいいじゃない?!



 しかし、女子会だったのにほとんど恋バナが出ない私たち・・・どんだけ仕事に情熱を



傾けてる?



 そしてとても食べすぎました・・・でも何でおなかがいっぱいになったのかよくわからない。


posted by かしこん at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

ワタシの川原泉V/川原泉傑作集



 「はい〜?」、と右京さんばりに声をあげたくなった。



 ちょっと待て、第3弾が出るなんて聞いてない(しかも帯裏には来月、第4弾が出ることが



告知)。 TとUを買ったとき、「あれもない、これもない、読みたい〜!」となって文庫を



結構揃えてしまったあたしの立場は!



   まぁ、でも、マンガはサイズが大きいほうがうれしいよね。



 表紙からわかる人はおわかりでしょうが今回の目玉は『銀のロマンティック・・・わはは』



であります。 連載時のカラー表紙再録! 他に、『大地の貴族−9月はなごんでいる』



『カレーの王子さま』『Intolerance・・・―あるいは暮林教授の逆説』収録。



 なんかもう、ずるいとしか言いようがない。



 ちなみに、来月出るWには『甲子園の空に笑え!』『殿様は空のお城に住んでいる』



『ミソ・スープは哲学する』『空色の革命』『アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を



見るか?』
が収録予定だそうである。 初期の短編はページ数合わせの感があるものの・・・



だったら何故最初から、4巻まで出します!、と言ってくれない!



 ・・・と、文句を言いつつも、結局買ってしまうのだからあたしはもう負けている。



 そして『銀のロマンティック・・・わはは』を読み・・・もう何十回と読んでいるのに、先日も



Uが出たあと手元の文庫版で読んでいるにもかかわらず、結構がんばってたのに、ラスト



シーン近くで結局泣いてしまった(“そして 音楽が消え エッジが止まる”あたりで)・・・



なんなんだこれは、刷り込まれか?



 引き続き『大地の貴族』、<第一次産業シリーズ>(コミックス版『美貌の果実』収録)の



中では『美貌の果実』『愚者の楽園』のインパクトに押されてしまうところがあるものの、



これだけ単体で読むと・・・白牛バースとサラブレッドのフォンタナ・ゴールドとの日常会話



(というか友情?)にこんなにしみじみとなごむとは。



 あぁ、また編集の妙というか、順番入れ替え作戦にやられてしまった!



 多分来月、Wも買うであろう・・・。


posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする