2014年11月08日

悪童日記/A NAGY FUZET

 原作の『悪童日記』を読んだのはもう15・6年前であろうか(もっと?)。 小学校からの友達にゃーみみさんが「すっごい面白いよ!」と貸してくれたのがきっかけである(その頃、世間的にはすでにベストセラーだったかもしれない)。 一気読みした彼女と同様あたしも一気読みし、三部作全部読んで、しばし魂を抜かれた。 世の中に<映像化不可能>と言われる作品は多々あるが、この三部作こそがその筆頭ではないのか。
 それを映画化って、大丈夫なのか!
 心配半分、でも見届けたい気持ちも半分。
 監督がアゴタ・クリストフ本人と交流があった人物と聞いて、下手なものはつくらないだろうと確信する。 でもあたしの記憶の中では勝手にポーランドに置き換わっていたんだけど、実際はハンガリーでした。 ハンガリー語の映画、新鮮。

  悪童日記P.jpg 僕らは書き記す。 この眼に映る、真実だけを。

 <大きな町>に住んでいた一家だが、戦争の気配が近づき双子の“僕ら”は、母親に連れられ<小さな町>の祖母に預けられる。 祖母は<魔女>と呼ばれており、“僕ら”を<牝犬の子>と呼んで「働かざる者食うべからず」と日々厳しい労働を課す。 そして戦争によって影響を受けていく<小さな町>の姿を自分たちの状況と重ね合わせるかのように、“僕ら”は起こった出来事を克明に、事実のみを記すことを決めた日記を書きはじめる。
 原題“A NAGY FUZET”『大きな帳面』の意。 だから『悪童日記』というタイトルは内容を踏まえたかなり大胆な意訳である、みたいなことを翻訳者・堀茂樹氏があとがきで書いていた記憶がある。 “僕ら”ははじめから悪童というわけではなく、生きていくために必要な力を手に入れていったら、結果的に<悪童>と呼ばれるのかもしれないようになった、という話、というか。

  悪童日記1.jpg “僕ら”を演じたアンドラーシュ・ギーマーントとラースロー・ギーマーントの、ほんとの双子の役者が素晴らしい。

 なかなか美少年、でもどんどん薄汚れていっても衰えない、むしろ強くなる眼光の鋭さ。 容易く感情を現わさない表情、何者にも取り込まれないかたくなさと、自分たちが感じ取った道徳を唯一のよりどころにするあやうい純粋さ。 すごい難しい役だと思うんだけど、そこはやはり双子である強さなのか、一歩間違うと荒唐無稽になる部分にも説得力を添えてくる。
 映像化不可能と思っていたのは三部作を読んでいたからで(原作は二作目が一作目を、三作目が二作目をひっくり返す内容だったから)、あえて一作目『悪童日記』だけにしぼって忠実にやれば映画化できるのだ、とこれを見て気づかされました。
 特に彼らの日記の表現は、映画だからこそできる部分。
 東欧っぽいくすんだ空気感(特に冬の寒さ)を映し撮ったカメラも素敵。
 原作はもっと残酷だったりひどい内容があったような気がするが、映画ではそのあたりは直接的には描かず、けれど間接的に想像がつくように。 受け取るあたしの年齢が変わったせいもあるかもしれないけれど、映画のほうがちょっとマイルドな表現になっているような感じがする。 でも描かれている重みは、同じなのだろうけれど。
 あぁ、思っていた以上に完成度が高かったよ!
 無理だとわかっているけれど、この双子で『ふたりの証拠』も映画にしてくれないかな!
 そしてもう一度、原作の三部作を読み返したくなったあたしなのだった。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする