原作は未読。 “文学上の事件”と呼ばれた衝撃作とのことですが・・・すみません、知りませんでした(1978年発表だそうで、そりゃ覚えているはずがない)。 最近(でもないが)でいうとしたら、『蹴りたい背中』と『蛇とピアス』が芥川賞を同時授賞したときみたいな感じ?(もはや比較対象が正しいのかすらさえあやしい)
「君が好きな訳じゃない。 ただ女の躰に興味があっただけなんだ」と言い放つ先輩・洋(池松壮亮)に、かつてから抱いていた淡い恋心が明確な恋に変化してしまった主人公・恵美子(市川由衣)の、後悔のないほど見返りを求めない愛に殉じたある時期と、そこからの自立を描いた作品、とでも言ったらいいのでしょうか。
二人は高校の新聞部の先輩後輩なのだが、この二人が住むのは地方の海辺の町。
しかし、散歩していて堤防に辿り着くまで“海辺の町”であることに全然気付かなかった! あたしはわりと海が近いところに住んでいたので、風や雲や空や、何かで海が近いことを感じさせるものに気づけると思っていたのでショックを受けた・・・まぁ、低予算映画なのでロケが難しいとか物理的な理由があるような気がするが、だったらせめてさりげなく台詞などに込めてほしかった。 はっきりと海が出てきて、『海を感じる時』ではあまりに直接的すぎる。 文学ってそういうもんじゃないでしょ、的な。
内容としては・・・主人公の行動をどこまで理解できるか、理解は無理でも共感できるか、理解も共感もできなくても「あぁ、そういうことってあるかもね」と見る側が感じられるのかどうかにかかっている(そうでなければ、主人公はただのイタイ女か都合がいいだけの女になってしまう)。
あたしはなんというか・・・「好き」って先に言った(もしくは自覚した)ほうが恋愛においては負けなんだな、ということを改めて実感(「恋愛は勝ち負けではない」と言い切れる人は、もはやそれだけで勝者といえよう)。
彼女は恋情を告白した。 彼がいかにつれなくしようと、追いかけ続けた。
見返りは求めず、ただ彼の求めに応じ続けた。
それって、片想いと同じようなもので、つらいけど実は楽なのです。 ただその分、自分の中でどんどん「愛とは何か」的疑問が膨らみ、思考が先走る。
しかし彼は男なので、そして自分から好きになったわけではない(と思っている)ので、その関係性がとても楽に感じられて、次第に彼女への思いを自覚し始める。 でもその頃には、彼女と彼の間では思いの種類や深さが相当違ってしまっているのですよ。
女は思い詰めすぎ、男は深く考えなさすぎ、とよく言われたりするが、これもまたそういう話だったといえるのかも。 中上健次の『軽蔑』にも通じるテーマですかね。 というか、男と女の永遠のすれ違い、というのは世界中の文学の主要のテーマの一つなのでしょう。
彼女は覚悟を決めて、この愛に殉じることにした。 しかし彼の思いはそこまで研ぎすまされているの? 私に匹敵するほど私を思っているの? これまでのつれない態度をチャラにしてのんきに先に進むつもり?、というような理不尽感が彼女の全身からあふれてくる終盤は、まさに若さ故の傷つきやすさや繊細さ・不器用さのあらわれで、見返りを求めないと心に決めていても、その潔さに自分の価値を見出したいと思っていても、わずかな期待は残ってしまう。 あーあ、相手を許すこと・受け入れることを学べば、幸せになれたかもしれないのに。 でも、幸せってなんなんだろう。 好きな彼と形だけでもつきあっていたというのに、後半は同棲もしていたというのに、彼女は全然幸せそうじゃなかった。 むしろ自分自身でかけてしまった呪縛にずっととらわれて、彼の変化に気付かなかった(認めたくなかった)ようにも見えた。
純粋な片想いを、終わらせたくなかったのかもしれない。 それは自分にとって、特別なものだから。
そんな風に思えるほど、恋愛感情に疎いあたしでですらもトシをとった、ということなのかもしれません。 多分、高校生のときにこの原作を読んでいたら、すごく腹が立っていたかもしれないし。 でもそれも含めて、70年代の空気、なのかも。 今はいろんな意味で恋愛はかなり自由になったように思えるけれど、昔ながらの固定観念もまだまだ幅を利かせているから、2014年にこの作品を問いかける意味があると思ったのかも。
あぁ、なんか、「かも」ばっかりだわ。
多分、ラストシーンは冬の海を想定していたんだと思う。
しかしスクリーンに映る空は夏だった。 彼女がキャミソール姿で海に足を浸しても、気持ちよさそうにしか見えない。 寒さや冷たさに耐えて目を覚まし、新しい道を歩き出す彼女の決意表明には見えない。 あぁ、最低限そういうところに予算を回さなきゃいけないなぁ、と思わされた(あたしは映画をつくる予定はありませんが)。
低予算映画でがんばっている方々は、もって他山の石としてください。
高校生から20代半ばくらいまでを演じた市川由衣の気合いはとても感じました(ある時期から顔が変わっていたからね)。 池松君もカラダ張った役が続いていますな。
70年代という時代にこだわった美術などはがんばっていたと思いますが、こだわりが明らかに見えるが故に、あの頃にこんな大輪のガーベラが普通のお花屋さんに売っているかな?、など細かいところが気になってしまいました。
やはり純文学を映画にするのは、難しいと思う。
とりあえず原作を読んでみようか、と図書館を検索すれば、結構な予約者がいた・・・原作を読ませよう、という意図からは、この映画は成功といえるのかもしれない。 でも映画単品としては・・・描ききれないものが多すぎるなぁ、という印象。 ま、この映画をきっかけにあたしはいろいろなことに思いを馳せたりしてしまいましたけど。