2014年08月29日

開かれた記憶

 仕事場にて。 お昼休憩のときに携帯を開いたら(二つ折りのガラケーなもんで)、自動で流れるニュースが<武富士放火殺人事件、死刑執行>の文字が飛び込んできた。
 ・・・あぁ、と思ってしまった。
 13年前の事件当時、あたしは実家に住んでいて、同じ県内で起きた大事件の報道と、「県内すべての世帯に警察が聞きこみに来るらしいよ」という噂があったり、実際それに近いローラー作戦があったり、その後犯人が逮捕された時の騒動(勿論全国ニュースにもなっていたが、地元の報道はまたちょっと違うものだ)などの記憶が一気によみがえってきたから。
 マドレーヌの香りをかがずとも、ひとつのきっかけがあれば記憶の蓋はいつでも開く。
 その強烈さは、自分でも驚くほどだった。
 地元の事件とは、それくらい印象が強いものなのだ(まぁ、そのときの自分の年齢や、地方だから大事件が多くないということも関係しているが。 神戸に来てからは関西圏まとめての事件が多すぎて、ほんとに近距離でないと衝撃を覚えなくなっているような気がする)。
 だけど、今回の報道で何度も再審請求をしていたと知って驚いた。 これは冤罪パターンではないはず・・・情状酌量目当てだったのか。
 そして死刑が執行されるたびに日弁連の出す抗議声明に違和感。
 「世界では死刑のない国のほうが多い」って理由は、「多数決が正義」といっているのと同義だと気づかないのだろうか。 「みんながそう言っているから、力のある人がそう言っているからそうなんだろう」という考え方が冤罪を生んでいることと背反しないのか。
 あぁ、世の中はよくわからない。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする