2014年08月09日

複製された男/Enemy

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作というだけであたしの中では“見たい度100%”だが、ジェイク・ギレンホールが2役ともなれば更に期待が高まる。
 『灼熱の魂』『プリズナーズ』のようなまた例によって緊張感あふれるしっかりしたミステリなんだろうな!、というわくわく感は、原作がノーベル文学賞受賞作家ジョゼ・サラマーゴという点で若干の不安はあったのだが、気づかない振りをした。 それくらい、ドゥニ・ヴィルヌーヴという監督への期待値は高い。

  複製された男.jpg 脳力が試される、究極の心理ミステリー
    あなたは、一度で見抜けるか――

 カナダ・トロントにある大学で歴史の教鞭をとるアダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)は、同僚に示唆された映画のDVDを見て、そこに自分そっくりの男が映っていることに気づく。 それが役者のアンソニー・クレア(ジェイク・ギレンホール)だとネットで調べたアダムは、アンソニーに会いたいと何かにとりつかれたように行動し、ついにアンソニーと接触する。
 <カオスとは未解読の秩序である>という言葉から始まるこの映画は、これまでの2作品と比べると驚くほどパーソナルというか、狭い世界での個人的な物語に収斂している。 登場人物も少ないし、2役という制約がなければ舞台でもできそう。
 謎めいた台詞、不思議なカット、全体的に不穏な雰囲気、現実なのか夢なのか存在する映画の中のシーンなのかあえて区別しない幻惑感。 ラストに向けて急激に物語は展開するも、それまでは一定のムードで、当人たちにとっては深刻な問題なんだろうけど、その深刻さはこっちにはうまく伝わらない。 これって意外に、男だから・女だから、かしら?
 映画を見て自分にそっくりな人が映っていたとして、あたしならそこまで追いかけるか?、という部分がいちばんひっかかったかなぁ(多分あたしなら、その人の出演する作品を探して見ることはするかもしれないけど、会いに行こうとはほとんど思わないだろう)。 直接会いに行ってしまうところに、アダムの“こんなはずではなかった今の自分”といった現実への不満(恋人(メラニー・ロラン)ともうまくいってるんだかいってないかだし)が見てとれ、それが“男としての自信のなさ”みたいなものにつながっている気がする。

  複製された男01.jpg 右:アンソニー、左:アダム
 それに対してアンソニーのほうは、俳優という仕事は順調ではないにしろ、身重で美人の妻(サラ・ガトン)がいて、裏のあやしい(?)仕事で稼いでそうだし、やけに男としての自信にあふれているように見える(だからカットが変わって説明がなくとも見ただけでアダムなのかアンソニーなのかわかるのである。 腕を上げたな、ジェイク・ギレンホール!)。 見た目はそっくりなのに中身はまったく違うのもポイントだ。
 『プリズナーズ』で仕事を一緒にしたから引き続きこの映画でも起用されたのかと思っていたら、本国での制作順はこっちの映画のほうが先! そうか、こっちで培った信頼感が、『プリズナーズ』でのジェイクの新しい面につながったのか。 そう思うと役者と監督の関係ってすごく大事。 また、役者の特性を活かせる役を与えられるかどうか、というのも。
 結局真相は観客にゆだねられてしまっているので、あたしにも解釈案はあるが・・・これは見た人次第なので話していいのかどうなのか(要は『ファイト・クラブ』だよね!的な)。
 見た人同士で「あれはなんだったの?」と盛り上がるのが楽しそう。 多分、男の人はすごく苦悩してるんだろうなぁ。 でもそれを女の人は勘であっさり見抜いちゃうんだろうなぁ。
 実は、本質は結構単純かも。
 『複製された男』というタイトルは原作の題名(日本でも邦訳出版済み)をそのまま使ったものだけど、映画のタイトルはそもそも『ENEMY』だもんね・・・。
 あぁ、『灼熱の魂』でも<1+1=1>の公式が使われていたなぁ。
 全体的に黄色くかすむような映像。 まるで街全体が黄砂で覆われているような。
 ドゥニ・ヴィルヌーヴ独特の緊張感は少々ゆるめだが(今回は息ができないくらいの苦しさはなし)、でももう一回見たいかも・・・という中毒性はある。
 エンディングで急に明るめの音楽が流れ、はっと夢から覚めたみたいに感じた。
 そう、たちの悪い悪夢から。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする