2014年04月15日

盤上の夜/宮内悠介

 はっはっはっはっは、読んでしまったじゃないか。
 ジャーナリストである“わたし”による、囲碁・チェッカー・麻雀・チャトランガ(古代チェス)・将棋という盤上で行われる5つのゲームと、そのゲームにまつわる人間のエピソード集と思いきや、いつしか世界の果てをも描きだしてしまう連作短編集でした。

  盤上の夜1.jpg それは「ゲームとは何か」という問いかけから始まる。

 表題作『盤上の夜』は第1回創元SF短編賞・山田正紀賞受賞作。 だから最初は連作にする意識はなかったのかも。 それくらい主に語られる女性棋士の設定はぶっ飛んでいる。
 でもそれを淡々と書きつづる姿勢と、これが書かれたのは結構先の未来なのだろうと感じさせる雰囲気、それでいてハードSFではないというポイントにしびれる。 え、これ、直木賞候補なの? 芥川賞でもいいんじゃないの?
 『人間の王』は連作にすることを意識して、“わたし”のジャーナリスト性を強調しつつ<完全解が見つかってしまった対戦ゲーム>について語られる。 実は、対談相手はその人ではないのだが、“その人”についてぐんぐん浮かび上がるすごさがあり。 多分この本の中でいちばんわかりやすい作品ではないかと。
 あ、ちなみにあたしはボードゲームをほとんどしませんのでルールはわかりません。 それでも問題なく、この本を読めました。
 『清められた卓』は麻雀が題材。 多分、ルールがわかっていたらもっと面白いんだろうけど、わからなくても心理戦の駆け引きはとても面白い。 将棋や碁と違い運に左右される麻雀というゲームは賭博性もありいろんな意味でイメージがよくない部分もあるが、そんなイメージも綺麗にひっくり返し(勿論、心理戦の過程では人間のドロドロしたところもしっかり描写されますが)、そしてラストでも思いもしない方向にひっくり返されてしまった。
 次の『象を飛ばした王子』はちょっと異色で、“わたし”が直接会って話をした相手ではなく資料から掘り起こした話をまとめたものになる。 <ゲームの誕生>について語りつつ、<人間とは何か>に踏み込む。 ゲームを作ったのが人間ならば、ゲームを解くことで人間の真理に辿り着けるのか、更に人間を超えることができるのかという欲望の存在に気づかされた。
 だから人はゲームに夢中になるのだろうか?
 ゲームに手を出さない人は、その果てには身を滅ぼすしかなくなることを無意識のうちに感じ取っているからなのか。
 あたしがいちばんどよめいたのはその次の『千年の虚空』だった(明らかにこれに影響を受けたっぽい夢まで見てしまった)。 これは将棋を扱いつつ<ゲームを殺すゲーム>という存在についての言及。 悪夢のようでいて、どこかイノセンスすら漂う感じにすっかりやられちゃいました。
 最後の『原爆の局』は再び囲碁で、『盤上の夜』の登場人物たちのその後(『清められた卓』の登場人物の一人もゲスト出演)を描くことで連作感がさらに強まって。
 狭い盤に向き合いながら世界と対峙し、それで世界を変えようとする人々の壮大さと、そんな天才たちに近づきたいと願いながらも決して同じ景色は見られないとわかっている凡人代表の“わたし”の哀しさにも胸がつまったり。 それでも、その場に立ち会えた幸運をかみしめることはできるのかもしれない。 それに凡人には<伝える>という役割があるしね。
 だからあたしは読者として、“わたし”の気持ちを共有した。
 本を閉じるとき、ふう、と息をはいてしまう。
 なんかすごいものを読んじゃったよ、な気持ち。
 大長編じゃなくて、短編集でこんなことされてしまうと手も足も出ない・・・。

ラベル:SF 国内文学
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする