2013年12月31日

鑑定士と顔のない依頼人/LA MIGLIORE OFFERTA

 イタリア映画ですが、『THE BEST OFFER』という英題がついた方のプリントで見ました。  ジュゼッペ・トルナトーレ監督・脚本、エンニオ・モリコーネ音楽、主演はジェフリー・ラッシュで美術品にまつわるミステリー。 そう知ったら見ずにはいられようか! そして世間ではジュゼッペ・トルナトーレといえば『ニュー・シネマ・パラダイス』なのだろうけれど、あたしには『題名のない子守歌』のほうが評価は上! ミステリーと銘打っているからには最期まで解けない謎がさぞ散らばされているのだろう、という期待もあって。

  鑑定士と顔のない依頼人P.jpg ある日、舞い込んだ、ある屋敷の美術品鑑定依頼。
   待ち受けていたのは、壁の向こうから姿を現さない女――。 トルナトーレが仕掛ける極上のミステリー。

 天才的な審美眼で世界でもトップレベルにいる美術鑑定士でありオークショニアのヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)だが、プライベートでは極度の潔癖症で人間嫌い。 絵画の美しい女性に囲まれる時間を憩いにしているという、映画開始数分で観客の誰もに「こいつ、イヤなやつ!」と思わせるタイプ。 そんな彼は当然携帯電話も持たないし事務所の電話も当然出ない。 しかし、「誕生日に鳴った最初の電話はいい知らせ」ということわざ(?)のため部下に薦められてたまたま出た電話で、若い女性から資産家であった両親が遺した屋敷中の美術品を査定してほしいという依頼を受ける。
 あっさり断ろうとするものの「掘り出し物があるかもしれない」という下心が働き、とりあえずそのヴィラを訪ねてみることに。 しかし見事にすっぽかされ、ヴァージルは怒り心頭! その後も口実をつけては依頼人は姿を現さないのだった。

  鑑定士と顔のない依頼人8.jpg これがそのヴィラ。 外見は古びているが。
 しかしこれ以上書くとネタばれになりそうだよ・・・いや、ミステリーと宣伝してしまっている段階でかなりのネタバレなんですけど(まぁ、コピーでここまでは書いてあるし)。
 とりあえずあやしい人がたくさん登場するんですよね・・・特にドナルド・サザーランドとジム・スタージェス。 で、ヴァージルもすぐ人を疑って癇癪を爆発させるんだけど、それが誤解とわかったり何か事情があったと知ればすぐ謝罪してまた信じる。 ヴァージル、どこか甘いんだよ! しかし、それは彼の人間嫌いの裏には他の人を信じたい・自分も受け入れてほしいという欲望が隠れているからなんですけど。

  鑑定士と顔のない依頼人9.jpg “覗き見”というモチーフはトルナトーレ作品によく登場するよなぁ。
 そしてストーリーはあたしの予測通りに進む。 こうなってほしくはないんだがなぁ・・・、という方向に。 それでも引きつけられて見てしまうのは、ひとえにジェフリー・ラッシュがうますぎるのと、「愛が芸術なら贋作もあり得るのか。 贋作の中にも美しいものはある。 偽りの中にも真実がある」という言葉のせい。
 冒頭でイヤなやつと思わせられたヴァージルが姿を見せない依頼人のために奔走するうちに、いつしか自分より優先するものができていく過程を見せられて変わっていく様子を見ていっているあたしは、次第にヴァージルに対して同情の念でいっぱいになってしまったのだった。 多分これ、監督の思う壺よね。

  鑑定士と顔のない依頼人0.jpg 絶対カギを握ってる顔だよなぁ。
 ラストの10分ほどは細切れのカットの積み重ねで、時間軸がわからないようになっている。
 だから見る人によってそれは究極のバッドエンドにも映るだろう。
 でもあたしは違うと思う。 自分が決める“美”という基準にがんじがらめになっていたヴァージルは、これまで積み上げてきたものを失ってしまったけれど、でも“彼の美”という呪縛からは自由になって、自分が予想もしなかった美しさを感じられるようになった。
 だからハッピーエンドなのだと、あのラストシーンは希望に続いているのだと思いたい。
 一般的に、男性は度し難いロマンティストだと言われるが、あたしもまたそんな人々にちょっと理解を示すほどにはロマンティストであるらしい(でも基本的にロマンティストの個人差の枠は大きいですけどね)。
 リピーター割引実施中ですが、そしてよくわからない部分はいくつかありますが(たとえば彼が選んだ指輪の台はゴールドに見えたけど、次に彼女が指にはめたカットではプラチナに変わっていたりとか。 そもそも指輪を渡すシーンもない。 本来ならば“あるべき場面”がいくつか抜けている感じもあるけど、そういう部分をこの映画は説明する気なさそうなので)、ストーリーはほぼ補完できたし謎は謎のままでいい部分もあるし、次はWOWOW放送でもう一回観たいかな〜。
 これは謎を解くミステリーじゃない、むしろ進んで騙されたい映画。
 もしくは、人生こそがミステリーという、美しさには陶酔と苦痛と悲嘆も混ざっているという、そんなひとつの真実。
 あぁ、素晴らしかった。

 これにて、今年のあたしの観た映画は終了。
 例年に比べて数は少なかったけど、満足度は大きい。
 今年も長い記事にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
 それでは、みなさまよいお年をお迎えください。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 20:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハンナ・アーレント/HANNAH ARENDT

 哲学は比較的好きだが、あたしの専門(?)は主にギリシア哲学。 デカルトやニーチェぐらいまでは面白いし理解もできるのだが、カントあたりからあやしくなってくる。 いわんや現代思想をや、である。 そんなわけでハンナ・アーレントに対するあたしの知識は少なく『全体主義の起源』の著者であること、師であるハイデガーと17歳のときからしばし不倫関係に陥っていたこと、ぐらいであろうか(しかもこれはハイデガー絡みの記憶だし、本によってはハンナ・アレントと書かれている)。
 現代社会を語るのに彼女の著作からの引用が普通に行われている現状から、彼女の思想が今も物議をかもしているなんて知る由もなく、全世界から非難を一身に浴びていた時期があったとは知りませんでした。 そのためか、本編始まる前に状況を説明する簡単なテロップが出ます。

  ハンナアーレントP.jpg 彼女は世界に真実を伝えた――

 1960年、ナチス親衛隊(SS)幹部でユダヤ人の強制収容所移送の責任者であったアドルフ・アイヒマンがイスラエル諜報部に逮捕されたというニュースは、ドイツ系ユダヤ人ながら現在はアメリカに亡命し、ニューヨークで暮らす著名な哲学者ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)のもとにも届く。 ハンナは<ニューヨーカー紙>に、是非彼の裁判を傍聴してレポートを書きたいと自ら売り込む。 新聞社側も「あの、ハンナ・アーレントが書きたいというのなら」と快諾。 ハンナはイスラエルに向かい、彼女が見たアイヒマンの姿・裁判の様子から思索を深めて手記を発表する。 だがそれはアイヒマンを希代の怪物として断罪したい大多数の人々の期待を裏切る、彼はただの官僚で小物にすぎないと断定したものだった。 そこから、世間の非難は一気にハンナへ向かう。
 時期の問題もあっただろう(ハンナ自身も強制収容所に送られていた時期があるのだが)、ナチスの戦争犯罪に加担した一部のユダヤ人がいたことを指摘したのも、その当時に蔓延していたであろう「ユダヤ人を非難するのはNG」という世間の空気を逆撫でしている。
 実際彼女はハイデガーの弟子時代からの研究仲間からこんな言葉を投げかけられる。
 「イスラエルへの愛は? 同胞に愛は無いのか?」
 それにハンナはこう答える。 「一つの民族を愛したことはないわ。 ユダヤ人を愛せと? 私が愛すのは友人、それが唯一の愛情よ」
 これが全体主義と個人主義の端的な違いを表しているような気がした。

  ハンナアーレント2.jpg ハンナはヘビースモーカーだが、その姿がこんなにも似合う女性はそうはいるまい、と思わせるほど。
 ハンナは基本英語で、けれど古くからの仲間とはドイツ語で、そして夫と二人きりのときはフランス語で会話する。 亡命という手段とはいえ、様々な国で暮らしてきたことも彼女の思索のベースになっているのであろう。 仮に同胞に排除されたとしても、彼女を認めてくれる友人たちはいるから(アメリカ人の作家メアリー・マッカーシーを演じるジャネット・マクティアの力強さというか頼りになり具合ときたら! 心意気に惚れるわ)。
 で、あたしにはハンナ・アーレントの主張は至極もっともに聞こえて。
 ごく普通の人が、むしろ人間的には“いい人”の部類の入りそうな人が、特殊状況下に置かれて判断停止に陥り、命令されるままにどれほど残酷なことも良心の痛みを感じることなくやってしまう・・・というのは日本のオウム真理教事件を例に出すまでもなく今や自明の理である。 だからナチ党員だからといってすべてが生まれながらの悪ではないとした“悪の凡庸さ”という言葉でアイヒマンを説明する。 そしてその要素は私たち誰の心の中にもあり、それに対抗するためには思索を続けることしかない、と結ぶ。
 まことにごもっともでございます。
 けれど、彼女は傍聴しての感想を発表しただけなのにこんなに責められることに納得がいかない。 裁判官がそのような判決を下したのなら「被害者の立場になれ!」という叫びが出るのはわかる。 哲学者が裁判を題材に哲学的思索を深めて何が悪いのか?
 ――あー、これって現代におけるネットでの度重なる炎上とか、個人的な鬱憤晴らしのために伝言板に書きなぐられる形だけの民族主義の利用とも繋がっているのね・・・考えることをやめるな、判断停止になるな、というメッセージなわけですね。
 ハンナの主張は胸に迫るし、大学での学生たちを前にしての8分間のスピーチは確かに素晴らしい。 けれど、ハンナ・アーレントという一人の人生を描くものと考えると少し物足りない面もなきにしもあらず。

  ハンナアーレント3.jpg ハイデガーが死の床に近づいている、と聞いて駆けつける。 お洒落しているのが女心。
 ハイデガーは確かに哲学界の巨人・現代思想の祖とも言える人物だが、ナチに入党していた過去があり、映画で描かれたこの時代、ハイデガーをよく思っている者は直接の弟子でも少ない。 ハイデガー自身もナチ党員という過去を明確に定義づけたり謝罪したりなどしていない気配。 戦後、まさに師は判断停止してしまったのだ。 そのことに彼女はどう折り合いをつけたのかがあたしにはよくわからなかったよ・・・(ハイデガーのこと嫌いになったわけでもないし、彼の名誉回復のために奔走したようだし)。
 まだまだ人生の修行が足りない感じ。
 ドイツ・ルクセンブルグ・フランスの合作映画ということで・・・なんとなく見たことある方が結構いらっしゃるんだが名前がわからない。 ハンナの秘書は多分『白バラの祈り』のゾフィー・ショルだと思うんだけど。 結局英語圏の名前にいちばん聞き慣れ感があるあたしは外国語を知る上でまだまだだな、と実感。
 映画としてはスタンダードなつくり。 だから役者のみなさんの力量が光ります。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする