2013年12月04日

エンダーのゲーム【新訳版】/オースン・スコット・カード

 ぱらぱらめくってちょっと読んでしまったら、「あれ、こんな感じだったっけ?!」と自分の記憶の曖昧さにおののき、結局最後まで読んでしまいました。 敗因としては、邦訳されているシリーズ全作を読んでいるのでバトルスクールで知り合ったエンダーの仲間たちの記憶が強すぎ、もっとバトルスクールでの時間が長かったような印象があったから。
 新訳で読みやすくなりましたが、前の方が勢いがあった気が・・・それはやはりあたしが読んだ年齢によるものであろうか。 全国の中高生は読んだ方がいいぞ!

  エンダーのゲーム新訳0.jpgエンダーのゲーム新訳1.jpg この表紙は、「敵のゲートは下だ!」を表現しているのかしら。

 地球は昆虫型異星人バガーとの二度にわたる侵攻をかろうじて回避・撃退したが、まだ戦争は終わる気配はない。 バガーと地球人とはコミュニケートできず、ひたすら容赦なく人間を殺戮するので地球側も戦い続けるしかない。 その第三次攻撃のために、優秀な艦隊指揮官を育成すべく設立されたバトルスクールには地球上から選りすぐられた才能ある子供たちが集められていた。 その中でも逸材として期待を集めるのがアンドリュー(エンダー)・ウィッギンであった。 しかし大人たちからそれだけ期待されているということは彼にとっては重圧であり、同じく期待に応えたいバトルスクールの他の生徒たちにとっては嫉妬の対象であった・・・これはエンダーの、孤独と苦悩の戦いの日々の記録。
 エンダーにはピーターとヴァレンタインという兄姉がいて、どちらも優秀なのだがピーターは性格が攻撃的・残虐的すぎ、ヴァレンタインは温厚すぎという理由で、二人の性格を両方バランスよく持っているとみなされたエンダーが選ばれることになるのだが・・・彼らの両親のエピソードがあたしの記憶からすっぽりと抜け落ちていて、「こんなところあったんだ!」と驚きました。 分量的には大したことないから、そしてエンダーのその後の人生にもあまり両親のことは出てこないからかな?
 原著は1980年代半ば刊行ですが、地球上でピーターとヴァレンタインが変名で思想家として名を売っていくあたりはインターネット時代の予測になっているのはすごいのですが、やはり東西冷戦の尾は引きずられていて、アメリカ中心のIFとワルシャワ条約機構との二項対立軸になっているところは古さを禁じえない・・・イスラム教圏についての言及はわずかにあるものの、アジア全般は置き去りです。
 とはいえ、この物語の面白さの本質はそこではない。
 いわゆる“セカイ系”と呼ばれる作品群の基礎になったとも言われているけれど、集団生活におけるイジメの要素や天才の技能の引き出し方、戦争というものに対する贖罪までも描かれている点であろう。
 読みどころはエンダーがどうやって信頼できる仲間を見つけていくか、という部分なんだけど、やはり最終章があるのとないのとでは大違い。 映画はそこまで描いてくれるのであろうか! 時間足りるのか!、とより不安が強くなったじゃないか・・・。

ラベル:SF
posted by かしこん at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする