SFが好きで、ジョセフ・ゴードン=レヴィットも好きとなったら見逃すわけには
いきますまい。 それにしてもブルース・ウィリス、最近ちょっといろんなのに
出過ぎじゃないのか?

時代は2044年。 30年後の未来ではタイムマシンが発明されたが過去へ行くこと
しかできない。 そして情報管理が徹底された未来では身元不明の死体は存在できない。
そこで地下組織は殺したい相手を30年前に送り込み、事情を知ってるその時代の殺し屋
<ルーパー>に任せる、という作戦をとっている。 報酬は、ターゲットと一緒に送られて
くる金属。 その報酬をため込んで、いつかフランスに行って一旗揚げるんだと考えている
ジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、そんなルーパーのひとり。
ある日、ルーパー仲間のセス(ポール・ダノ)が真夜中に飛び込んでくる。 いつものように
標的を待っていたら、それは30年後の自分だったというのだ。 驚きのあまり引き金を
引けなかった、ターゲットを逃がしてしまった、と泣きつく姿に、ジョーはルーパー家業の
危うさを思い知らされる。 次の自分のターゲットは、30年後の自分かもしれないのだ・・・。

しかし次第に低予算さ加減が見えてくるのが切ない・・・。
というわけで前半は状況説明に費やしつつの伏線張りでいい感じにSF映画っぽさ全開
(雰囲気はちょっと『TIME/タイム』に似てます)。 そして後半からは舞台が
移動してトウモロコシ畑の中の一軒家になってからはM・ナイト・シャマラン的(『サイン』や
『ヴィレッジ』みたいな雰囲気)でもあり、少年と母親が出てくるところは『ターミネーター』
だし、結果的には『バタフライ・エフェクト』だな、と(タイムパラドックスにかかわる話だから
似てくるというか思い出すのは当然かもしれん)。
が、やはり驚きなのは、当然なのかもしれないけど未来のジョー(オールド・ジョー)に
してみれば今のジョー(ヤング・ジョー)は過去の自分なんだけど、ヤング・ジョーにして
みればオールド・ジョーは他人である、ということ。 30年後の自分だと言われても、
体験していない時間は共感できないわけだから。 自分自身ですらもそうなんだから、
若い世代と年長の世代がわかり合うのって難しいはずよね・・・(それはまた別の話)。

ブルース・ウィリスが同一人物とは無理があるのでは?
と、あたしは予告で思ったんですけど、さりげなく鏡に向かってヤング・ジョーが生え際を
気にしていたりする描写があったり、ときどきジョセフ・ゴードン=レヴィットがメイクダウン
している感じがあって(明らかに顔が違っていた)、一応そのへんの整合性は考えられて
いるのだな、と感心。 でもちょっとツメが甘い感じがあるのよね・・・エイミー・ブラントも
出ているしキャスティングに関しては問題ないのですが、なんかもう一歩新しい何かが
ほしかったよ!
とはいえ30年後のセスの末路を描くプロセスはすごかった・・・現在と未来をああやって
つなげるとは、恐れ入りました。
現在からしたら未来は見えないんだけれど、過去は確実に自分につながっていて、
現在も一刻ごとに過去になる。 となると、未来は思うほどに未来じゃないのかもしれない。
未来の自分からしたら、現在の自分は過去の一通過点でしかないのだから。
そういうことを考えてしまう・考えさせるのが、やはりSFの価値ですよ!