2013年02月03日

それこそが小説というジャンルの面白さ



 いろいろ買ったり借りたり、読みかけのまま別な本に手をつけて、その前の本をどこに



置いたかわからなくなったり、忘れた頃に見つけてまた続きを読んだり、と、あたしの



<読書>はだんだん<混沌>と同義語っぽくなってきました。



 それ故にタイミングがずれたり、意外な出会いがあったり、不思議なシンクロを楽しむ



こともできるんですけどね。



 もはやあたしにとって読書とは何なのか。



 そんなことを考えてしまったのは、ようやくこれを読み終わったからです。



   小説の聖典 漫談で読む文学入門

             /いとうせいこう×奥泉光+渡部直己




 現状に満足せず、小説というものの新しい形を常に模索する二人の会談(漫談)なので



刺激的な方向へ行ってしまうわけですが、最初の単行本が2005年なのでちょっと古い



感がある(内容が古いというよりも、二人の考えはもっと先に行ってるんだろうな、的な)。



実際、「物語(という枠組み)が苦手だから小説が書けない」とこの中でも苦悩を露呈して



いたいとう氏も3.11後の現状を前にして書かずにはいられなくなってるし、だからこの



シリーズ(?)は現在進行形で追いかけていかなければならないんじゃないかと思ったり。



いとう  「えもいわれぬ感動」っていうのは、「雑音」の多さに関係してるかもしれない。

     そのことでパターンからずれていって複雑化するような要素。

奥 泉  そのように複雑に感情を突き動かすものが、小説なんですよ。



 ほんとはもっと前から引用しないとわかりにくいんですが・・・あたしはここに、ものすごく



納得したのでありました。





 で、ちょうど同じころに読み終わったのが小説じゃなかったんですけど。



   長谷川恒男 虚空の登攀者/佐瀬稔



 この前読んだ『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』の姉妹編というか、こちらの



方が先に書かれているのですが内容はかなり重複。 で、『狼は帰らず』で森田に比べて



長谷川はかなり恵まれた境遇、みたいなイメージがあったんだけど、結果としてはどっこい



どっこいというか、結構似た者同士だったのではないか、という印象。



 二人とも近くにいたらすごくめんどそう!



 でもそれは、彼らが生まれて育った時代のせいもあるかも知れないなぁ、とこの本で



第一次ベビーブームに生まれた人々の社会的なひどい扱いを初めて知ってショックを



受けた。 小学校に入学する人数がその年からすごく多くなることが6年前からわかって



いながら全然手を打ててないお役所仕事は、ほんとにバカじゃないかと(それで、教室が



足りないから児童を午前と午後の二部制に分けたりしている)。 こういう感覚がまだ



あるから少子高齢化社会とか国民年金の破綻とか、わかっていても先延ばしにする習慣が



抜けないんですかね。



 ともかくも、学校にも社会にも馴染めず山に救いを見い出してしまう人々の姿には、



これまでにない説得力がありました。



 そして思うわけです。 ひとつのルートを越えたらまた次のルート、ひとつ難しいのを



抜けたらもっと難しいやつ、と登山家・登攀者の要求はレベルを落とすことがない。



次から次、とまるで追い立てられるように飛びついていってしまう。 彼らにとっての山は、



あたしにとっての本ではないのか、と。



 勿論、本を読んでて死ぬことはないけれど、社会生活に支障をきたしたりすることはある



(本の続きが読みたいからと付き合いを断ることもあったし、本代を削るくらいなら食費を



削ったし、徹夜で本を読んでしまい授業中に睡魔と闘うことも多々)。



 なんだろう、あたしは読書者として何かを極めようとしているのか?



 いや、そんなこと意識したことないなぁ・・・でもそれこそが、本という山にがっちり踏み



込んでいる証拠かも。


posted by かしこん at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする