2012年12月09日

ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋/W.E.



 <王冠をかけた恋>の噂は子供の頃いつの間にやら耳に入っていて、「ロマン



ティック・・・」と思っていたものだ。 が、『英国王のスピーチ』を見たとき、そのロマン



ティックなラブロマンスがかなり低俗的に描かれていて、「現実ってこんなもんか」と



がっかりしたのは記憶に新しい。



 なのに、マドンナが映画監督第二作目の題材としてこれを選び、しかも正面切って



ロマンスとして描くと知り、「微妙・・・」と思ったんだけど、なんか気になって見てしまい



ました。 まぁキャスティングがね、『英国王のスピーチ』とはランク的にもキャラ的にも



変わってしまったこともあり、つい比較してしまったりもするわけですが。



   世界を敵にまわしても、あなたえいれば、生きていける――

       20世紀最大のスキャンダルの真実、解禁。



 気になったのは、ぐるぐる落ち着きのないカメラワーク。 この目の回るような感覚が



この映画で描かれる二人の人生である、とでも言いたいのかなぁ。



 1998年、ニューヨークに住むウォリー(アビー・コーニッシュ)は結婚前に働いていた



オークション会社を訪れ、近々行われるウィンザー公爵夫妻の遺品オークションの



展示会を毎日のように見て回る。 著名な分析医の夫(リチャード・コイル)との結婚



生活には何一つ不自由はないはずなのだが、彼女の心のぽっかりと開いた穴を埋める



ように残された調度品などを見てウィンザー公爵夫妻の<ロマンス>へと思いを馳せる。



 そして1936年、英国王エドワード8世(ジェームズ・ダーシー)はアメリカ人女性の



ウォリス(アンドレア・ライズブロー)と結婚するために退位すると発表した。 <王冠を



かけた恋>の伝説はここから始まる・・・のだが、映画の冒頭でその数年後のふたりが



映される。 <ロマンスの果て>はまったくロマンティックじゃない、むしろふたりの仲は



ひどいことになってないか?、という懐疑付きで。



   こんな時代もあったのに。



 時代が変わろうとも女性の悩みや苦しみは同じ・・・ということを言いたいのか。



 現代のウォリーも本名はウォリスで、母と祖母が<世紀のロマンス>のファンだから、



ということからとった名前らしく、ウォリーが二人の歴史に引き付けられるのは無理からぬ



ことかと思うのだが、映画としては現代を描きたいのか<王冠をかけた恋>の二人を



描きたいのか比重がわからないのである。 別に現代パートなしでも映画は成立するし



・・・困ったなぁ、である。



 ただ、エドワードが我儘困ったさんなのではなく、厳しすぎる父親と母親の愛情不足



故に年上女性や人妻としか恋愛関係を結べない人物だった(しかし派手でやんちゃな



態度が国民からの絶大な人気を得ていた)とわかったのはよかったかも。 プリンス



時代は日本ともいい関係だったみたいですし。 それにしても、同じく厳しすぎる父親の



存在のせいで弟は吃音って・・・厳しさから逃れるための反動って性格が出ますね。



あ、この映画では弟は面白みのない堅物的に描かれていて、視点を変えればそう



なるんだということが面白かったです(そういう意味では『英国王のスピーチ』を見てから



こっちを見るほうが、楽しむ視点は増えるかな)。



   「王位を捨てる」と言われても・・・。

   彼女はずっと「シンプソン夫人」と呼ばれるが、名前が変わることに慣れている

  国民性からすれば侮蔑の意味なのだろうか。 最初にそう呼ばれたから名前の

  刷り込みってやつなのでは。 チャールズ皇太子のお相手のことをあたしは今でも

  カミラ夫人と言ってしまうみたいに。 ってことは英国王室、同じこと繰り返してる?



 世間から希代の悪女、とも呼ばれたウォリス。 でもさすがに王位を捨てさせることの



意味の重大性はわかっていたはずで・・・問題はそのあとどうなるか、ということを考えて



いなかった・考えていたけどここまでだと思わなかった、ということなのかしら。 王室の



人間が王室から排除されて同じような暮らしができると思ったのだろうか? 英国王室も



意地があるから財政的には支援しただろうけれど、お金だけの問題じゃないからな・・・。



 ただ恋愛映画としては致命的、と感じるのは、ウォリスとエドワード、この二人が互いに



恋に落ちる瞬間がほぼ描かれていないこと(二人の関係が周囲にばれる瞬間はしっかり



描かれているのだが)。 それとも、そういう瞬間など存在しないのか、いつの間にかで



OKなのか! そのあたりの恋愛観みたいなものが結構マドンナ自身のと共通していると



いうか、かなり反映されているのではないのか、という気がしましたよ。



 衣装や宝石、小物類はなるほど厳選されたもののようで、好きな人はそれだけでため息



モノだと思うけど、あたしはもっと物語や展開の美しさでため息をつきたかったなぁ(落ち



着かないカメラワークで頭が痛くなったけど)。



   そして1998年では。



 ウォリーの癒しとなる存在、エフゲニという名のロシア系の警備員演じるオスカー・



アイザックがいい味を出していた。 『エンジェル・ウォーズ』で敵同士(スイートピーと



ブルー)だった二人が・・・と思うとちょっと感慨深い。



 と、いろいろ文句はあるのにエンディングの『マスターピース』に思わず涙が。



 映画でやりたかったことが、この一曲に凝縮されているではないか!



 やはりマドンナは歌手なんだ!、と思ったりして。 というか、歌で表現すればいい



のでは・・・それを言ったらおしまいですね。


posted by かしこん at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする