2012年08月22日

一般人は、残酷



 トニー・スコット監督について、ハリウッド関係者からという形で続報が。



 曰く、「もう手術ができないレベルの脳腫瘍に苦しめられていた」、とのこと。



 あー・・・、と納得のいくような、なんだか納得のいかないような。



 確かに、モノをつくる人にとって自分の脳が思い通りに動かない・自分の考えて



いることなのか現実なのか、それともそうではないのかの区別もつかなくなるという



恐怖感は一般人とはまったく違うレベルで恐ろしいことは想像がつく。



 だからって橋から飛び降りることはないんじゃないの?



 だけどさ、とも思ってしまう。



 その恐怖を、混乱を、あなたはまた映画にできたんじゃないの?、とも。



 もしかしたら飛び降りたのは発作的なものだったのかもしれないけれど、まだ



「考える」ことはできてたわけじゃないですか(という前提で)。



 もうちょっとギリギリまで何かしてもらえなかったのですか?



 まぁ、それがギリギリの結果だったのかもしれないのですが・・・ついそう考えて



しまうのです。 わかっています、映画監督だけでなくアーティストのみなさん



だって人間です。 弱さに負けてしまうこともわかります。 それでも最後まで



アーティストであり続けてほしい、それは、アーティストにはなれない一般人の



切なる願いでもあるのです。



 残酷な要求であることは、わかっています。





 今の職場の友人が、昔からの友達に連れられて「『ヘルター・スケルター』を



見ちゃいましたよ」と報告してくれました。



 あたしはいつ発作を起こすかわからないめまいの持病を抱えているので(といっても



そんなに重いものではないのですが)、蜷川実花監督の原色てんこ盛りの映像が無理、



ということで自分の映画選択肢にも入れてなかったのですが(以前、『さくらん』を



WOWOWで見たのですがそれでもつらかったので)、その友人もあたしとは別の



要因で目に負担がかかると困る体質の方なので「途中から画面を正視できません



でした」とのこと。 原色てんこ盛り姿勢は変わっていないようです。



 写真一枚ならともかく、2時間近い映画をそれで全部行かれるのは・・・多分普通の



人でも疲れるのではないでしょうか。



 「で、とりあえず沢尻エリカの今後の女優人生が心配になりました!」



 確かに、これ以上の役ってある?、ってところまで行っちゃうと役者さんはどうするん



だろうって考えさせられちゃいますよね・・・。



 その後、話はジェンダー論へ飛び、「多分映画は原作どおりみたいなんですけど、



だから何?、って感じの終わりなんです」



 「原作自体が80年代?とかだから・・・ジェンダー論としても古いというか過渡期



なんじゃないですかねぇ」



 とかなんとか、ジェンダー論についてお互い思うところをぶちまかす。



 「女性差別云々ばかり言ってる人って現実はある程度追い越してるよってことに



気づいているの? それとも気づかない振りをしてるの? 確定してないいわゆる



従軍慰安婦のことに血道をあげるぐらいならアフリカのFGM廃絶に向けて運動した



方がずっと世界的女性の地位向上につながるのに」



 「そういう人って、結局根底にはコンプレックスがあるんじゃないかと睨んでるん



ですけど」



 などと、全部書くのも憚られるくらい容赦のない発言続出(お酒は飲んでいません、



仕事からの帰り道の会話です)。



 多少関係はあっても、当事者じゃなければ人はどこまでも残酷になれます。



 もしくは、当事者であっても残酷なままかもしれません(それは、“残酷”というものを



どう解釈するかにもよるかもしれません)。


posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする