2012年06月12日

コージーと、私小説



猫とキルトと死体がひとつ/リアン・スウィーニー



 猫好きの範疇を越えた“猫命”のキルト作家・ジリアンの自宅から、飼っている



三匹の家から一匹だけが盗まれた! 「たかが猫」と警察は取り合ってくれず、



ジリアンは一人で盗まれた猫を探そうと東奔西走し、ついにその猫・シラーを



見つけるが、そこには男性の死体が・・・という話。



   とにかく猫を何よりも大切に考える人たちの生態。



 気持ちはわかるんだけど・・・死体を見つけたけれどその家の中には多くの野良猫



(もしくはシラー同様どこからか盗まれたらしき猫)がいっぱいいるという事実を目の



前にしたら、ジリアンは冷静さを失う。 いわば<現場を荒らす>作業を猫たちの



ために嬉々としてやる。 元警察官のトムから「そうやってきみが何かをするたびに



証拠が損なわれるかもしれないんだぞ」と再三言われるのに、「なら、もう十分損ね



ちゃったわ」と悪びれないのにはさすがのあたしもつっこみたくなる。



 しかもジリアンは『CSI:科学捜査班』を見ているようなのである・・・ならば現場保存は



常識(というか鉄則)、正規の手続きをせずに集められた証拠は、法廷で証拠能力を



持たないのに!



 多くのコージーミステリが、法廷に提出できない証拠を振り回して「事件解決!」と



やることにちょっと辟易してきました・・・。



 まぁ、そこに目をつぶれば「猫をかけがえのない家族と考える人々の真剣さと



ちょっとした異常性」が描かれていて面白いです・・・。 犯人はすぐわかってしまい



ますが、町に住む人々と猫描写で結構分厚い。







苦役列車/西村賢太



 完全にあたしの趣味ではありませんが、仕事場の人に貸してもらったのです。



   “列車”はあくまで比喩です。



 北町貫多・19歳・中卒・人足(日雇労働者)。 そんな彼の底辺な日々はちょっと



前の芥川賞をとりましたが・・・。



 過去を振り返って書いてあるので筆致はあくまで冷静なれど、その当時の<若気の



至り>という言葉では済ましきれないどうしようもなさ・イタさみたいなものも正面から



描いていて、この著者は恥ずかしさといたたまれなさで家の周りを走り回りたくならない



んだろうか?、と感じる。 それくらい“赤裸々”という言葉では追いつかないほど自分の



どうしようもなさをさらけ出しているのに。



 それが、<私小説家として生きる>という覚悟?



 そのくせ自分を「根はスタイリスト」と2回も書く・・・ギャグですか?



 最初の3ページに少々手こずりましたが、それを過ぎたら一気でした(そう厚い本



でもないから)。 貧困が彼に小説を書かせる原動力の大きなひとつであろうが、



作家として有名になりそこそこ稼げるようになってから彼の作風がどう変化するか



心配だが期待している、的なことを解説で石原慎太郎が書いていた。



 さすがの指摘。



 するとより自意識過剰に向かうのかな〜。


posted by かしこん at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする