上映時間10分前に映画館カウンターに到着したあたしは、続々入場していく
人の流れに唖然とした。 まさか、こんなに込んでいるとは! そしてカウンターの
方に「ティン・・・『裏切りのサーカス』の次の回お願いします」と狼狽しながら
ポイントカードと1000円を差し出したのだった。 原題が定着しすぎて邦題が
思い出せなかったのです。
そして、リピーター割引のチラシを受け取る。 この半券があればいつでも二回目
1000円! しかし、“本作を解読するための重要機密!”として写真付きの人物
関係図が載っていて・・・これ結構ネタバレじゃないのか!、とあわてて全部見ない
ようにしてカバンに仕舞う。 あぶないあぶない(最近のチラシ類はわかりやすさが
最優先事項なのか、ネタバレだと自覚しないままネタバレを書いてよこすので非常に
危険である)。

この映画、監督が『ぼくのエリ』のトーマス・アルフレッドソンだということでとても
気になってました。 そしてもう、ファーストカットからその世界に引きずり込まれて、
ものすごく、うれしい! 地味すぎる! その地味さが素晴らしい!
1973年、冷戦下の英国情報部(SIS−通称サーカス)の幹部であるスマイリー
(ゲイリー・オールドマン)はブダペストでの作戦の責任を問われ、リーダーである
コントロール(ジョン・ハート)とともにサーカスを追われる。 しかし残った幹部の
中に東側のスパイ(もぐら)がいることがわかり、スマイリーにはひそかにもぐらを
探し出す指令が下る。
スマイリーが信頼できる者たちの力を借りて、彼はもぐら狩りを始めるのだが・・・。

デジタル上映だというのに、なんとなく粒子が粗めでくすんだ色彩の映像。
スマイリーは登場してしばらくは一言も話さない。 ほぼ無表情に近い顔で、しかし
その背中で何かを物語っているように。 それにじーっと見入ってしまい、「はっ、この
タイミングでオープニングクレジットか!」と驚かされ・・・最後にTINKER TAILOR
SOLDIER SPYというタイトルが横移動で消えていくことにニヤニヤする(それは
エンディングでも繰り返される)。 ほんとにこの映画を表現する言葉は<地味>しか
思いつかないのだが・・・それにこんなにもわくわく・ハラハラさせられるとは!


老けこみすぎなゲイリー・オールドマン&金髪で疲れきった顔のトム・ハーディ
あたしは地味系実力派俳優さんたちが大好きだが、この映画にもそんな方々が
盛り沢山(それは『アメイジンググレイス』ばりの充実度で、実際、あの映画にも出て
いる方々多し)。 ゲイリー・オールドマンときたら『バットマン』シリーズのゴードン
警部補のときより20歳以上は老けた感じになっているし、ジョン・ハートのあっけ
なさすぎる退場には不意を突かれたし、近頃あやしい役の多いマーク・ストロング
からはあやしさのかけらも見られないし(だから最初は誰かわからなかった)、トム・
ハーディは金髪に染めてた上に顔が疲れ切ってるからこれまた誰だかわからな
かったし、コリン・ファースは洒落者という役でサーカスの建物の中まで自転車を
乗りこなして入ってくるし、キアラン・ハインズは相変わらず何かありそうな佇まいだし、
ベネディクト・カンバーバッチ(『アメイジンググレイス』のピット首相!)は唯一の
良心的存在としてハンサム度多めだし、などなど、ってことでうれしくなってしまうの
ですが・・・映画は派手な出来事はそんなに起こらず、事実の断片を積み重ねて
全体像がわかっていくような組み立てなので(基本的には時間軸通りに出来事は
動いていくのだが、合間に回想シーンがちょくちょく入ります)、登場人物の顔の
区別がつかないでいると置いていかれるかも。 そのための人物関係表なのかなぁ
(でも関係を具体的に書いてしまっているところがいけません)。 イギリスの俳優さん
たちを結構知っていてよかった、おかげで「なんかよくわからなかったですな」という
観客よりも一歩踏み込んで映画を楽しめました。

壁の模様がわけわからない感じでちょっと怖い。
省略の美学というか、言葉としての説明は少ないけれど映像に乗せている情報量は
ものすごく多いので、それに気づけないと理解が難しいということになってしまうの
かしら・・・でもあたしはそれがすごく面白かったのですが(神は細部に宿ると言いたい
かのようなディテールの積み重ねも見事です)。 『アーティスト』よりも断然こっちの
方を作品賞に推したいですよ。 内容確認のためではなく、この世界に浸りたいが
ためにもう一回見てもいいかな、と思うくらい。

こんなファイル室からノートを一冊持ちだす方が、スリリング!
70年代のイギリスってこんな感じだったんだろうな、というリアル感。 みんな
何気なく黙って着てるけど実はものすごく仕立てのよいスーツたち(ポール・スミスが
衣装を担当)。 冷戦下のスパイの活動実態は哀しさもつきまとうけれど、GPSやら
衛星やらを今のように使っていないから逆にどこか牧歌的にも思えたりして。 でも
間違いなく、彼らは命を賭けていた。 そんな突き詰めたストイックさが退廃や耽美を
ちらほらと感じさせる映像・音楽とベストマッチ! しかしすべてをシリアス世界に
押し込めているわけではなく、ときどき妙な余裕があってそれがとてもユーモラス
だったりするのです。
で、ほとんど喋らないスマイリー、すごすぎです。 ほとんど表情を動かさずに
非情な決断をあっさり下すのに、妻に関しては露骨におろおろしてしまうという落差と
どうしようもなさ。 ゲイリー・オールドマン渾身の演技!ってわかります。
これならアカデミー主演男優賞ありかも! さらにいうならばマーク・ストロングを
助演男優賞にノミネートしたい(してほしかった)!

いい映像、いい音楽、いい俳優。 いい映画の条件が全部揃っているではないか。
もうこれ、今年のベストテンに入れます!