2012年03月10日

続・フィレンツェ連続殺人事件について

 『フィレンツェ連続殺人』、再読。
 どうも自分の中でこの事件の印象が曖昧模糊としているんだよな・・・と感じていたのですが、あらためて読んでみて、この事件自体が曖昧模糊としているのだ、ということを確認。

  フィレンツェ連続殺人.jpg 犯人は「モストロ(怪物)」と呼ばれていますが・・・。
 第一の事件とされているのは1968年の夏。 それから1974年・1981年に2回、1982年から85年までは毎年1回惨劇は起きた。 多くは夏の真夜中頃、車の中にいたカップルが惨殺されていたのである。 手掛かりは少なく、犯人は今も不明。
 一応、この本が書かれた当時は一人の農夫が犯人として公判中であったが、のちに証拠不十分で釈放されている(筆者も彼が犯人であるという気はしない的なことを書いている)。
 『切り裂きジャック』や『ゾディアック』のように犯人からのメッセージや暗号がマスコミに直接送りつけられて大騒ぎ、ということはないのだけれど、事件へのちょっとした示唆を伝える手紙・メモの存在などが犯人からの意志表示とも思えるし、被害者たちを尾行していたと思われる男の存在もあり、どうもこの事件は前述のふたつの事件と印象がダブります。 実際未解決だし、ということもあるでしょう。
 犯人は単独犯行説、複数犯行説といろいろあるようですが、いわゆるシリアルキラーならば犯行の感覚はだんだん狭まっていくはずで、そしてどんどん制御がきかなくなっていくはずなのだが(元FBI捜査官の本や『クリミナルマインド』の見過ぎ?)、“モストロ”は常に冷静であり続けていた。 いわゆる「秩序型」に分類できるのかもしれませんが・・・それにしても得体が知れな過ぎ。
 だからこそフィレンツェ市民の間で高まった“モストロ幻想”:モストロは高い教育を受けた貴族階級の人間か社会の高い層にいる人間で、ブルジョアジーであるが故の苦悩と退廃が(+母親からの抑圧が)凶行に走らせたのではないか説が有力になり、実際にある農夫が容疑者として逮捕されたときには「あんな奴がモストロなわけがない」という意見が大半だったという・・・(社会的地位が高い人物だからこそ警察もなかなか手を出せないから捕まらないのだ、という意見もあるらしいが)。
 なんか、それも怖いなぁ。

 一方、もう一冊のほうを読めば・・・。
  フィレンツェ連続殺人事件の真実.jpg まさに「母宛に書かれた手紙という形態」の、作者による妄想? 夢? この人、ちょっとおかしい人なんじゃないの?
 散文的なのは覚悟してましたが・・・「さて、いよいよ本題に入らねばなりません」までで65ページ。 その後もすぐに本題に入る気配はない・・・というか、「モストロ」という名前は出てはきますが事件について具体的に表記されている部分はなし(イタリア本国では説明不要な大事件だからか?)。 この本に『フィレンツェ連続殺人事件の真実』って副題をつけるのは詐欺に近くないですか・・・それとも、冤罪をかぶせられた人間にとっては世界が変容してしまう出来事で、体系的に事実をまとめられる立場にないのか。
 しかしこの著者、相当にマザコンというか母親をある意味神聖視しているのに対してそれ以外の女性についてはかなり悪し様に書いてくれており、読んでいて大変気分がよろしくない(彼にとって女性は性的対象もしくは自分を陥れる相手でしかないようだ)。
 母への手紙というが・・・これ、本当に著者の母親が読んでも意味がわからないと思う。
 そういう体裁の、彼の“小説”として読むしかない気がする。 そうでなければ頭のねじがゆるんだ人の自己憐憫でいっぱいの告白書など何故読まねばならないのだ!、って怒りが湧くので。 ある種の幻想小説と考えるべきでしょう。
 というわけで、『フィレンツェ連続殺人事件』の真実など書いてはいない。
 がっかり・・・。

posted by かしこん at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする