2012年03月05日

メランコリア/MELANCHOLIA



 ついこの前『アンチクライスト』を見たばかりだという気もするのに、ラース・フォン・



トリアーの新作がもう登場。 日本のタイムラグは独特です。



 久し振りにシネモザイクに行きました。 たまたまHPをチェックしなければこの映画を



上映することも気づかなかったかも(過去にそれで何作か中規模公開のB級っぽい



洋画を見逃している。 しかもシネモザイクは上映時間が微妙なので困ります)。



でもまさかトリアー作品をミニシアター系以外で見る日が来るとは思わなかった。



何故でしょう? キャスティングがハリウッド寄りだから?



   世界が終わる。



 それとも終末系パニック映画だと誤解した客が来るかも・・・という目論見でしょうか。



痛い目にあったお客さんが少ないことを祈るばかりです。



 突然、太陽の影から小惑星が出現し、地球に最接近することがわかる。



 公式発表ではあくまで“最接近”だが、衝突するかもという説を唱える科学者や天文



マニアは数知れず。 だがそんなパニックは一切描かれず、“メランコリア”と名付け



られた小惑星の存在と“うつ病”に悩む若い女性とその家族を描くだけ。



 冒頭からの10分ほどのオープニング映像で、この映画のすべてが描かれている



ことに気づく。 『ツリー・オブ・ライフ』並みの美しいが意味不明映像が続くのだが、



あくまであちらが自然界を描くことに徹していたような気がするのに対してこちらは



明らかに人工的。 しかも絵画の中に人が入り込んでいるような、もしくは絵画に



描かれているものや人が止められていた時間から解き放たれて動き出すような。



 どれほど写実的な絵でもよく見たらそれは絵の具です、というつくりもの感が全開



なのですが、けれどそれが圧倒的な迫力で展開するのです。



   たとえばこれは明らかに『オフィーリア』。



 やっぱりこの監督は頭おかしいわ、天才だけど、と実感する瞬間。



 このオープニングを見なければこの映画を見たことにはならない!、というくらい



素晴らしいのです。 そう、素晴らしいと思いながらこの人は頭おかしいとも感じるのは、



そのへんの“おかしさ”の要素が多分あたしの中にもあるからでしょう。



 そうしてようやく<第一部:ジャスティン>と映画本編へと入っていきます。



 広告会社でコピーライターをしているジャスティン(キルスティン・ダンスト)の結婚式。



姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)がウェディングプランナーとなり、大富豪の夫



ジョン(キーファー・サザーランド)が所有する大きな屋敷での盛大な式になるはずが、



屋敷までの途中の細い道をリムジンが通れなくて新郎新婦は大遅刻。 神経をとがらせる



クレアだがジャスティンはまったくお構いなしのやりたい放題の態度を改めないが、



次第にジャスティンの不審な言動から彼女がうつ病であることがわかってくる。



 まず、うつなら結婚式とかやってる場合か?、というそもそも論から逃れられない



のであるが、それくらいジャスティンはやばい。 そのへん、クレアもどこまでわかって



いるのか・・・式の進行に気を配っている場合ではない。 というか姉妹の両親(ジョン・



ハートとシャーロット・ランプリング)の関係性も怖すぎます(両親ではあるがとっくの



昔に二人は別れている)。 娘の結婚式だというのに過去の遺恨を引きずりまくりの



言動を客の前で繰り広げており、他のお客さんはどれだけいたたまれない思いで



あろうかと同情する。 というかこの二人がすごすぎて、最初はジャスティンの



まとっている鬱の雰囲気が目立たないくらいだ!



 とはいえ第一部はカメラの動きもジャスティン同様不安定でぶれまくりなので、あまり



前の席で見ると酔う可能性があります(「真ん中よりちょっと前ぐらいの席で」という



あたしの希望にもかかわらず後方座席を薦めてくれた受付のおにーさん、ありがとう)。



 そして<第二部:クレア>。 多分第一部からちょっと時間が置かれている。



 ジャスティンのうつ病はよりひどくなり、一人で生活ができない状態。 屋敷に連れて



きて、クレアが彼女の世話をするがジョンはいい顔をしない。



 そうしてようやく“メランコリア”の存在がクローズアップされ、最接近の日が近づく。



   クレアがネットで

      見つけるメランコリアの軌道予想図。 ありえない動き!



 ま、そもそも科学的な正しさは一切無視されてる映画なのでそこに文句をつけては



いけないのですが、これを見てちょっと笑ってしまいました。



 まともなはずのクレアが次第に精神を病み始め、精神を病んでいるジャスティンが



次第に心の平穏を取り戻す過程がゆるやかに描かれていくのですが・・・一度向こうへ



行ってしまった者の強さを表現するためにそこまでしなくてはならないのですか!



 全編に流れる大音響のワーグナー、<トリスタンとイゾルテ>が寓話性を高めるような、



余計神経質にさせるような。



 出演者を極限まで追い込むことで観客もまた追い込まれる、そんな映画をつくってきた



トリアー監督ですがこの映画でも容赦なし。 そうすることで彼は自分の苦しみから



一瞬でも解放されるのであろうか。 セラピーの形は人それぞれなれど、自分に合った



方法を見つける・知っておくことが大事ね、としみじみ感じたり。



 多分、普通の人がこの映画を見たら不快に思うだけかもしれない。



 ちょっと弱っている人は「うつ病が伝染しそう・・・」と感じるかも。



 このラストにある種の救いや爽快感を覚える者は、多かれ少なかれトリアー監督の



同類、ということかも。 あたしが彼をあまり好きじゃないと感じながらも作品を見て



しまうのは、同族嫌悪の裏返しかもしれませんね。


posted by かしこん at 04:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする