2012年03月17日

ソニックステージが!



 Windowsが自動更新を言ってくるたびにどうもパソコン本体に不具合が起こるので、



しばらくずっと無視していたのだが、自動更新の頻度も上がってきて無視できなく



なってきており、しかもちょっと油断したらパソコンが勝手に更新かけて再起動して



しまうので、あたしの抵抗は時間の引き延ばしにしか過ぎないのだった。



 で、ここ最近は大きなトラブルがなかったので安心していたが・・・。



 ついさっきかけられた再起動により、それまで使えていたソニックステージ(SONYの



ウォークマン用旧型音楽管理ソフト)が立ち上がらなくなってしまった・・・「問題が発生



しましたのでプログラムを終了します。 Windowsで解決策が見つかれば提示します」と



出るだけで何も提示しやしない。 ソニックステージはいったん開いて読みこみも



頑張るも、使える状態直前で落とされる。



 ほとんどはあたしが持っているCDから移動しただけだからオリジナル音源はあるん



ですけど、自分なりにつくったプレイリストとかあるんですけど? しかも結構な容量を



使っているんですけど? それをリインストールして、データ消して、もう一回取り込めと?



 しかもそれがうまくできる保証はあるのか?



 WMPに完全移行しろと? 新しいウォークマンを買えというのか?



 なんかいらっとしております・・・。


2012年03月16日

今日は、4冊



 新刊文庫コーナーの創元推理文庫、樋口有介を見かける。



 あ、なんかすごく久し振りな感じ。 なつかしいなぁ、と思わず手に取る。



   捨て猫という名前の猫/樋口有介



 あたし、このシリーズそこそこ読んでるはずなんだけどこれは未読。



 多分『プラスチック・ラヴ』ぐらいまで読んでると思うんだけど・・・なんだか他の



シリーズものも含めて、確認したくなりました。 で、ついでといってはなんですが



樋口有介ブームの火付け役として悪名高い『ピース』も買おうかと思ったら・・・



なかった。 ちょっと前までワゴンで置いていたでしょう! 時期が過ぎたときに今更



読もうかと考えるあたしが悪いのか、そうですか。



 寂しいので他の本を買う(この態度がいけないのだと思う)。



   バセンジーは哀しみの犬/キャロル・リーア・ベンジャミン



 これは新刊ではないのですが、この哀愁あふれた犬の絵にひかれて一年半ぐらい



前からずっと気になっていて・・・そしたらこれのシリーズ第二作目が新刊として出て



いたのですよね。 そしたら、読みたくなるじゃないですか。



   知りすぎた犬/キャロル・リーア・ベンジャミン



 ダシールという犬とコンビを組む女探偵レイチェル。 犬がらみの事件を解決する



ことが多そうである・・・あたしは猫も好きだが犬も好きなのである。 なんともけなげな



あの犬の絵を見たら、気になっちゃいますよ!



 というわけでシリーズものを2作、確保。



   ちはやふる16/末次由紀



 なんだか一冊が薄くなってませんか!、な気がするほどすぐ終わってしまう。



あぁ、そんなことをしたら、波乱が・・・といい大人のあたしには先が見えてしまって



つらくなりますが、青春まっただ中の彼らには悩んで苦しんで成長していただきましょう。



 4月からNHK教育のイタリア語会話を再開しようかと思ってテキストを探したら、



まだ3月号だった・・・いつから出るんだっけ、新しいヤツ。 しかし意気込みはあれど、



続くのであろうか。


posted by かしこん at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い



 これはタイトルに原題併記をあきらめて・・・“EXTREMELY LOUD AND



INCREDIBLY CLOSE
”です。 ほぼ、直訳。 でも味わいあり。



 でもこの長いタイトル、わりと不評のようです。 言いづらいから? あたしはネットで



チケットを注文したのでカウンターで作品名を言わずに済みましたが。



 ですが「ものすごく○○○で、ありえないほど△△△」という言い回しがネット上では



流行っているらしい。 言葉遊び的響きがあるからかな?



 少年オスカー(トーマス・ホーン)のナレーションで終始進んでいくこの映画、この



構成が曲者だったな、とエンドロールで気づきました。



 911の同時多発テロ、ツインタワービルにいた大好きな父(トム・ハンクス)を亡くした



オスカーはあの日以来、飛行機や橋、高層ビルなど巨大なものや電車が線路を揺らす



音、大通りを行きかう車の音などが苦手で地下鉄にもバスにも乗れず、どこへも徒歩で



行くしかない。 いや、そもそも学校にも行かなくなっており、父親の残したものを見たり



手にしてはよき日々に・思い出に浸りつつ、すぐに理由もなく父が死んだことへの怒りが



沸き起こる。 母(サンドラ・ブロック)があっさり事実を受け入れているように見えるのも



オスカーの癪に障る。



 ある日、父の部屋で青いツボの中から見つけた鍵、その鍵が入っていた袋に書いて



あったBLACKという言葉を手掛かりに、オスカーはマンハッタン中のブラックさんに



会いに行き、この鍵のこと・父親のことを聞こうと計画を練る・・・という話。



   あの日父を失くした少年の、喪失と再生のものがたり



 悲しいかなオスカーくんが、大変可愛げがない。 マンションのドアマンさん(ジョン・



グッドマンだ!)に「くそ野郎」などと暴言を吐くのだが、その理由がわからない。



 男の子ってそんなもんですか?



 ナレーションでオスカーくんは自分の気持ちを吐露しているからでしょうか、「なんで



他人を傷つける言葉をバンバンはいているのに、自分が傷つくとそんなに怒る?」と



不可解で仕方なかった(子供だから?、という限度を超えているようにも思えて)。



 だから親から十分に愛されているが故の無神経・まわりへの気遣いができない子



なのかと思って、理不尽に父親を亡くしたからってそれを免罪符にできると思うなよ!、



と説教したい気分になってしまいました。 PTSDのつらさはわかっているのですが。



   これは拒絶のまなざし? それとも・・・。



 が、途中で彼が「アスペルガーの疑いあり」と診断されていることがわかる。 



 他人に共感できないのはそのせいか! でもナレーションでは他者を理解している



ような部分も見えるので整合性に困る・・・オスカー独自のこだわりは性格だと思って



いて(苦手なものが多いのはPTSDのせいだと思ってて)、アスペルガー的なものに



あたしは気づかなかった。 そう言われたらそうかなぁ、と感じるけれども、それは彼が



比較的軽症だからかもしれないし、必要以上に劣等感を持たせない彼の父親の愛情



あふれる教育のせいだともいえるわけで、だからこそオスカーの父への想いがわかる



だけに、それがわかるなら他の人の気持ちも多少考えたっていいでしょう!、となって



しまう。 あたしって、「こうあらねばならぬ」にしばられているなぁ。 でも病気だから、



で納得するよりもその人の性格だから、と理解したいなぁ、としみじみする。 誰しも



違う存在ですもの。



 そこへ祖母の家の間借り人(マックス・フォン・シドー)の登場で心がなごむ。



   謎のおじいさん。 正体はすぐにわかりますが。



 かつての大空襲の恐怖により言葉が出せなくなったという彼(多分、ドレスデン



大空襲のことと思われる)はてのひらにYES、もう片方にNOと書き、他は筆談で



意思疎通。 筆談だと文法をはしょるのね、とそのへんは字幕がなくてもわかる感じが



します。 この間借り人さんが、なんともキュートなのです。 80歳過ぎたお人であろうに、



意外にも足取りは達者(「そんなに歩けない」と渋るオスカーを地下鉄に乗せておき



ながら、オスカーの足はマメだらけだったりするのに彼はそんな風を見せない)。



 かっこいい!



 何かで裏を引いている、一人で秘密を知っている、というような役が多いマックス・フォン・



シドーが、ここでは(秘密はあるけど)なんとはなしに“普通の人”でいるのが素晴らしい。



こういう頑固爺さんぽい人、好きだわ・・・。



 オスカーが足にマメをつくりまくるのは、靴紐で結ぶ革靴ばかり履いてるからなんだが、



スニーカーなんか履かないのも彼特有のこだわり故。 お父さんからのプレゼントなの



かもしれないし、もしかしたらお父さんとお揃いの靴なのかもしれない。



   父への想いが強すぎるために母親は二の次。

   地味な服なのにサンドラ・ブロックのスタイルのよさが逆に際立っていてびっくり!

   オスカーのパジャマは何種類か出てきますがどれにも共通項が!



 しかし、それにも負けない母の愛の強さがこの映画をより感動的にもするんだけど、



あっさりまとめた感がなきにしもあらず。 オスカーのトランシーバーから放たれる



「オーバー」にたとえ何時であってもすぐに「オーバー」と返信する祖母の存在とか、



オスカーが最初に出会うミセス・ブラックのヴィオラ・デイヴィスなどインパクトある



女性陣がこの物語を支えているのですよね。 女は強し!



 オスカーが抱えていた秘密はとても重いものだったけれど、彼は“鍵探し”という



ミッションを通じてもしかしたらアスペルガーとPTSDを克服したかもしれない。



 実際にはそう簡単にはいかないと思うのであくまでこの映画はファンタジーだなと



感じてしまいますが、それを信じてみたっていいではないか、なのです。



 さすがスティーヴン・ダルドリー監督、職人芸的うまさ!



   それにしてもアメリカ映画は、

      ストレートに父と息子の愛を描くものが多いね。



 日本の映画だと“母と子”がメインになることが多いのに。 “父と息子”だとそれこそ



『華麗なる一族』ばりに対立軸になることが多い気がする。 お国柄? それもこれから



変わるのかしら?



 このような形で911を描くのに、映画界は10年かかったんだなぁ、ということがそのまま



アメリカの傷の深さのようで・・・311を日本が<物語の一要素>として取り込める日が



来るのだろうか。 そう考えると、それもまた切ないのだった。


posted by かしこん at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月14日

何もできない日がきた



 貧血でぶっ倒れて、こんこんと眠る、を久し振りに平日にやってしまった。



 途中で目を覚ましても、すぐに水の底に引き込まれるように眠る。 水底はもの



すごく居心地がよくて気持ちいいのだが、妙な夢を見ることが多い。 なんでこんな



夢を?、と考えるのもまた楽しい。



 起きて何か食べて薬を飲まねば、と思うものの、起きる気になれないのである。



 あー、なんか、ものすごくしっかり眠った感じ。



 これでまたしばらく眠らなくていい感じになりそうである(「寝だめ」は普通できない



はずだが、どうもこのあとあたしは一日3時間睡眠ぐらいでしばらくやっていけるから



不思議である。 で、無理がたまったらまた倒れるのであろう)。 慢性的な不眠症が、



時折とはいえ熟睡を手に入れられるのだからそれでいいのか?、と感じてみたり。



 ようやく起き上がって、動けるようになったら夜である。



 あぁ、本来ならば映画を見に行くはずだったが・・・ま、いいや。



 寝過ぎて目が冴えてしまったので、すでに読みなれた、心が穏やかなままで



いられるものを読みたい、と思って出してきたのは。



   ブレーメンU/川原泉



 文庫版のほう、全4巻。 設定はSFだがお気楽川原ワールド全開。



 声高に語られない、けれど薄っぺらくない信頼。 人間であることが恥ずかしくなる



こともあるけれど、そこを理解した上で恥ずかしくない人間になろう!、という気概。



 なにしろキャプテン・キラがお気楽なお調子者なのに有能で正義感が強く、極限に



おいては聡明で無欲なのだ。 まったく憧れてしまう人物像ではないか(その途中で



「きーっ!」とキレまくったり、一人でどっぷり落ち込んだりするのもよい)。



 あぁ、こうして今日も(未来の)宇宙は平和。



 それが、あたしのしあわせである。


posted by かしこん at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 体調 好不調の波 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月13日

なのはな/萩尾望都



 WOWOWがつくっているオリジナルのノンフィクション番組で、石巻が舞台の



映画『エクレール〜お菓子放浪記』を震災後のみなさんにどうやって見てもらうかを



追ったドキュメンタリーを見た。 2010年に地元でロケし、大勢の方がエキストラで



参加しているし、映画製作者側もやはり地元で見てほしいから、と。



 震災関連番組は一切避けてきたあたしだが、ついこれは見てしまった。



 そして途中から、もう涙が止まらない自分がいた。



 まず、上映できる場所がない。 エキストラとして参加してくれた方も現場では



避難所の責任者になっていて時間が取れない。 石巻市民の中でも、見たい人・



見たくない人の意見がバラバラ。 機材の調整その他の問題もあり、上映が



なかなか実現化できないまま時間が過ぎる。 けれど時間は人の心を動かす。



 「正直なところ、映画なんか見ていられる状態じゃない。 でも、美しかったこの町の



姿はやっぱりもう一度見ておきたいから」と言う人。 「ロケの時エキストラに参加して、



いつも隣に座っていた人が津波でなくなった。 もしかしたら映画に映っているかも、



その人の姿を見られるかと思って来た。 いや〜、映ってたね〜」とうれしそうに言う人。



 あぁ、なんで東北の人はこんなにおだやかで、強いのだろう。



 三分の一くらいは残っていたティッシュの箱が空になり、次の箱をすぐに取りに



行かねばならないほど、泣いていた。



 あたしは自分の感情が爆発する場所を探していたのだろうか? それともこうなる



ことがわかっていたから地上波の特集番組をガン無視していたのだろうか(いや、



これらには怒りがこみ上げそうだから避けたのかもしれない)。



 そして、あたしが素直に向かい合えるものがここにも。



   なのはな/萩尾望都



 <シリーズ・ここではないどこか>のうち、3.11後の作者の悲しみと怒りが



ストレートに出された作品群をまとめたもの。 通常の単行本にするには分量が



少なすぎるので、書き下ろしを含めても豪華本で登場。



 白中心の地味装丁ですが、カバーをめくれば本体は鮮やかな菜の花が咲き



乱れていて、胸が熱くなる。



 3.11後にすぐに描きたくなったという『なのはな』は、かなり話は萩尾望都に



してはストレートすぎるくらいなのだけれど、ナホちゃんが幻視するチェルノブイリに



いる少女に、



 「あなたはチェルノブイリにいるあたしだね?」



 「あたしは、フクシマにいるあなた」



 と、わかりあえるシーンには泣いてしまった。



 『プルート夫人』『雨の夜―ウラノス伯爵−』『サロメ20XX』の放射性物質



三部作は基本的には同じ話なのだが、その怒りと熱さは他の作品にめったに見られ



ないもの。 人間の自分勝手さも含め、それでも寓話に収まっていることがすごい。



 『なのはな−幻想『銀河鉄道の夜』』は書き下ろし。 『なのはな』の続編で、



宮沢賢治世界を引用しながら福島に・世界に安心をもたらそうとしてくれる。 たとえ



それが心の救いにしかならなかったとしても。



 それが、「世界が終わらないように、世界が次の世代に続くように」という作者の強い



願いなのだから。



 この作品が作者の既に名作とされている作品群と並んで後世に残るかどうかは



わからない。 けれど、同時代に生きる者として読むべき意味はある。



 あたしはさんざん泣いて、自分の中に蟠っている感情の整理がまったくついて



いないことを思い知る。 個人レベルでの一年は、短い。


posted by かしこん at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

パーフェクト・センス/PERFECT SENSE

 ほんとは『人生はビギナーズ』とこれとで「ユアン・マクレガー二本立て!」を目論んでいたのですが・・・なかなか時間が合わず。 そうこうするうちにこっちが終わってしまうわ!、ということで急遽見に参りました(現在は神戸での上映は終了しています)。 そしたらば『人生はビギナーズ』のパンフレットは品切れ・追加入荷予定なし、ということで・・・そちらの方がはるかに人気があるようです。 ユアン個人の人気は関係ないの?

  パーフェクトセンスポスター.JPG 五感が、消えていく・・・

 シェフのマイケル(ユアン・マクレガー)は女性とベッドを共にした後、「僕、ひとりでないと眠れないから帰ってくれる?」と女を追い出すある種の人でなし。
 一方、感染症学者のスーザン(エヴァ・グリーン)はいつも変な男に引っかかっては傷ついて自分の世界に閉じこもる。 そんなふたりが<突然憂鬱な気分に襲われ、悲しみに打ちひしがれた後、嗅覚が消える>という謎の奇病が流行り始めた頃に出会う。 その病はそれだけにとどまらず、人々の感覚がひとつずつ失われていく。
 はじめ、ナレーションはスーザンなのかと思ったけどまったく違う人で、これはもう過ぎてしまった出来事をあとから語っているのかな、という感覚にとらわれる。 だってナレーションは感情を抑えるように淡々と事実だけを読み上げていくような感じだったから。

  パーフェクトセンス4.jpg スーザンが失恋を友人に報告するシーン。 一体ここはどこですか?、な泥炭地が美しい。
 ある感情が爆発し、それがおさまるとひとつの感覚が失われているという全世界を覆う謎の奇病が描かれますが、『アウトブレイク』的でも『コンテイジョン』的でもない、どちらかといえば『ブラインドネス』に手触りが似ている映画かな、と感じた。
 そう、文学的要素が高いというか、それでいて『TIME』よりもSFマインドがあるというか。 サンダンス映画祭に出された作品ということであまり期待していなかったのですが(低予算故のアイディア倒れの作品が経験上多いから)、これは意外にも拾いもの!
 ナレーションによって場面ごとに繰り返される“ライフ・ゴーズ・オン”(それでも人生は続いていく)のフレーズが否応なく印象的。 何かを失っても、他の感覚が鋭敏にある、人はその状態に慣れる、というのがさりげなくもリアル。

  パーフェクトセンス2.jpg ダメ男だが笑顔がキュート。
 マイケルくん、なかなかのダメ男です(前向きでやる気があるのにダメ男って・・・と残念度がかなり高い)。 しかもマイケルとスーザンは恋仲になるんだけれども、それって吊り橋効果ですよね?、というくらいお手軽なお付き合いというか・・・他に相手がいないからですよね? 現実逃避したいからなんですよね?、という感じでこの二人のカップルには特に何も感じない・・・。 むしろ先に発作がきたマイケルを取り押さえようとしながら「そんなこと言うなよ!」と泣きながら抱きついていたシェフ仲間さんのほうがいい味を出していた。
 ちなみにマイケルのお店で出すのは「魚介が得意で、フレンチやイタリアンの要素を融合した創作料理」のようなのですが・・・最初、厨房に入ったオーダーが「オマールエビと、ハギス」だったのであたしは倒れた・・・イギリス人の食生活はかなり改善されたと聞くが、うまずい伝統食を愛する気持ちは簡単には消えないのね(だからってそれをオマールエビと一緒に注文する?)。 字幕では出なかったけど「リコリスでも食べるかい?」みたいな台詞もあったし、近未来設定なのかもしれませんが、イギリスの食、おそるべし!! 味覚がなくなったときもレストランのオーナーは、「あとは小麦粉と油があればいいんだ!」って叫んでたし、栄養素はそれだけじゃないだろう、と感じるあたしは日本人でよかったと思いました。
 と、そんなわけでディテールが非常に気になる映画であります。
 公園のバイオリン演奏者が嗅覚を失った後、公園に集う人々に音楽を聴かせ、「森を散歩しているところをイメージして。 苔が敷き詰められた部分を歩くときのにおいを」というパフォーマンスにみんなが心の中の記憶に降りて行ったり、いつか目が見えなくなる日が来るかもしれないと現在盲人の方に習って目隠しをして道を歩く練習をしている人たちがいたり、絶望という状況を日常に変える工夫をしている普通の方々の姿がじーんときます。
 マイケルは臭覚や味覚がなくなった後も、人々を楽しませるために料理の歯ごたえや温度にこだわってメニューを変えてみたり。 でも、いくら味がわからないからといってお風呂場で石鹸食べるのはどうかと思ったけど・・・。

  パーフェクトセンス5.jpg それでも、町が荒れ果てる瞬間はくる。
 ナレーションは言う。 もう未来がないと思う者は略奪に走るが、人生は続くと考える者は乳牛の世話をし、木を植えると。 荒れ果てた街でも倒れた自転車を立てかけるおじさんがいるように、どんな状況であっても理性を失わない・もしくは普段の習慣を変えない人の存在はありがたい。 人間ってまだ捨てたものじゃないと思えるから。
 でも、もし明日世界が終わるとしても、日本人の多くはあたしを含め、普通どおりの生活をしてしまうんじゃないだろうかという気はする。 愛する人と離れ離れなら、会いに行こうとかはあるかもしれないけどさ。
 静かに静かな終末を描いた映画でしたが、科学は無力でしかないけれど不思議なほど悲壮感が薄く、意外と人間って愛すべき生き物かもと思わせてくれる映画。
 仏教的な無常感と通じるところもあるかも。 西洋文化がそんな感覚を広く受け入れてくれるようになったら、現在の宗教対立ももっとゆるやかにならないだろうか。 そんな希望も、抱いてしまいました。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 04:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

ノーコメント

 最近、TVや新聞などがやたらと今日に合わせて特集などを組んでいて、とてもうざい。
 勿論、TVは見ていないし新聞も見出しを眺めるだけだが(TVについては新聞のテレビ欄を見たり、デジタル放送の番組表を確認する際に目に入るから)、大変鬱陶しい。 WOWOWもまた(声高には言わないが)「エンターテイメントにできること」のショートフィルムを流し始めてる。 わざわざこの時期に合わせなくても、まだ忘れてない、まだ覚えてる、まだ十分わかってる。 風化なんかするか、そもそもまだなんにも片付いていないのに!
 おとなげないとはわかっているが、とてもイライラする。
 なので、今日のことについてはノーコメントです。
 仙台の友人が送ってくれた季節限定の笹かまぼこを食べ、そごう神戸で実施中の東北物産展で買いこんだお菓子やらを食べる。 そしてのほほんと静かに過ごす。
 それがあたしの、2012年の、3月11日。 

posted by かしこん at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

続・フィレンツェ連続殺人事件について

 『フィレンツェ連続殺人』、再読。
 どうも自分の中でこの事件の印象が曖昧模糊としているんだよな・・・と感じていたのですが、あらためて読んでみて、この事件自体が曖昧模糊としているのだ、ということを確認。

  フィレンツェ連続殺人.jpg 犯人は「モストロ(怪物)」と呼ばれていますが・・・。
 第一の事件とされているのは1968年の夏。 それから1974年・1981年に2回、1982年から85年までは毎年1回惨劇は起きた。 多くは夏の真夜中頃、車の中にいたカップルが惨殺されていたのである。 手掛かりは少なく、犯人は今も不明。
 一応、この本が書かれた当時は一人の農夫が犯人として公判中であったが、のちに証拠不十分で釈放されている(筆者も彼が犯人であるという気はしない的なことを書いている)。
 『切り裂きジャック』や『ゾディアック』のように犯人からのメッセージや暗号がマスコミに直接送りつけられて大騒ぎ、ということはないのだけれど、事件へのちょっとした示唆を伝える手紙・メモの存在などが犯人からの意志表示とも思えるし、被害者たちを尾行していたと思われる男の存在もあり、どうもこの事件は前述のふたつの事件と印象がダブります。 実際未解決だし、ということもあるでしょう。
 犯人は単独犯行説、複数犯行説といろいろあるようですが、いわゆるシリアルキラーならば犯行の感覚はだんだん狭まっていくはずで、そしてどんどん制御がきかなくなっていくはずなのだが(元FBI捜査官の本や『クリミナルマインド』の見過ぎ?)、“モストロ”は常に冷静であり続けていた。 いわゆる「秩序型」に分類できるのかもしれませんが・・・それにしても得体が知れな過ぎ。
 だからこそフィレンツェ市民の間で高まった“モストロ幻想”:モストロは高い教育を受けた貴族階級の人間か社会の高い層にいる人間で、ブルジョアジーであるが故の苦悩と退廃が(+母親からの抑圧が)凶行に走らせたのではないか説が有力になり、実際にある農夫が容疑者として逮捕されたときには「あんな奴がモストロなわけがない」という意見が大半だったという・・・(社会的地位が高い人物だからこそ警察もなかなか手を出せないから捕まらないのだ、という意見もあるらしいが)。
 なんか、それも怖いなぁ。

 一方、もう一冊のほうを読めば・・・。
  フィレンツェ連続殺人事件の真実.jpg まさに「母宛に書かれた手紙という形態」の、作者による妄想? 夢? この人、ちょっとおかしい人なんじゃないの?
 散文的なのは覚悟してましたが・・・「さて、いよいよ本題に入らねばなりません」までで65ページ。 その後もすぐに本題に入る気配はない・・・というか、「モストロ」という名前は出てはきますが事件について具体的に表記されている部分はなし(イタリア本国では説明不要な大事件だからか?)。 この本に『フィレンツェ連続殺人事件の真実』って副題をつけるのは詐欺に近くないですか・・・それとも、冤罪をかぶせられた人間にとっては世界が変容してしまう出来事で、体系的に事実をまとめられる立場にないのか。
 しかしこの著者、相当にマザコンというか母親をある意味神聖視しているのに対してそれ以外の女性についてはかなり悪し様に書いてくれており、読んでいて大変気分がよろしくない(彼にとって女性は性的対象もしくは自分を陥れる相手でしかないようだ)。
 母への手紙というが・・・これ、本当に著者の母親が読んでも意味がわからないと思う。
 そういう体裁の、彼の“小説”として読むしかない気がする。 そうでなければ頭のねじがゆるんだ人の自己憐憫でいっぱいの告白書など何故読まねばならないのだ!、って怒りが湧くので。 ある種の幻想小説と考えるべきでしょう。
 というわけで、『フィレンツェ連続殺人事件』の真実など書いてはいない。
 がっかり・・・。

posted by かしこん at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

TIME/タイム /IN TIME

 期待しておりましたSF大作『タイム』をやっと見て・・・。
 「あれ?」、とちょっと肩すかし。
 き、期待しすぎたのか・・・? でも、面白くないわけではなかったんだけど。
 『ガタカ』がよすぎたのかしら?、と考えつつ思ったことは、主役のジャスティン・ティンバーレイクがあたしの好みでは全然ないからではないかということであった。

  TIMEポスター.jpg 全ての人類は25歳で成長が止まる

 テクノロジーの進歩により老化を克服した人類は、25歳になった瞬間から腕についている体内時計が1年の余命を刻み始める。 これを増やすためには働いて時間をもらわなければならない。 通貨がお金ではなく時間=自分の寿命となった世界の物語。 現代の格差社会を如実に皮肉っております。
 設定はとても素敵というか、SFマインドが非常に盛り上がるのですが・・・出オチ?
 スラム街で母親(オリヴィア・ワイルド)と暮らす青年ウィル・サラス(ジャスティン・ティンバーレイク)はある日、場末のバーで飲んだくれている富裕層の男(つまり時間をいっぱい持っている)ヘンリー・ハミルトン(マット・ボマー)を助ける。 スラム街では一時間や二時間をめぐって殺人も起きるのだ、彼の持っている10ケタの時間は見るからに被害を招くから。 しかしヘンリーはもう生きることに飽きたと言い、ウィルにこの世界の仕組みについて語る。 貧困層から時間を搾取している富裕層について。 そして自分の時間を眠っているウィルに渡し、姿を消す。
 ものすごい単位の“時間”がスラム街に移動したことを察知した時間調整局のレイモンド・レオン(キリアン・マーフィ)はその犯人としてウィルを追うが、ウィルは数秒の差で母親を失い、この世界の仕組みを知るために富裕層たちのエリアへ乗り込んでいく。
 そんなわけで、登場人物はみなさん「見た目は25歳、実年齢は言わないとわかりません」状態(とはいえ、明らかに無理がありますよ、な方もいらっしゃいますが)。 ティムとお母さんも仲良し故恋人同士にも見えちゃうし。
 ただ、ティムが富裕層エリアに行ったとき、ホテルの人に「こちらの方ではありませんね」とすぐに見抜かれてしまう理由に納得。 時間をたっぷり持っている人は、急がない(つまり、お金を持っている人も)。 あたし、歩くの早いんだよな・・・。

  TIME2.jpg そんなティムに目をつけるシルビア(アマンダ・セイフライド)、またもビッチ気味の役どころ。
 最近悪役やあやしい人の役が多いキリアン・マーフィーですが、今回は悪役と思いきや自分の職務に忠実な男でした。 でも彼だけがある意味公平で冷静な視点の持ち主だったわけで、もっと<タイムキーパー>の役どころを掘り下げてほしかった。 すごくもったいない。
 時折全体に青が入る映像美とか、ティムの母親が息子との約束の場所まで走るところとか、ヘンリーの厭世感とかいいところはあるのですが、トータルとしては残念な感じになってしまうのは何故なのでしょうか?

  TIME1.jpg 安物の“ボニー&クライド”になってるから?
 あ、スラム街で人から時間を巻きあげているチンピラ・フォーティス(アレックス・ペティファー)がすごいいやなやつでむかむかしていたら、『アイアムナンバー4』の主役の人だった・・・むしろ、悪いやつのほうが似合うのか? あの映画が微妙だったのはそのせいか? 人でなしが非常にイキイキして見えました。 今後、彼の役者としての方向が変わるかも。 あと、マット・ボマーも“絵に描いたような美男子”ですが、そういう人が私生活ではゲイだと聞くと深く納得してしまうのも何故なのでしょう(あたしだけ?)。
 と、ジャスティン・ティンバーレイクにまったく興味がないことがばればれの感想です。 いや、元から興味がなくてもいいところを見せてくれればあたしはすぐ転ぶのですが、どうもしっくりこなかった。 アンドリュー・ニコル監督への期待は消えていませんが、やはりなんだか残念です。
 でもそういう映画ほど拡大公開されてヒットするって・・・どういうこと?
 結局、『ガタカ』の評価がさらに上がっただけ、という結果。

posted by かしこん at 04:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月08日

Sの会 ミニ会

 以前、ある仕事で組んだ仲間が全員甘党だとわかり、スウィーツの会(略称:S会)を結成。 不定期な例会を開きながら神戸市内の甘い物のお店を食べ歩いておりました。 しかし時の流れは無常・・・気に入っていたタルトのお店もいつの間にか閉店してしまい、メンバーは仕事も変わり全員なかなかそろって会えなくなってしまいました。
 が、融通がつくときは突然つくあたしと、当日の誘いでもOKを出すTさんのフットワークのよさから、急遽ミニ会が開催されることがあります。
 先日もそんなわけで、ミント神戸のパスタ屋で、ハワイアンパンケーキを食す。

  ハワイアンパンケーキ.JPG ストロベリー&チョコ
 ・・・ふつう。
 で、長居のできるお店ではないので移動。 上にあがってカフェ・ココノハにてお茶を飲むことに。

  カフェココノハほうじ茶ラテ.JPG 焙じ茶ラテと、抹茶ラテ。
 なんとここの店は和カフェで、豆腐を使った抹茶あずきパンケーキなどもメニューにあって・・・最初からここに来ればよかったのではないか、と後悔。
 あぁ、下調べを怠ってはならぬ〜。
 しかもこれらのラテにはなんと白玉がふたつ沈んでいた・・・。
 意外性に満ちた店である。
 次はここでフルコース(ごはん+デザート+お茶)、食べましょう!と確認するのだった。

posted by かしこん at 03:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

今日は、7冊

 やってきましたジュンク堂センター街店。 ここに来ると「買うぞ!」な気持ちになってしまうのは何故なのか。
 まずはいちばんの目的のものを先に・・・と4Fへ。

  萩尾望都対談集70年代.jpg マンガのあなた SFのわたし/萩尾望都対談集1970年代編
 手塚治虫などの御大との対談集。 まだ最初を読んだだけですが、まだ若い萩尾女史に治虫氏は「がんがんSFを描きなさい! あなたのやりたいものをどんどん!」みたいなことをおっしゃっており・・・その当時、SFというジャンルがいかに冷遇されていたか・一部のマニアのものとしか思われていなかったかという事実がそこにあって、愕然とする。 先人のみなさま方の努力のおかげで今では「SF好きです!」という女子は肩身の狭い思いをしなくてすみ、SF用語は専門用語ではなくある程度常識用語として定着したのだなぁ、と。
 なんかこれを読んだら萩尾作品を全部読んでしまいたくなりそうである・・・。
 それから2Fに降りてきて、文庫新刊コーナーを物色。
 「あ、ドン・ウィンズロウだ!!」とまた驚きが口に出てしまい、横にいたおじさんに不審がられたけど気にしない。

  野蛮なやつら.jpg 野蛮なやつら/ドン・ウィンズロウ
 しかも訳は東江一紀さんで復活! あらすじを読むとマリファナ栽培をしている若者たちとメキシコの麻薬カルテルとの攻防ということで・・・『犬の力』に類する話なのかな?、という気がする。

  シンデレラの罠新訳.jpg シンデレラの罠【新訳】/セバスチアン・ジャプリゾ
 ミステリ界に燦然と輝く「一人四役」伝説の作品、ということは知っているのですが、実はまだ読んだことがない・・・新訳登場を機に、読む所存。

  シオンシステム完全版.jpg シオンシステム【完全版】/三島浩司
 どうも【完全版】と書かれると弱いのです・・・加筆訂正済み、作者会心の作!、というイメージがあるから。 おまけに「傑作メディカル・バイオSF」と来られたら気になります。 しかも『竹取物語』が下敷きとなれば更に気になるわけです。 素敵な装丁も決め手で。

  マジックフォービギナーズ.jpg マジック・フォー・ビギナーズ/ケリー・リンク
 なんかこれにはタイトルでやられてしまった感じ。 表紙もいいし。
 でも柴田元幸が訳しているということは現代アメリカ文学のメインストリームなんだろうなぁ。 しかし解説を山崎まどかが書くということはファンタジーでもありメタフィクションでもあり、シュールな幻覚にも通じるかも、ということが予測できるようになっている自分がいいんだか悪いんだか。
 ま、年齢とともに読むものの幅が広がってきました、ということでいい方に解釈しよう(もしくは、かつてが狭すぎたのかも)。

  算数宇宙の冒険.jpg 算数宇宙の冒険 アリスメトリック!/川端裕人
 小学6年生の三人組が数学世界に躍り出る!、という話、元気な子供たちの一人称が読みたくて(なんと“算数宇宙杯”に出るのです!)。 しかしこの本、数学的命題がストーリー的にも重要である上に数式がいっぱい出てくるので、左開きの文章横書きの装丁になっております。
 算数と数学はどう違うのか?、という一見簡単そうな質問ながら答えが人それぞれ違いそうなことや、数学を使わずに算数で考えていった方が実は難しいのでは・もしくは奥が深いのではないか?、というあたしの疑問にヒントをもらえるような気がして。

  鏡の影.jpg 鏡の影/佐藤亜紀
 『江戸川乱歩クラブ』のルビー奥村さまが『日蝕』を取り上げられていたので、「あれ、あたし、復刻された『鏡の影』の文庫を買ったんだっけ? 買おうと思って忘れてるだけだっけどっちだっけ?」と混乱。 未読本の山をざっと探したが見つからない。
 2009年9月の発売なので今のブログを始める前で、その頃は買った本を毎回アップしていなかった・・・(読んだ本のことだけ書いていた)。
 たとえ読んでいなくても、「これ買ってます! 持ってます!」確認のためアップしておくことは大事だなぁ、としみじみ思いました。 ほんとは持ってる書籍リストを作ればいいんですけどね・・・。
 というわけで持っているかもしれないけれど、持っていないかもしれないので買っておくことにしました。 二冊目が出てきたら誰かにあげればいいや〜。
 何故、『日蝕』の話題でこれが出てくるの?、とわからない方はスルーしてください。
 あぁ、本日7冊で・・・7千円越えたかな?

ラベル:新刊
posted by かしこん at 05:23| Comment(6) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

GOMORRA/ゴモラ



 かつて読んだルポルタージュ、『死都ゴモラ』が映画化!、とは聞いてはいたけど、



ほんとになっていたんですね・・・やはりハリウッド映画以外の情報ってなかなか入って



こないものです。 原作はルポの危険性をくるむために小説風に描かれているとはいえ



中身はほぼ事実だったと記憶してますが、映画もドキュメンタリーではなくあくまで劇



映画ということで・・・でも限りなくドキュメンタリーに近い構成になっておりました。



 というか、説明しなさ過ぎてほっぽりっぱなしの部分がなきにしもあらず。 これは



原作を読んでいたから助かった、という例。



   この世界を、知っていたか?



 チラシのコピーには『ゴッド・ファーザー』×『シティ・オブ・ゴッド』=『ゴモラ』と書いて



ありますが、かなり『シティ・オブ・ゴッド』寄り。 しかも出てくるのが若者ばかりじゃない、



というのがより闇の深さを感じさせます。 『ゴッド・ファーザー』ではシチリアンマフィアの



家族の結束の強さも描かれていたけれど、この映画で描かれる犯罪組織<カモッラ>



ではファミリー感がむしろ希薄(原作では<カモーラ>と訳されていたので個人的に



微妙に違和感)。 組織の中に敵対するグループがいくつもあり、おかげで暴力や



報復がより無軌道に感じられます。



 舞台はナポリ。 はっきりとした筋はないのですが、主な登場人物5組を軸に話は進む。



 商店から生活必需品を配達することでお小遣いをもらっている少年トトは、あたかも



必然であるかのように通過儀礼を受け、カモッラに加入するがその自覚も覚悟もある



とは思えない。



   防弾ベストのようなものを着せられ、

   ピストルの前に立たされる。 少年たちは順番待ちをしている。



 が、トトの親友シモーネは別の敵対するグループに入っていた。 二人の友情は



終わりを告げる。



 町の議員であるかのようなフランコ(トニ・セルヴィッロ)は、実は産業廃棄物の



ビジネスをしており不法投棄で多額の金を稼ぐ。 その影には使い捨てにされる



労働者たち。 フランコの秘書(?)にとりたてられた若者ロベルトは、父親にその職に



ついたことを褒められるが現実を知るにつれ苦悩を深める。



 組織の一員でありながら、帳簿係・現金の運び屋という立場故に直接危険なことには



携わってこなかったドン・チーロは、恋をして初めて道を半歩踏み外す。 その代償は



大きいものになった。



 オートクチュールの仕立屋として素晴らしい腕を持っているパスクワーレ(サルヴァ



トーレ・カンタルーポ)だが、いいかげん下請けの仕事にうんざりしていた。



   ただ、いい服を作りたい、

             その技術を誰かに伝えたいだけなのに。



 雇い主は自分の仕事を評価しない、満足に金を払わない、納期だけは責め立てる。



彼の腕を高く評価する人物に出会ったとき、彼のその後の人生が決まった。



 組織が隠していた武器をたまたま見つけてしまい、有頂天になったマルコ(マルコ・



マコール)とチーロ(チロ・ペトローネ)は自分たちで盗みを繰り返しフリーでやって



いけると夢を見る。 それが組織の怒りを買うことになるとも知らず。



   抗争のあと、外に出れば・・・。



 ナポリにそんな世界があるなんて想像がつかないのだが、観光案内は都市の



一部しか映さない。 貧困層が集まる団地は、もはやそれ自体が有機体のように



<カモッラ>を形作っていることに戦慄する。 いや、日本にいたって日本の闇社会の



ことはよくわからないもの(それは自分にとって平和でよいことですが)、団地に住んで



いる人たちは自分が<カモッラ>の構成員であることに気づいていない人だっているの



ではないか? そんな疑惑が頭をよぎる。



 あたしが好きなのは(というか共感できるのは)仕立屋さんの話。



 イタリアの一流ブランドも下請けの下請けってこうなの? 全部自分たちでやるから



こそのブランドなんじゃないの? しかしそこに金が落ちるからこそ生活できる人たちが



いて、けれどだからこそうまい汁を吸おうとする人たちもいて、なんか「イタリア製」に



憧れを持ってしまうのはいけないことなのか・・・という気分にさせられる。



 かなしい。 彼らがつくったドレスが、ハリウッドのレッドカーペットを彩る。



 アングラマネーと正規の投資、それらが区別がつかないほどに絡み合って



<カモッラ>を肥え太らせる。 NYのツインタワー再建にも資金を出しているほど



巨大化している組織の下には無数の屍。 それは現在進行形・・・。



 黙示録を意味しているのでしょうか、それとも静かな告発なのでしょうか。



 これを映画と呼んでいいのだろうか。



 なによりも現実のほうがはるかにシビアで容赦がなく救いがない、と言われて



しまっては・・・。


posted by かしこん at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

メランコリア/MELANCHOLIA



 ついこの前『アンチクライスト』を見たばかりだという気もするのに、ラース・フォン・



トリアーの新作がもう登場。 日本のタイムラグは独特です。



 久し振りにシネモザイクに行きました。 たまたまHPをチェックしなければこの映画を



上映することも気づかなかったかも(過去にそれで何作か中規模公開のB級っぽい



洋画を見逃している。 しかもシネモザイクは上映時間が微妙なので困ります)。



でもまさかトリアー作品をミニシアター系以外で見る日が来るとは思わなかった。



何故でしょう? キャスティングがハリウッド寄りだから?



   世界が終わる。



 それとも終末系パニック映画だと誤解した客が来るかも・・・という目論見でしょうか。



痛い目にあったお客さんが少ないことを祈るばかりです。



 突然、太陽の影から小惑星が出現し、地球に最接近することがわかる。



 公式発表ではあくまで“最接近”だが、衝突するかもという説を唱える科学者や天文



マニアは数知れず。 だがそんなパニックは一切描かれず、“メランコリア”と名付け



られた小惑星の存在と“うつ病”に悩む若い女性とその家族を描くだけ。



 冒頭からの10分ほどのオープニング映像で、この映画のすべてが描かれている



ことに気づく。 『ツリー・オブ・ライフ』並みの美しいが意味不明映像が続くのだが、



あくまであちらが自然界を描くことに徹していたような気がするのに対してこちらは



明らかに人工的。 しかも絵画の中に人が入り込んでいるような、もしくは絵画に



描かれているものや人が止められていた時間から解き放たれて動き出すような。



 どれほど写実的な絵でもよく見たらそれは絵の具です、というつくりもの感が全開



なのですが、けれどそれが圧倒的な迫力で展開するのです。



   たとえばこれは明らかに『オフィーリア』。



 やっぱりこの監督は頭おかしいわ、天才だけど、と実感する瞬間。



 このオープニングを見なければこの映画を見たことにはならない!、というくらい



素晴らしいのです。 そう、素晴らしいと思いながらこの人は頭おかしいとも感じるのは、



そのへんの“おかしさ”の要素が多分あたしの中にもあるからでしょう。



 そうしてようやく<第一部:ジャスティン>と映画本編へと入っていきます。



 広告会社でコピーライターをしているジャスティン(キルスティン・ダンスト)の結婚式。



姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)がウェディングプランナーとなり、大富豪の夫



ジョン(キーファー・サザーランド)が所有する大きな屋敷での盛大な式になるはずが、



屋敷までの途中の細い道をリムジンが通れなくて新郎新婦は大遅刻。 神経をとがらせる



クレアだがジャスティンはまったくお構いなしのやりたい放題の態度を改めないが、



次第にジャスティンの不審な言動から彼女がうつ病であることがわかってくる。



 まず、うつなら結婚式とかやってる場合か?、というそもそも論から逃れられない



のであるが、それくらいジャスティンはやばい。 そのへん、クレアもどこまでわかって



いるのか・・・式の進行に気を配っている場合ではない。 というか姉妹の両親(ジョン・



ハートとシャーロット・ランプリング)の関係性も怖すぎます(両親ではあるがとっくの



昔に二人は別れている)。 娘の結婚式だというのに過去の遺恨を引きずりまくりの



言動を客の前で繰り広げており、他のお客さんはどれだけいたたまれない思いで



あろうかと同情する。 というかこの二人がすごすぎて、最初はジャスティンの



まとっている鬱の雰囲気が目立たないくらいだ!



 とはいえ第一部はカメラの動きもジャスティン同様不安定でぶれまくりなので、あまり



前の席で見ると酔う可能性があります(「真ん中よりちょっと前ぐらいの席で」という



あたしの希望にもかかわらず後方座席を薦めてくれた受付のおにーさん、ありがとう)。



 そして<第二部:クレア>。 多分第一部からちょっと時間が置かれている。



 ジャスティンのうつ病はよりひどくなり、一人で生活ができない状態。 屋敷に連れて



きて、クレアが彼女の世話をするがジョンはいい顔をしない。



 そうしてようやく“メランコリア”の存在がクローズアップされ、最接近の日が近づく。



   クレアがネットで

      見つけるメランコリアの軌道予想図。 ありえない動き!



 ま、そもそも科学的な正しさは一切無視されてる映画なのでそこに文句をつけては



いけないのですが、これを見てちょっと笑ってしまいました。



 まともなはずのクレアが次第に精神を病み始め、精神を病んでいるジャスティンが



次第に心の平穏を取り戻す過程がゆるやかに描かれていくのですが・・・一度向こうへ



行ってしまった者の強さを表現するためにそこまでしなくてはならないのですか!



 全編に流れる大音響のワーグナー、<トリスタンとイゾルテ>が寓話性を高めるような、



余計神経質にさせるような。



 出演者を極限まで追い込むことで観客もまた追い込まれる、そんな映画をつくってきた



トリアー監督ですがこの映画でも容赦なし。 そうすることで彼は自分の苦しみから



一瞬でも解放されるのであろうか。 セラピーの形は人それぞれなれど、自分に合った



方法を見つける・知っておくことが大事ね、としみじみ感じたり。



 多分、普通の人がこの映画を見たら不快に思うだけかもしれない。



 ちょっと弱っている人は「うつ病が伝染しそう・・・」と感じるかも。



 このラストにある種の救いや爽快感を覚える者は、多かれ少なかれトリアー監督の



同類、ということかも。 あたしが彼をあまり好きじゃないと感じながらも作品を見て



しまうのは、同族嫌悪の裏返しかもしれませんね。


posted by かしこん at 04:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

クリスマスに少女は還る/キャロル・オコンネル

 全体の2/3弱まで読んだところで本を行方不明にしてしまい(未読本の山にまぎれてしまった)、一年以上が経過・・・最近、やっと見つかりまして、最後まで読みました。 そういう放置本、結構あるのですが・・・読み始めれば内容がすんなり思い出せるのだからそれでいいかな!

  クリスマスに少女は還る.jpg 原題:Judas Child とは「囮の子供」の意。

 クリスマスを間近に控えたアメリカのある田舎町で10歳の二人の少女が失踪した。
 実はこの町では15年前にも少女たちが誘拐されて殺害されている。 刑事ルージュ・ケンダルにとって忘れられない事件、殺された少女はルージュの双子の妹だったのだ。 しかしあの時の犯人は今は刑務所の中である。 まったく別の犯人なのか、それとも、過去の事件と同じ犯人なのか。
 と、あらすじだけ読めば、よくある「地方を舞台にした年少者対象のシリアルキラー物」という印象ですが、これが他の作品と明らかに違うのは、今回行方不明となった(つまり犯人に誘拐された)二人の少女、サディー・グリーンとグウェン・ハブルのキャラクターによるところが大きい。 ルージュを中心にして大人のパートが二人と犯人を探しているのだけれど、その合間にはどうにかして犯人を出し抜いて脱出しようとするサディーとグウェンの姿が描かれるのである。
 グウェンはニューヨーク州副知事の娘で(だからこそ警察側には早期解決のための政治的圧力もかかる)評判のよい生徒。 一方サディーはホラー映画マニアで、賢いが故に大人からは素直じゃないと評されるタイプ。 しかしサディーとグウェンは親友なのだ。 この二人が手を取り合って犯人に立ち向かおうという場面では、彼女たちを応援せずにはいられようか。
 そんなわけで、こんなにも「犯人が誰でもいい」小説は珍しい。
 いや、ミステリ的にフェアですし、この町の中に犯人が!、というおぞましさも描かれてはいるのですが、サディーとグウェンを助けてやって!、という読者の心の叫びほど強くないといいましょうか・・・だから犯人がわかっても意外性がないというすごさ。
 でも読みどころはサディーとグウェンだけではなくて、困った子供と見られがちのサディーをありのままに愛しているサディーの母親、はじめは頼りなさそうに見えたFBI捜査官のアーニー・パイルが終盤に向けて急速に存在感を発揮してきたり、さりげなく描かれていた町の人々の輪郭が次第に浮かび上がってくるところ。 群像劇好きにはたまらない感じです。
 そして迎えるエピローグ・・・もう、どうしてくれるんですか。
 絶対唯一神への信仰を持たない身としてはわかりにくい部分もあるのですが、でも少女たちの気持ちはわかるからのめりこんでしまうのでしょう。
 なんか、キャロル・オコンネルの他の本を読みたいような読みたくないような・・・。
 ちょっとこの物語から脱出するのに時間がかかりそうです。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月03日

ハンター/THE HUNTER

 ウィレム・デフォーってどこの映画にも出るよな、としみじみ。
 ハリウッド映画は勿論だけど、フランス映画をはじめとするヨーロッパの映画にも不意を突いて登場するし、これはオーストラリア映画でございます。
 フリーの傭兵でありハンターであるマーティン(ウィレム・デフォー)は、あるバイオテクノロジー会社から幻の動物の遺伝子サンプル採取依頼を受けてオーストラリア・タスマニア島を訪れる。 タスマニアデビルを研究する学者という触れ込みで現地に到着するも、林業などで生活している地元住民と外からやってきた自然保護派とで町は二分されていた。 自然保護派とみなされるマーティンは反対派からの嫌がらせも受けるが、彼の目的はただ一頭残っているかもしれないタスマニアタイガーだった。

  ハンターポスター.jpg 最後の標的。 男は、何に照準を合わせたのか――
    孤高の男<ハンター>の生き様が胸を打つ、至高のサスペンスドラマ。

 浴槽につかり精神集中するマーティンの習慣は、日本人には当たり前のものだけど外国人にしてみたらちょっと奇異に映るのかな?(そこが彼の独自性というか、周囲とまじわらない感じを出している?) というかマーティンの過去というか経歴のようなものも全く語られずに映画は進む。 彼は過去を抹殺してきた男なのか? 仕事柄過去は持たないようにしているのか? もともとフリーでひとりでしか仕事をしない人だったのか?
 「こいつはいったい何者だ?」というマーティンに対する興味が浮かべば浮かぶほど、この映画にのめり込む率は高い。 何故ならば、宣伝しているような山岳サスペンスでも陰謀渦まくサスペンスでもないから。 マーティンという一人の男の人生を変える旅と出会いの物語だから。

  ハンター4.jpg 森に入るときは、いつもひとりで。
 というわけで、ほぼウィレム・デフォーのひとり舞台でございます。
 町の実力者(?)ジャック・ミンディ(サム・ニール)の協力で、ある研究者の小屋に下宿することになるマーティン。 ところがその研究者は森に入ってから何カ月も行方不明で、妻は心労のため精神安定剤を飲みまくりで満足に動くことができず、幼い二人の姉弟がマーティンと付き合う(ちょっかいだす)ことに。
 姉はおしゃまだが、弟は口をきかない(きけないのかもしれないが、その理由は明らかにされない。 父親が帰ってこないからだろうか、と推察)。
 そんな二人にペースを乱されるからだろうか、それともその前の仕事で何かあったのか、マーティンはとてもプロとは思えない些細なミスをおかしてしまう。 「ほんとにプロですか!」とあたしはどぎまぎ。 しかし仕事中は表情を動かさないマーティンは、自分でそのミスを悔いているのかどうかもわからない(親切にナレーションなんか出ません)。 そんなマーティンと、口をきかない弟がなんとなく心を通わせてしまうのはわかる気がする。 多分そんなことは彼の人生の中でなかったことなんだろうけれど、そう自然になってしまったことに意味があって。 小屋のまわりの木にスピーカーを配置して、大音響でヴィヴァルディをみんなで聴くシーンは、とても美しかった。

  ハンター5.jpg きっかけは、自家用発電機が壊れたから。
    これを一緒に直していくうちに、何か伝わるものが。
 広大なタスマニアの光景を映すカメラもまた素晴らしいが(山というより森でしたね)、それだけでも終われないのが悲しいところ。 依頼主から「早くしろ」と催促の電話があり・・・話は否応なく転がり始める。 なにしろ登場した瞬間からあやしい気配を漂わせているサム・ニールの存在が、「こいつ、どっちに転んでもありだな(いい人でも悪い人でも可能性は半々)・・・」というのも地味に緊張感を持続させますし、誰でもいい役ではあれどウィレム・デフォーとのバランスを考えて重鎮を配したのは吉と出たと思います(そういえばこの二人、最近『デイブレイカー』でも共演してたわ!)。

  ハンター3.jpg タスマニアにも雪は降ります。
    しかしウィレム・デフォーはハンター的ニットキャップが似合わないと思う。
 強引に退路を断って、タスマニアタイガーとの一騎打ちに賭けるマーティン。
 まるでマーティンとタスマニアタイガーは、同じ存在であるかのようだ。
 その結末は・・・。
 なんとも切なくて悲しくて、やりきれない。
 けれど、だからこそマーティンはまったく別の自分の人生を生きることにしたんだろう。 その先がうまくいくかどうかはわからないが・・・しかし観客はいいほうに行ってくれと願うしかないのである。
 硬派な人間ドラマとして売り出してもよかったと思うが・・・なにしろウィレム・デフォーあっての映画、それは間違いない(ほぼ出ずっぱり、一人でこの映画を引っ張っていくのだから、彼の技量は素晴らしい)。
 そして観客は滅びゆく生き物、すでに滅んでしまった生き物に対して思いを馳せずにはいられない。 一体、どれだけの生き物たちをこれまで人間は破滅に追い込んだのだろう、自分たちの都合のために。 人間も、いつかは滅びゆく生き物だというのにね。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする