2011年10月19日

ファイナル・デッドブリッジ/FINAL DESTINATION 5

 これは3Dの質がよい!
 オープニングのガラスの破片が飛び散り続ける一連のシークエンスなど、どことなくアートの香りすら漂っている。 しかし悲しいかな吹替版しか公開がない・・・だが、ホラー映画独特のある種のキッチュなチープさには日本語吹替版が意外と似合っているかも(金曜ロードショーや日曜洋画劇場を見る感じですね)。 ま、それもヘンな話題性のためだけのタレントを起用しなかったのが正解、ベテランは少なくともちゃんと基本の出来てる声優さんで聞きたいものです。
 実は前作『ファイナル・デッドコースター』で「もういいかな・・・」と思ったあたしだが、“ハリウッド・エクスプレス”で紹介されていたのを見て「なんか、マンネリの中にも新機軸?」と感じてつい見に来てしまいました。

  ファイナルデッドブリッジポスター.jpg おまえは、渡りきれるか。
    ・・・というかそもそも渡りたくないですよ。

 会社の研修旅行でバスに乗り、大きな橋を渡ろうとするとき、サム(ニコラス・ダゴスト)は橋が崩落し大勢の人が次々死んでいく夢を見る。 目が覚めたとき、夢とまったく同じ出来事が起こり「大変だ! 橋が崩れるぞ! 逃げろ!」と最近別れ話が出たばかりのモリー(エマ・ベル)を連れて逃げる。 なんだ、何が起こった、とパニックの中、結果的にサムについていったことになった8人が大事故から生き残る。
 しかし、<死>は彼らを逃す気はなかった。

  ファイナルデッドブリッジ1.jpg この人、『フローズン』でリフトに取り残された一人では・・・。
 検視局の“彼”が登場し、生き残った者たちに警告する。 いつも、「この人、『キャンディマン』だよね?」と思うあたし。
 サムの親友ピーター(マイルズ・フィッシャー)が「自分の代わりに誰かの命を差し出せば、もしや自分は生き残れるのでは」の考えに取りつかれていく様はこのシリーズではちょっと新しいアプローチだけど、基本的には大いなるマンネリです。
 シリーズ最初のほうは「この世界はほんの些細な出来事・偶然の積み重ねで人は容易く命を落とす、<死>のサインはいたるところに転がっている」という自分自身の日常生活について省みさせる要素があったんだけど、だんだん<死>のほうも大胆になってきて、偶然というよりは「あんたが仕込んでるでしょ!」となっていっているのが残念ではある。 ただ、現代人はほんとに危険なものに囲まれて生活しているのだ、という基本は忘れていないと思う。
 おまけに「おっと、そうきたか!」なラストのオチには大爆笑(言われてみれば細かな違和感があったもんなぁ)。 これって完結編? それとも番外編的な位置づけ? シリーズはまだまだ続くのかしら。
 人がいくら知恵を絞ろうとも、<死>のたくらみからは逃れられないのですね。
 こういう、人がゴミのように死ぬホラー映画ってキライじゃないんだけど映画館ではなくて家で見てそれで十分だなぁ、という考えの持ち主だった、あたしは。 けれどあれ以来、「わざわざそんなの見に行かなくても・・・」的な映画まで見に行っている(しかもわざわざ時間をつくって)。
 意味のある人の死を見るのはまだ受け入れがたい、リアルな死もつらい、けれど絵空事ならばいくら人が死んでも平気。 むしろ非現実的な死であればなおOK。 歪んだ自己セラピーかしら。 第二次大戦後にヨーロッパで推理小説がはやった理由と多分同じことが、あたしの中でも起こってるようだ。
 次は『スクリーム』の新作だな!

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 05:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする